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その他
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日付
2012/10/18

【書評】『「持たざる国」の資源論 持続可能な国土をめぐるもう一つの知』 佐藤仁著<Page3>


3.日本政治史の観点からの評価と論点

「資源の総合」という時代精神

以上のように本書は、「持たざる国」のラベルづけの虚構を論じることで、古くて新しい「資源論」の可能性を抽出している。資源調査会などの豊富な一次資料、当事者へのインタビュー、幅広い先行研究を網羅することで、地理学のみならず政治学・経済学・社会学・歴史学におよぶ「資源論」を可能としたのである。冒頭で述べたように、論点の反復や概念の拡散も目立つが、それらは問題提起の本質に差し障りがあるものではない。

特に、本書の白眉である1930年代から1960年代までの「資源の総合」が映し出す時代精神は、日本政治史研究にとって重要な示唆に富む。ここでは、拙著『戦後政治体制の起源 ―吉田茂の「官邸主導」』(藤原書店、2008年)、および拙論「戦後政治と保守合同の相克 ―吉田ワンマンから自民党政権へ」『日本政治史の新地平』(吉田書店、2012年12月に刊行予定)を参照しながら、この時代精神の政治背景をひも解いてみたい。

1930年代に内閣直属の総合官庁が登場したのは、国家総動員の思想だけが要因ではない。同じ頃、明治憲法が定める分立的な意思決定システムを統合してきた藩閥元老や政党集団の政治権力が後退し、陸軍の強い意向もあって制度的な対応は不可避と認識されていた。その嚆矢が、1935年に設置された内閣調査局であり(翌年に企画庁へ改組)、1937年の日中戦争の勃発で、これが国家総動員機関の資源局と合同して企画院となる。本書が文官たる松井の退場で示唆したように(74-77頁)、「資源の総合」が「権力の総合」に飲み込まれた背景である。

もっとも企画院は、期待ほどに機能しなかった。統帥権の独立や国務大臣単独輔弼制の壁に阻まれ、結局、戦時中の1943年に廃止され新設の軍需省に吸収されている。満州国総務庁をモデルにした陸軍が、首相を傀儡化する権力手段であった総合官庁は、もともと明治憲法と齟齬を来す無理のある存在であった。

「資源の総合」の背景と展望

終戦後の1946年、統制経済機関たる経済安定本部として総合官庁は復活した。TVAに代表されるニューディールの思想だけが要因ではない。『日本経済再建の基本問題』で自覚されていたように、「戦災の大きさと物的資源の乏しさ、それを知恵と工夫で補わざるを得ない日本の現状が、いわば総合を強いた」からである(130頁)。

ただし、ここでも「権力の総合」が顔を出す。国内資源の徹底利用だけで自給は到底できない。アメリカの対日援助が生命線であった。そこで、アメリカの「納税者の論理」に直面する。ただでさえ敵国・日本への税金投入は議会・世論の反発が大きく、援助の無駄遣いには厳しい目が注がれた。大来らは、「考える順序」として、「外国の地に解決の場を求めるに先立って、国内資源の在り方、そこにあるものの可能性を追求すべきこと」を自覚していた(176頁)。言い換えれば、「資源の総合」と統制経済の徹底は援助の条件であった。

1947年に経済安定本部が強化拡充され資源委員会が設置された背景は、これら占領政策を貫徹するための「権力の総合」にあった。民主化や統制経済に親和的でも弱体であった社会党政権を、GHQは両機関を通じ支えようとしたのである。もっとも経済安定本部は、期待ほどに機能しなかった。議院内閣制と矛盾する「官僚独善」と議会・政党の批判を浴びて、社会党政権の崩壊とともに縮小改組される。アメリカ大統領府をモデルにしたGHQが、首相を傀儡化する権力手段となった総合官庁は、もともと新憲法と齟齬を来す無理のある存在であった。

占領政策の転換のなか吉田茂が復権すると、1949年、経済安定本部は総合官庁としての性格を失い、資源調査会への縮小改組も行われる。講和独立を見据えた国際経済復帰のため、統制経済の撤廃と対日援助に依存しない経済自立が目指されたからである。だが、両機関は存置された。講和独立に伴う援助終了を想定してのことである。

1950年の朝鮮戦争は、一過性の特需をもたらしたが、恒久的な経済自立を達成するものではない。代わりに吉田が見据えたのが、大規模な水力発電開発などを対象とした、アメリカや世銀からの外資導入であった。それには、「資源の総合」による開発計画と緊縮財政の徹底が投資の条件となる。両機関は、徹底姿勢を説明する資料として経済計画を策定する役割を担うため、吉田ワンマンの「権力の総合」の下で存置されたのである。

しかし、外資導入と「資源の総合」は勢いを失う。1955年に高度成長が始まると、国内の資本蓄積と経済自立が達成されて外資導入の必要は薄まり、国内の資源開発から原料確保の国際貿易へ関心が移ったからである。やがて、「世界とつながる最も重要な接続の回路」(137頁)であった「資源の総合」は失われる。ここまでの政治背景をひも解いた時、本書のさらなる可能性に気づかされる。自民党の長期政権は、あたかも1955年に始まっている。

次第に「権力の総合」への創意工夫は失われ、行政機構のセクショナリズム化が顕著となった。経済計画は純粋な将来予測と化したのと入れ替わり、国土計画は国内資源でなく地方利益の開発を目指して政治的に活性化した。だとすれば、世界との「接続の回路」の衰退という本書の指摘から、1990年代まで全盛を誇った自民党政治の歴史的な構造分析に新しい視点が得られるのではないだろうか。そして、東日本大震災後にエネルギー輸入量の増大と貿易赤字が顕在化している現在、「資源の総合」による世界との「接続の回路」は、再び必要な視点となるに違いない。

