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10回目の国連安保理非常任入りを控えて

December 26, 2008

宮島昭夫 (国連代表部 公使)

私事で恐縮だが、今年ニューヨークで迎えた51回目の誕生日は忘れられない日となった。10月17日の午前、わが国が、安保理非常任理事国選挙でアジア・グループから第1回投票で当選したのである。同日夕、かつての任地でもあるオマーンの大使からわが代表部に届けられた当選祝いの大きなケーキは格別甘く感じられた。

今回の当選で、日本は非常任理事国としては最多の10回目、1956年の国連加盟以来2010年までの54年間のうち20年間、安保理に席を占めることになる。来年1月から2010年12月まで2年間の任期であり、高須大使以下3名の大使の下、代表部が一丸となって取り組んでいくこととなる。私自身も「ポリティカル・コーディネーター」として安保理審議の舞台回しの役割を他の安保理各国のカウンターパート14人と共に担うことになる。既に11月1日から、非公式協議を含めオブザーバー出席が認められ、皆、大きな意欲と若干の不安の入り交じった日々を送っている。

国連安保理というもの  過小評価も過大評価も禁物

国連は、世界政府ではなく、加盟国の利害が衝突し合い、その調整を通じ、国際的な合意を形成して行く場である。中核となる安保理は、拒否権を持つ常任5カ国、任期2年再選禁止の10カ国の非常任メンバーの15カ国から構成され、国連で唯一、全加盟国に対し法的拘束力をもつ決定を行う権限を持っている。他方、現実の世界で、安保理の影響力には大きな限界もある。今年夏のグルジアでの武力衝突を止められず、北朝鮮やイランの核問題についても、ソマリアの海賊についても、安保理決議で制裁を決定したり、議長声明を出しても現実を決定的に変えることはできていない。

では、国連安保理など意味がないのか。そんなことは決してない。例えば、世界中で生起する深刻な地域紛争や国際テロ事件等に対し、安保理が一致して、タイムリーに力強いメッセージを出すことは、事態の鎮静化を促し、世界の世論のありかを示すうえで意味がある。また、紛争の最中に、両当事者に対し、自らの主張をアピールしあう中立的な場を提供し、事務総長や関係国による調停・仲裁等のきっかけを作ったりもする。

二度の悲惨な大戦の反省の上に作られた国連、安保理には、確かに限界はあるが、他に代わりはない。この事実を過小評価も過大評価もしないことが肝心である。その上で、以下に述べる安保理の外側にいることの大きなデメリットを踏まえ、日本として安保理に如何に入り、これを如何に活用し、また、安保理改革の実現を通じ、その国益を維持・増進するかが、きわめて重要なのである。

(注)日本が前回の安保理理事国を務めた際の様子については、北岡伸一著 『国連の政治力学』(中公新書)が大変参考になる。また、国連をめぐる主要国の角逐の歴史については、ポール・ケネディ著『人類の議会』(Parliament of Man 邦訳は日本経済新聞社)が有益である。

安保理メンバーでないということ 分厚い壁と大きなデメリット

限界はあるとしても、国連における平和と安全の分野では、安保理は「超」のつく中心組織である。しかも、安保理は二重の分厚い壁に取り囲まれている。 ある外交官は、常任理事国は‘ファーストクラス’、非常任理事国は‘プレミアム・エコノミー’、それ以外の非理事国は‘エコノミー’と評していた。常任理事国は、まさにその名の通り、選挙キャンペーンに膨大な外交資源を使うことなく常にメンバーであることが確保され、圧倒的な情報量に接せられ、知識・経験の蓄積ができ、意思決定に絶対的なパワーを持っている。そこには拒否権を通じ、非常任10カ国が束になっても、まったく歯が立たない壁が存在する。他方、非常任であっても、安保理メンバーと安保理メンバーでない「平」メンバーとの壁・格差は、厳然としており、安保理メンバーでないことのデメリットはきわめて大きい。米国に次ぐ第二の国連財政貢献国でも、「平」メンバーである限り日本は「その他大勢」の177カ国と同じで、公開会合以外には基本的に全く出席も発言もできず、意思決定プロセスも関われない。新たなPKO派遣の決定には関与できないが、その財政負担は回ってくるのである。

