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「総会議長 -その選出過程と予算・人事」

January 23, 2008

中野 健司  (ニューヨーク国連本部 国連総会議長室参事官)

はじめに

昨年12月14日、設立以来15年目となった安保理改革作業部会の会合で、ケリム総会議長(第62会期、マケドニア出身)は、自らにバングラデシュ、チリ、ポルトガルの常駐代表を加えた4名でタスクフォースを設置し、政府間交渉のための要素を特定していくとともに、本年2月、4月、6月に集中会合を開催する意向を表明しました。今後如何に政府間交渉につながっていくか、各国の出方が注目されますが、このような方針を打ち出したのは、安保理改革作業部会の議長を兼ねる総会議長自身です。過去にも、安保理改革において総会議長の役割は無視し得ないものがあり、G4決議案等が提出された2005年夏の局面(ピン第59会期議長(ガボン))でも、同年9月の首脳会合以降の「国連改革総会」(エリアソン第60会期議長(スウェーデン))でも、そして1997年春に「ラザリ提案」が提示された時(ラザリ第51会期議長(マレーシア))も同様でした。その背景には、安保理改革は総会の一議題(第62会期では議題番号122)として審議され、更に総会議長は総会のあらゆる会議における議事進行につき「完全なコントロールを有する」(総会手続規則35)という事情によります。政治的にも、事務総長とは別の意味で総会議長は「中立的」な存在と考えられ、重要な場面でイニシアティブを発揮できる立場にあります。

筆者は、昨年9月に就任したケリム総会議長の事務所に現在派遣されておりますが、総会議長室で日本人が勤務するのは初のケースだそうです。本稿では、今回の派遣をきっかけに調べてみた総会議長を巡る制度面の諸事項(選出過程と、予算・人事・事務所等の官房事項)を中心に御報告したいと思います。なお、本稿はあくまで筆者の個人的な見解であり、我が国外務省ないし総会議長室の公式な立場ではないことをお断りしておきます。

選出過程

国連内でPGA(The President of the General Assemblyの略)と称される総会議長は、憲章21条に基づき、各会期毎(総会手続規則1で「9月の、最低一日のワーキング・デーを含む第1週から起算して第3週の火曜日に開始」と規定)に個人の資格で選出されます。「個人」ですので、前例はありませんが、議長が任期中に欠けた場合には、改めて選出し直さなければなりません。

選出の時期は、現在は総会決議56/509(2002年7月8日採択)に基づき、各会期開始の3ヶ月前までに選出することになっており(総会手続規則30)、ケリム議長も2007年5月24日の総会本会議で選出されました。総会決議56/509以前は、9月の会期冒頭、前会期の議長(乃至は同人の出身国の代表)が暫定議長(temporary president)となり、議長の選出まで議事進行を行っていました。ところが、第56会期の初日、2001年9月11日朝に米国で発生した同時多発テロ事件の影響で、同日午後3時に予定されていた開会式と議長選出とが延期された際の混乱に鑑み、韓昇洙(ハン・スンス)議長(韓国)の主導で、上記決議が採択されることになりました。この経緯を含め、同議長(元駐米大使、外交通商部長官)が退任後、東京の政策研究大学院大学でシニア・フェローとして滞在していたときにまとめた回顧録「根回しと理念が動かす国連政治-私のUN総会議長一年」が http://www3.grips.ac.jp/~hahn/ で閲覧できます。この決議の採択と同日、2002年7月8日に翌第57会期のカバン議長(チェコ)が選出、韓議長からの引継ぎを受けることになります。

総会議長を5地域グループ間で持ち回りとする慣行は、1963年、ベネズエラのロドリゲス常駐代表が総会議長に選出されて以降、継続しています。これを成文化したのは1978年12月19日の総会決議33/138(附属書第1段落)であり、次期議長選出の際には議長が「決議33/138に基づき、次会期の議長は○○地域グループから選出されます。○○地域グループの議長より私に対し、△△国の××氏の立候補を同地域グループがエンドースしたとの通報がありました。総会手続規則附属書Vの第16段落の規定(筆者注:地域グループによるエンドースがある場合には原則として投票行為を省略するとの内容)を考慮し、私は△△国の××氏が次会期の総会議長に拍手(アクラメーション)により選出されたことを宣言します」と発言するのが慣行です。

