タイプ
レポート
日付
2012/8/29

セッション1(10:00-12:00) 日本研究の回顧と展望

モデレータ:エズラ・ボーゲル ハーバード大学社会関係学科ヘンリー・フォードII名誉教授



エズラ・ボーゲル(ハーバード大学社会関係学科ヘンリー・フォードII名誉教授)



 学者といたしましては、自ら外交上の困難を克服することはできませんが、しかしこの過程におきましては、ある役割を果たすことができます。それは、お互いの国の理解を深めることです。本日は光栄なことに、東京財団の支援を頂いております。と同時に、その他の学者の参加も得ております。また中国社会科学院の支持、とくに日本研究所の支持を頂いております。また、その協力を頂いております。なので、本日のフォーラムがこのように盛大に開催することができております。

 先ほど、中国社会科学院の李さんがおっしゃられたように、このフォーラムの目的はお互いの理解を深めると同時に、共通利益を見いだすことであります。私は大変賛同しております。よってこれらの利益を推進していくことです。この過程におきまして、私なりに何か役割を果たせるかと期待しております。

 しかも、当時チャンスに恵まれました。日本の方は大変熱心でありました。それをきっかけに日本との関係は大変良好であります。一九七三年に初めて中国に来ました。そのとき私は3週間の滞在をしました。交換プロジェクトでありました。中国の主催者の皆さんと大変良好な関係を維持し、しかもハーバードであろうと、他の大学にいるときであろうと、日本、中国と非常に良好な関係を持っていました。このような良好な関係はきわめて重要であるとつくづく感じました。しかも本日私は、このシンポジウムで発言させて頂いていますけれども、大変ありがたく思っております。

 もちろんこのようなリレーションは、常に変わるものであります。30年間、お互いの見方が大きく変わっております。30年前のアメリカは日本に追い越されるのではないかと思っていました。日本からの競争脅威は非常に大きく見えていました。しかし、いま日本の脅威についてはまったく心配しないようになりました。むしろ日本の政権は、本当に自分で解決できるかどうかということを心配するようになりました。アメリカも同様であります。自国のリーダーたちは、自国の問題を解決できるかと。そして30年前の中国はきわめて貧しかったです。私共が力を尽くして中国の手伝いをし、中国は改革開放路線を実施し、今日の成功に結びつきした。

 しかし中国の大きな成功は、また他の国にとって脅威になっております。恐怖感を覚えております。30年前のアメリカは、日本を1つの経済モデルとして捉え、そして急速な経済成長を遂げ、しかも高度に集中する中央集権的な政治から民主的な政治に変わりました。そして中国は現在、日本を自分の経済面のお手本とみなしておりません。しかし他に日本から学ぶこともあるでしょう。

 たとえば社会秩序をどう維持すればいいのかを学ぶことができます。これまでの20年間、日本は急速な成長を遂げられなかったものの、社会秩序がみごとに保たれています。今回の震災を見ていてもわかります。いかなる窃盗、強盗行為は発生しておりません。そして東京の皆さんはエアコンをつけずに、夜は省エネのためにいろいろ我慢をしていますけれども、恨みなくそのような節電対策に協力しております。このような秩序の実現は非常にたいしたものだと思われます。

 中国にとって学ぶべきところだと思います。中国の成長はこれから毎年10%以上を維持することはないでしょう。スローダウンしますと、同じような問題に遭遇するかもしれません。日本が遭遇している問題です。なので、中国は現在このチャンスをつかみ、新しい変化をよく勉強しなければなりません。学者として、やはりこれらの変化に対する理解を皆さんに示して、社会の皆さんに納得してもらう。少なくとも正しい認識を持ってもらう。とくに責任を負うときにそれが求められます。


1. 李薇 中国社会科学院日本研究所所長



 ご来場の皆様、おはようございます。私は中国社会科学院日本研究所の所長を務めている李薇と申します。時間の関係もありまして、すでに時間がオーバーしておりますので、できるだけ短く話をさせて頂きたいと思います。

 まず、2011年は中国社会科学院日本研究所とアメリカ研究所成立30周年の節目であります。この2つの研究所は、それぞれ記念の式典を設けてきましたが、今日また黄平所長と共にこのようなフォーラムに参加できまして、大変うれしく存じております。この2つの研究所は、地域あるいは国の研究所といたしまして、1981年スタート以来、各自の分野におきましてスタート、発展、成長の段階を経てきました。日本研究所は同様なる経歴、同様なる職責を持っております。いまやポスト冷戦時代の終焉、多極化世界の到来、およびグローバリゼーションにおける東アジアの新構造の形成に直面いたしまして、両研究所は積極的な協力を進めております。このようなフォーラムを開催するにあたりましても、東京財団のみならず、アメリカ研究所およびその前所長であられる黄さんのご協力の賜物であります。黄平所長には会議の最後に総括の言葉を頂きますが、私からは中国における日本研究の状況について紹介したいと思います。

 時間の関係で、歴史は簡単に振り返りまして、主に中国における日本研究の今後の展望、つまり注目すべき問題点について紹介したいと思います。中国における日本の研究は、改革開放の進展に伴いまして発展してきたものです。3つの段階を経てきました。まずは80年代のスタートの段階、90年代の発展の段階、さらには21世紀に入ってからの成長の段階という3つの段階と言えるでしょう。

 最近、学会の総括および日本研究界の状況の調査も行いましたので、その結果については追って発表いたします。皆様に紹介いたします、特にここ10数年にわれわれが注目している課題、つまり本日議論するメインテーマでありますが、外交・安全保障の分野のものです。外交・安全保障分野におきましては、特に以下の4つの課題に焦点を当てております。

 まず外交分野におきましては、日本の外交戦略の問題であります。中国の学者は常にこのような話題を議論しております。日本は戦略を持っているのか。日本の外交には明確な戦略を立てているのか。いまは基本的にこのような認識を持っております。少なくとも日本の外交には、明確な戦略的目標が立てられているということです。冷戦が終焉してから、日本の外交はゆるやか、かつ難しい再選択の過程を経てきました。

