タイプ
その他
日付
2008/3/25

第11弾「寒天」(1/5)


「食のたからもの取材レポート」第11弾は「寒天」をお届けします。
カロリーゼロで繊維質豊富な食べものとして挙げられることの多い寒天。あまり知られていませんが、天然寒天の主要産地は岐阜や長野などの山地であり、氷点下の気温の中、日本独自の製法で多くの手間をかけて作られています。日本における寒天生産の推移と背景、そして、大規模な工業寒天の台頭や地球温暖化による影響の中で天然寒天を守り続けている人々を、プロジェクト・リーダーの島村菜津氏が岐阜県山岡町に取材しました。






――――――――――― <目次> ―――――――――――
1.なぜ、たからものなのか
2.どうやって作られるのか
3.どんなところで作られているのか
4.どこで買うことができるのか

5.日本に残る天然の細寒天(糸寒天)の生産者
――――――――――――――――――――――――――――

■English Version→  Agar


1.なぜ、たからものなのか


江戸の夏の風物詩、心太、ところてんは、奈良時代、遣唐使によって中国から伝わったという。これは、天草などの海草の煮汁を漉し、冷して固めたものである。

しかし、寒天は、いわば、このところてんの乾物で、その手間のかかる製法は、日本が独自に練り上げた世界に誇る食文化なのである。

そもそも寒天は、江戸時代、1657年、参勤交代の旅の途中で、京都は伏見の旅籠「美濃屋」に薩摩藩の島津公が滞在した折、店の主人、太郎左衛門が珍しいところてんを振舞う。この残りを外に放置しておいたところ、寒さの厳しい季節で、これが夜の間に凍り、昼には溶けて脱水し、数日のうちに偶然、乾物になった。主人が面白がって、これを水で溶かしてみると、また固まり、しかも白く透明で、海草の臭いもない。太郎左衛門は、これを徹底的に研究し、「心太の乾物」と称して販売も手がけたという。

やがて、これを白くて清浄、精進料理には最適ということで、寒天という風情ある名にしたのは、この太郎左衛門宅に泊まった黄檗宗の開祖、隠元(1562~1672)だという。
天然寒天の名産地として知られるのは、棒寒天の産地、長野の伊那と、糸寒天の産地、岐阜県の山岡町。長野県にも糸寒天を作っているところがあるが、今回は、全国の糸寒天の9割を占める、この山岡町を訪ねてみた。

この静かな山村では、11月から2月末まで、田んぼ一面に並んだ葦簾の上に、目にも鮮やかな白い寒天が並ぶという光景を目にすることができる。

寒天は、和菓子や佃煮などの食用だけでなく、細菌の培養基やウイスキー製造、洋菓子などにも利用が広がり、明治以後、日本の寒天は世界各地に輸出された。そんな中で、山岡町で寒天作りが始まったのは、昭和初期。冬の農家の副業として、意図的に取り込まれた。慣れない仕事に、最初に手をあげた3人は苦労を重ねるが、寒暖の差が大きく、冬は氷点下10度にまで冷えこむこともあるという山岡は、寒天作りに向いていたようで、その生産量は次第に安定。高度経済成長期には、需要も増え、近隣の農家もこぞって生産を始め、昭和32年のピーク時には、岐阜県だけで実に129軒、その大部分が山岡町に集中していたという。

ところが、山岡の糸寒天の生産は、その後、劇的に衰退していく。その要因としては、まず、天候にまったく左右されない工業寒天の勢いに押されたことがある。天草ではない、粘りの弱いオゴノリを、苛性ソーダに浸け凝固力を引き出すというアルカリ処理を施す粉寒天が主流になってしまった。昨今のブームで健康食として取り引きされるのもこうしたものが多い。そして、第二次大戦以前、寒天は重要な輸出品だったが、寒天培地を利用して敵国が細菌兵器を開発しているといった理由から、輸出を禁止した。これによって、日本からの輸入が途絶えた国々でも寒天作りが始まり、今では貿易の自由化によって、逆に韓国、中国、台湾などからの安い寒天の輸入が、国内の産地を圧迫している。寒天ブームが起っても、これに乗じ、山岡産と称する外国産が出回るほどだが、外国産は、概して漂白剤の使用から不自然に白く、すかすかのものが多い。

また、寒天の中でも、最も上質な糸寒天を必要とする羊羹を、若い人が食べなくなっていることもある。そればかりか、近年は暖冬の影響で、天日干しによる寒天作りが極めて難しくなった。

そんな状況の中で後継者問題は深刻で、現在では、山岡町とその周辺の生産者は、わずか11軒となった。しかも今回、取材した三浦家、水野家のように家業を継ぐと決めた若手は、冷凍設備を持ち、夏場にも製造できる7軒ほどだという。

デリケートな触感にこだわる和菓子の世界には、寒天は欠かせない原料である。動物の骨や皮からとったゼラチンとは違い、植物性でカロリーゼロだから、肥満防止や大腸ガンの予防としても、ますます注目される健康的な食材である。だが、これを支える技と文化の存続は、今、正念場にある。