タイプ
その他
日付
2008/5/7

第14弾「わさび」(5/5)


6.人物ファイル


●西島友一さん

有東木のわさび農家。

「有東木こだわり倶楽部」11人の生産者の1人。長年、東京の寿司屋などに直売してきた白鳥正文さんの誘いで生まれた会で、一部をインターネットで直売するようになった。そうしたこともあって、西島家でも息子の正貴さんが「わさび栽培にやる気が出てきたようだ」と嬉しそうだ。安倍地区では、過疎化が深刻化する中で、有東木には、最近若い後継者が3人も、集落に戻ってきたという明るいニュースもある。

数年前、モスバーガーが、本物のわさびを使ったハンバーガーを考案、安倍わさび業組合を通じて、西島友一さんのわさびも使われたことがあった。残念ながら、採算が合わず3年で終了。

また、西島さんは、手摘みのお茶も栽培しており、現在、3人の格付け評価員の1人でもある。茶摘で忙しい5月の3週間ほどは、毎晩、町の茶工場に通う。

西島さんによれば、有東木には、お茶だけに現金収入を頼る農家もある。そこで、現在も農薬散布は4~5回で、環境保全型のお茶作りで知られるが、来年からは有機栽培も始めて、さらに付加価値をつけていけたらと言う。問題は、有機肥料を入れにくい急傾斜の茶畑だという。また、西島さんは10年前に、登山客のための安い宿泊施設「楓小屋」を立てた。多ければ10人でも泊まれる。また、その頃から、自分の山はもとより、細い杉ばかりの林になった周囲の山に、楓や山桜を中心にした雑木の植林を続けている。

自宅の庭は、ツツジや楓、珍しい高山植物の苗で溢れている。

「昔からまとまりのいい集落で、声をかけると、毎年、植林にも15人以上の人が協力してくれるからね」と微笑む。花を愛する西島さんの高山植物の写真は、町の食堂『うつろぎ』にも飾られている。その植林活動が真価を発揮するのは、30年後あるいは100年後かもしれないが、こうして周囲の山を元気にしていくことは、町の景観ばかりでなく、結局はわさび田やお茶の味を守ることにもつながっている。

 
●小澤隆弘さん(左) 達彦さん(右)

安倍川沿い、横山のわさび農家。やはりお茶の農家でもある。

「やましちわさび」の名で、バス停前で、わさびやわさび漬けを販売。現在、「安倍山葵業組合」の組合長を勤める。有東木や安倍川沿いの集落を含む、約130人のわさび農家からなる組合で、昨年は、有東木の人が組合長だった。小澤さんは、約30アールのわさび田を持っている。売店には、昭和5年、静岡県の特産品である旧大河内村(現在の安倍地区)のわさびを、天皇陛下に献上した時に撮影された祖父の豊太郎との記念写真が飾られている。

この地域では、数年後に農協が撤退するそうである。直売もやぶさかではないが、もし、農協による共同出荷が崩れていけば、自分たちのようにある程度の規模を持つわさび農家はまだしも、小さな農家には死活問題である。「うちの組合員130人のうち、20アール以上のわさび田を持っているのは、22人程度です。伊豆に比べてここは険しく、面積も小さい。それでもバブルの頃は10アールほどの農家でも食べていけたのですが、昭和64年以後は、その数もどんどん減り、半分くらいになった。限界集落なんて言葉もありますが、国の言うところの“山間部”は、そんな小さな農家が食べていけなくなれば、その暮らしそのものがなりたたない。こうした集落では、草刈りや林道作りにしても、昔からの共同作業が基本です。ところが、そこに若者がいないとなると、共同作業そのものができない。すると、ここに人が住めなくなるんです。」

何とかして小さな農家も暮らしていける手立てがないものか。いずれは、共同出荷の代わりに、自分たちでトラックで出荷するしくみを考えなければならないのではないかと、小澤さんは、頭を抱えている。

だが、その小澤家には、心強い後継者、26歳の達彦さんがいる。わさび田での作業はベテランの父も、ハウスで苗を育てる作業は、文学部史学科を卒業した達彦さんに任せているそうだ。その上、「息子も、石積みを造るのは、自分でけっこうやるんですよ」と満更でもなさそうである。

また、直売所では、わさびやわさび漬けを作り、土日は名物わさび団子やわさびのチーズケーキをいただきながら、安倍川のせいせいするような景色を堪能しながら、一服することもできる。

 
●白鳥義彦さん
無形文化財にもなった盆踊りで知られる東雲寺のすぐ下に邸を構える白鳥さんは、数年前から「わさびの門前」という名で、インターネットなどを通じ、全面的に直売に切り換えた。現在60アールのわさび田を持ち、人を雇用して、積極的に栽培に乗り出している。数年前には、山を越えたらすぐの山梨県にもわさび田を買った。

その父、勝義さんのわさびにかける情熱は地元でも知られ、その技術には定評がある。
古い墓石から、一族がこの地に暮らして義彦さんで17代目になるという。有東木の起源については、真田家の家臣だった落人が木のウロに身を隠し、これがなまってウトウギとなった説など諸説あるが、京都が金山探しに各地に人を放った時、6家族が住み着いたのが起源ではないかという。「その証拠というわけではないが、この町に伝わる盆踊りには、京の言葉との共通点があるんだそうです。」

また、有東木では数年前、わさび田の水源でもある山の一つが、産廃業者の手に渡りそうになったことがある。その時、当時の町内会長が音頭とりになって、住民からお金を集めてこの土地を買い戻した。この時にも、白鳥家は積極的に協力。「この町は、昔からそういう協力体制がある。あの時も、わさびをやってないお勤めだけの家まで出してくれましたからね。」ただ、歴史のある美しい集落で暮そうと決意した若手には、それなりの覚悟が必要。集落全体が一つの家族にも等しい、まとまりの良さの裏には、昔ながらの共同作業や結いを大切にする伝統がある。集落は、月に一度、18日に役員会、20日は常会が開かれ、葬式も草刈も製茶も、みんな共同作業。「町内会長になると、年間に130日も拘束されるんですよ。怖いなあ。」と肩をすぼめる義彦さんだった。



取材・文:島村菜津
撮影:菊地和男