 しかしいまだに政治大国を求める大きな目標はあきらめていません。日本はさまざまな手法を通じ、国際政治における影響を向上させ、大国化の進展を加速しようとしているわけです。これはまさに日本外交の戦略目標ではないかと思いますが、違うと思われているならば、後ほど議論をさせて頂きたいと思います。

 また日本の安保体制にも注目をしております。特に97年の日米防衛協力指針ができて以来、そのスピードも加速されております。日米防衛の範囲は1997年の指針の中では、周辺という言葉が使われております。しかしいまやアジア太平洋、さらに世界的な範囲まで拡大しております。日本は庇護的な保護を受ける立場から、いまや積極的にアジア太平洋地域の安全チームに参加しようとしております。2009年以来、このような変化がますます著しくなっております。

 しかし中国の学者としましては、日米同盟は地域安全を主導してはならず、さらには他国の地位も干渉してはならないという認識を持っております。また一部の学者は以下のような認識も示しております。日本の外交は、一貫してアメリカに追随すると同時に、アジア諸国と外交を展開するという矛盾を抱えております。

 このような矛盾の中身を見ますと、東アジア地域の進展は、アメリカに牽制されております。なので、対中国の関係に対しても日本はいつもアメリカよりテンポが遅れております。いまのような日米同盟の枠組の中のアメリカ、日本は、政治的目標と同盟外交の間には深刻な矛盾も存在しております。

 正常なる国家になるためには、軍事的な独立を実現するのは大前提であります。しかしこれはアメリカにとっては受け入れられないものでもありますし、もちろん周辺国家にも認められません。なぜならば、日本はいまだに周辺国家と真なる歴史的な和解は実現しておりません。なので、日本の日米同盟における役割の拡大と、日本の政治大国に向けてのアプローチは中国の学者にとって高度に注目する課題であります。

 また外交の中では、日中関係にもとくに注目しております。これについては後ほど説明いたします。また防衛関係にも注目しております。これについても省かせて頂きます。本日ご報告するもう一つの課題ですが、日本に関する研究の展望です。つまりこれからどういったような課題について研究すべきなのか。日本研究所成立30周年のとき、中国社会科学院の院長、陳奎元様からこのような言葉を頂いております。

 「歴史を振り返りますと、日中両国が敵であるか、友達であるか、事実は明らかであります。未来を展望しますと、世界各国の福と災いは互いに関係し合います」という言葉であります。日中関係は長期にわたって、中華民族の生存に関わる課題でありました。近代史上、貧弱な中国はどのようにして日本に立ち向かい、そして日本とその他西洋諸国との関係を処理するかということは、中国の人たちにとってなかなか決断できない問題でした。

 しかし昨今の中国は、110年前の中国とはまったく違うものであります。しかしいかに日中関係を見るか、そしてどのようにして日米中の関係に対処するか。これはやはり中国にとっては重要課題の一つでありまして、変わっておりません。日本研究においても、このような問題を見なければなりません。まずは、中国と日本は共通する戦略的利益を持っているのか、そして根本的な利益の対立が存在しているかどうか。もしもその分析の結果、根本的な対立が存在していなければ、どのような理性的関係を保っていけばいいのでしょうか。日本は中国の平和的台頭の過程において、どのような役割を果たしているのか。そして中国は日本にどのような役割を果たしてほしいのか。そして日本の中国に対する懸念を払拭し、日本に中国の台頭を受け入れてもらう。そのためには何をすればいいのか。これは中国における日本研究のコアな課題ではないかと思います。

 日中関係を処理するにあたって、以下の3つの課題に注目しなければなりません。まず日米中の三角関係に善処すること。2009年以来、東アジア地域の安全情勢が調整期に入り、2010年その加速の態勢を示しております。アメリカのスーパー軍事力は地域安全の権力構造において、以前としてそのステータスは著しいものでありますが、しかし域内の一連の政策および構造的なファクターが働いているため、東アジア地域の安全情勢は大きな戦略的転換期を迎えております。

 米中両国の大国の関係の変化は、地域安全情勢変化の主な理由ではないかと思います。日米同盟関係の存在があるゆえに、アメリカの安全政策と対日政策は直接もしくは間接的に、日中関係に影響しております。これは日中安全関係が悪化する根本的な原因ではなくても、マイナスな要因ではないかと思います。やはり日中関係は、イコール、中国と日米同盟の関係ではなく、また米中関係ももちろん中国と日米同盟関係ではないわけです。ですので、もしも日本が対中関係を日米同盟関係の枠組の中に置いておけば、日中間における戦略的互恵関係はなかなか形成できないのではないかと思います。

 そして2番目ですが、釣魚島問題に善処することです。日中の間では釣魚島を巡りまして紛争が存在していることは否めない事実であります。そのため1972年、両国の首脳がこの島を巡りまして、紛争を棚上げし、共同開発という暗黙の了解を達成したわけです。しかしいまの日本政府の釣魚島問題を巡る態度は、すでに1972年に達成された原則に背き、強硬な立場を示しております。深刻に中国関係の大局を混乱させております。ハプニングが発生すれば、安全面のクライシスまで発生するわけです。釣魚島を巡りまして、紛争も認めず、紛争を棚上げしないことは協力という道筋を切断してしまうのではないでしょうか。

 3つ目ですが、日中関係をより良く導いていくことです。日中の戦略的互恵関係を発展させ、日中両国の共通利益を見いだすことは、相互信頼関係がその大前提であります。8月の世論調査を見ますと、両国民の国民感情が下落傾向にあります。その相互信頼を構築する基盤は、歴史的な和解を達成し、領土の紛争を棚上げすることであります。

