タイプ
その他
日付
2008/7/2

第18弾「釜炒り茶」(2/5)


2.どうやって作られるのか(1)


ほんとうの山のお茶をつくりたい 熊本県八代市泉町・船本繁男さん



新茶の季節もひと段落した6月初め、熊本県八代市泉町(旧泉村。以下泉村)に、釜炒り茶にこだわる茶農家、船本繁男さん(69歳)を訪ねた。泉村は熊本県の南東、標高100m~700m、九州山地の山懐に抱かれた、人口3千人に満たない小さな山村。平家の落人伝説で知られる五家荘も含め、古くから釜炒り製茶が盛んな土地だったが、残念なことに現在は高齢化も進み、生産量も最盛期の3分の1にまで落ち込み、減少の一途を辿っている。

船本さんの住む泉村栗木の集落は、標高で300メートルほどの山の中腹にある。川の流れに沿った谷あい、傾斜はきついが程よい日照がある70アールほどの茶畑は、霧が立ち寒暖差のある上質茶の生産条件が整った立地にある。この場所で茶を育て、船本さんは現在、今は県下に2人しかいないと言われる青柳製釜炒り茶を今に伝えている。

釜炒り茶は報われん

ご自宅に着くなり、まずはお茶でも、と漬物をお茶請けにして、船本さんの話を聴いた。
「うちは山があって、傾斜があって水はけのよかけん昔は山間地のお茶がおいしいって言われてたんだ。そんで、香りは釜炒りが出る。釜炒りは香りが身上。このお茶は回数が出ます。4,5回出してもいや味が来ないです」

……青柳(※2青柳茶)もなぁ、泉村ではわしんとこただ1軒になっちゃった。と回想する船本さん。釜炒りは手がかかる上に儲からん。お茶屋さんと違うもん、と船本さんは九州全域でここ30年、釜炒り茶が姿を消しつつある背景を話す。

「田舎やけん高く売りよらん。東京行けば1000円とか1500円とかで売れるはずのお茶も、ここでは1000円以上じゃ売れん。そうかといって釜炒りは機械化がでけん。体力もいる。手のかからんモリ式(※3)でも1時間で生葉40kg、カネコ式(※4)は10kgがいいとこだ。そこを蒸しの機械なら60kg3台回して同じ時間で180kgできる。でも出来上がりの値段は変わらんのです。若かころならな、がんばりもしようが、釜炒りは報われん……」

(※1)蒸しグリ”とは蒸し製玉緑茶のこと。一般の蒸し製煎茶と違い、茶葉の形を強制的に整えず仕上がりが勾玉状で、この形状から玉緑茶、九州地方では「ぐり茶」と呼ばれている。その本家本元が釜炒り茶(釜炒り製玉緑茶)だ。

(※2)青柳製釜炒り茶。釜炒りの方法には古くから青柳製(平釜)と嬉野製(45℃の傾斜釜)があり、現在は炒りと揉みを連続して行なう動力式の釜炒り機械が普及し、熟練が必要で重労働のこの製法を使う方は極めて少ない。熊本県の資料によると、元禄年間(1688~1703)に中国から伝わった技術であるという。

(※3)連続式の動力釜炒り製茶機

(※4)丸釜単独の釜炒り製茶機。動力で茶葉のかく拌を行なうだけのもの。揉みの工程は別で、火加減や時間の頃合だけでなく、葉を炒るところから揉む工程まで人間がつきっきりで見なければならない。船本さんはこの釜を使って青柳釜炒り茶をつくっている


お茶の流通について考える



お茶農家は一般に、共同にせよ個人にせよ、荒茶での販売をすることが多い。生産から、販売までを一貫して行なう“自園自製自販”の農家もいるが、個人にせよ共同にせよ、圧倒的多数は荒茶で茶商に販売する。茶商は仕入れた荒茶をブレンドしたり、独自の仕上げをして自社ブランドで小売販売する。

