タイプ
その他
日付
2008/6/4

第16弾「菜種油」(3/5)


3.どんなところに残っているのか


横浜町は、下北半島の付け根に当たる。西に陸奥湾の海岸線、東に背深山脈、真ん中を国道のはまなすラインが突き抜ける細長い町である。暖かい季節にはトレッキングや海水浴に観光客も訪れる風光明媚な土地柄。伝統的に半農半漁も多く、畜産も盛んで、菜の花畑の間からは時々、広い牧草地で草を食べる黒毛和牛の群れや、堆く詰まれたホタテ養殖の浮き玉がみえるのどかな田園地帯である。







穏やかな季節と打ってかわって、冬の寒さは厳しい。強いやませ(偏東風)も吹きつける。だが、菜種はこうした条件の中でも、すくすくと育つ。しかも、海に面したこの町で塩害にも強い。農薬も要らない。そうしたことから最盛期には、現在の7倍もの面積が菜の花畑で覆われていた。

ただし、菜種は、同じ畑で植え続ければ、連作障害を起こして発育が悪くなる。そこで、横浜町では、昭和50年代から栽培が増えたじゃがいも、にんじん、長いも、小麦などの輪作体系の中で、毎年、畑の場所を移しながら菜の花を育てている。

この横浜町が、菜種の作付面積が日本一になったのは、平成元年のこと。平成3年から「菜の花フェスティバル in よこはま」が開催され、約千人が参加する菜の花マラソン、海を見下ろす菜の花の大迷路など、菜の花畑を楽しむイベントは、18年間も続いている。そして、そうした中で、自覚的な市民活動も生まれたのだろう。

過疎化はやはり進んでおり、昭和33年、町制が施行された年には8270人だった人口は、平成19年には合併によって地域が広がっても5397人。これにともない農家も昭和40年代の924戸から、平成12年には387戸に減少。うち約83戸の農家が、今も菜の花畑の風景を守っている。