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日付
2007/8/31

安保理改革と一票の重み-憲章19条をめぐる挿話-

外務省大臣官房会計課首席事務官(前国連代表部一等書記官) 飯田慎一


忘れ得ぬ安堵感
 「この決議案はコンセンサスにて採択されました。」

 2005年7月14日午後、国連総会本会議場において、ジャン・ピン総会議長がそう述べてガヴェル(木槌)を打ったときの安堵感を私は忘れない。この瞬間、グルジア、中央アフリカ、コモロ、ギニアビサウ、ソマリア、タジキスタン、リベリア、ニジェール、サントメ・プリンシペの9ヵ国が総会における投票権を回復した。私がグルジアの次席常駐代表に歩み寄り「おめでとう」と声をかけると、彼は「君の方こそ、おめでとう」と言ってニヤリと笑った。すべてはグルジアと日本の合作だったからである。

なぜ投票権回復が必要だったか
 国連分担金の累積滞納額が2ヵ年分を超過した加盟国は、総会における投票権を失うことになっている(国連憲章第19条)。しかし、その不払が「やむを得ない事情」による場合には、総会の決定により投票権を回復することができる(同条但書)。グルジアを始めとする9ヵ国は、前年の決議によって投票権を一時的に回復していたが、翌2005年の6月末日でそれが失効することになっていた。例年であれば、この点が問題になることはなかったであろう。国連総会は7月から事実上の「夏休み」に入るためだ。しかし、2005年は例年とは違っていた。G4(日本、ドイツ、インド、ブラジル)が安保理改革に関する枠組み決議案の成立を目指していたからである。

 通常、総会決議は「出席し、投票する国」の過半数が賛成票を投ずれば成立する。採決の際に全ての加盟国が顔を揃えることは殆どないから、90票程度を押さえておけば、さほど心配は要らない。ところが、安保理改革の場合、憲章改正事項が含まれることもあって、関連決議が成立するためには(「出席し、投票する国」ではなく)全加盟国の3分の2以上、すなわち128以上の賛成票が必要ということになっている(A/RES/53/30)。換言すれば、9ヵ国が投票権を失えば、9票の反対票が投ぜられたのと同じ効果を持つ。賛成票の積み上げのために必死にキャンペーンを展開していたG4にとって、9票が「死票化」するのは何としても避ける必要があった。そのために日本が考え出した方法が、投票権回復のための特別決議案を提出し、総会本会議で一気呵成に成立をはかるというものであった。

グルジアとの「共同作戦」
 国連は虚々実々の駆け引きの場である。その実態は、日本国内の一部にある世界政府的イメージとは全く異なる。一方で、国連ほど「大義」が重視されるところもないだろう。利己的と見られる行動はあっという間に潰される。G4決議案に反対するイタリア、パキスタンといった所謂「コンセンサス・グループ」にとっては「死票」が増えた方が都合が良いのであるから、下手に動けば反G4キャンペーンに使われるのは必至であった。9ヵ国の投票権回復のために、G4が自ら特別決議案を提出するわけにはいかない。
 その年の9月には国連創設60周年を記念して首脳会議が開催されることになっていた。我々はこの点をとらえ、国連改革につき首脳レベルで意思決定が行われる可能性のある歴史的なタイミングで、投票権を喪失している加盟国が9ヵ国もある状態は適当でないと主張してはどうかと考えた。そして、そうした9ヵ国側の「声」の取り纏め役として、G4決議案の共同提案国であるグルジアに白羽の矢を立てたのである。

 特別決議案を成立させる上で最も苦慮したのは、如何にして第5委員会をバイパスし、総会本会議での直接採決に持ち込むかであった。投票権の回復について第一義的な決定権を有するのは国連予算を所管する第5委員会である。しかし、第5委員会に付託すれば、その密室審議の中で「コンセンサス・グループ」の妨害工作に遭うのは確実であった。我々は悩んだ末、9ヵ国側がピン総会議長に提出する投票権回復の要請書の中に「本件の重要性・緊急性にかんがみ、第5委員会に付託することなく総会本会議で取り上げて欲しい」との記述をもぐり込ませ、本会議での審議冒頭、すなわち公開の場で総会議長から加盟国に諮るという形をとることとした。衆人環視の中であれば「コンセンサス・グループ」も正面切って反対はできまい。かつて第5委員会を担当していた私は、この委員会が如何に強大な権限を有しているかを骨身に沁みて理解している。第5委員会をバイパスするシナリオに自信があったと言えば嘘になる。それでも、他に方途はないと思われた。

