タイプ
その他
日付
2008/10/22

第25弾「日本ミツバチ」(5/5)


6.人物ファイル


斎藤茂人さん


斎藤茂人さんは、2007年に発足した『対馬市ニホンミツバチ部会』の部長を務めている。そのハチミツのおいしさには定評があり、森林組合でテイスティングさせていただいたが、甘さだけでなく、ほのかな苦みや酸味も相まって、それは味わい深いものだった。食パンにしみ込まないくらいの糖度が好ましいという。しかし、斎藤さんの本業は硯職人で、伝統工芸展にも入賞した腕前である。対馬南部の厳原町若田という集落には、若田川で採取される原石が、高級な硯の素材として書道家に愛されている。現在、この美しい若田の谷間には5世帯が住んでいるが、そのほとんどがの農業や林業とともに硯職人を兼ねているという。斎藤さんは、30年、保育園に勤めた奥さんとともに、米、小豆、大豆、サツマイモ、栗、里芋、大根、らっきょ、かぼちゃ、人参、トマト・・・年間で50種以上の野菜や果実を栽培し、対馬地鶏も飼っている。今回、対馬は15回以上訪れているという島の専門家であるフォトジャーナリスト、加藤庸二さんと同行したが、我々のために、斎藤さんは、わざわざ、その地鶏を一匹、しめてご馳走してくれた。何から何まで手作りの食卓に、圧倒的な島の豊かさが見えた。





相庭寛さん


昭和3年生まれの80歳。昭和22年、相庭さんが、まだ20歳ぐらいだった時、偶然、椿の枝に群れている日本ミツバチの群を捕まえたのが、養蜂を始めたきっかけ。食料事情も悪く、甘味に飢えていた時代。まさに宝物を山から拾ってきた彼に、村の長老たちが、あれこれ指南してくれたという。最初は、洞が大きすぎたのか蜂が逃げたり、寄生虫で全滅の危機に晒されたり、試行錯誤の連続だった。

平成10年には大腸ガンを患い、手術で摘出。この摘出した細胞を送ったところ、国立ガンセンターの研究者は、どんな特効薬を飲み続けたのかと電話をかけてきた。そこで思い当ったのが、毎日、大きなスプ-ンに三杯、水に溶いて飲んでいた日本ミツバチの蜜だった。一度は、車で走っている時、分封中の蜂群に遭遇し、山まで追いかけて捕獲したことがあるそうだ。これが6年後には40箱にまで増えた。また、研究熱心な相庭さんは、特性の巣箱を考案。丸太の巣箱の場合、巣が長く育ってくると、今度は下から上に巣を伸ばす。だが、空間が足りなくてはもったいないと、巣が育てば、下に方形の巣箱を重ねていく仕組み、つぎ洞を考案した。現在、2m10?以上のつぎ洞で年に7リットルの収穫に成功。

また、対馬の貴重な日本ミツバチの文化が知られていなかったのは、グループで取り込んで来なかったことが大きい。対馬全島の生産者をまとめようという「対馬市ニホンミツバチ部会」の誕生は画期的で、ようやく訪れた復活の機会だけに、相庭さんは、後継者を育てるため経験から得たすべての知識を提供するつもりだという。長年、飼っていると、不思議と「心が通うものですよ」と笑う。


扇次郎さん


対馬森林組合代表理事組合長、長崎県森林組合連合副会長。対馬の家具を作れる若者が移住。長年、対馬森林公社の所長を務めた長瀬さんを迎えて、平成19年、11月21日、『対馬市・日本みつばち部会』を結成。

対馬は89%が山の山国、日本の市場が、安い外材に押される中、扇さんたちは、対馬の人口林55%を占めるヒノキの質の高さを伝えようといろいろな手を打ってきた。平成14年、「対馬ひのきプロジェクト」を立ち上げ、翌年には、全国から公募し、「対馬ひのきデザインコンペティション」を実現した。

昨年からは、組合員の暮らしを支えるべく、対島が大切にしてきたニホンミツバチの蜂蜜をもっと知らしめていきたいという。今後の課題としては、人の数だけ風味があると言われる対馬の日本ミツバチのハチミツの多様な味の世界を大事にしながら、徹底した品質管理をどうしていくかだという。

現在、部長は斎藤茂人さん、世話人は、高い技術をもつベテラン養蜂家たち、相庭寛さん、島屋哲男さん、糸瀬博さん、阿比留保弘さん、松井旦寿さん、山内庫寛さん、永瀬安さんである。また、対馬の上質で香り高い原木しいたけも有名。



藤原誠太さん



昭和32年、岩手県盛岡市生まれ。「藤原養蜂場」及び「藤原アイスクリーム」専務取締役。明治44年、東北で最初の専業養蜂家となった祖父に感化され、幼い頃から養蜂に親しむ。しかし、高度経済成長期、日本の山林はどんどん伐採され、蜜源を失っていく祖父は弱気になる。高校2年の頃、その祖父が、南米ではケタ違いに広い土地で、悠然とミツバチを飼っていると呟いたのを耳にし、南米で養蜂家になろうと、東京農業大学へ進学。ミツバチに刺されると全身が火ぶくれになるアレルギー体質だったが、数日間、毎日、数十匹のミツバチで自らを刺すという荒療治で克服。やがて、祖父も初期には飼っていた日本ミツバチの魅せられる。東京農業大学 農業拓殖学科に在学中、北南米で約一年、養蜂研究、帰国後、「日本在来種みつばちの会」を結成。「日本古来のものを絶やしてはいけない」という思いから、その普及と復権に情熱を燃やす。

藤原式と呼ばれる独自の日本ミツバチ飼育法を開発。5年ほど前から社民党の屋上など国会議事堂が見える場所に巣箱を置き、大都市の屋上で公園や街路樹などの花を蜜源にハチミツを作る。その後、結成された「銀座みつばちクラグ」では、屋上の養蜂を通じ、都市の住人に半農半?の暮らしを説く。東京農業大学講師、現在、会長をつとめる「日本在来種みつばちの会」の会員は、800人を超える。



取材・文: 島村菜津
撮影:加藤庸二