 アメリカの学者に聞かれておりますが、歴史上日本だけが中国を侵略し、略奪したわけではないですけれども、どうして日中間には和解が達成できないのでしょうか。しかし中国の学者の解答というのは、歴史的な和解は簡単な事実の陳述ではなく、やはり基本的な認識の原則を堅持し、つまり正義であるか、非正義であるか、侵略であるか、侵略でないのか、その事実という原則を認めなければなりません。

 なので、日中関係が安定して、発展させるために、両国の指導者のリーダーシップは欠かせないものであります。長年の経験を見ますと、日中両国の指導者が歴史問題、釣魚島問題、台湾問題につきまして、慎重な態度をとれば、両国関係に影を落とす大きな事件が発生しない、回避できるわけです。

 最後になりますが、世界大変化、東アジア新構造の新たな時代に向かいまして、日米中3カ国は、それぞれの国の位置付けを新たに見直し、客観的に自ら、および相手国の立場を判断してはじめて相互理解が達成できるわけです。中国はいまや工業化段階に入っており、日本はすでにポスト工業化の段階に入っております。なので、中国の経済、軍事のスピーディーな成長は、日本のすでに達成した高度な成長とはそのレベルがだいぶ格差が存在しております。

 中国はいますでに日本と似たような構造的な問題に直面しております。日本は工業化が完成してから初めてこのような問題が出てきたわけです。中国のいまの経済成長の方式を見ますと、持続可能なものではありません。日本にはすでに消耗量の少ない、環境にやさしい持続可能な成長方式が達成されております。中国と日本はまだ大きな開きが存在しております。中国、アメリカの覇権、地位に挑戦せず、また戦争を起こす可能性もまったくありません。しかし世界に向けて自らの平和的な台頭を示さなければなりません。
 日本はいまやすでにポスト工業化の段階に入っていますが、しかし、その後変革は見せておりません。その方向とアプローチが明確になっていないので、中国に対する客観的な判断もできていないわけです。しかし、日本の経験は、今後ともアジアの他の国の参考になるのは事実であります。

 以上です。ご静聴、どうもありがとうございました。


2. パトリシア・スタインホフ ハワイ大学社会学部教授



 ありがとうございます。尊敬するご来場の皆様、本日、皆様にアメリカにおける日本研究について紹介したいと思います。

 確かに現在の三カ国関係を見ていますと、緊張関係にございます。先ほどボーゲルさんが話をしましたけれども、日本の研究はアメリカで行われ、そして私は日本国際交流基金にお仕事を頂いて、研究もしております。この国際交流基金が実施する国際プロジェクトであります、異なる国における日本研究、とりわけ日本の研究はアメリカにおいてどういう状況にあるのかという調査をしました。こういう結果を得ることができました。比較しました95年、そして2005年にこのような研究を行い、そして今年から再度研究をしているわけであります。

 直近のこのレポートの結果をまだ報告することができません。なぜかと言いますと、まだ情報収集段階にあるからです。しかし2005年に集めたデータを皆さんに紹介し、それまでのものと比較して、どういう特色があるかを紹介したいと思います。

 2005年から今日まで2つのレベルにおいて変化がみられます。まず1番目は社会とグローバルの変化。非常に大きな変化があり、それは日本研究にも影響を与えております。そして3カ国の関係にも影響を与えております。そして新しい資源、技術などの発達により、日本研究のやり方が影響されております。とりわけテクニックの進展により、もう学者はダイレクトに資料を入手し、人員のネットワークを構築することができております。そして日本研究の内部構造も変わっております。これまでの20年間、30年間にわたりまして、日本語のできる方はアメリカにおいて大幅に増えました。学者だけではありません。普通の大学生でも日本語を学び始めていました。日本語はマイナーの存在ではありません。むしろ現在、多くの人に習得されています。そして学術構造も変わっております。

 具体的なデータをいくつか示したいと思います。どのような変化があったんでしょうか。スライドをご覧ください。数字だけを見ますと、日本学研究の専門家は1995年にピークを迎え、2005年には若干その数が下がっております。そして博士、マスターの学生もそうであります。

 しかしもう少しつぶさに見てみますと、1995年は1つの分岐点でありました。学術研究は1980年代からずっと増え続けていました。すなわちこのようなトレンドが見て取れます。2005年にはその値は、方向性としては一意性を見せていますけれども、絶対の数字が若干変わっているだけであります。なぜかと言いますと、それは学術の構造に変化が生じているからであります。

 日本研究は主として、戦後始まったものであります。まず最初はlanguage、言葉の習得。学生は日本語を勉強して、その後に学術の視点から日本を研究していました。主として大学院生であります。大学院生を中心に日本の研究を進めていました。そして時代の変化と共に、その研究のモデルも変わっております。

 多くの地域においては、90年代になりますと言葉を学ぶ人は大きく変わりました。すなわち戦後、大きな変化が生じまして、そういう枠組ないし構造も変わるはずだと認識されていました。なので、その研究のステータスが若干低下しました。日本の経済力に変化が生じたために、新しい枠組が形成されました。すなわちアメリカとの経済競争、ニューエコノミーコンピテーションというんですが、その際にアメリカとしては、新しい視点から日本を見ていく必要がある。日本の経済の競争力を再認識する必要があると。たとえばハワイという辺鄙なところでも、具体的に日本の変化を知ろうと思えば、可能性がありました。

 こういう枠組があった以上、専門家たちが急速に自分の研究分野を変えていく必要があり、そして急速に日本のさまざまな変化を知らなければなりません。日本の言葉のみならず、日本と経済協力を展開していくためにどういうツールが必要になるのか。専門的な知識が求められました。この問題に対応するために、新しいプログラムを立ち上げて、たとえばエコノミスト、弁護士、メディア関係者の育成にとり組みました。とりわけ、経済競争という局面のもとで、80年代、90年代の早い段階にこのような研究が行われました。

