タイプ
その他
プロジェクト
日付
2016/11/16

【書評】大矢根聡編著『FTA・TPPの政治学:貿易自由化と安全保障・社会保障』(有斐閣、2016年)

評者:大庭 三枝(東京理科大学教授)

1.本書の概要

 本書のテーマは、政治学(比較政治学・国際政治学)の観点から、アジア太平洋において各国がFTA・TPP政策を進めていく過程とその要因についての分析である。本書の基本的な問いは、「なぜ、各国はGATT・WTOではなくFTAを追求し、これほどまでに推進するのだろうか。」である。「(TPP・FTAが)どのように政治問題化しているのか、それはなぜなのか、という様相と要因を把握」すること、そして「そのために、客観的かつ包括的に関係者の利害や考え、行動をとらえ、政治的現象の全体像を描き出し、関係者間の対立と協調のダイナミズムを明確化する」(p.ii)ことを目指している。

 なお、本書は一般財団法人アジア太平洋研究所の研究プロジェクト「環太平洋経済協力をめぐる日・米・中の役割」(2012-3年度)および「日本の対アジア太平洋外交政策と通商政策のあり方」(2014年度)の成果の一部であり、これらのプロジェクトの参加者を中心とした執筆陣による論文集となっている。本書の基本的構成とそれぞれの章の執筆者は以下の通りである。

 はじめに

 目次

 序章 FTA・TPPの政治学 (大矢根聡)

第一部 分析視角

    第1章    経済的要因と安全保障・社会保障要因:分析視角(1)(大矢根)

    第2章    大概経済政策と国内社会保障:分析視角(2)(大西裕)

第二部 主要国のFTA・TPP政策

    第3章    日本:安全保障の期待と社会不安(大矢根)

    第4章    アメリカ:自由貿易への支持低下と党派対立(西山隆行)

    第5章    中国:FTA政策の戦略性(三宅康之)

    第6章    韓国:自由貿易主義への転換(大西)

    第7章    オーストラリア:経済的利益と地域経済秩序の模索(岡本次郎)

    第8章    ASEAN:自己変革と中心性の模索(湯川拓)

第三部 2国間関係:バッファー・システムの変化

    第9章    日米関係:アメリカの政策機構における均等化(冨田晃正)

    第10章    日中関係:派閥政治の変容と対外政策(井上正也)

    第11章 日韓関係:非対称的な相互補完から対称的な競合へ(木宮正史)

 

2.本書の特徴

   本書の視点の特徴は以下にまとめられる。第一に、各国がFTAやTPPを推進するか、あるいは慎重かといったことも含む貿易政策の規定要因について、「経済的利益に基づく政治的ダイナミズム」のみならず、「国際的安全保障要因、および国内的な社会保障要因(もしくは社会不安)の次元に着目」(p.4)し、それらを全て視野に入れて考察することを志向している点である。

 この点は、本書全体の射程と論点について論じているはじめに、序章、第1章で詳しく論じられている。大矢根聡(以下敬称略)は、「TPPのような貿易政策について、従来の研究は経済的利益に照準をあわせ」、「経済的利益の相違が関係者の政治的な立場と相互関係を定め、それが各国の政策や対外交渉に反映すると想定し」ていたことについて批判している(p.ii)。彼によれば、近年のFTA・TPPは経済にとどまらない現象である。そこで本書は、経済的利益を中心にしながらも、一方では国際的な安全保障に着目し、他方では国内的な社会保障を視野に入れるとしている(p.iii)。

 この場合の安全保障とは、「自国の領土や国民の生命・財産、自由・平等といった価値に対する軍事的脅威に対して、防衛力の強化や同盟関係の形成・強化を図る試み」(p.26)である。そして社会保障とは、「市民の文化的で最低限の生活を確保するために、政府が市民の収入や雇用、健康や衛生などを阻害する事態を事前に予防し、また事後的に支援する行動」(p.26)である。大矢根によれば、これら安全保障と社会保障に関する各国内の志向性や認識が、FTAやTPPをめぐる政策動向に影響していることを明らかにすることを目指す、というのが本書の基本的スタンスであるという。

   第二に、ソシオトロピック(社会志向的)な要因、すなわち、FTA・TPPが社会全体に与える影響についての人々の認識を考慮に入れて分析を試みようとしている点である。この点について、本書は、貿易政策の決定過程における心理的要因を導入した上でのモデルが必要であると論じるマンスフィールドとマッツの連名論文に依拠している(Mansfield and Muts 2009)。彼らの議論によると、ソシオトロピックな要因とは、必ずしも経済的利益への考慮と対立したり矛盾したりするものではないが、それよりはもっと国家のあり方ないし社会のあり方に関する「あるべき姿」について、人々が集合的に示す選好を指すようである。そしてFTAやTPPを進めることが社会全体にどのような影響を与えるのか、についての国内の様々な議論、またその議論を支える人々の選好が政策決定に影響を与えていることに着目すべきだというのが本書のスタンスである。

