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その他
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2017/8/8

【書評】『戦後日韓関係史』李鍾元・木宮正史・磯崎典世・浅羽祐樹(有斐閣、2017年)

評者:白鳥 潤一郎(立教大学法学部助教)

 

待望の日韓関係の通史

    古今東西を問わず、隣国との関係は一筋縄にはいかないものだが、韓国との関係はとりわけ舵取りが難しい。それは韓国が単なる隣国ではなく、旧植民地の一部であり、さらに冷戦下で形成された分断国家だという事情が大きい。また冷戦の終結と韓国の民主化に伴う変化も無視し得ない。

   国際秩序が流動化するなかで、国内政治の混乱を経て発足した韓国の新政権といかに向き合うか。慰安婦問題や北朝鮮の核兵器およびミサイル開発問題、そして中国の台頭に伴う東アジア情勢変動への対応など、日韓間の懸案は尽きないが、当然ながらそれぞれに歴史的な経緯がある。目の前の課題を考えるためにも、まず歴史を鑑とするべきであろう。

   10年ほど前から急速に進展した両国の史料公開もあり、近年、日韓関係は多面的に研究が深められてきた(代表的なものとして、『歴史としての日韓国交正常化Ⅰ・Ⅱ』法政大学出版会、2011年、『日韓関係史1965-2015Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』東京大学出版会、2015年、など)。また、韓国の実務家(元外交通商部北東アジア局長)の見方を示す著作として、趙世暎(姜喜代訳)『日韓外交史――対立と協力の50年』(平凡社新書、2015年)が刊行されている。だが、これらをふまえた通史は欠けていた。序章および終章と1950年代を李鍾元、60~70年代を木宮正史、80~90年代を磯崎典世、そして2000年代以降を浅羽祐樹という執筆陣による本書は、日韓関係に関する待望の通史である。

   数多くの研究を消化し、それぞれに研究を蓄積してきた韓国政治・外交の専門家によって書かれた本書は、スタンダードな通史として読み継がれていくことになるだろう。

 

本書の構成と時期区分について

    本書は、以下の各章から構成されている。

 

  序 章 戦後日韓関係の歴史と構図(李鍾元)

 第1章 戦後日韓関係の始まり──1950年代(李鍾元)

 第2章 冷戦と経済協力──1960年代(木宮正史)

 第3章 冷戦の変容と関係の緊密化──1970年代(木宮正史)

 第4章 韓国民主化と市民社会交流──1980年代(磯崎典世)

 第5章 脱冷戦期の協力の模索と課題の噴出──1990年代(磯崎典世)

 第6章 複合化する日韓関係──2000年代(浅羽祐樹)

 第7章 「普通」の2国間関係へ──2010年代(浅羽祐樹)

 終 章 今後の日韓関係に向けて(李鍾元)

 

   序章と終章に挟まれた各章は10年代ごとに区分されている。これは、定評ある教科書レーベル「有斐閣アルマ」の他のいくつかの通史や五百旗頭真編『日米関係史』(有斐閣、2008年)の戦後部分、宮城大蔵編『戦後日本のアジア外交』(ミネルヴァ書房、2015年)などと共通しており、定番となっている時期区分の1つである。

   序章で説明されているように、韓国政治では、1950年代は李承晩政権期とほぼ重なり、60年代と70年代は朴正煕政権期と同義語であり、さらに激動の80年代には民主化が達成され、そして89年末には朝鮮半島情勢に大きな影響を与え続けてきた冷戦の終結が米ソ両国の首脳によって宣言されることになった。このように、20世紀後半については日韓関係を見る上でも10年代ごとに見ていくことに一定の意義を見出し得るが、「1990年以後は、10年きざみの象徴的な出来事はなく」(21頁)とされているように、21世紀については便宜的な時代区分のようである。

   第二次世界大戦後を10年代ごとに各章を構成するというスタイルは、五百旗頭真編『戦後日本外交史』(有斐閣、1999年)に始まったものだが、同書では「この見事に好都合な区分は、はたして外交史の実態に即しているのか」として慎重に検討が行われている。1960年代は安保改定後の経済の時代であり、70年代は国際的な相次ぐ危機、そして80年代は新冷戦という新たな国際環境を迎える。さらに1990年代は冷戦終結後である。このように10年ごとの区切りは日本外交を説明する良い時期区分となっている。問題となるのは1950年代である。通常は1952年の講和条約発効までを占領期としてひとまとめに論じ、吉田茂が首相として在任し続けた1954年までを1つの時代とすることが多かった。それに対して同書は、講和という「過去の総括」ではなく、「未来の構築」を重視し、吉田とダレス特使との間で講和交渉が始まる1950年を区切りとすることで、10年ごとに各章を構成するスタイルに説得力を持たせている。