 そして第3の段階もあります。第3の波。経済競争の影響があって、一時は若干弱体化していました。たとえば文化に関する研究。これは言葉の研究とは違います。使っているツールとか、テクニックは、言葉の面では似ていますけれども、しかし文化の研究をするときに、異文化の融合、異文化の相違などを明らかにしなければなりませんので、たとえばどういう人たちはマイナーなのか、どういう人々から社会が構成されているのか。こういう人の存在は社会のその他の方面にどういう影響を与えているのか。とくに人口の分布。

 たとえば言葉だけですと、文化の高度なものにしかフォーカスしておりません。しかし文化の研究になりますと、一般大衆はどういう行動をとっているのか。そしてどういう本を読んでいるかが対象になります。しかし文化に関する研究は、いずれにしても、経済競争の影響を受けています。

 すなわち、これまでの研究モデルの長所を残しつつ、新しいやり方が導入されました。たとえば90年代の半ば頃に、日本研究がピークを迎えて、その後にピークアウトしたと、先ほど申しあげましたが、戦後、日本とアメリカの間に多くの研究が行われ、そして90年代の半ばになると、先輩たちが徐々にこの舞台から去っていきました。新しい勢力の台頭が見られます。世代交代が起こったわけであります。そして一部の学者は、その後に日本研究から離れて、他の研究ないし他の仕事に携わるようになりました。もちろん現在でもそういう人たちと連絡がとれます。

 もう一つ、こういう研究は日本の専門家ではない関係者の注目を集めています。たとえば93年、94年になりますと、日本と関係を持っている人は誰ですかと聞きましたら、みんな手を挙げるんですよ。しかし日本のバブルが弾け出して、多くの日本研究者は中国なり、中東の研究に携わるようになりました。日本研究から消えていったと。そうしますと、プロジェクトがあったにしても、なかなかリーダーとなる人たちが消えていきますので、そううまくいかない。そして強力なスポンサーシップないし学術リーダーのいないプロジェクトがどんどん消えていくわけであります。

 この新しい研究が、その後に学生の興味を集めることができて、数千に上るアメリカの学生たちが日本に渡りまして、語学の教師をしながら、研究を進めていたわけであります。とりわけ日本語をある程度しゃべれて、しかも日本に対して一定の知識を有する人は、95年~97年の間に日本に渡って、英語の教師をしながら、自分なりに研究をしていました。たとえば博士もたくさん入っていますけれども、実はこの人たちの素質は、いままでの研究者よりも実力があります。

 先ほど、3つの日本研究の波ないし枠組について紹介をしました。日本の研究は、現在は新たな時期を迎えようとしています。実は研究の規模は、80年代よりも多く、そして90年代のピーク時にはまだ追いつかないものの、非常に日本研究が盛んになっております。たとえば42の研究プロジェクトがありまして、研究者の数はそれぞれのプロジェクトで12名を超えております。そして5300のコースがあります。それはただ単に専門家レベルの話ではありません。その他の学生も、日本関係の勉強をしております。なので、アメリカの大学にとって、日本の研究は欠けてはならない存在になっています。アメリカの一般国民も、日本の研究に興味を持つようになりました。

 いままではこういう局面が表れてくるのは、なかなか想像もつきませんでした。しかしすでに30以上の日本研究の専門の図書館があります。より多くの日本研究に関する出版物が世に現れています。このような趨勢はアメリカだけではなく、世の中の他の国を見ていても、こういう現象があります。

 2つぐらいのモデルがあります。1つはヨーロッパの日本研究のモデルであります。各研究機関は、それぞれ自分の日本専門家を育てる。しかも学際的なやり方でやっています。アメリカの日本研究ですと、学術のセンターがあります。そのセンターを中心に、みんなが協力してやっていると。各カリキュラムの研究者は、日本に対する理解を深めるための貢献をしています。

 日本とアメリカの歴史を振り返ってみますと、両国の間にさまざまな出来事がありました。しかしこの相互交流関係は、現在深まっております。80年代より日本研究はすでに国際化していると、私は見ています。世界各国は日本に非常に興味を持っています。なぜ成功したのか。そして90年代になりますと、日本の社会問題に興味を持つようになりました。その際、日本はどのように自国の社会問題に対処したかを学び、自分の問題解決の一助になりたいという気持ちがありました。

 現在の日本研究は、世の中の若者の関心を集めています。この若者たちの関心事は、先輩の人たちと若干違います。現在の日本は、たとえばアジアにおける日本の台頭ということをテーマにしています。いままでの日本ですと、欧米の国々に並べられていました。すなわち民主的な先進国であると。しかし現在、日本を見ていると、アジアにある日本という捉え方になっています。たとえば、アメリカの日本研究は独自の特徴を形成しております。世の中の多くの国はアメリカの日本研究のモデルを真似しようとしているところもたくさんあります。現在、われわれがアメリカの国民向けに日本のことについて紹介し、アメリカは恐らく日本研究の面においてはもっとも最先端を走っている。しかし、アメリカの日本研究は、日本の日本研究ほど進んではいないと思います。しかし諸外国の中においてアメリカの日本研究は最先端を走っていると言えましょう。

 そしてアメリカの多くの日本関係の図書館を見てみますと、日本からの派遣者がたくさんいます。これらの方々は立派な仕事をしてくれております。彼らの目標は、日本の学術資源をアメリカの学者に届けること。仮にこれらのアメリカの研究者のいる学術機関に膨大な日本研究の施設がなかったにしても、日本から派遣されたこれらの使者は資源のドアを開いてくれて、アメリカの学者、世の中のその他の国の学者が日本の資料を入手しやすくなるようにしております。これは確かにITの進歩によるところが大きいですし、日本の国内の学術機関の協力にも感謝しなければなりません。

