タイプ
論考
日付
2018/8/13

米朝協議 票とドルを呼び込む「遺骨ビジネス」

 

白鴎大学経営学部教授

高畑昭男

 

 

歴史的な米朝首脳会談から2カ月。世界が注目した北朝鮮の非核化協議はいつのまにか舞台の後方に退き、代わって朝鮮戦争で捕虜や行方不明となった米兵の遺骨回収・返還事業が前面に躍り出た。7月末に北朝鮮から米国に返還されたのはわずか55柱だったが、北朝鮮国内にはその100倍近い5,300柱が眠っているとされる。今年は休戦協定締結(1953年7月27日)から65年の節目でもあり、遺骨回収が11月の中間選挙に向けて米軍や遺族関係などの票田で大いに歓迎されるのは明白だ。また北朝鮮にとっても、遺骨回収作業は国連などの経済制裁とは無関係である上に、調査協力・発掘費用などの名目で千万㌦単位の現金収入に直結するドル箱となってきた実績がある。「遺骨回収ビジネス」をめぐってトランプ大統領も金正恩朝鮮労働党委員長もハッピーな局面が続きそうだ。 

停滞する非核化協議

首脳会談直後には「非核化は1年以内に可能」といった威勢の良い発言も聞かれたが、非核化協議は早くも息切れの気配が濃厚だ。7月6~7日に訪朝したポンペオ米国務長官は、北朝鮮側のカウンターパートである金英哲朝鮮労働党副委員長と2日間にわたって協議したが、実質的な進展は皆無といってよかった。米朝首脳会談前には2度も直接会談した金正恩氏にも会わせてもらえなかった。

 

ボルトン国家安全保障担当大統領補佐官は「米政府の専門家は北朝鮮が核・ミサイル施設を完全に開示すれば、核計画の大半を1年以内に廃棄できる計画を作成ずみだ」と語り、「北朝鮮が戦略的決断を下し、かつ米国に協力的であれば、極めて早く前進できる」[1]との見通しを示していた。しかし、核・ミサイル施設に関する詳細な申告は行われず、協力的姿勢もみられないままに時が過ぎ、トランプ大統領らも「非核化に期限を設けることはしない」との後退発言が相次いでいる。 

勢いづく遺骨回収

これに代わって熱を帯びているのが遺骨回収事業だ。トランプ大統領は首脳会談に臨む際、事前に退役軍人団体や遺族団体などの陳情を受けて、首脳共同声明の合意事項に「米国と北朝鮮は(朝鮮戦争の)戦時捕虜・行方不明者の遺骨回収に取り組む。身元確認済みの遺骨は直ちに米国に返還する」という一文を挿入することにこだわったという[2]。背景にあるのは、朝鮮戦争休戦から65年の節目と、1990年代以来断続的に行われてきた捕虜・行方不明米兵の遺骨回収事業の流れである。

 

米国防総省の「戦時捕虜・行方不明者調査局」(The Defense POW/MIA Accounting Agency:DPAA)によると、朝鮮戦争における米兵の死者は約3万6千人。これ以外に行方不明兵士は7,699人にのぼり、ベトナム戦争(行方不明1597人)を超えてダントツに多い[3]。朝鮮戦争に限らず、米国は国家のために命をかけた兵士らの遺骨回収に熱心だが、朝鮮戦争の行方不明者はとりわけて数が多いために、ひときわ熱がこもるという事情がある。しかも、朝鮮戦争では北朝鮮の捕虜収容所に抑留されて栄養失調や病気などで死亡した兵士も少なくないとされ、北朝鮮側の記録などを参照すると、同国内に5,000人を超す遺骨が今もまとまって残されている可能性が高い。それだけに、首脳会談合意に基づいて55柱分の遺骨が返還されると、全米で退役・在郷軍人団体や遺族関係者らから大きな歓迎と喜びの声がまき起こった[4]

 

北朝鮮は当初、少なくとも200柱の遺骨を返還するとほのめかしていたにもかかわらず、休戦協定調印65周年にあたる7月27日に返還されたのは55柱分にすぎなかった。北朝鮮は米国との間で非核化よりも先に朝鮮戦争終結宣言(または終結協定の調印)を優先するよう求めてきたが、トランプ政権は「非核化が最優先」との原則を崩さなかった。このため、今回は返還する遺骨を小出しに絞ることによって、さらに米国に譲歩を求めるカードにする狙いもあるとみられる。

 