 ゲーム・プランを定めると、グルジアは直ちに動き出した。この役回りを担ったのが、冒頭でも触れたグルジアの次席常駐代表である。彼は他の8ヵ国の常駐代表を一人一人往訪し、この時期に投票権を回復することの重要性を説き、総会議長宛の要請書を提出させた。グルジアは、安保理改革の決議案が採択されようとしているこの時期に投票権がないという状態は耐え難いと感じていた。それならさっさと滞納金を支払えば良さそうなものだが、国内での予算措置が間に合わないのだという。この時点でのグルジアの累積滞納額は約557万ドル。どこの国でも財政当局からカネを取ってくるのは大変なのだ。

思いもよらぬ「抗議」
 グルジアの精力的な働きかけと見事な外交手腕により、9ヵ国の要請書が出揃った。9ヵ国が共同提案する特別決議案(日本が起草し、グルジアに託したもの)も事務局に提出し、いよいよ9ヵ国の常駐代表がピン総会議長に対して直接申し入れを行い、総会審議の日程を確定して貰う運びとなった。ときは既に7月11日。この会合でピン議長から特別決議案に対する賛同が得られなければ、すべてが頓挫する。グルジアからの強い要請を受け、私もこの会合に同席する手筈になっていたのであるが、ここで私は思いもよらぬ経験をすることになる。

 総会議長室の横にある外交団ラウンジ。総会議長との会談に先立って、9ヵ国による事前打ち合わせが行われた。私も同席していたのだが、突然アフリカ某国の常駐代表がこう発言したのだ。「なぜG4のメンバーである日本がこの場にいるのか。G4のために投票権を回復するわけではない。他の加盟国から誤解されると困る。」
 別の常駐代表は私を擁護してくれた。「確かに日本はG4だが、アフリカの友人でもある。日本が同席していても構わないではないか。」 
 議論が紛糾しそうになったので、私はその場を立ち去った。グルジアは平謝りであったが、私は、安保理改革が加盟国にとって如何に敏感な問題であるかということを改めて痛感した。G4支持を明らかにすれば、反対勢力から猛攻を受ける。所謂「小国」であればあるほど、それに耐えきれないのだ。

 ピン議長の裁定により、特別決議案の審議日程が7月14日に設定された。残された期間は3日間。グルジアの次席常駐代表と私は、根回しに奔走した。「夏休み」の時期に分担金滞納国が団結して投票権の回復を求め、しかも所管の第5委員会を飛ばして欲しいという異例ずくめの話であるから、テクニカルにはいくらでも付け入る隙がある。こういう問題について、老獪な英国に筋論で反対されると厳しいものがある。英国はEUを取り纏める議長国という難しい立場にもあった。私は国連のカフェテリアで、英国の担当参事官(女性)に決議案を見せ、懇切丁寧に説明した。そして私の話を黙って聞いていた彼女が口を開き、「自分は15日から夏休みをとることになっている。この決議案は14日中に採択しちゃいましょう。」と笑いながら言ったとき、初めて「何とかなるかもしれない」と感じた。

最後の喜悲劇
 そして7月14日、冒頭で触れたように、グルジアと日本の合作決議案はコンセンサスで採択されるのであるが、この話には最後まで喜悲劇がつきまとう。何と当日になって、9ヵ国の一つであるリベリアの総会議長宛要請書に不備があるため、そのままでは投票権が回復しないことが判明したのだ。私は「一票の死票はやむを得ないか」と自問自答しつつ、リベリア代表部に急行した。行ってみると、薄暗い部屋の中で、次席常駐代表が一人で執務している。電気代が払えないので、晴天の日は照明を点けず、自然光だけで仕事をしているのだという。心を揺さぶられる思いであったが、とにかく時間がない。新しい要請書に署名をして貰い、それを持って国連事務局に私は走った。そして、決議案は採択されたのである(A/RES/59/312)。

 その日の夕刻、第5委員会の事務局筋から、反G4勢力が、リベリアの投票権が回復されない決議案は不完全であるとして採択の延期を求める動議を準備していたと聞かされ、慄然とした。リベリアの要請書に不備があるという情報を彼らの方が一早く掴んでいたのだ。同事務局筋は、採決が一日でも延期されれば、ピン議長も第5委員会にて先議すべしとの声に抗しきれなかったと述べていたが、正鵠を得た指摘だと思う。結果として大過がなかったのは僥倖でしかない。外交は情報戦でもある。この点は私にとって最大の反省点である。

終わりに
 結局、安保理改革に関するG4決議案は採択までに至らず、グルジアを始めとする9ヵ国が票を投ずる機会はなかった。にもかかわらず、私は、9ヵ国の投票権回復のためのオペレーションは決して無駄ではなかったと思う。
 国連の場においては、所謂「小国」であっても、優秀かつ魅力的な外交官を擁する国は大きな力を発揮することができる。この「真理」を鮮烈な形で示したのはグルジアであった。私は、多くのことを教えてくれたグルジアの外交官に心から感謝している。


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