ややこしいのは、生産農家の名前も、荒茶を仕入れて販売する茶商もだいたいが商品ラベルに「○○園」と名乗り、生産者が誰なのかまったくわからないということだ。1箇所の茶園単独のものなのか、ブレンド茶なのかもわからない。産地表示についても国内産ならどの地域のものをブレンドしても「国産」とだけ表示すればよいことになっているし、本来重要な選択肢であるはずの品種名や製法の表示義務もないとは驚く。

商品名も茶の品種を表すのではなく、何故か毛書、手書き風のありがたそうな、イメージのみのブランド名がついて、“新茶”とか“深蒸”とかの金色シールが貼ってあったりするのはありがちなパターンだ。

お茶の世界では“顔の見えない流通”が普通。産地名なのか、社名なのか、はたまた商品名なのかわからないブランドで売る。そのブランドが記号化し固定化していくなかで、いつのまにか製法が、茶の品種が、そして生産者が変わっていく。釜炒り茶発祥の地とも言われる佐賀県の嬉野でも、釜炒りは1958年当時に9割の工場が生産していた(嬉野町史)が、現在では5%を切っていると聞く。釜炒り製と蒸し製では、商品特性がかなり違うはずなのだが、それでも“嬉野茶”“玉緑茶”なのである。


ミルいお茶から飲むお茶へ


船本さんは、ある出会いをきっかけに、自分の生き方として釜炒りに情熱を傾けるようになったそうだ。船本さんの茶の歴史は、そこから変化した。

「県や全国で1等取り出して、その当時は“ミルいお茶”ばっかやった。“ミルい”というのは、仕上げた外観が白っぽくなくて青い、若か味ののらん芽で摘むお茶」

もともとの船本家の暮らしは山仕事。チェーンソーをかつぎ、牛で材木切り出して、小さな田んぼを耕作し、子育てしながら、茶を売った。米の生産調整が始まり出した'73年には田を茶畑に転換し、専業の茶農家として入賞茶を出すまでになったのが30代の後半。そして入賞をきっかけに消費者からの引き合いも来て、直売するようになったのだという。
直売を始めて良かったのは、それまでとは全く違う出会いが訪れたことだったのだろうか、船本さんの言うその出会いとは、小川誠二さん(※5)との出会いのことだった。

「私が“ミルいお茶”つくっててな、そんなとき小川先生が熊本に来られてな、お話ば聞いたとですよ。変わったお茶飲ませていただいて、お茶の色が赤っぽかった。今思えば中国のお茶じゃと思ったけんが、5回も6回もよく出る、いやみの来ない、それはおいしいお茶やった。そこで先生からな、“ミルいお茶”より“飲むお茶”に変えたほうがよか、直売するならな、と」

船本さんは小川さんとの出会い以降、出品茶づくりをきっぱりと辞め、昔からの製法としての青柳茶に傾倒していった。釜炒りは香りが身上、山のお茶も香りが身上、せっかくの香りを殺す深蒸しとは何だったのか。香りを引き出す萎凋と釜炒りで、自分なりの“飲むお茶”をつくろう。船本さんは、小川さんとの出会いがきっかけとなって、お茶の常識そのものを問い直し始めたのだ。

(※5)現代喫茶人の会、常茶友の会代表。故・小川八重子さんと共に“暮らしのお茶”の普及啓蒙に半生を投じ、執筆・講演などで現在もご活躍中だ。船本さんをご紹介いただいたのも小川誠二さんだ。現在そのご子息の豪比古さんが、つくり手との交流の中から生まれたおいしい“暮らしのお茶”を販売している。

(※6)萎凋。生葉をしおれさせること。酵素による酸化を促し、茶の香気を引き出す工夫。烏龍茶や紅茶では必ず行なわれるが、蒸し製茶では殺青といって、萎凋させずに蒸してしまう。

お茶は好きでないとできない~釜炒り茶の可能性~



'03年10月、船本さんは大病を患った。それから連続式の方の製造を息子さんが手伝ってくれるようになった。熟練が必要な青柳茶もこれで終わりとも考えたそうだが、どうしてもあきらめられず、去年から自分ができる量だけ、再開した。

