タイプ
その他
日付
2008/6/4

第16弾「菜種油」(1/5)


「食のたからもの取材レポート」第16弾は、菜種油をお届けします。黄色一色の菜の花畑は日本人の郷愁をそそる風景で、菜種を搾って作る菜種油は日本の調理で歴史的に親しまれてきました。しかし、食の欧米化により食用油の摂取が増えている一方で、類似輸入品の影響や担い手不足などにより、国内の生産が激減しています。自給への道を切り開き始めた農家と市民、自治体の活動を追って、島村菜津研究員が菜種の作付面積日本一の青森県横浜町で現地調査を行いました。







――――――――――― <目次> ――――――――――――
1.なぜ、たからものなのか
2.どのように作られているのか
3.どこに残っているのか
4.どこで味わい、買うことができるのか / 5.マップ

6.人物ファイル

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■English Version→  Rapeseed Oil

1.なぜ、たからものなのか


5月下旬のよく晴れた日、下北半島のつけ根にある青森県横浜町では、菜の花が満開だった。その陸奥湾の青い海と美しいコントラストをなす黄色い畑は、近づけば、蜜を集める蜂の羽音でむせかえるようだった。北国で、これほど春を感じさせる光景はないだろう。
そしてこの横浜町は、平成元年、菜の花の作付が日本一(当時83ヘクタール)になった時から毎年、この時期になるとこの絶景を愛でる「菜の花フェスティバル」を続けてきた。この町で、本格的に菜の花の栽培が始まったのは昭和30年代。当時は、農家にとって唯一の換金作物だった。町の古老が若かった時分には、町内にはたくさんの油屋があり、農家が種を持っていけば、家庭で使う油を搾ってくれたという。

その後最盛期の昭和43年には、菜の花畑は750ヘクタールにまで増え、背に控える吹越烏帽子の頂上から見下ろせば、「街中がまっ黄色だった」そうだ。

しかし以後は、安いカナダ産の菜種油との価格競争、農業の担い手不足などから減少の一途をたどり、今では108ヘクタールに減少、生産者は83人となった。(平成19年)。

だが菜の花畑は、日本人にとって郷愁をそそる原風景のひとつである。鎌倉時代、日本に精進料理が伝わった頃から、ゴマ油や大豆油とともに菜種油に親しんだ。さらに、南蛮文化の影響で、てんぷらやがんもどきが庶民にも広がっていった江戸時代、菜種油の生産が一気に増える。路地を賑わした天ぷら屋台や行灯の油は、国産の菜種油だった。

こうして戦前までは、約97%の自給率を誇っていた菜種油も、戦後、外国の大豆油、菜種油、綿実油の輸入により、すっかり国内の生産が萎えていく。アメリカの指導のもとに始まったキッチンカーなどによる“食育”によって食の欧米化が進み、フライパンが浸透。日本人の食用油の摂取量は、昭和30年代に比べて約3倍に増えたそうだ。一方、横浜町の菜種を製油している埼玉県熊谷市の米澤製油によれば、カナダやオーストラリアからの菜種の輸入は、約250万トン(平成19年)。これに対し、国内の菜種の生産量はわずか約996トン。菜種の自給率は、実に0.05%にまで低落しているという。

「昭和30年代でさえ、まだ国産菜種は約30万トン台を維持していたんだよ。」
と教えてくれたのは、東京都目黒区の油問屋・安田油店のご主人で、米澤製油の東京出張所を務めている安田大三さん。貿易の自由化によって輸入が激増した時代、これに大きな危機感を覚えた安田さんは、消費者団体などとともに政府に陳述書を提出し、「菜種・大豆交付金制度(現・高品質菜種作付交付金制度)」によって、少しでも農家が菜種を作り続けてくれるように運動してきた。

そんな中で、2001年から、日本全国100ヵ所以上に広がりを見せる「菜の花プロジェクト」という市民活動がある。これは1976年、滋賀県東近江市で、琵琶湖の汚染の原因である廃食油を回収し、そのせっけんづくりを始めた運動に端を発する。90年代後半、休耕田で菜の花栽培を始め、これを搾油し、その油を家庭や給食にまわす。その廃油はまた回収し、せっけんだけでなくバイオディーゼル燃料にリサイクルし、スクールバスやトラクターを走らせるという大きな循環を目指す。

しかも、その菜の花畑は観光資源になり、油を使った蜂蜜や菓子など新しいビジネスにもつながる。

そうした流れを受けて、この横浜町でも2003年に「菜の花トラストin 横浜町」が生まれた。休耕田での菜の花作りとともに、3年前からは菜種の搾油にも着手した。

昨今菜種といえば、バイオディーゼル騒動が、世界に様々な影響を与えている。国によっては助成金を注ぎ、農家も栽培に積極的だが、食用でないとなれば、遺伝子組み換え菜種への転換が加速するだろうという懸念も大いにある。事実、日本が全面的に依存しているカナダでは、菜種の82%(平成18年)が遺伝子組み換えだという。また、GM(遺伝子組み換え)作物には批判的だったオーストラリアも、旱魃などから、その姿勢に大きな揺らぎが見えてきた。まして中国における食の欧米化から、食用油の流通は先が読めない。今後はどうあっても、日本は自給率を回復していく必要があるだろう。

ところが、国産菜種の現場は、もうひとつの大きな問題を抱えている。これまで支払われてきた菜種油の価格を維持する補助金が、2010年度に切れるのである。そこで、生活できるだけの収益を得られないのならと、他の作物に切り替える農家も増えるだろうと横浜町の人たちは言う。この事情は、その他、菜の花栽培に力を注いできた自治体でも同じことである。

菜種は無農薬で作られている地域が多い。健康にも、地元の環境にもいい作物であり、農薬には敏感な蜂にも安心だから、おいしい蜂蜜もとれる。

まだまだわずかな量かもしれないが、食糧の自給への道を切り開き始めた農家と市民、自治体にとって、菜の花と菜種油は象徴的存在となりつつある。こうした流れを本流に変えていくのは、私たち消費者の深い理解とエール、そして長い展望に立つ農政にかかっている。増えすぎた油の消費を反省し、量から質への展開を試みる時代がきている。