しかし、総会議長が常に無投票で選出されるとは限りません。寧ろ、1970年代まで投票による選出は常態でした。例えば、1946年1月10日にロンドンで開催された国連総会の第1回本会議で、最初の実質的議題は総会議長の選出でした。まずソ連のグロムイコ代表がノルウェーのリー外相への支持を表明、ポーランド、ウクライナ、デンマークが右を支持します。ウクライナは、手続規則に則った秘密投票ではなく、拍手による投票を提案しますが、手続投票(挙手)の結果、秘密投票案が15票、拍手案が9票の支持を得て、秘密投票の実施が決定されます。引き続き秘密投票(候補者の一覧表は作成されず、各国代表は誰の名前を書いても良い)が行われ、ベルギーのスパーク外相が28票、上記リー外相が23票を得、スパークが初代総会議長に選出、同人の挨拶を以て散会しています(なお、敗北したリー氏は、その後2月1日に初代事務総長に選出されています)。また、第36会期(1981~82年)にはアジア・グループから3名(イラク、バングラデュ、シンガポール)が立候補、1回目の投票後、上位2名(イラク、バングラデュ)で2回目の投票を実施するも同数の得票となり、手続規則93に基づき、くじ引きの結果イラク(キタニ外務次官)が当選しています。投票による選出が行われた至近の例は第46会期(1991~92年)で、やはりアジア・グループから3名(サウジ・アラビア、パプア・ニュー・ギニア、イエメン)が立候補、1回目の投票でサウジ(シハビ国連大使)が過半数を得票し、選出されています。

歴代62名の総会議長の顔ぶれを見ると、出身国は中小国ばかりと思いきや、必ずしもそうではありません。確かに安保理常任理事国は皆無ですが、G8ではカナダが第7会期(1952~53年)、イタリアが第20会期(1965~66年)に、そしてドイツは西独が第35会期(1980~81年)、東独が第42会期(1987~88年)に務めています。また安保理改革で日本と共に常任理事国入りを目指しているG4では、上記ドイツ以外に、ブラジルが第2会期(1947~48年)、インドが第8会期(1953~54年)に務めています。他方、2度議長を輩出した国は、東西両ドイツ(上記)、ユーゴスラビア(第32会期、1977~78年)とマケドニア(第62会期、2007~08年)のような国家統一・分裂に伴う例を除いてはありません。

国連のホームページで経歴を調べると、大多数が閣僚または常駐代表の経験者であり、そうでない者は、次官級の経験者を除けば2名に過ぎないようです。また、女性は62名中3名で、第8会期(1953~54年、インド)、第24会期(1969~70年、リベリア)、第61会期(2006~07年、バーレーン)です。なお、我が国との関係では、第9会期(1954~55年)のヴァン・クレッフェンス元外相(オランダ)が、江戸時代から第一次大戦終了までの日蘭関係をテーマに博士論文を執筆したとの記録があります。

将来に目を転じ、各地域グループでの今後の候補者調整の状況を比較すると、本年6月までに選出される第63会期議長を輩出するラ米・カリブ諸国グループが、本年1月の時点で単一候補のエンドースに至っていないのに対し、東欧グループは現在のマケドニアに続き、5年後のリトアニア、10年後のスロバキア、15年後のハンガリー、20年後のモルドバまで、名乗りを上げる国が決まっています。我がアジア・グループは3年後の2011~12年に順番が回ってきますが、関心を表明している国は現時点では無いようです。

総会議長を巡る官房事項

まず、総会議長本人の給与は母国が負担することになっています。一部では「途上国が総会議長のポストに立候補しにくくなる」として一般予算からの支給を求める声が聞かれます。他方、議長の出張旅費・交際費等のために、1998年以降25万ドル(現在は物価調整のため28万9600ドル)が一般予算から配分されています。
総会議長室のスタッフは、事務局の一般予算から5名(D2レベル2名、D1レベル1名、P5レベル1名、一般職1名)分の給与が支給されることになっています。従来は上記に加え、若干名を議長の出身国乃至周辺国から「手弁当」で派遣させ、補強していました。例えば上記の韓議長(第56会期)の時には、潘基文(パン・ギムン)官房長(現事務総長)を筆頭に、外交通商部からの出向者等の韓国人が10名、それ以外はスピーチ・ライター1名、報道官1名(国連広報局より毎年出向)、秘書2名という構成でした。