船本さんは、今生きている人生はもらいもの、好きでないとできないとと吹っ切れたように言い、昔のことよりもと楽しい“飲むお茶”談義に会話を弾ませてくれた。それは今回の取材メンバーに、熊本県水俣市で同じ釜炒り茶にこだわる若き茶農家、桜野園の松本和也さん(40歳)が加わっていたからだ。彼は、信念として18年以上も農薬化学肥料を一切使用しない有機栽培を続ける一方、釜炒り茶に未来を感じ、試行錯誤を繰り返している。

「釜炒りは特に、秋になってからがおいしい。熟させてな、ちょっと春にこのお茶シブすぎるな、って思ったら、保管しておいて秋に出す。するとシブ味が甘味に変わってな。ばってんあまり若か葉の時はいつまでたってもだめな。葉に強い芯があるというかないといけん。良く出来たなと思うお茶は何年も持つな」

冒頭で説明したように、釜炒り茶は不発酵茶という分類だ。発酵させないということは即ち萎凋させない。効率が悪い釜炒りの短所をカバーする“香り”の可能性を閉じざるを得ない。しかし、中国茶があれほどの香りの多様性を花開かせたのは、萎凋の無限の可能性に気付くことができたからと言われる。遡れば1391年、明の太祖朱元璋がそれまでつくられていた固形の団茶を禁止して、葉がばらばらのリーフティー(散茶)を作らせたことから、釜炒りの技法や香りを出す数々の工夫が生まれたという。

日本茶の可能性として、あくまでも殺青(酸化発酵をさせない)にこだわる意味はまったくない。むしろあまりにも画一化された日本茶が、消費者の日本茶に対する認識を固定化させてしまったのではないか。同様に茶農家が進むべき道を固定化させて、双方の選択肢を狭め、消費者の積極的な選択による消費を鈍らせてしまったのではないか。選択と消費の自由、多様性がないところに健全な経済の活性化はないだろう。かくして日本人が急須のお茶を飲まなくなった。日本茶離れである。中国茶ブームである。ペット茶の席巻である。


ザイライとやぶきた~釜炒りの未来~



お茶の“ザイライ”というのは、他の野菜などで言う在来種とは少し意味合いが異なり、品種がわからない昔からの茶樹のことを指す。お茶の品種改良は、加工特性、早晩性、地域特性、生産性、耐病虫性などの向上を目的に、国や府県の研究機関が積極的に行なってきたが、茶農家に対しては戦後積極的に、在来種茶園から品種茶園への改植指導がなされてきた経緯がある。

現在日本で登録されている茶の品種は、大別すると農林水産省の登録品種54種、種苗法によって登録されている品種51種(※7)のほかに、府県で独自に栽培されてきた品種などがある。実は茶の品種についても、日本のお茶は大きく画一化が進んだ。'54年時点での茶の品種化率は3.4%。これは当時の茶園のほとんどがザイライだったことを示すが、50年後の2004年現在で、なんと92.1%にまで品種茶園が整備されていった。ザイライは残すところわずか7.9%にまで追いやられている。しかも9割を超える品種茶園の82%が、あの“やぶきた”で占められている。

これほどまでにやぶきた偏重となってしまった事実は、静岡県など自治体も問題視している(※8)。「製茶品質の画一化により、多様化する消費ニーズと隔離している」ことや「日本茶消費層に対する他の嗜好飲料や外国産茶の侵攻を許している」などだ。
この状況を、やぶきたに改植してきた生産者は、量も穫れたし揃いがいいと、当初は大いに期待していたそうだ。しかし茶商がやぶきたを評価し始め、逆にザイライに見向きもしなくなると、買い叩かれるよりはと機械を大型化しながらさらに改植を進めざるを得なかったとの話もある。