安保理メンバーからの情報収集のため、安保理会議場の外でじっと待機したり、電話をかけ、食事に誘ったりする訳だが、多忙な彼らを捉まえ、突っ込んだ話を聞くのは容易ではない。蚊帳の外では自国の関心を反映した文言の挿入や修正、まして安保理の決定に影響を及ぼすことは極めて難しい。北朝鮮が2006年7月に弾道ミサイルを発射した際、また、同年10月に核実験を行ったことを発表した際には、たまたま日本が安保理メンバーであったため、安保理における議論を取りまとめ、制裁決議を採択することができた。しかし、日本がメンバーでなかったならば、我が国の意図を安保理の意思決定に反映するどころか、情報収集すらままならず、ほとんどのことを安保理メンバーである米国等友好国に頼み込むしかなかったに違いない。安保理議席の確保は、日本自身の安全保障に直結する問題なのである。

着任後の1年10ヶ月間は、安保理の壁の内側で我々の知らない何か重要なことが話されているのではないか、日本として安保理に強力に働きかけなければならない緊急事態が生じたら、然るべく対応できるか、という不安感と緊張感を抱える毎日であった。

非常任安保理メンバーになるということ 楽勝はありえない

日本が、「平」メンバーのデメリットを克服するには、当然のことながら自ら安保理メンバーになるしかない。常任という“ファーストクラス”席に直ぐに座る見通しが明らかでない以上、非常任の“プレミアム・エコノミー”席にできるだけ長く座っていられるよう、努力するしかない。しかし、安保理非常任選挙は、常任理事国5カ国を除く各国代表部にとっては最重要課題の一つと位置付けられるものであり、多くの国にとって数十年に1度のチャレンジである。日本の場合は、前任期終了翌月の2007年1月、モンゴルの辞退を受けて、2008年選挙に立候補を決定し、既に何年も前から立候補を表明していたイランとの一騎打ちとなった。

イランは、核開発疑惑のため安保理による制裁を受けており、当初から日本の“楽勝”という見方が強かった。確かに結果は、158対32で圧勝であったが、決して“楽勝”ではなかった。第二の国連財政貢献国なのだから“プレミアム・エコノミー”くらいは当然(もしくは確実)、という発想は国連の現実から遠く離れている。イランは外交巧者で、イスラム教国のネットワークや非同盟諸国のメンバーとして組織票もあり、更には産油国でもある。しかも、モッタキ外務大臣は元駐日大使の日本通である。「イランは非常に手強い」との認識の下、2007年8月に着任した高須大使の陣頭指揮で、最後まで決して油断せず、「正攻法」で粘り強く1票ずつ支持を積み上げていった。秘密投票では常駐代表同士の個人的関係が最後の態度決定にあたり重要な要素になる。そのため、常任理事国から島嶼国等ミクロ国家まで、3人の大使をはじめ皆で手分けし、「どぶ板」選挙運動を当日まで続け、結果的に、圧勝できたのである。

日本はまとまりのよい地域グループという“基礎票”がなく、圧勝できたのは、世界各国からの信頼と評価の故である。日本外交の基盤であるアジア諸国の支持に加え、今年5月末の第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)開催や既に4回開催してきている太平洋・島サミット開催をはじめとする外交努力は支持を得るうえで大きな力になった。また、2007年夏から国連平和構築委員会(PBC)議長を務めたことも、有益であった。「情けは他人のためならず」、日ごろの誠実な外交努力が、結局のところ、最後に力になったのである。

常に安保理メンバーであるために 安保理改革実現こそが重要

努力の末、非常任理事国選挙に勝っても、そこに待ち受けているのは、安保理の中での常任理事国との「壁」である。繰り返し非常任を務めても、“ファーストクラス”に直結することはない。また、非常任には再選禁止規定があるし、希望国も多いため、“プレミアム・エコノミー”席にも、数年ごとにしか座ることはできない。今回の場合、結局、2年間という短期間で、安保理に復帰できることになったが、今回のように上手く話が運ぶケースは滅多にない。日本の国連外交にとっては、日本の常任入りを含む安保理改革の早期実現が、最重要課題なのである。今年9月の国連総会一般演説でも、麻生総理から、わが国としての決意を改めて表明している。

突出した財政負担(国連通常予算およびPKO予算について、日本は米国に次ぐ第二位の約16.6%を負担。通常予算の負担割合は、米国以外の4常任理事国の合計にほぼ匹敵)からみれば、すでに、日本は常任理事国になる最適格国であり、これについてはさすがにごく少数を除いて異論がない。しかし、現在の安保理の構成は、60年以上前の大戦直後の状況を反映したもので、今日の世界の現実からはかけ離れている。安保理改革が必要だ、という点について表立って反対する国はなく、2005年の国連世界サミットにおいて首脳レベルでも確認された。ただし、各国の実態は同床異夢で、常任理事国やアフリカ・グループ、パキスタン・メキシコ・韓国等常任理事国の増加に反対するグループ等、各国の利害・思惑が錯綜している。総会の下に設置された安保理改革作業部会の議論は具体的成果のないまま15年間続き、前進を見ていない。

