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その他
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日付
2017/10/10

【書評】『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史』小野寺 史郎著(中公新書、2017年)

評者:光田 剛(成蹊大学法学部教授)

 

    中国は長い歴史の記憶を持つ大国である。それが中国のナショナリズムの特徴に影響を与えている。中国は冊封‐朝貢関係で周辺国と関係を結んできた。それは武力に訴えない平和な国際関係で、その点でアメリカ合衆国中心の現代の暴力的な国際秩序よりも優れていると主張する。また中国は「中華民族」の「民族国家」であるという。その歴史の起源は黄河文明までさかのぼるという。だが、中国は56の民族が形成する国家でもある。草原の遊牧民もその中国の起源の一翼を担う。現代の中華人民共和国の領域を形成したのは、モンゴル人の元(大元)と満洲人の清(大清)の、遊牧民出身の王朝である。それなのに、中国の歴史の起源をさかのぼるなかで、草原の文明が想起されることが、はたしてどれくらいあるだろうか?
 本書は、その中国ナショナリズムがどのように形成され、発展して、現在まで到達したかをたどった本である。現代の中国ナショナリズムを、中国数千年の「中華思想」から直接に説明するわけでもなく、かといってもっぱら1990年代以後の「愛国主義教育」の産物だと論じるのでもない。中国ナショナリズムは、近現代中国で生まれ、近現代の歴史の動きに影響されながら発展してきた。その足跡を、新書版の紙幅が許すかぎり丹念に追った書である。
 以下、これもこのページの紙幅が許す範囲で、本書の内容をかいつまんで紹介しよう。

 

 「民族」に先立つ「民族主義」

 中国は、1895年、日清戦争に敗れて朝鮮の「独立」を認めざるを得なくなり、「冊封‐朝貢」関係の形式を維持することができなくなった。この過程は、近年、岡本隆司を中心とするグループの研究によって問い直され、描き直されつつあるが、それについてはここでは省略しよう。ともかく、近代外交のなかに身を置かなければならなくなった清に強い影響を与えたのが日本だった。
 その日本から「民族主義」が紹介される。「国恥」を「記念」する、そのために、集会を開いたり不買運動を展開したりという「民族主義」の方法も日本から導入される。ところが、「民族主義」の主体である「民族」とは何か? 「ナショナリズム」の主体である「ネイション」は何か? その答えが出ていなかった。支配するのは満洲人王朝で、支配される者は漢人が多数のその国と民族をどう呼べばよいのか?
 ネイションの呼び名として「中国」が選択される。しかし、「中国人」は漢人だけなのか、それとも満洲人やモンゴル人も含むのか。この問題は、満洲人王朝を倒すのか倒さないのかという問題や、この当時には新しい科学だった人種論とも絡んで議論された。だが、その結論が、本質的な問題を先送りしたまま、1911年に革命が勃発し、1912年には中華民国が発足する。

 

 「中華民族」を作る

 「中華」という名の国はできた。国が「中華民国」ならば、その民族は「中華民族」だろう。だが、「中華民族」とは何か? 「中華民国」創立者たちは遊牧系の異民族と触れ合う機会が少なく、清朝が体現していたような多民族性を実感することはできなかった。中華民国の創立を推進した革命家たちの多くは、広東・浙江・湖南などの南方の出身だったからである。清末から民国初期に強い影響を持った立憲派・改革派知識人の梁啓超も広東出身だった。その結果、中華民国は、「中華民族」とは何かを十分に整理することのできないまま歩んでいくことになる。
 中華民国の国語をどうするかも大きな問題だった。漢人の言語に限ったところで、それは地域によって差が大きく、話しことばではまったく相互に理解できない「方言」が並んで存在している状態だったからである。そこで共通語が構想されるのだが、全国の民衆が身につけられる共通語を作り出すのは容易なことではなかった。口語に近いとされる「白話文」ですら文語を基礎としており、民衆にはなお縁遠いことばだった。発音を、北京などの北方方言に全面的に依拠するのか、それとも中立的な発音を人工的に形成するのかという問題も解決できなかった。