これを拡大したのが第60会期(2005~06年)のエリアソン議長(スウェーデン)でした。「国連改革総会」を念頭に、継続性の観点から前議長(ガボン)の官房長(ガボン外務省出身の大使級の人物)を特別顧問として迎え入れ、また次期議長を選出するアジア・グループからも一人いた方がよいということで、タイ代表部の書記官を受け入れたのです。今第62会期(マケドニア)においては、同国及び周辺国にとどまらず、更に全ての地域グループからスタッフの提供を受けたいとして、東欧・西欧を中心に、アフリカ(ルワンダ)、アジア(日本)、ラ米・カリブ(ブラジル)からも各1名の派遣を受け、合計約20名になっています。上記の予算の枠外で、何名の派遣職員を受け入れるかは、総会議長の判断次第ですが、一般的に増傾向にあります。背景には、総会議長室の業務量が、国連改革の諸案件のフォローアップ、そして総会におけるテーマ別非公式討論の開催により増加していることがあると思われます。この「テーマ別非公式討論」とは、総会決議58/126(2003年12月19日採択)、59/313(2005年9月12日)、60/286(2006年9月8日)で、総会再活性化の観点から総会議長が加盟国にとり重要な事項を取り上げて開催することを奨励・承認している会合で、第61会期ハリーファ議長(バーレーン)の時から活発化しました。同議長の下ではミレニアム開発目標達成に向けたパートナーシップ(06年11月27日)、ジェンダー(07年3月)、文明と平和への挑戦(5月)、開発資金(6月)、気候変動(7月)につき討論が行われました。一般的にその分野で著名な専門家による討論会、加盟国による演説を行うのですが、これらの会合の準備の責任は、専門家の招待のための資金集めを含め、事務局ではなく総会議長室の責任になります。
これらの派遣職員は、「手弁当」である故に、当然国連の給与体系の適用を受けず、身分証明書も各国代表団用のものを使用し、役職名も「公使」とか「参事官」とか「一等書記官」のままで、D1でもP5でもありません。就任に当り契約書・宣誓書を交わすこともありません。他方、国連ビル内のデスク、内線番号、メール・アドレスが割り当てられます。

また、派遣・非派遣を問わず、スタッフは特定の会期の議長に仕えることになっており、複数会期の議長に連続して仕える職員を除き、9月の会期開会日にならないと、デスク、内線番号、メール・アドレスは支給されません。他方、議長本人は、総会決議58/126に基づき、9月の就任までの間、移行オフィスその他の支援を事務局から受けることになっています。

総会議長室は、国連の会議棟の2階、経済社会理事会議場と信託統治理事会議場との間の廊下の突き当たりにあります。但し、ここには議長と官房長他4名の職員のみが執務し、個別案件を担当する職員は2つの大部屋に分かれて執務しています。当初、総会議長室は国連ビルの最上階である38階に、事務総長と隣同士に設置されていたのが、第46会期(1991~92年)のシハビ総会議長(サウジアラビア)と当時のブトロス・ガリ事務総長(エジプト)との仲が悪く、同議長の退任と共に事務総長が2階へ「降格」させたと、上述の韓議長の回顧録には記されています(なお、昨年出版された同書の英語版からは、シハビ議長の個人名が削除されています)。このような経緯はあるものの、現在の潘基文事務総長は、総会議長室側にいた経験もあり、ケリム議長との関係は極めて友好的、協力的なようです。

おわりに

以上、従来あまり光が当たっていなかった制度面を中心に御報告してみました。特に官房事項については慣行や個々の議長の裁量によるところが大きく、それだけ容易に変動し得るようです。本稿で扱えなかった安保理改革を含む政治面での総会議長の役割については、稿を改めて御報告させて頂ければと思っております。

    • ニューヨーク国連本部 国連総会議長室参事官
    • 中野 健司
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