タイプ
レポート
プロジェクト
日付
2008/4/23

国連ウィーン本部、薬物犯罪事務所・条約局長の一日 (日本についても、ちょっとだけ)

尾崎久仁子 (在ウィーン国連薬物犯罪事務所 条約局長)


注目浴びる国連腐敗防止条約
春まだ浅いウィーンの3月、私は、新設の上級法律顧問(L-5)ポストの採用インタビューに同席している。大陸法と英米法における犯罪収益の没収・追徴制度とその特徴について答える候補者の緊張がひしひしと伝わってくる。インタビュー進行役の条約法務部長が厳しい追加質問を浴びせる。彼は条約局の3人の部長(D-1)の一人で、彼自身、同じようなインタビューを経て昨年末に採用されたばかりだ。イェール・ロースクール時代にロージャーナルのシニア・エディターを務めた秀才で、ワシントンの大手法律事務所を経て国務省入りした、アメリカの典型的なガバメント・ローヤーだが、当局の採用インタビューが今でもトラウマになっているという。「引渡か訴追かの原則と双罰性の要件」についてマニアックな質問をする私の顔が、とても陰険に見えたそうだ。そりゃそうでしょう。自分の「右腕」を採用するのだから、私だって必死でした。

今回採用するL-5は、我が薬物犯罪事務所(UNODC)と世銀の合同プロジェクトであるStARイニシアティブの合同事務局に、条約局から派遣する法律家のポストである。 StARとは、Stolen Asset Recovery を意味し、2003年に採択された国連腐敗防止条約に則り、国外に持ち出された腐敗収益の回復を支援するためのプロジェクトである。 わかりやすい例でいえば、フィリピンのマルコス元大統領の一族が、横領した政府資産や不法に受取った賄賂をスイスの銀行に預けたとして、本来の所有者であるはずのフィリピン政府がいかにしてこれを取り戻すか、というお話です。

国連腐敗防止条約は、もともとは、2000年の国連組織犯罪防止条約(ほら、日本でも「共謀罪」で有名になった、あれです。)のスピンオフとして作成された刑事司法条約の一つで、深刻な犯罪であると同時に組織犯罪等他の犯罪を助長する犯罪でもある贈収賄などの汚職を捜査、訴追するための国際協力について規定している。この条約の特色は、犯罪化や共助、引渡規定に加え、公務員の行動規範や公的調達の透明性確保等の腐敗防止措置及び前述の腐敗収益の回復についての詳細な規定を置いていることである。 本来であれば、各国の法務検察以外には関心を集めないような地味な条約なのだが、たまたま、その内容が、持続的発展の前提としてのガバナンスの強化を求める開発分野における国際的な要請に応えてしまった。

すなわち、開発援助機関がガバナンスに着目するようになったといっても、ガバナンスの具体的内容について国際的な共通理解がなかった上に、主権侵害だのコンディショナリティー批判だの、被援助国の反発やオーナーシップの発揮しにくさが国際社会の頭痛の種となっていたちょうどそのとき! 世間の片隅のウィーンで、ひっそりと作成された国連腐敗防止条約が、刑事司法の専門家が交渉しただけあって、各種腐敗行為の定義だの公務員倫理だの腐敗防止のための国際協力だのがきちんと書き込まれ、かつ、途上国を含むコンセンサスで採択された、立派な国際基準であることが判明(?)したのである。おまけに、この条約は、多くの途上国を含む113カ国(4月現在)が締約国となっており、条約がちゃんと履行されれば、開発援助機関の求めるガバナンスのかなりの部分が自動的に達成されてしまう。 かくして、この条約は作成直後から各国や各国際機関の援助関係者の注目を集め、この条約作成の事務局であり、これまた地味な専門家集団のUNODCが、世銀だのUNDPだのOECD/DACだのという華やかなお金持たちと一緒に、(正直言ってこれまで深く考えたことのなかった)ミレニアム開発目標の実現という表舞台に立つことになってしまったのである。

とはいえ、UNODC、特にこの条約を所管する我が条約局にとって、開発援助機関との協力はけっして簡単ではない。 我々の主目標である正義と法の支配と基本的人権の確保が、持続的開発の阻害要因ではなく前提であることが認められつつあることは素直にうれしいが、やはり、個別の作業過程で緊張が生じることは避けられない。上述のStARイニシアティブの推進のための賢人会議というのがあって、大銀行家だの各国の開発大臣だのがメンバーなのだが、UNODCから特にお願いした日本の原田元検事総長を含む著名な刑事法専門家にも加わってもらったのはそのためである。腐敗は深刻な犯罪であるとともに、政治的に利用されやすい犯罪でもあり、何億ドルの資産を取り戻しても、それがデュープロセスに則ったものでない限り、条約の趣旨目的に完全に違背することになるからである。

というわけで、冒頭のインタビューに戻れば、我々が採用してワシントンに送り込もうとしている法律顧問の職責もまことに重いものであり、インタビューパネルの面々も真剣にならざるを得ないのだ。

テロ、組織犯罪、腐敗が主戦場
話は変わって、インタビューの直後に部屋にとびこんできたのは、私の「左腕」、テロ関係諸条約の批准・実施支援を担当するテロ対策部長だ。つい最近、ニュージーランドと協力して太平洋島嶼諸国への支援のためにフィジーに置いた法律顧問の作業計画についての相談だ。この「左腕」は、フランスの元検事だが、国連経験の長いベテランで、能力も確かなので、この種の話についてはにっこり笑ってお任せする。ちなみに、フィジーのポストを作るまで、太平洋島嶼諸国は、UNODCのバンコク事務所が担当していた。バンコク事務所には、条約局から派遣された2人の上級法律顧問がいて、それぞれ、組織犯罪とテロを担当している。テロ担当は昨年採用した日本の検事で、ありがたいことにとても評判がよい。組織犯罪担当はフランスの元判事だが,当局に採用される前は、カンボジアで刑事訴訟法を「書いて」いた。なお、同じ時期、民事訴訟法の起草支援をしたのは日本の法務省が派遣した日本人法律家である。いわゆる法整備支援というのは、日本では最近法務省が始めたばかりだが、欧州諸国は昔から熱心だ。 食料は食べてしまえば終わりだし、モノは壊れるが、法律は、(よい法律であれば)後世まで残り、人々の意識や社会のあり方を長期にわたって形作っていくからだ。 明治期に作られた日本の基本法の数々とこれが長期にわたり日本社会に及ぼした影響を考えてみてください。