「環境に優しい茶栽培が求められている現在、少肥型品種、耐病・耐虫性品種が望まれる」とも指摘している。蒸し製煎茶があまりにも一時期に集中してしまうだけでなく、旨味を偏重する傾向は、窒素系化学肥料の大量使用を常態化させる。樹にアミノ酸の旨味を加えるためには土壌にも過剰な窒素成分を施肥しなければならず、これが度を越すと河川や地下水の汚染となり、環境問題に発展しかねない。

茶農家の指標として各府県が示している施肥標準では、窒素成分で10アールあたり50kgから70kgという数値を出しているが、これは同じ常緑樹の柑橘類と比較すると2倍から3倍の量だ。しかも窒素の過剰施肥は樹を疲弊させ、病気にかかりやすくするため、農薬を大量に使わなければ樹がもたないという悪循環も生み出していった。

今がチャンスか、釜炒り茶

釜炒り製法は、手づくりに近く生産規模こそ小さいが、萎凋の技術も相俟って、茶の香りを良く反映する。

品種を多様化させて、摘採時期を集中させずに、旨味ではなく香りを求めれば、農薬や化学肥料の使用もほとんど必要がないという。むしろ化学肥料の過剰施肥は、デリケートな香りを飛ばしてしまうというし、イヤ味を残すをいう人もいる。船本さんによれば化学肥料もほとんど与えず、農薬はここ10年無農薬で済んでいるとのことだ。

「去年青柳でつくったのが“おくゆたか”。あれがいちばんうまいって感じがする。ふじかおりは、10年前に静岡の小柳さん(※9)から穂木をもらったのを挿し木して育てて。これまでの樹と香りがぜんぜん違う。それが今になって好きになってな、いいお茶ですあの香りは」

こんな話をしながらも、船本さんの居間で、松本さんは持参した自製のお茶を皆にふるまっている。ザイライの茶、萎凋の時間、仕上げの火入れをいろいろ試した茶。彼は釜炒り茶の未来に大きな夢を託して、研究、試行錯誤を繰り返している。

「これからはこげん個性ある特徴のあるお茶持ってる人が強いと思う。他はやぶきたばっかりやし、機械も大型工場になってしまって、全部工場出しやけん同じお茶ばっかり。じゃけん特徴のあるお茶が今必要とされてる。違う品種ば、どんどん入れたほうがいいと思うとっとです」「釜炒りが安かとは、がんばって高く売らんば思います。おいは100g3000円で売れる紅茶をつくりたい。わかってくれる人がきっといるけん……」。松本さんは「今がチャンス」と夢を語る。

九州の山の茶の歴史を共に生きながら“ミルいお茶”から“飲むお茶”へと転換を成し遂げた船本繁男さん。そして大先輩に学びながら、釜炒り茶に未来を託す若き茶農家、松本和也さん。世代を越えて語り継ぐことのできる、お茶にこだわって生きている人間の、ほんのひと握りの希望が、九州の山の中で小さく輝いていた。

日本茶業中央会は『平成18年度知識集約型産業創造対策事業報告書』のなかで、今後の課題として「こだわりの日本茶ブランドマトリックス構造」という報告をまとめている。そこには「摘採時期」「加熱方法」「揉捻法」「発酵法」「乾燥法」「仕上げ」「のみ方」などの指標から消費者が嗜好するお茶の方向性を“マッピング”し、現在市場で「ブランド茶」として評価されている日本茶をマトリックスの中に体系付け、こだわりの日本茶のポジションをより明確に位置づける必要があるとしている。これは蒸し一辺倒の今の日本茶の問題を改善する方向性と見える。こうした動静の今後にも大きく期待しつつ、釜炒り茶の未来を応援したい。

(※7)『平成19年度茶関係資料』日本茶業中央会
(※8)『静岡県茶業振興基本計画(平成13年度~17年度)』静岡県
(※9)静岡県藤枝市の茶農家、小柳三義さんは、1996年に新品種「ふじかおり」を育成、登録した。釜炒りの可能性にこだわる方で、『おいしいお茶が飲みたい』『緑茶最前線』(波多野公介)に詳しい