 

反日・排日・抗日

 その中華民国の「国恥」の激情をかき立てたのは日本による二十一か条要求だった。ナショナリズムの型として「国恥を記念する」という方法を中国に伝えた日本が「国恥記念」の標的になったのである。「民主主義と科学」のイメージに彩られた1919年の五四運動(2019年はその100周年)も、直接には日本の山東半島占領への抗議行動で、日本に妥協的な「売国三官僚」を標的にしたものだった。
 第一次世界大戦での連合国の勝利は、中国の若い知識人に「強権」に対する「公理」の勝利を印象づけた。しかし、山東半島占領問題での挫折は再び「力」つまり「強権」の必要性を印象づける。中国の国家主義と社会主義はこの経験から出発した双子のような存在であった。
 1925年の五・三〇運動は反日感情よりも反英感情をかき立てた。しかし、1928年の済南事変を機に、再び反日感情を高めることになる。この傾向が続くなか満洲事変が勃発する。満洲事変の停戦後、中国を支配する国民党政権は民衆のナショナリズム運動を抑制しようとしたが、日本側は国民党こそ「排日」の中心だと考えて、「排日教科書」の取り締まりを求めた。その日本の動きがさらに「排日」を刺激し、日本がそれに反発するという悪循環が続く。
 1937年に抗日戦争が全面化すると国民党も抗日宣伝に努めるようになる。しかし、それを民衆に浸透させるのは容易なことではなかった。他方で、民族主義をブルジョワ思想として排斥するはずの共産党も、「愛国主義」の役割を高く評価し、「抗日民族統一戦線」を提唱して国民党に対抗するようになる。

 

社会主義の時代から現代中国へ

 中華人民共和国が成立し、社会主義が追求された文化大革命までの時期、「愛国主義」は、朝鮮戦争や中ソ論争などでときおり姿を現すものの、その重要性を低下させた。国内での「階級闘争」に政治の主要な関心が向けられたからである。しかし、この時代、在外華人の「愛国」運動は「社会主義の祖国」への「愛国」運動として高揚した。
 一方で、日本に対しては、蒋介石がいち早く「以徳報怨」演説を行い、中国共産党も「日本人民は日本帝国主義の被害者」として友好が可能だとする「二分論」を採った。これによって1972年の日中国交正常化が実現する。しかし、この国交正常化は、尖閣問題だけでなく、数多くの日中間の問題を「棚上げ」することによって実現したものだった(なお、具体的に尖閣問題について「棚上げ」合意があったかどうかは本書は触れていない)。その「棚上げされた対立」は、早くも1980年代に教科書問題や首相の靖国神社参拝問題として問題化し始める。
 一方で、改革開放政策が展開する1980年代には少数民族問題や人権問題が国際化する。1989年の(第二次)天安門事件以後、中国は自覚的な「愛国主義教育」を始める。「中華民族」論が再整備される。対外関係はこの「愛国主義教育」の影響を受けた中華民族ナショナリズムによって強く影響されるようになった。胡錦濤政権期には「対日新思考」も提唱されたが、挫折し、習近平政権はナショナリズムへの依存を強めつつある。
 中国にとって「近代」は虐げられた時代である。したがって、近代的世界が共有する普遍的価値に中国指導部は懐疑の目を向け、拒絶的態度をとる。だが、それにかわって「力」の外交を是認するならば、それはやはり帝国主義時代の「強権」ルールの肯定にほかならない。中国は「大国」になった自国を扱いかねているように見える。2010年代後半、中国はどこに向かうのであろうか。

 