「権力の総合」が持ったイデオロギー性

以上のように本書は、自然の一体性という理想論に止まらず、学問知から実践知への応用、国家の意思決定という現実論にまで「資源論」を昇華させている。ただし、民主主義との関係という最も肝心な問題については、「これ以上の考察は別の機会に譲る」(237頁)と記すように、今回は啓蒙書としての段階にとどまっている。

その結果、「資源の総合」に基づく創意工夫の重要性は説得力を持つものの、「権力の総合」の分析には残された課題も多い。例えば、専門知識を持つ「現場の人にしかるべき裁量権が与えられる」との条件を提示する、F.ハイエクの着眼が引用されている(235頁)。だが、ハイエクは「計画主義的思考」を批判し、時に「資源の総合」と矛盾する市場効率を主張する論者とみなされることが多い。これをどう整合的に解釈していくのか。

また、本書には、議会・政党や利益集団といった民主主義の過程に欠かせない中間権力があまり登場して来ない。石井素介の証言は、これを裏付ける(195頁)。経済安定本部と資源調査会の実態は、戦前型の官僚が随所になだれ込み、「戦前からの≪物資総動員≫的政策思潮とアメリカ的≪資源保全≫思潮との奇妙なミックス」であり、結局は、「資源論」に含まれた草の根デモクラシーの「果実の栄養を吸収するべくしてし損なった」。

戦前の企画院には、陸軍・官僚の「革新勢力」が進める国会社会主義を媒介に、社会主義者・共産主義者がなだれ込んでいた。戦後の経済安定本部には、今度はGHQが進める統制経済を媒介に、この企画院人脈が衣替えの「革新勢力」としてなだれ込んでいた。満州国総務庁とアメリカ大統領府のミックスだった所以である。

つまり、体制周辺の批判的精神は、特定の政治的イデオロギーも多分に含んでいた(むしろ本書で最も興味深い存在は、保守・革新のイデオロギーに収まらない議論を展開した大来である)。そこで「階級性」「社会」「計画」がキーワードになりがちなのと、恐らくは無関係でない。また、1950年代の「国内開発主義」は、吉田政権の「貿易主義」を対米依存・市場効率と批判する、反米的な資源ナショナリズムの側面を強く持っていた。

もっとも、問題の本質は、政治的なイデオロギーが含まれていたか否かではない。体制周辺の批判的精神が持っていた、「権力の総合」への認識である。前述のように、経済安定本部は議院内閣制と矛盾する「官僚独善」と批判されて縮小改組された。批判したのは、保守勢力だけでなく、当時の政権与党であった社会党の内部とその支持基盤たる労働勢力であった。それほどに、専門エリート的なトップダウンの権力認識が目立ったのである。「これ以上の考察」は、ここらあたりも課題となるのではないだろうか。

「知の総合」という可能性

それでも、「権力の総合」の議論が未完とはいえ、本書による時代精神の検証は、冷戦終結とバブル崩壊で自民党政治の意思決定システムが機能不全に陥った近年の流れに照らしても、実に示唆的である。1990年代には、再びの「権力の総合」を目指し、相次いで選挙制度改革と内閣機能強化が図られている。前者は自民党長期政権のさらなる動揺をもたらし、後者は総合官庁の部分復活と言える経済財政諮問会議を生み出した。

しかし、2000年代に小泉純一郎政権の構造改革路線でピークを迎えたものの、その後、市場効率による格差社会への批判は拡大し、「官邸主導」と総合官庁のトップダウンにも後退が見られた。2009年の政権交代では、安易な「政治主導」が「権力の総合」への疑問を投げかけ、むしろ「官僚依存」へと回帰した。現在、それまでの流れを後押ししてきた政治学や政治メディアの間には、ある種の閉塞感も漂う。

これに対し、本書は次のような示唆的な指摘をしている。「大学の歴史に典型的に見られるように、過度の専門化は周期的に総合への反動を生み、総合の失敗は再び専門化へと回帰する。注意したいのは、知の総合が滅多に実現しなかったからといって、必ずしもその試みが間違っていたことにはならないことである」(107-108頁)。昨今の「権力の総合」をめぐる流れにも、見事に符合する。

確かに、過去の「資源の総合」は政治的なイデオロギーと不可分であった。それは、時に安易な「権力の総合」となって結局は失敗に終わった。高度成長以前の中進国としての「資源論」が、経済大国になった現在にそのまま適用できる訳でもない。だからといって、必ずしもその試みが間違っていたことにはならない。資源から見た日本の近現代史を見れば、「経済的に困窮し、不足感が支配的なときに資源論は最も活力ある動きを見せ、経済的に豊かな時代には活力が減退する」というパターンの繰り返しであった(245頁)。

だとすれば、徹底した「資源の総合」が再び不可避になりつつある現在、「権力の総合」も、過去の失敗を反芻しつつ絶え間なく創意工夫を積み重ねるべきものであろう。そして、学際的な「知の総合」も、再びこの時代を迎えつつある。そこで必要とされるのは、自らの方法論への固執や些末な揚げ足とりでも、ましてや社交辞令の賞賛でもない。互いへのリスペクトと批判的精神を伴った、問題提起の本質を総合的に見極める姿勢である。

本書は、「資源論」を窓口に、「知の総合」という可能性を提起した意欲作である。そこに含まれる水脈は計り知れない。日本政治史研究の観点に立つ本書評者も、「別の機会」の「資源論」を心待ちにする1人である。