 もう1つ、アメリカの日本研究を見ていると、アメリカ人の他に、他の国の研究者もいます。27の国からの専門家が、アメリカで日本研究を行っています。ですので、アメリカの日本研究はローカリゼーションが進んでいるのみならず、グローバル性を持っております。そしてアメリカにたくさんの海外留学生がまして、そういう人たちはアメリカで日本について学び、その習得した知識を自国に持ち帰っています。世界会議で100以上の日本研究のプロジェクトがありますが、しかしその中で博士レベルのものは25しかありません。しかもほとんどがアメリカにあります。総じて言えば、いままでのやり方は、言葉を学び、歴史を学ぶというやり方でありました。

 いまの若者は、日本について勉強すると同時に、東アジアについても研究する。博士コースになりますと、アメリカは欧州と違って、通常学際的な研究ではありません。具体的な専門があって、その中に独自の学術面の標準があり、しかも日本を中心とした学術標準が確立されています。

 では、学術研究をするときにはどうしても学際的な視点が必要であることは否めませんが、やはりその専門の学術基準、学習標準を標準にしなければなりません。これがアメリカの日本研究の現状であります。ときにはプロジェクトには、急速に進んでいますけれども、その育てられた博士のレベルはそう高くないこともあります。なので、博士を励まして、より広い視野を持つようにというふうにrecommendしています。博士論文のテーマは、もちろん自分で選びますが、しかし指導教官からアドバイスがありまして、なるべく自分の専門ともっとも関係の深いテーマを選びなさいと。他の専門ではなくて、この専門がもっとも注目しているテーマにフォーカスしなさいというふうにアドバイスをしています。それにより、博士レベルの論文が自分の専門に立脚した視点を持つように奨励しております。

 では、修士コースの話になります。一部の日本研究プロジェクトには、マスター、博士両方を育てています。たとえば学生によっては日本語も学び、中国語も学びまして、両国の知識について相当造詣が深い人がいます。しかしこのような両方の知識を持っている人は本当に少ないです。ほんのわずかしかいません。私のいるところですと、日本と中国の研究、両方やっています。多くの日本研究者は、もともと日本研究に携わっていたものの、現在、学術界から離れて他の仕事に携わっております。

 1995年の調査でわかりますように、当時の日本研究者の比率はそう高くはありませんでした。しかし2005年の研究プロジェクトで見られますように、一部の人がすでにリタイアをしました。そして18%の人が日本研究センターで日本の研究に携わっていますけれども、われわれの専任の教員ではありません。こういう人たちは往々にして、日本と中国、両方をやっています。これらの専門家は、大きな貢献をしております。

 では、専門の分布を見ていきましょう。人文、歴史、語学、文学が多く、そして残りの25%は中国の研究もやっているというのが現状であります。そして4%のプロフェッショナルな訓練プロジェクトがありまして、それも日本研究に関係があります。なので、ここからでも人文、社会科学の研究が日本研究の主な部分を成していることがわかります。

 それでは、こういう研究者のオリジナリティを伴う研究はどれぐらいありますでしょうか。こういう人たちは、だいたい研究をしながら教育活動にも携わっています。たとえば日本知識の普及といった、もっとも基礎的なレベルから最高級の研究までやっています。たくさんの取り組みをしてくれました。そして一部の人が研究分野からその後離れて、産業界に入っています。そういう人たちの動向も見ていく必要があります。

 今後、日本研究の方向性はどうなるのでしょうか。われわれが本当により多くの研究者を産業界ないしその他の分野に送り出す必要があるのでしょうか。そして日本研究をするために日本語をまず習得してからでないとできないでしょうか。すなわち日本語をペラペラにして初めて日本の研究ができるんでしょうか。これについてよく突っ込んだディスカッションが必要でありましょう。

 日本のアメリカ研究を見ていますと、中国の日本研究とはまったく違います。取り巻く環境も違います。先ほどの話を聞いていてもわかります。アメリカの軍部、政府は、自分のところの職員を日本研究センター等に派遣して、日本語の習得、そして日本の研究をしてもらいます。われわれのところにもそういう人たちが来ています。

 しかしアメリカ政府にも、専門の日本研究センターがあります。総じて言えば、アメリカの学術研究機関は独立していまして、政府の関与を受けません。政府が関与してはならないのです。これらの学術機関は独立性を非常に重んじていまして、専門を設定するときに非常に慎重に考慮します。そして外部の資金の獲得ももちろん行います。そして政府の予算も一部入りまして、日本研究を奨励しております。さらには、さまざまなファンデーションも、日本研究センターの日本研究を奨励しております。そして80年代、90年代の際には、多くの日本のファンデーションがお金を拠出して、アメリカの大学などに基金を創設して、日本も研究を支援していました。

 なので、アメリカの日本研究は、海外の資金も活用していると。しかしこれらの研究は、いずれも独立していまして、スポンサーだからといって、その研究にあれこれ言う立場にはありません。外部資金はときには、たとえばあれこれ注文することがあります。こういう研究をしてくださいと。そうしますと、他の研究者はそういう注文ないし研究テーマに関して、懐疑的な目で見ます。なぜスポンサーの支持に従わなければならないかと。

 なので、アメリカでは、研究をするときに、あくまで研究者が独自に判断して、テーマを選定しなければならないのがルールであります。もちろんその際に、自分のいる専門のニーズを考えなければなりません。外部の関与、政府、ないしスポンサーの関与を受けることはありません。そのテーマを選定するときに、ただ単に、自分のいる専門分野にとって本当に役に立つかどうかだけを考慮要素にします。

 研究が終わりましたら、その出版の問題があります。そうしますと、研究を行う際にも、その成果の出版問題を当初から綱領に入れなければなりません。しかしやはりあくまで自分の専門から考えて、研究を行う必要があるかどうかを判断します。そして一部の学術刊行物もあります。こういう研究成果であれば、リージョナルな研究、刊行物で発表するということも多くあります。