 第三に、本書はFTA・TPPをめぐる動向の分析と関連はあるものの、それとは別のもう一つテーマを抱えている点が特徴的である。それは、アジア太平洋地域全体の不安定要因となり得る重要な国際関係、すなわち日米、日中、日韓それぞれの関係におけるバッファー・システムの構築と衰退についての考察である。本書の視点からすれば、FTAやTPPは、広い意味での各国の安全保障への考慮に深く関わるものである。よって、FTAやTPPは、地域秩序の創出・維持の装置としても捉えられる。よって、地域秩序を揺さ振りかねないこれらの二国間関係の緊張が高まった時、それを緩め調整するシステムとしてのバッファー・システムの実態をも視野に入れた考察を行う、というのが本書のスタンスであるとうかがえる。

 

3.各章の主な議論

 次に、第2章以下の各章の議論を見ていきたい。

 第2章では、貿易政策と社会保障との関係についての理論的考察がなされている。担当者の大西裕は、1990年代以降、貿易政策と社会保障政策の関係が深くなっていると論ずる。それは「労働という生産要素の移動可能性に着目すると、社会保障政策のあり方が貿易自由化をめぐる政治アクターの選考に大きく影響するから」だという。大西のこの指摘は、序章や第1章で論じたように、社会保障要因を貿易政策の形成過程の分析に組み入れることが必要であるとの議論にダイレクトに関連するものである。

 第3章において、執筆者の大矢根は、日本のFTA・TPP政策の積極的推進と部分的停滞は、産業団体と農業団体の対立のみでは説明できないこと、また。TPPに関する議論は、特にソシオトロピックな言説が見られたことを論じる。すなわち、TPP反対論の言説にはTPPを締結した際の食料安全保障や雇用現象・賃金低下、医療保険の動揺などの社会不安に関するもの、また、「アメリカの利益の拡大」としてみる言説も多かった。大矢根は、これら言説は日本の政策展開に大きく作用したとする。

 第4章において、担当の西山隆行は、アメリカのオバマ政権以降の貿易政策の論点として、アジア太平洋地域経済圏におけるアメリカの地位の確保、アメリカ経済の成長戦略との結びつき、中国への対応の三つが存在したとする。そして、アメリカ政治の分極化によって超党派的合意が実現しにくくなっていく多難な状況下で、オバマ政権がTPP政策の推進をしてきたことを論じる。さらに、社会保障的要素を持つ貿易調整支援制度(TAA)関連法案の承認が一つの論点になったことも指摘されている。

 第5章において、執筆者の三宅康之は、中国のFTA政策の特徴として「市場経済国」という地位の認定獲得、対台湾要因、対抗的強国(アメリカ、日本、インド)への牽制手段という3つを挙げている。さらに、中国のFTA政策推進の国内的理由としては共産党独裁体制の強化、懸念される経済成長持続のための手段が存在するという。そして、中国のTPPへの対応は、言説上は2014年から「オープンな態度」を示すようにはなっているが、一方でRCEPや日中韓FTA、FTAAPの推進を掲げ、TPPへの警戒感は消えていないとする。

 第6章において、担当者の大西は、韓国が、盧武鉉政権時以降、FTA重視政策に舵を切ったことに着目する。大西はアジア通貨危機以降、韓国において自由貿易を支持する言説が韓国内では支配的となったことを指摘している。そして韓国国内の市民団体のFTA政策の反対運動の主役としての影響力にも言及しつつ、盧武鉉・李明博政権以降にFTAが大幅に進められたのは、従来、FTAに強力な反対の論陣を張っていた業界団体の活動が低下していたからだとしている。

 第7章担当の岡本次郎は、オーストラリアにとってのFTA政策は、アジア太平洋地域主義戦略の補完であり、よって相手国は実質的にはほぼすべてアジア太平洋諸国であったと指摘する。また、オーストラリアのFTA政策の経済的利益以外の要素として、豪米FTAにおける外国投資規制や国内保険制度(医薬給付スキーム:PBS)の改変、安全保障の強化という点を挙げている。ただ、FTAの条文の中には豪米の安全保障協力などの条項は含まれず、FTAと同盟との直接的・間接的な関係は不明瞭であると論ずる。また、同国にとってのTPPは、中国経済のみに依存しない経済安全保障枠組みとしての価値があり、しかし、保険としてのRCEPへの同時参加をしていると分析する

 第8章の担当である湯川拓によれば、「中心性」の維持にこだわりを持つASEANは、ASEAN+1のFTAを経済的関心のみならず安全保障・政治的動機から推進してきた。さらに湯川は、ASEANにとってRCEPはスパゲティボール現象への対応や日中韓FTAへの対抗、ASEAN中心性の維持という観点から重要性であるとする。他方、ASEANにとってのTPPは、ASEAN内の参加国にとっては進まないASEAN-アメリカFTAの代替という意味合いがあるが、ASEANの一体性を損なう可能性についても懸念が見られるという。