   時期区分の問題については本書の執筆陣も自覚的である。「戦後日韓関係は概ね20年を1つの単位にして、段階的な変化を遂げてきたように見える。20年は一世代に該当する期間であり、ある種の世代的変化と関連しているのかもしれない。厳密な時期区分ではないが、大まかな潮流を理解する手がかりとして、それぞれの段階の特徴を指摘しておきたい」として、4つの時期区分が序章で提示されている(8-16頁)。

   まず「空白期(1945-65年)」である。これは日本の敗戦から両国間の国交樹立までを指し、「単に正式の外交関係がなかったという意味にとどまらず、激しい対立が繰り広げられた時期でもあった」。そして「空白を埋め、日韓関係を事実上維持したのは、米国という存在」であり、「この空白期は、米国を媒介項とする日米間の三角形が誕生し、定着していった時期でもあった」。

   これに続く1965-80年代中盤は「「国家」の関係」である。ベトナム戦争の泥沼化やドル防衛問題が浮上し、米国が日韓関係の下支えをすることが難しくなった結果として、「米国を媒介とした変則的な三角形の維持が困難になり、日韓を結ぶ辺を作る必要に迫られた」のがこの時期である。とはいえ、「日韓の国交は正常化したが、依然として限定的な関係」であり、「基本的に「国家(政府)」間の関係が中心をなし、その下で、形成(「市場」)が拡大した時期であった」。そして、「社会間の接触は限られ、相互の認識もそれぞれのメディアに大きく依存していた」。

   こうした状況は韓国の民主化前後から変化していく。「交流の拡大(1980年代中盤~2000年代中盤)」である。「政治的民主化の進展は、経済成長と相まって、韓国社会を大きく変貌させ」、1990年代半ばになると、「日韓の人的交流は初めて双方向になり、量的に拡大するとともに、内容においても多様化した」。そして、98年の「日韓パートナーシップ宣言」が新しい時代における両国の関係の拡大と深化の土台となった。だが、「急速に近づいた日韓両国は、21世紀に入り、大きな転換期を迎えている」。「21世紀に入り、日韓の社会が近づく一方で、社会同市が衝突し、相互のイメージにも溝が広がっている」状況は、現在の日韓関係の底流となっている。

   本書では、こうした説明をふまえた上で各章は構成されている。「戦後」も70年以上が経過した。時代を捉えるために10年代ごとの章立てがはたして適切なのか、改めて考える時期が来ているのかもしれない。

 

二国間関係史の困難をいかに乗り越えるか

    時期区分を確認することで浮かび上がるのは、日韓関係における非対称性である。上記の区分は日本ではなく韓国政治の展開と密接に関連している。日本との国交正常化、そして民主化といった区切りは確かに韓国政治を画する出来事であった。

   二国間関係史を描く際の時期区分は、相対的な大国ではなく、小国の方に対応する傾向にあるのかもしれない。戦後日本外交を見通す際に大きな区切りとなるのは、やはり1970年前後と90年前後であろう。ここに中国にGDP(国内総生産)を抜かれ、さらには民主党政権の成立と再度の政権交代といった出来事が重なった2010年前後を加えられるかもしれない。この時期区分は、日本外交全体だけではなく日米関係や日中関係を見る上でもそれほどの違和感はない。だが、アメリカ外交や中国外交を捉えるのであれば、別の時期区分が必要となるだろう。

   これは、日韓関係を見ることで日本外交をどれだけ理解できるかという問題として捉え直すこともできる。二国間関係史に潜む困難と言い換えてもよい。この点は日韓関係以上に日米関係に関する認識に顕著だが、二国間の関係はより広い国際関係史と切り離されて理解される嫌いがある。また二国間関係は、関係が良いのかそれとも悪いのかという評価軸に陥りがちである。さらに、二国間関係の積み重ねから日本外交全体を理解しようとする見方は、マスメディアの報道姿勢も含めて日本社会全体に広く行き渡っており、それは国際秩序の変動など日本外交を規定する構造的な要因への注目を妨げている。