 研究を行う際に、たとえばCGP、グローバルパートナーシップセンター(Center for Global Partnership)でありますが、日本研究を行う際に、比較研究をしています。そして研究者がこの比較の視点に立って、研究を進めてほしいというふうにアドバイスします。しかしこのような研究であっても、研究者がテーマの選定、研究の実施の面においては、やはり相当強い独立性を持っています。ここからアメリカの日本研究のやり方、雰囲気、環境は、中国の日本研究と大きく異なることがわかるかと思います。日本の日本研究は多様性に富み、そしてさまざまなテーマがあり、そして研究による成果も多様なものであり、さまざまなところに影響を及ぼしております。

 このようなオープンな研究の進め方は、予想外のメリットをもたらすことがあります。たとえば、日本は今年三重苦にさらされました。数年前、アメリカのある人が本を書きまして、日本の原発に関する研究の本であります。そして当時、研究テーマを立ち上げたときに、マージナルなものでありまして、あまり注目されませんでした。しかし今年原発事故が発生して、こういう研究の重要性が認識されるようになりました。このようにテーマの選定などは、うまく行われていれば、そのうちいずれ役に立つと。すなわち、当初は非常にマイナーな研究であったとしても、いずれ効果を表すことがあるということであります。
 ありがとうございました。


■コメント


1. 蒋立峰 中国社会科学院日本研究所前所長



 先ほど李所長様、またパトリシア先生のそれぞれのご発表を聞かせて頂きました。非常にすばらしい内容でした。とくに中国、アメリカの対日本研究についていろいろな知識が得られました。パトリシア先生がおっしゃっているように、世界的に見ても、アメリカの日本研究は非常に進んでいます。

 一方、中国の日本研究も非常に実用性の高い研究がおこなわれていると思います。中国の日本研究は、いままで30数年間の歴史を見ますと、ホットイシューが時代と共にかなり変わって来ています。最初が日本の経済に対する研究。これが中国の最初の対外開放の初期段階でしたので、やはり日本の経済を非常に熱心に研究しました。その後、日本の文化のほうに移りまして、さらに政治に対する研究に変わって来たわけです。1990年代以降は、とくに日本の外交、国家戦略、日米同盟などについても一応ホットイシューとして、いままで研究が続いてきたわけです。

 このような研究内容の変化は、やはり中国の社会発展の段階および東アジア地域における情勢の変化にともなって、そのパラダイムが変わって来たわけです。中国の研究チームも、実はアメリカとちょうど反対でありまして、日本の国際交流基金のサポートの下で、中華日本学会が2回にわたり、アンケート調査を行いました。1回目が10数年前ですが、そのときは、研究者は1600名で、研究機関が100ぐらいありました。昨年、もう1回アンケート調査を行った結果、研究者が1000名、研究機関も、相変わらず100ぐらいでありました。研究者がかなり減ってきたわけですが。ただしその統計にはいろいろ漏れもあると思いますが、それにしても1200~1300名ぐらいだと思います。

 中国における日本研究は、日本語教育者は統計対象外であります。われわれが統計したのは、日本語の先生にしても、やはり日本研究を同時にやっているということをわれわれの研究の調査対象にしたわけです。したがって研究者の定義に関しては、かなり狭いものです。

 なぜ研究者が減ってきているかということですが、それはやはり日本が1980年代半ばあたりから発展方向性を失ったということに関係あるのではないかと思います。いま世界的に見ても、日本のステータスが弱くなってきていますし、経済も低迷が続いているわけです。したがってこういうことにも非常に絡んでいるのではないかと思います。日本は一日も早くこの低迷から脱出し、再度成長に乗れば、中国の日本研究も再度力を強化されてくると思います。

 2点目ですが、さっきもおっしゃったように、中国の日本研究は非常に実用的なものであると同時に、実は非常にオープンでもあります。自分が中国国内の研究だといっても、やはり海外の情報、あるいは海外の学者と一緒にコラボレーションを行っているわけです。たとえばわれわれがたびたび日中間の研究者が共同で研究するようなことも行っています。2003年、2004年に、3カ国の学者が新世紀、文明をテーマとする国際学術シンポジウムを行いました。そこで21世紀における日米中の3カ国の問題、課題について研究し、いかに新しい文明をつくり出せるかということに関して議論を行いました。

 その研究会の成果として、敦煌声明文を発表しました。そこで調和というような問題を取り上げたわけです。このような活動がその後も続いております。ただし、非常に残念ながら、日米中の3カ国の共同研究はまだまだ数が少ないものです。さらにわれわれ、社会科学院の日本研究所、あるいは上海の研究所などが、定期的に日本の岡崎研究所などとの間でもセミナー、シンポジウムを開催しています。こういうシンポジウム、セミナーの開催を通じてお互いの研究が非常に促進されているわけです。

 もう1例ですが、2002年から日米中3カ国の学者が自発的に近代歴史教科書の編集に関する専門の機関を立ち上げました。2006年に3カ国共同研究の結果としての教科書を正式に発行しました。東アジアにおける近代史というような教科書です。その後、日中の学者が、政府の支援のもとで、2006年から去年まで、日中の共同研究、歴史研究も行いました。その研究の成果もそろそろ正式に発表されます。

 このような活動を通じて、日中の現実的な問題、あるいは日本の戦略の発展などについては、実は非常にプラスの貢献をしています。したがって、日中共同というような特徴を、ぜひ今後とも生かしていきたいし、また研究のパラダイムをより広げていきたいと思います。本日のように、日米中3カ国の学者、あるいは東アジア地域の学者なども加えて、日本問題、あるいは北東アジアの問題、東アジアの問題について、ぜひ今後も連携していきたいというふうに思います。これが中国における日本研究の方向でもありますし、ぜひその横の連携なども強化していく所存です。

 先ほど、李所長からお話があったように、国家戦略、またその援助に関する研究もこれから行っていくとおっしゃっていました。ただし、そのあたりの研究成果はそんなに多く上げられていません。なぜかと言うと、やはり日本の国家戦略というのは、中国と違いまして、中国の場合、たとえば今後10年、20年、50年の目標を非常に明確にしていますが、一方日本では、当時中曽根元首相が政治大国、小沢一郎が正常な国家だというようなことが少し漏れたことがありましたけど、ただし、日本の国としての戦略はいったいどういうものなのかというのは、実は日本人でも必ずしもそんな明確ではないと思います。

