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レポート
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第11回「クルド問題と日本」

日時
2007/11/14  12:00~14:00 [終了しました]
場所
日本財団ビル2階 第1~4会議室
担当
片山、平沼
  

■第11回 東京財団政策懇談会
   「クルド問題と日本」



              ・日時:2007年11月14日12:00~14:00
              ・スピーカー: 勝又郁子(ジャーナリスト)
                       松本太(国際協力銀行参事役)
                       フセイン・オズカヤ(東京財団研究員)
              ・モデレーター:佐々木良昭(東京財団主任研究員)


この政策懇談会は、トルコ・イラク国境の緊張関係が高まる中、クルド人とはどのような民族か、クルド地域とはどのようなところか、その歴史と現状についての理解を深め、クルドと日本との関係を考えるために開催された。

クルド人は、トルコ東部からシリア北部、イラク北部、イラン西部に至る広範な地域に住む民族で、人口は3000万人に上るが、中でもトルコには最も多い1500万を超えるクルド人が住んでいる。現代の世界で、国家を持たない最大の単一民族である。

いま問題となっているのは、トルコとイラクの国境を挟んで対峙するトルコ軍とクルド人テロ組織との間で高まっている緊張関係であるが、この問題の発端は、オスマン帝国が崩壊した第一次世界大戦後の1920年代初頭に遡る。

すなわち、オスマン帝国解体後の中東地域における国境画定にあたり、英仏によりいったん約束されたクルドの独立国家構想が、ムスタファ・ケマルによるトルコ共和国の樹立により破棄されて以来、トルコとクルドの確執は今日まで続いているのである。

今日その急先鋒がイラク北部のクルド自治区に本拠を置くクルド労働者党(PKK)であり、PKKはトルコ南東部の分離独立を求めてトルコへの越境テロを繰り返して来た。

特に今年3月以来、トルコ国内におけるPKKのテロ攻撃が激化するにつれて、トルコ国会は、ついに10月17日、トルコ軍のイラク・クルド地区への大規模な越境攻撃を承認するに至り、10万を超える兵力を国境地帯に結集させた。

上述のように、クルド人の居住地域はトルコとイラクにとどまらず、イラン、シリアなどにも広がっているため、それらの国々および周辺諸国さらにはその背後にある米国などとの利害関係が複雑に絡み合っている。

したがって、トルコ軍の大規模なイラク越境攻撃が行われれば、単にイラクの治安が悪化するだけでなく、中東全域の不安定化につながりかねず、ひいては日本を含む国際社会に甚大な影響を与える恐れがある。

この会議では、クルドに詳しいジャーナリストの勝又郁子氏と、当財団研究員でトルコ人のフセイン・オズカヤ氏をゲストに招いて、意見を聞いた。勝又氏は、取材のため何度もイラクのクルド人地区に足を運び、現場の状況を熟知している数少ない日本人の一人である。

また、中東問題に詳しい国際協力銀行の松本太氏には、より第三者的立場から議論に加わってもらった。そして、全体の取りまとめを当財団主任研究員佐々木良昭氏にお願いした。

<議論のポイント>

まず大きな議論の流れとして、登壇者からは次の各点が指摘された。勝又氏は「クルド人がなぜ民族闘争を行ってきたか」という背景を強調したのに対し、フセイン氏は「クルド問題というのは実はPKKの問題であり、テロ問題である」と主張した。

これに対し松本氏は、中東に住んでいると、さまざまな問題が存在するので、そもそも「クルド問題」は多くの問題の一つに過ぎない、より大きな歴史的、空間的視点からこの問題を捉えることの重要性を論じた。

他方、佐々木氏は、日本人が陥りがちな感情論からクルド問題(特に難民問題)を見るべきでなく、アメリカやイスラエルなどの国々が、クルド問題を政治的に利用してきた事実を知る必要があると同時に、クルド人にとって何が最善の状況かという観点から、この問題を見る必要があると語った。

<勝又氏の主張>

勝又氏によれば、ネーションステートとは、民族ではなく「国民」による国家であり、クルドを内包する国々の政財界で活躍するクルド人も多い。問題になるのは、国家の体制に異を唱える民族的アイデンティティである。

ベルサイユ体制から取り残されたクルドの民族闘争を振り返ると、1946年、ソ連の支援によりイラン北部にマハバード共和国というクルド人の独立国が宣言されたが、ソ連が手を引くと1年足らずで崩壊した。

その後冷戦期には、イラクのクルド勢力をイラン、イスラエル、アメリカが支援したり、イラン・イラク戦争などの地域情勢によって、民族の闘争が翻弄されてきた。

クルド民族の存在が認められていなかったトルコでは、1978年に結成されたPKKの民族解放闘争には一定の意味があった。しかしその後、トルコでもクルド人としての政治的・社会的・文化的活動の自由が認められるようになった。

こうして勝又氏は、クルド人の存在をトルコ社会に認めさせたという点でPKKはその役割を果たしたと評価する一方、今ではその存在意義を失っていると論ずる。しかし、彼らが社会復帰できる道も用意しなければ、PKK問題は簡単には解決しないと見る。

またイラクでは、サダム政権崩壊後に制定されたイラク新憲法により、クルディスタンは正式な「連邦地域」となり、今では経済復興の活況に沸く。この経済活動を支えているのは、トルコからの輸入品であり、トルコ人ビジネスマンである。