   本書は、このような二国間関係史に潜む困難を2つの工夫で乗り越えている。1つは、日韓関係ならではの特徴に由来している。それは、日韓関係が常に純粋な二国間関係だけでは捉えられないということである。そもそも韓国は分断国家であるし、前述のように国交がない時代の日韓関係を常に下支えしたのはアメリカであった。本書の表現を借りれば、「戦後の日韓関係は事実上、日米韓の3ヵ国の関係であった」(5-6頁)。また近年では中国の存在も無視し得ない。日韓関係を見るためには、両国間の関係のみを見ていては分からないことがあまりにも多いのである。単に両国だけを見ていては日韓関係の全体像は見えないというのは、本書に通底するメッセージの1つと言えよう。

   2つ目は、中心に置かれる「国家(政府)」に加えて、「市場(経済)」と「市民社会」も押さえるという工夫である。前述した序章の説明でも触れられているように、当初はもっぱら「国家」が中心だった両国の関係は、国交正常化後に「市場」の側面が徐々に高まり、そして韓国の民主化前後からは「市民社会」の重要性が高まっていくことになった。戦後の約70年間を通して、「国家」、「市場」、「市民社会」の比重が移り変わってきたことが本書の記述を通じてよく分かる。

   こうした工夫をより活かすためにも、章立ては10年ごとではなく、序章で示された4つの時期区分に従った方がよかったのではないだろうか。また、個別にはそれなりに触れられているものの、日韓関係が日本外交のなかで持つ意味について、もう少し慎重な検討な必要だったようにも思われる。

 

日韓関係を考える際に押さえるべき「歴史」

    「非対称な関係から始まった戦後の日韓関係が、グローバル化や民主化といった潮流に対応しつつ、水平的な「パートナー」を経て、「友人」の関係に深化できるかは、東アジア地域の行方にも大きな影響を与えるであろう」(271頁)と、本書は結ばれているが、各章の記述から浮かび上がってくるのは、むしろ「市民社会」の台頭と共に管理が難しくなっている苦悩に満ちた両国の現状である。

   日韓両国が目指すべき未来が、「パートナー」か「友人」なのかは議論の余地はあるだろう。また、2015年12月の「慰安婦合意」後の展開が示すように、どれだけ政府間で合意をしたとしても、両国社会の感覚のずれが解消されなければ日韓関係の進展は難しいのかもしれない(李承赫「「木」と「森」の区別ができる日韓関係とは―― 異なる「歴史物語」に基づく論争を乗り越える」『アステイオン』第86号、2017年5月)。それでも、引越しのできない隣国との関係は安定的に管理していかなければならない。

   日韓関係のボトルネックとなるのは、やはり「歴史」だろう。占領期以来の日韓交渉以来、日本による植民地支配をどのように評価するかは常に問題となってきた。だが、本書を通読して感じるのは、戦後に積み重ねられてきた両国の関係もまた「歴史」だということである。

   特に注目したいのは1990年代である。冷戦の終結と韓国の民主化は、日韓関係を規定する構造的要因を変化させた。この1990年代、韓国との水面下での調整も経て、戦前の経験と向き合う「河野談話」と「村山談話」を、さらに小渕恵三首相と金大中大統領のリーダーシップの下で未来志向の「日韓パートナーシップ宣言」が発出されるなど、両国の関係は新たな段階を迎えた。今から振り返ればこの時が日韓関係の1つのピークであったし、背景にはアジア金融危機への対応という要因も存在していたわけだが、それでもこの宣言は画期的であった。本書で指摘されるように、「歴史問題に区切りをつけ、新たな日韓関係構築に向かった原点と課題を確認できる文書として、今日でも大きな重要性をもつ」(204頁)ものである。日韓基本条約に基づく「1965年体制」についても、こうした1990年における日韓関係の進展をふまえて評価すべきであろう。

   見通しは明るいとは言えないが、日韓両国の関係は戦後を通じて困難に満ちていた。隣国とは、悲観するでもなく楽観するでもなく、粘り強くつき合っていかなければならない。これまでも両国は様々な困難を克服してきた。日韓関係について考える際に、出発点として座右に置きたい1冊である。