これが終わると、別のスタッフ登場。これまた昨年採用したイギリスの元検事で,上述の「右腕」の下で、共助,引渡しに関する英米法諸国への支援を担当している。ずいぶん慣れてきて、ちょっと変ったこともやってみたいというので、組織犯罪防止条約の締約国会合に合わせて秋に開催予定のコンピューター犯罪に関するワークショップを任せている。国連職員らしくなく、極めて言葉が少なく、かつ、物分りがよいので,いくつか指示を受けて20分で退場。 次にやってきたイタリア人職員(条約局には珍しく、刑事政策の専門家)はもう少し(かなり)言葉が多いが、優秀な若手。最近条約局が力を入れている紛争後の刑事司法制度の再建を担当しており、NY本部のPKO局とのビデオ会議について打ち合わせる。大体、このあたりで、夕方の5時、書類の決裁など一人でやる仕事はどうしても夜間になってしまう。

私、尾崎久仁子は、こう見えてもれっきとした日本の外交官である。在ウィーン政府代表部のIAEA担当公使だった2年前の2月、同じウィーンにあるUNODCの条約局長に採用された。ランクはD-2だが、事務所のトップであるUSGに次ぐポストで(局は全部で4つ,これに加えて,20数箇所の現地事務所がある)、部下も120人ほどいるので、外務省の日本語訳では、若干インフレ気味に「局長」となっている。国連に入って実感したことだが、NY本部と他の本部では、ポストの重みが相当違うようだ。

UNODCは、国連事務局の一部であり、2003年に、薬物対策を専門とする組織と国際犯罪担当部局が合体して誕生した。 職員も、薬学の専門家を含む薬物のプロと各国の判検事経験者を中心とする刑事司法の専門家の混合である。 規模としては薬物関係のプログラムの方が大きく、例えば、UNODCの在カブール事務所は、いまや世界の生産量の大半が栽培されタリバン及びその関連組織の資金源ともなっている「けし」をめぐる19世紀さながらのグレートゲームの渦中にある。 これに対し、我が条約局は、後者の刑事司法プログラムが主体であるが、現在その業務は急速に拡大している。 そして、その主戦場は、テロ、組織犯罪、及び腐敗である。

強みは専門性
我々の強みは、専門性である。UNODC条約局は、ICCを除けば国連システム内で唯一の国際刑事法の専門家集団だ。 現に,条約局と、ICCを始めとする国際刑事裁判所は、人事交流が頻繁で、当局のカナダ人課長は一昨年旧ユーゴ国際刑事裁判所判事となった。テロ対策にしても、UNODCは、NYの安保理や総会で行われる政治的な討論とは一線を画し,刑事司法に特化した支援を行っている。 当局にとって,テロとの戦いは、戦争ではなく、犯罪対策である。 個々のテロ行為を法に則って着実に捜査し、犯罪者を訴追し、処罰することが当局の目的であり、そのために必要なのは適正な立法(条約はともかく、安保理決議に基づいて起訴できるまともな国内裁判所は、100%、ない。)と裁判官や検事など刑事司法担当者の訓練である。 当局のテロ対策部の合言葉は、「テロは現場で起こっている」であり、これをよしとしてたくさんお金をくれるドナー国が年々増えているのは喜ばしい限りである。

このような専門性と、それに対する各国の信頼を維持するために最も重要なのが、人材の確保である。 特に、刑事の分野での十分な実務経験と国際感覚を有する法律家は、のどから手が出るほど、ほしい。 UNODCは、ウィーン本部に位置するのと、欧州には国際刑事裁判所や欧州評議会、EUROJUST、OSCEなどで国際経験をつんだ法律家が多いので、当局の人員構成は圧倒的に欧州出身者に偏っている。 特に,アジアの法律家は、上述のバンコク事務所の日本人をのぞけばアソシエート・エキスパートの韓国人検事が一人いるだけである。 幸い、成長分野なので、予算はある。空席広告も常時出ていますので、こぞって応募してください。

などと書くと、まるで尾崎もものすごい専門家であるかのように見えるかもしれないが、局長はシニア・マネージャーなので、できる人には仕事を任せ、できない人は叱咤激励し、それでもできない人はさりげなく他の部局に押し付けるのが主たる仕事である。 あとは、会議の壇上でやさしく微笑み、何処かの国の検事総長とにこやかに握手し,国際機関事務局独特の官僚主義(信じてください。日本の官僚主義とは全く違います。)に耐え得る強靭な精神を涵養する。

それでも、この事務所のこの局に入ってよかったと思う。 できれば、もっと若いときに、P-4くらいで入れば、もっと実質的に仕事ができて面白かったかもしれないが。他方で、この歳にならなければ、正義だろうが、人権だろうが、法の支配だろうが、自分が信じている価値のためにはたらいでお金をもらうことが如何に幸運なことか、わからなかったかもしれない。 ウィーンの春は短いが,人生の春も短い。 NYとは一味違う国際機関勤務、ちょっとの期間でもいいから、如何ですか?

(了)


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