したがって、トルコ軍による越境攻撃によってイラク・クルディスタン地域が混乱することはトルコの利益にも反するが、トルコは、イラク・クルドの勢力伸張は望んではいない。この地域の情勢が、トルコのクルド人の間にも自治や独立の気運を高める波及効果を懸念しているからだ。

これは、同じく自国にクルド人を抱えるイランやシリアも同様である。イランとシリアは、米軍撤退後にクルディスタンに米軍基地ができることも警戒している。

他方、米国はイラク戦争において唯一成功したクルディスタンの安定を危機に晒したくない。そうかと言って、トルコとの関係を悪化させることはなおさら避けたい。

このように、勝又氏は、この地域では各国の利害関係が複雑に絡み合っており、問題の解決は容易でないという点を強調した。

<フセイン氏の主張>

フセイン氏は、トルコ南東部のクルド人居住地域で今年10月に行われた世論調査の結果を例に取りながら、トルコではいかにクルド人がトルコ人社会に同化しているかを論じた。

例えば、クルド人が多数を占めるこの地域に住む住民にとって、最大の関心事は失業問題であり、テロではない。またクルド人に対する差別はないと考えているし、イラクのクルディスタンが独立しても移住したいとは思わない。最も尊敬する政治家として、3分の2を超える住民がエルドアン首相と答えた。

フセイン氏によれば、現代のトルコ社会では、クルド人は財界の成功者は言うまでもなく、大臣でも首相でも大統領でさえなれるし、トルコ人とクルド人の結婚も日常茶飯事であることを指摘する。つまり、この二つの民族は社会的には何ら差別がないとのことだ。

<松本氏の主張>

松本氏は、現代の政治・外交・安全保障問題を考える時、歴史の大きな流れを理解することの重要性を強調した。クルドをめぐる現代の中東を理解するのに最も重要な鍵となるのは、第1次大戦後の1920年代、とりわけ、オスマン帝国がいかに解体され、新たな国民国家が生まれたか、その歴史である。

トルコとクルドの関係を見る上で最大の論点は、クルドの自治を認めるセーブル条約が拒否され、トルコ国家の復興を決定付けるローザンヌ条約が数年後に成立したという歴史である。ムスタファ・ケマルが新生トルコ国家を建設する上で、クルド部族との協力が極めて重要な役割を果たした事実も重要である。

この懇談会では、中東の不安定化要因として、クルド・ナショナリズムが問題とされているが、トルコとの関係では松本氏はイスラム主義の台頭に注目する。特に、ムスタファ・ケマル以来、トルコ・ナショナリズムを背景に発展してきたトルコ国家にあって、2002年以降、過去2回の総選挙ではイスラムを基礎とした公正発展党が、圧倒的多数で議会の第一党となった。

したがって、イスラムに基く公正発展党が、例えばケマリズムを体現する軍部との関係で、クルド問題に政治的にどのように対処するかという点が、最も注目に値すると松本氏は見る。

クルド情勢に関する最近の大きな変化は、イラク北部のクルディスタンが、イラク戦争後の連邦制の下で、一層強固な自治を獲得したという、クルドの政治的リアリズムの勝利という現実である。

ところが、北イラクにおける政治的リアリズムが、逆に周辺諸国、特にイランやシリアのクルド人に対して、独立への期待感を高めるという逆説的な効果を生んでいる。

松本氏は、PKKやPJAK(イランで活動するPKKの分派)が行っているようなマルクス主義に基く武装闘争路線が、もはや時代遅れであるものの、勝又氏と同様、このような闘争が簡単になくなるとは考えない。

しかし、この地域が不安定化することは、日本を含め、国際社会の利益にもならないことは明らかであり、地域の安定化のために政治的な働きかけをするとともに、キルクークの油田開発などの可能性も視野に、経済的な観点から情勢を見極めて行くことが重要ではないか、と松本氏は締めくくった。

<おわりに>

最後に佐々木氏は、トルコ人もクルド人も、ともに国際政治の犠牲者であるという点に言及した。PKKのテロの犠牲になっているのは、トルコ人だけでなく、多くのクルド人も含まれている事実を忘れてはならないということだ。

因みに、PKKはトルコ生まれのクルド人オジャランにより1978年に設立され、シリア、イラン、イラクなどから資金援助を受けていた。当初オジャラン党首はシリア北部のクルド人地域に本拠を置いていたが、1998年、トルコからの圧力を受けたシリア政府はオジャランを国外へ追放した。

また、アメリカは、イラン・イラク戦争ではイラン・イスラム革命を牽制するためサダム・フセインに肩入れしたが、湾岸戦争後からイラク戦争に至る時期においては、今度はそのサダム・フセインを倒すために、サダムによって弾圧されてきたクルド人の独立運動を支援した。

佐々木氏によれば、現在、北イラクのクルド人にとって正面の敵はトルコ人であるかもしれないが、キルクークの石油を巡って、人口の8割を占めるアラブ人と、2割に過ぎないクルド人が対決する時が来れば、クルド人にとって本当の味方はトルコ人ではないか。

少なくとも、アメリカは、クルドを必要としなくなれば容赦なく切り捨てる国だということを肝に銘じるべきだ。このような教訓に満ちた佐々木氏の警告で、会議の幕は閉じた。

(報告者: 片山正一)