タイプ
その他
日付
2007/12/12

第4弾「木曽の赤かぶ」(3/5)


上松町の古老は、「蚕のコナクソ(糞)とウマの肥えがいっぱいあって(かぶが)よく穫れた」「ナバタ(菜畑)焼いて木灰つくって連作もできたんだ」と回想する。
栽培は、ふるくは焼畑で行なわれたという記録(※4)もあり、幾たびかの変遷を経て焼畑を放棄して現在に至ったのではないかと推察できる。戦後まで盛んだった麻栽培の後作としても行なわれた(※5)ようだ。焼畑による畑地の浄化機能や、麻栽培の残肥活用と輪作、木曽馬の産地として仔馬の繁殖をしていた頃の堆厩肥などは、うまい赤かぶを育てていた。

現在は自家用の常畑か、山あいの休耕の棚田でつくられ、農協や自治体が積極的に品種の固定化や栽培指導なども進めているが、化学肥料には頼らざるを得ず、病害への対応に苦労していると聞いた。
その利用方法も豊かだ。加工品としては甘酢漬けで流通するのが一般的だが『聞き書き長野の食事』によると、正月などのハレの食として、赤かぶのなますが神前に供えられ食されるとの記述がある。砂糖は入らなかったが、厳寒の畑に貯蔵されただろう赤かぶは糖度も高まり思いのほか甘かったことが想像され、その鮮やかなピンク色彩が現在の甘酢漬けに結びついたとも思われた。

家庭用には昔から、そして現在でも糠漬けまたは塩漬け、炊いて食べる。復活の過程にある木曽の赤かぶは、現在加工販売の活性化が主眼になっている。糠漬けだと色の鮮やかさに欠け、発酵も不安定で、商品化は困難だと聞いた。ちなみに王滝村では「木曽の赤かぶの漬け方、料理」として簡単なチラシを配布し、その中で伝統的に食されてきた糠漬けのほか、麹漬け、あんかけ煮やすんき漬けの作り方を紹介している。


すんき漬けの来歴は京都在来の酸茎菜(スグキナ)でつくる酸茎漬けの加工方法(塩漬後乳酸発酵)からと言われるが、木曽では塩が貴重品だったことから、塩を使わない乳酸発酵のみの方法が工夫された。元は山ぶどうやサルナシ、ズミなど野生の果実に由来する乳酸菌をタネとして発酵させていたが、現在は前年のすんき漬けの残りを乾燥保管したものを湯で戻しタネにする。穫れたての赤かぶの茎部を熱湯をくぐらせ殺菌し、タネを重ねて漬け込み完成する。

(※3)『SEED-山形在来作物研究会誌vol.1:野菜在来種の多様性とその利用(大井美知男)』
(※4)各所で焼畑の記憶を聞いて回った。上松町では10年程前まではやっていた。王滝村では昭和20年ごろまで焼畑があってソバのあとに赤かぶを蒔いた。『野菜-在来品種の系譜』(青葉高著)によれば、伝聞として信州各地に焼畑がされていたとのことである
(※5)『日本の食風土記』(市川健夫著)