 したがって今後も、このあたりの日本の国家戦略に対する研究も、われわれとしても強化していきたいですが、鳩山元首相が「東アジア共同体」というような戦略を打ち出しているわけですが、ただ、菅首相になると、これがまたさらに見捨てられたわけです。東アジア共同体は、確かに難題はたくさんあるわけですが、今後、中国、日本、韓国、あるいはアメリカの学者も、ぜひ一緒に努力して、まず東アジア共同体の研究の組織を立ち上げて、恐らくこれが今後の東アジア共同体のメカニズムに対しては非常に寄与するのではないかと思います。
 以上です。


2. ケイ・シミズ コロンビア大学政治学部、ウェザーヘッド東アジア研究所助教授



 コロンビア大学のシミズと申します。このような場でコメントをすることを大変光栄に存じております。まず私は若手でありまして、また学者でもありますので、違うスコープからコメントをするかもしれません。そしてコロンビア大学における東アジアの研究は、アメリカでもっとも多いのではないかと思います。日本に関しても、中国に関しても、多くの角度から研究を行っておりますので、コメントをしたいと思います。3点、申し上げたいと思います。国際関係についてのコメントです。

 もちろん、最初、蒋先生からもお言葉を頂いたように、同じような会議、研究は、日米中のみならず、あるいは日中の間でも行っております。コロンビア大学も、この分野においてはさまざまな努力をし、このようなフォーラム、シンポジウムを開催しております。学生とか、民間人にも参加をして頂いております。例を挙げますと、春頃にこのようなシンポジウムを行いました。ニューヨークにある日本領事館、あるいは日本の研究組織の方々に来て頂きました。日米中の関係に関する会議です。

 しかしこのような会議はしばしば、やはり経済貿易に注目をしております。安全保障にはあまり焦点を当てておりません。とくにこの3カ国関係については、あまり注目してきませんでした。最初の李先生からもその観点を頂きましたが、その理由と言いますと、アメリカから申し上げますと、日本との安全関係は、かつては軍事基地の移転、普天間基地の移転などの問題も関わっておりますけれども、しかし経済貿易になりますと、やはり何人かの学生とか、博士からも、このような研究をしたいというような発言がありました。一般的にこのような会議は、やはり地域の経済利益で、安全利益にはあまり注目していませんでした。これは間違いではないかと思います。本日の報告をうかがいますと、やはり安全分野におきましても、同じように、やはり研究を展開していかなければならないと思います。日本の国内政治については、アメリカでも研究を行っております。

 民主党の政権が誕生してから、いま3つ目の内閣が発足しております。先ほどの方もおっしゃられたように、日本の国内政治の中でも安定性をぜひ見せて頂きたいと思います。日本の民主党ですね。国内にしても、国際にしても、やはりさらに安定性を保って頂きたいと思います。とくにこのような変化は、すでに10年間ぐらいありますけれども、いろいろなチャンスをもたらしてくれました。学者に政府および政治の多極化の時代にどのような影響をもたらしているのかという研究テーマを与えてくださいました。さらには、実はこれは近代工業化というテーマも与えてくださいました。日本のみならず、中国、欧米諸国もこの中に入っております。たとえば社会福祉というような研究テーマもあれば、もちろん日本もこのような問題に直面しております。さらに深刻なこのような社会福祉の問題に直面しております。

 そうすると、このような課題、問題ですね。アメリカではあまり注目されておりませんが、日本もアメリカの学者にこのようなケーススタディ、研究テーマを与えているわけです。そうすると、日本には良いケーススタディの国となってもらったわけです。私に言わせれば、地域的な背景から見ますと、日本は基本的に長い間一党体制でありました。突然このルールが変わりまして、政権の交代が実現したわけです。このような異常な事態は、学者には社会状況を勉強するチャンスも与えてくださったわけです。

 簡単に申し上げますと、最後になりますが、最後の課題、われわれに一番近い課題でもあると思います。つまり、研究の分野、研究のチーム、あるいは研究の手法が適格であるかどうか、あるいはその結果は有効に生かされているかどうかにもかかわらず、日本はやはりわれわれに良い研究テーマを与えてくださいました。つまり政治的な研究テーマを与えてくださいました。

 ご存じのように、3月11日から日本は大きな変化が生じたわけです。誰でもこのような変化は望みませんが、しかし3月11日から日本の政治にも、社会にも大きな変化を見せているわけです。そうすると、学者には日本国内のみならず、東アジア、さらには日本のこういった自然災害が中央政府、さらには自治体にどのような影響を及ぼしているかについても、一つの研究テーマを与えてくださったわけです。または環境か、グリーンエネルギーの創造およびその他の課題。これはわれわれにとって共通課題です。私は日本人であると同時にアメリカの学者でもあります。また中国の研究もやっております。やはり資源を適格に配分してもらいたいわけです。そして日米中3カ国の間では、もっと長い目で研究を見てもらいたいと思います。
 以上です。ありがとうございました。


3. 川島真 東京大学大学院総合文化研究科准教授



 今日のお二人の話、大変感銘を受けました。後でコメントする五百旗頭さんが、日本の日本研究者としてコメントするのだと思いますので、私は日本の中国研究、皆さんと同じように、外国研究をやっている者としてコメントをしたいというふうに思います。