日本の常任入りだけのために、全加盟国の3分の2の賛成と全常任理事国を含む3分の2の国の批准を必要とする憲章改正手続きが進むことはありえず、日本は、安保理改革実現のためにパートナーと共に行動してゆくことが必要不可欠となる。我が国は、ドイツ、インド、ブラジルといわゆるG4を形成し、2005年に常任・非常任の双方のカテゴリー拡大等を内容とする安保理改革案を推進したが、結局実現には至らなかった。それ以降も、総会の下の安保理改革作業部会の場等を通じ、改革について種々の努力が続いてきた。たとえば、一気に常任理事国数を増やすのではなく、長期的な非常任議席(“ビジネスクラス”)という中間的なカテゴリーを暫定的に設け、たとえば5年から15年間の暫定期間の後に、拒否権の問題等とともに再検討するという2段階方式のアイディアも提案されているが、「暫定的」合意が恒久化する懸念もあり、具体的な動きにはなっていない。

しかし、安保理改革実現に向け、注目すべき前向きな動きがある。2008年9月、前総会会期最終日に困難な協議の末、遅くとも来年2月末までに総会非公式本会議において「政府間交渉」を開始することが、総会の全会一致で決まったのである。これで、やっと、単なる協議から実際の「交渉」に移行することになる。今後、来年初めにかけては、着実に交渉を立ち上げ、意味のある交渉を開始することが最重要課題である。

いずれにせよ、交渉は難しいものとなることが予想され、改革案に合意した後も、憲章改正手続きを踏む必要があるため、改革の実現にはかなり長期間を要することを覚悟しなければならない。昨今の世界的な金融危機を背景に、ブレトン・ウッズ体制の見直しも議論になるなど、国際社会の構造変化に見合った秩序構築の動きもある。国連が時代に取り残されず、21世紀に意味ある存在であり続けるためにも、安保理改革は早急に前進させなければならない。

これから2年になすべきこと  安保理の内外で積極的な日本外交の展開を

今回、日本は、世界中の国々から強い支持を受けて10回目の非常任理事国に当選した。世界各国からの高い期待に応え世界の平和と安全に貢献しつつ、安保理を活用し我が国の国益を維持・増進するため全力を尽くす所存である。そのため、安保理における審議に積極的に参加するとともに、加盟国のなかで最多当選の非常任理事国、常任理事国の最有力候補にふさわしい存在感を示しながら意思決定プロセスに参加して行かねばならない。これまで1年余務めてきたPBC議長としての経験も活かせるだろう。来年2月には早々に議長国が回ってくるため、議事運営、議題設定等に日本らしい付加価値を付け加えられるよう取り組むべく準備を進めている。

具体的には足元のアジアで前回の安保理非常任メンバー時代と同様、アフガニスタン、東ティモール問題で重要な役割を果たすと共に、ミャンマー問題でも知恵を出すことが期待される。また、安保理審議の半分以上はアフリカ関連であり、スーダンのダルフールやコンゴ民主共和国等におけるPKOミッションや平和構築の問題、さらには中東についての諸問題など、現地在外公館とのネットワークを活用し、日本らしい貢献の道を探らねばならない。北朝鮮やイランといった核拡散問題への対処は、日本の安全保障に直結する問題であり、当然、常に最大限の注意と関心を払い続ける所存である。また、日々の安保理審議への対応に加え、政府間交渉立ち上げに向け安保理改革に真剣に取り組む必要がある。

安保理をはじめとする国連での外交はそれだけが独立したものではない。むしろ安保理の外での日本外交の総合力・底力こそが試される。二国間外交を積極的に展開し、その成果を安保理で活用するとともに、安保理を二国間外交に活用することを考えねばならない。その意味で、国連外交をはじめマルチラテラリズムを重視すると見られる米国オバマ政権とのパートナーシップ強化や、中国、韓国等近隣国との友好協力関係の強化はきわめて重要である。韓国出身のパン・ギムン国連事務総長との協力も一層強化する必要があろう。現在38名で79位に止まっている国連PKOへのより積極的な要員派遣も望まれる。国際テロ・海賊問題、気候変動、アフリカ等の貧困削減等グローバルな問題への積極的貢献やODAの増加は、日本の国際的発言力を保つためにも、不可欠である。

安保理メンバーとしての2年間は、わが代表部にとっても日本外交にとってもチャレンジであるが、次の飛躍に向けての大きなチャンスでもある。国連と世界の現実に対する現実感覚と日本と世界の未来に対する楽観主義を胸に、日々を新たに努力を重ねてゆきたい。

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