それでも新たに55柱もの遺骨が回収できたことは、米有権者の中でも最も保守的でトランプ支持が高い層とされる退役軍人・遺族団体などにとって大きな朗報だ。トランプ大統領が「長い時間が過ぎたが、多くの遺族に素晴らしい瞬間となるだろう。金正恩氏、ありがとう」(7月26日)とツィッターで丁重な謝意を表明したのは、そうした保守層へのアピールを強く念頭に置いたものに違いない。

 

サンダース大統領報道官は「まだ帰還しない推計5,300人の米兵を捜す現地調査を再開するための最初の重要なステップだ」と声明した。マティス国防長官も「遺骨回収事業は非核化協議とは無関係」と述べた上で、残る遺骨の捜索に向けて国防総省の専門家調査団を北朝鮮に派遣することも検討していると明らかにしている。停滞色が濃厚な非核化協議を据え置いて、遺骨回収事業がさらに熱を帯びそうな雲行きだ。

遺骨ビジネスは北朝鮮のお家芸

金正恩政権にとっても、米国側で遺骨回収事業に熱がこもるのは大歓迎のはずだ。米朝間の遺骨回収・返還事業は最初に1990~94年にかけて行われ、約200の棺が返還されたが、DPAAが身元確定のために遺骨のDNAなどを詳細に分析したところ、400人分前後の遺骨が混在していたという。遺骨回収の第二期にあたる1996~2005年にかけては、計33回の米朝合同収集活動が行われ、220柱以上が回収された[5]

 

また、産経新聞によれば、1990年代の遺骨回収事業では、230柱分の遺骨発掘と回収のために行われたキャンプの設営や関連資材、北朝鮮労働者の人件費などを含めて、米側からキャッシュで2,800万ドル(約30億円)が支払われた[6]実績があるという。単純計算に従えば5300柱もの回収事業を進めるなら、この23倍の6億4千万㌦(約700億円)に相当する収入が見込める。しかも元手はいらない。金正恩体制にとってデータと現地作業員を提供するだけで、後の作業は米国の専門家調査団がやってくれる。不謹慎といわれるかもしれないが、遺骨ビジネスは北朝鮮にとって極めて効率のよいドル箱なのだ。

 

さらに、DNA分析などによる身元鑑定には相当の時間がかかる。米朝両国ともこの時間を融和ムードの引き伸ばしに使うことも可能だ。そうした引き伸ばし戦略がトランプ、金正恩両氏の胸中にあるという見方もできる。 

トランプの対北戦略は?

非核化協議の停滞と長期化を理由に「米朝首脳会談は失敗だった」とする声もあるが、現段階では必ずしもそうと言い切れないのではないか。非核化が長期化しても、「非核化の完了までは対北制裁を堅持する」というトランプ政権の原則は変わっていない。核・ミサイル実験の凍結が今後も継続され、同時に中国、ロシアなどによる制裁緩和の動きを阻止できる――という二つの条件を満たせる限りにおいては、非核化プロセスが長びいても、トランプ氏は米有権者に「当面の脅威はなくなった」と説明できるからだ。

そうしている間に北朝鮮を米国の影響下に引き込むことができるならば、朝鮮半島をめぐる地政学的バランスは大きく変動し、中国やロシアを困らせる状況に追い込むこともできるかもしれない。中間選挙に向けた直近の国内アピールとは別に、遺骨回収事業の裏にそうした壮大な戦略があるとすれば、トランプ氏の大きな賭けといえるだろう。

 

 


[1] John Bolton on CBS "Face the Nation," July 1, 2018.

https://www.cbsnews.com/news/transcript-national-security-adviser-john-bolton-on-face-the-nation-july-1-2018/

[2] 共同声明第4項。Joint Statement of President Donald J. Trump of the United States of America and Chairman Kim Jong Un of the Democratic People’s Republic of Korea at the Singapore Summit.

https://www.whitehouse.gov/briefings-statements/joint-statement-president-donald-j-trump-united-states-america-chairman-kim-jong-un-democratic-peoples-republic-korea-singapore-summit/

[3] 2018年6月20日現在の数字による。The Defense POW/MIA Accounting Agency (Past Conflicts)

http://www.dpaa.mil/Our-Missing/Past-Conflicts/

[4] “Agency Begins Process of Identifying Korean War Remains”, By Jim Garamone, DoD News, Defense Media Activity, July 31, 2018.

https://www.defense.gov/News/Article/Article/1589082/agency-begins-process-of-identifying-korean-war-remains/

[5] 読売新聞2018年7月28日付朝刊「米、遺骨回収は責務 北朝鮮から55柱 残る5300柱 返還協議へ」

[6] 産経新聞2018年7月11日付朝刊「久保田るり子の朝鮮半島ウオッチ」