 まず、先ほど李先生のお話、あるいは蒋立峰氏のコメントにもございましたが、中国の日本研究は、大変現実性に富む、あるいは現実性がもっとも強い研究であるということをおっしゃられました。これはわれわれにとって大変うらやましいことでございまして、日本の中国研究は、ある意味で、実は現実性にかなり弱くて、非常に歴史研究でありますとか、古典研究は大変強いのでありますけれども、いまの中国をどう捉えるかということを本当にやっている学者はどれだけいるのかということがありまして、うらやましいことでございましたし、また、スタインホフ先生のほうから、やはりディシプリン・トレーニングの重要性ですね。語学から入っていっても、博士課程でディシプリン・トレーニングをしっかりやるということですね。これもとても日本にとって、やや曖昧なところがありまして、大変うらやましいというふうに思っているところでございます。

 ただ、人数の話は、われわれも耳が痛いところでありまして、日本では中国語の学習者、だいぶ増加してきましたが、頭打ちの状態にありますけれども、中国研究を志そうとする日本人の大学院生等は激減をしている最中だというふうに認識をしています。東京大学でも、学部生で中国に関連づけて卒業論文を書こうという人は非常に少なくなってしまっております。中国のことを考えることを拒否するような、そういうふうな雰囲気さえもあり、いま現在、日本の大学院の中国関係は、ほとんど中国と台湾の留学生で占められているという状態で、私はいったいどこにいて授業をしているかわからないような状態になっております。

 そうしたことはさておきまして、3つほどトピックを出したいと思うのですけれども、1つ目は、先ほどの大学研究のことなのでありますが、まず今日のお二人のお話の中で1つ気になったことは、社会との関係という部分であります。日本と中国の間で、さまざまな言論の問題、あるいは日本の中の中国の議論。今日、お話がありましたように、日本の中でも中国に対する認識と言いますか、印象はどんどん悪化し、中国においても同様でございます。天安門事件のときよりも、サッカーの事件のときよりも、2008年のほうが、2009年のほうが数字は悪いわけでございます。

 そのような状態の中で、今日、ボーゲル先生もおっしゃいましたが、研究者が何かできるのかというところでございます。アカデミックに立っている以上、世論の状態や憂慮すべきものではあるけれども、とくに何か、直接的に関与すべきではないというスタンスもあるでしょうけれども、たとえば歴史認識の問題が激しくなったときに、中国や日本の歴史学者がそれとどう関わるかというところも、大きく問題になるところだというふうに思っています。多くの日本の歴史研究者は、当然そうした現実の問題とは距離をとるわけですが、とるだけで良いかということを問われておりました。

 おうかがいしたかったのは、中国、あるいはアメリカの日本研究者が、国内におけるさまざまな世論、あるいは日本論、日本を巡る言論とどういう距離をとり、そしてまたある種、ボーゲル先生はcorrectという表現を使いましたが、「正しい」とアカデミックに思われる認識を社会にどう伝えていくのか。どのようにコミュニケーションを社会でとるかという点でございますが、それについて何か議論があったり、あるいはそれぞれの立場がいろいろあるようでしたら、それをご紹介頂ければというふうに思います。

 発信をするべきであると。研究の中身を社会に向けて発信すべきである。あるいは海外に向けて発信すべきであるというのは、現在の日本の中国研究でも多く言われているところでございます。ただ、どこに向いているのか、よくわからないときがございます。つまり、日本の中国研究であれば、日本の国内に向けて発信するのか、世界の中国研究に発信するのかというところが問われてまいります。先ほど蒋立峰先生が、中国の日本研究は現実性が非常に強いとおっしゃいました。そして社会の関心において研究をという話もございました。

 としますと、中国の日本研究というのは、中国の社会に対して発信すること、あるいは日本に向けて直接メッセージを出すことに重点を置かれ、あるいはもしかしたら、世界の日本研究の有り様に向けて、何を発信するかという点について、どのように関わるのか。そのへんが関心を持つところでございます。これは日本の日本研究におきましても同様で、日本は最近、少なからずアメリカにおける日本研究を消化して、それをちゃんと引用する、参照するという雰囲気が見られ始めているような印象を受けますが、中国における日本研究を、日本の日本研究が、果たして参照しているかどうかという大問題がございます。そもそも先行研究を調べる際に、日本の日本研究が中国の日本研究を参照するかという大問題が横たわっているように思っております。

 次ですけれども、実は私は、2000年か、2001年でした。北京にある、北京日本学研究センターというところで副主任なるものをしていまして、そこでよく議論していたことに、中国における日本研究の特徴とは何かということがございました。それは非常にcrucialな問題でありまして、いまの私の話とつながるのですが、アメリカの日本研究、あるいは欧米の日本研究には、日本にない特色がある。では中国のほうはどうかという議論をしておりました。今日は「現実性」というキーワードを頂きました。大変これは興味深いところであります。

 ただ、もう一方で私自身が、中国の日本研究者と話すときに、あるいは日本の中国研究と中国の日本研究が議論をする際に出てくる問題として、いくつかの、ある種、戸惑いを感じるところもあるわけでございます。今日、出てきてはいませんけれども、われわれがやはり違和感を覚える言葉は、「民族性」という言葉なのです。しばしば日本の日本研究で、「日本の民族性は」という言葉で議論が立てられていて、だからこうであるという、そういうようなときがあります。私はその感覚に合わないので、私は日本人ではないのかと思ってしまうこともあるのですが、これはどういうことかと言いますと、中国における日本研究においてディシプリンということがどう捉えられるかというところだというふうに思っています。

 中国で非常に多くの優秀な日本研究者がいらっしゃって、また日本語が大変うまい方が多いのですが、研究者の養成の過程で、とくにアメリカのほうで強調されていたディシプリンというものがどのように考えられているか。つまり、たとえば社会科学における政治学や経済学において、ケースとして日本を取り上げる。違う国と比べる。横の同じような条件下で日本を位置付ける。そのようにして議論を立てていくということは、私は非常に重要だと思っているのですけれども、そのようなディシプリンベースの、あるいはディシプリンを重視するトレーニング。これは当然やっているんだとおっしゃられるかもしれませんけども、中国の日本研究においてディシプリンの問題がどのぐらい議論を