 第9章以降は、バッファー・システムについての考察である。第9章において、担当の冨田晃正は、日米経済摩擦が激しい時代にそれなりに機能した日米間のバッファー・システムは、そうした摩擦が沈静化した1990年台半ば以降、その作用は終焉したと指摘する。そして、日米のCEPEA/EAS、TPPなどの広域FTA推進をめぐっての方向性のズレが2000年代に見られた際も、バッファー・システムが機能しなかったことで、日米間には軋轢と齟齬が生じていたという。また日本側のTPPに中国牽制装置としての過度の期待と、アメリカ側との認識にはズレがあることも指摘している。

 第10章において、担当の井上正也は、日中国交正常化以来の日中間の対立を抑制したバッファー・システムにおける自民党最大会派田中派=経世会と中国内の知日派、そして彼らの国を超えた連携の果たした役割を強調する。しかしながら、冷戦終結後、日本では政界再編や経世会支配の揺らぎの中で親中派の政治家の影響力が低下していく一方、中国でも江沢民の愛国教育に加え、知日派の政治家の影響力の後退が見られた。そして小泉政権後、バッファー・システムは完全に機能不全になり、現在に至っているというのが井上の議論である。

 第11章を担当した木宮正史は、日韓の共通性と日韓の非対称性が冷戦期における日韓のバッファー・システムを支えたと論じている。共通性とは、西側陣営の一員であること、アメリカとの同盟関係を保持していること、経済発展を通じた政治的安定を目指していたこと、であった。また非対称性とは、韓国にとっての日本の重要性と日本にとっての韓国の重要性が様々な点で非対称であったことを指す。日韓関係の水平化が進む中で、対米同盟の共有が日韓の「競争心」を駆り立てる要因に作用するようになり、加えて日韓の非対称性の希薄化によって両国は相互競合関係への移行をしたことで、摩擦の契機が増していることを木宮は指摘している。

 

4.評価と今後に向けた論点

 本書は、一時期我が国において多く出版されたようなTPPやFTAの是非を問う本ではない。日本においてFTAやTPPの分析は、経済学的視点からそれらがもたらすと期待される効果について分析したもの(例えば(馬田・浦田・木村、2016))、またはTPPをアメリカが中国を牽制する道具であるという視点からそのジオポリティクス的な側面を強調するもの(例えば(西村、2015))が目立つが、本書はそれらとも異なる。本書は、アジア太平洋におけるFTAやTPP政策の策定過程やその背後要因に関する政治学的な分析を試みるものであり、アメリカでの研究プロジェクトの英訳である(ソリース・スターリングス・片田2010)がこの試みを行った研究として挙げられるものの、それ自体我が国において類書が少ない。よって本書は、この分野において重要な知見と視点を提供する研究成果であると評価できる。

 また、経済的要因、ないし経済的利益への考慮からくる対立といった要素のみならず、各国内における国際的な安全保障、また国内的な社会保障それぞれについての国内の議論や考慮を分析視野に入れる必要があるという観点からの分析を目指したのは特に重要であろう。とはいえ、各国のFTA・TPP政策を論じた第2章において、特に社会保障要因についての指摘は全般的に弱い。今後、FTAやTPPのもとでの経済統合がより一層高度なレベルで進化すれば、社会保障のあり方をめぐる様々な齟齬と通商政策のあり方についてさらに議論を呼ぶようになるであろう。今後一層、社会保障要因についての分析が求められるところである。

 さらに、政策決定にかかわった個人それぞれの認識ではなく、一般の国民・市民の間でのFTAやTPPへの評価や期待、あるいは不安—ソシオトロピックな要因—を分析視野に入れるべきだとしたのも、挑戦的な試みである。全般的に、本書の分析枠組みは、国際政治における認識やアイディアなどの主観的・間主観的な要因を重視するコンストラクティビズム(構成主義)の色彩が強いが、これは編者のひとりである大矢根が我が国におけるこの流派の研究で主導的立場にあることと関連しているだろう。

 国際政治において、主観的・間主観的要因を考察する重要性は評者も大いに同意するところである。ただ、実際にどのように主観的・間主観的要因が政策に影響を及ぼしているかを証明するのは極めて難しい。特定の指導者や政策決定者の想念ではなく、国民や市民間の集合的な認識や選好の影響力を証明するのはなおさらである。本書でも、国民レベルでのソシオトロピックな議論が各国で散見されたことへの指摘はあるものの、それが実際の政策にどう影響したのか、という因果関係については十分に明らかにされていない印象を受ける。今後の研究の発展に大いに期待したい。

 

参考文献

 馬田啓一、浦田秀次郎、木村福成編著『TPPの期待と課題:アジア太平洋の新通称秩序』文真堂、2016年。

 ミレヤ・ソリース、バーバラ・スターリングス、片田さおり編『アジア太平洋のFTA共同』勁草書房、2010年。

 西村豪太『米中経済戦争:AIIB対TPP』 東洋経済新報社、2015年。

 Mansfield, Edward D. and Diana C. Muts, “Support for Free Trade: Self-Interest, Sociotropic Politics, and Out-Group Anxiety” International Organization, 63 (3), 425-457.