民衆と国家・民族との距離の遠さ

 本書によれば中国ナショナリズムは出発点で大きな挫折を経験している。義和団の決起とそれに続く義和団戦争である。この敗北で、中国(清)は多大な賠償金を支払わねばならなくなり、天津‐北京間に列強の駐兵を許すことになった。この教訓は、知識人に、「文明の排外」の必要性を痛感させることになった。「ナショナリズムは排外である」という特徴が維持されるとともに、それは「文明」的でなければならないとされたのである。
 しかし「欧米・日本的な文明」を意味する「文明」を掲げると中国の(ノン・エリートの)民衆から遠ざかる。しかも、辛亥革命前の革命派も、国民党も、共産党も、政権獲得までは、民衆文化に接近し、民衆文化を利用して排外感情を含むナショナリズムをあおり立てるのに、自らが政権を獲得すると、民衆文化から距離を置き、民衆の伝統的な文化を抑圧する志向を示し始める。民衆の伝統的な文化が活性化して「国家」のコントロールが効かなくなるのを恐れるからである。
 だが、その結果として、知識人や政権の担い手などのエリートの中国ナショナリズムはいつまで経っても民衆に浸透しない。抗日戦争の際の、「抗日の首都」であった重慶で、新聞の調査に応じた労働者の6分の1が日本が敵であることを知らず、3分の2は国歌が歌えず、半数が自分の子を戦場に送りたくないと答えたという。本書の著者もこの調査の信頼性に疑問を記してはいる。その数字は参考程度にしか信頼できないにしても、戦争という現実の前でもナショナリズムの浸透はこの程度であったのである。

 

ナショナリズムの困難とその解消?

 中国の民衆は自分の生活を楽しむのみで国家を認識することもなかったとするのは極端だが、それにしても、エリートではない民衆が「中国」をイメージするのは難しかった。長いあいだ「中国」は国民国家ではなく世界で唯一の「天朝」であり(これも議論のあるところだがここでは省略する)、民衆は「諸国が対等に並び立つなかでの自国」をイメージする必要がなかった。民衆は、地元の世話役としての紳士(王朝時代の科挙合格者で、出身階層は多くのばあい大地主。近代的な資本家の母体でもある)を通じて、またとくに南中国では社会に張り巡らされた秘密結社(「会党」)のネットワークを通じて王朝の政治につながっていたのであり、王朝の支配する領域全体について何かのイマジネーションを働かせる必要はなかったのである。
 中華人民共和国の成立とともに、中国共産党は紳士の存在も秘密結社のネットワークも徹底して消し去った。そしてその両方の役割を中国共産党自身が全国に張り巡らせたネットワークを駆使して代替した。それでも、中国共産党自身が階級闘争を優先しているあいだは、中国ナショナリズムを中国民衆に普及させるのは困難だったのである。
 ただ、愛国主義教育が江沢民時代から20年以上続いて来たことと、とりわけインターネットの普及は、この事態を変えつつあるように思われる。民衆のイマジネーションのなかで、経済的な成功も相まって、諸国が並び立つなかでの中国、そのなかで一頭優れた中国という中国像は揺るぎないものになったように見える。習近平政権が多用するインターネット上の「汚職叩き」にしても、それは民衆のナショナリズムと矛盾するのではなく、その一翼を担っているように見える。多くの国のナショナリズムは、その指導層の怠惰・無能・腐敗に鋭い非難を向けるものだからである。

 

 「中国共産党創立100年」時代のナショナリズム

 それは、中国の民衆(多くは漢族の民衆)と、香港・台湾を含む中国の外の世界の人びとの認識とのギャップを広げつつある。民衆レベルでのこのギャップが中国をめぐる国際関係に与える影響が表面化していくのはむしろこれからだろう。
 この10月に開かれる共産党大会で選出される執行部は、五四運動100周年と第二次天安門事件30周年(ともに2019年)、そして共産党創立100周年(2021年)をその指導の下に迎えることになる(なお国家の役職は来年3月の全国人民代表大会で選出されるので、形式的には半年ずれる)。おそらく習近平政権第二期となるであろう新執行部は、この新時代のナショナリズムをどうコントロールしようとし、またそのナショナリズムにコントロールされるのか? 注目していかねばならないところである。