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アフガニスタン和平復興総括

March 31, 2015

宮原信孝 研究員

この3月末でユーラシア情報ネットワークは終了することになった。また、アフガニスタンの和平復興も新しい段階に入った。そこで、今回は、2001年の9.11米国同時多発攻撃を契機に始まった同和平復興の総括を試みる。

1.これまでの経過

9.11米国同時多発テロ攻撃は、国際社会にテロとの戦いを促すとともに、その一環としてアフガニスタンが二度とテロの温床になることなく秩序ある安定的な国となることを求めた。これを実現するためには、アフガニスタン国民の和解、治安の確立及び復興が必要として、ボン合意とこれに基づく和解プロセス(ボン・プロセス)、治安改革、および国際社会の復興支援が行われた。

ボン・プロセスを通じて、暫定・移行政府の樹立、新憲法の制定、大統領・議会選挙が行われ、2005年末までにカルザイ氏を首班とする政府および上下両院が誕生した。しかし、治安については、治安改革を行えば治安が安定するということはなく、タリバーンおよびアルカーイダの復活により、国際治安部隊(ISAF)の増派、35万人の国家治安部隊(ANSF)の創設などを通じても収まらないタリバーン等反政府勢力との戦いがその大小、強弱はあったが、依然として続いている。また、治安情勢不安定の中、復興は十分には進まず、逆に駐留軍や海外支援が生み出す需要に依存する経済構造が生まれてしまった。

2014年9月、アシュラフ・ガーニ大統領およびアブドラ・アブドラ行政長官が率いる挙国一致政府が生まれ、同年末に米国はじめ全外国軍戦闘部隊が撤退したが、アフガニスタンの和平復興への課題は山積である。和解については、まず挙国一致政府が分裂に至らない努力が必要であり、その上でタリバーンとの和平を追求しなければならない。治安についてはこの和平の進捗状況如何の部分も大きいが、35万人にまで達したANSFを維持できるか、あるいはその縮小も含む、維持できるようにする方策をどうするかが課題となる。また米との安全保障協定の是非と延長如何も課題である。復興については自前の産業の開発が喫緊の課題となる。

2.問題の核心

過去13年半の経過を総括すれば、国際社会は人命を含む多くの犠牲を出しながら、アフガニスタンの安定化に成功していない、と言える。安定化のために策定実施した計画は多くが失敗した。日本が主導したDDR(武装解除・除隊・社会復帰)がそのよい例である。国軍として登録され軍閥の支配下にある部隊は解散され6万以上の将兵は社会復帰したというプロジェクトとしての成功は収めた。しかし、非合法武装集団は残存し、更にタリバーンの復活のため、35万人の治安部隊を創設せざるを得なくなった。DDRを行った意義が問われても仕方がない。

DDRがこのような運命をたどった最大の原因は、和解、治安改革および復興の3過程からタリバーンが排除されていたことにある。そして、アフガニスタン和平復興が現在のような状況に至った原因もここにある。

冒頭に書いたように、アフガニスタン和平復興はテロとの戦いの一環として始まった。しかし、アフガニスタンの現場では、上記3過程は、常に実際の戦闘とは別個にかつ影響を受けながら進んできた。タリバーンが復活し支配地域をパシュトゥーン人が多数住む南部および東部に広げた後は、戦闘部隊とISAFが統合されることになったが、時既に遅し、である。

2002年から03年にかけて憲法制定に向け議論が進んでいた時期にタリバーンをボン・プロセスに参加させていくべきであった。当時アフガニスタンの現場で起こっていたことは、アフガニスタン国民の支持を国際社会と移行政府の連合が勝ち得るか、あるいは逆にタリバーンがそれを得るか、というせめぎ合いであり、当時の状況は決してタリバーンに有利とは言えなかった。ザーブル州の部族長老たちの代表が、日本大使館の私を訪ねてきて「自分たちは米国に右の頬をたたかれ、タリバーンに左の頬をたたかれている。この状況を何とかするために日本が主になって支援してくれ」と言ったのは、2004年4月初めのことであった。この時、私は、移行政府に頼ることを勧め、彼らはそれに従って同政府と話をしたが、移行政府側が「米国と協力せよ」と言ったために、話は進まなかったと後に聞いた。

結局、一般のアフガニスタン人の支持を得られるか、すなわち心を勝ち取れるかが、国際社会の努力の成否を決定する訳だが、米国がそれに気づいて方針転換したのはオバマ政権ができた後2009年のことであった。まずは、ISAFの兵員を増やしアフガニスタンの村人の命と生活を守り、治安を安定させ、これを維持するためにANSFを設立強化して政府が国民を守るという体制を作り出したが、ここには莫大な予算と多大な人名の犠牲があった。そしてこの体制は、ISAF撤退後の維持を不安視されている。

もしも2002年から03年の時期にタリバーンがボン・プロセスに参加しアフガニスタンの国づくりに参加していたらどうだったろうか。また、米国の「不朽の自由作戦」が当初からアフガニスタン人の命と生活を守るとことを優先して行われていたらどうだったろうか。アフガニスタンの和平復興プロセスの経過も変わっていたはずである。

3.アフガニスタン和平復興の行方

2015年第1四半期が終わろうとする現在も、和平・治安・復興の3過程の進行の鍵を握っているのは、タリバーンとの和解である。米国の後ろ盾が小さくなっていく中で、タリバーンの交渉力は強くなっている。そのような中どうやって交渉のテーブルにつかせるかが課題であり、中国の影響力増大だけが回答ではない。

第1に、何ヶ月もかかってできた挙国一致政府が分裂を避けるというよりむしろもっと強固な内部協力関係を築くべきである。その上で、中国によるパキスタンへの説得が効きタリバーン等アフガニスタン反政府勢力への圧力が強まれば、タリバーンも交渉の席に着かざるを得なくなる。

タリバーンに対するイスラーム国の影響も看過してはならない。若い世代は、年長者よりイスラーム国の主張に感化されがちであり、実際その傾向が見られている。この影響を最小限に抑えるには、上記プロセスを急ぐ必要がある。成果が上がらなければ、イスラーム国の一勢力として行動を始めるグループもタリバーンの中に生れるであろう。

この上で治安能力の維持強化と開発の迅速化が求められる。NATO等は、ANSFの財政負担を約束しているが、それはいつまでも続くものではなく、また、約束はANSFの将来の縮小計画を前提としている。財政的にもアフガニスタン政府が自己負担する努力を続けていかねばならないし、同時に能力を維持強化する努力も行わねばならない。

開発の面では、銅・鉄鉱石・石油・ガスなどの鉱物資源の採掘とそれに伴う周辺産業の活発化および従来から行っている農業の再興、更には中央アジアとインド洋、インドとイラン等中東を結ぶ交通の要衝としての貿易の発展が鍵になる。鉱物資源の採掘では、中国およびインドが積極的であるが、このような動きを邪魔するのではなく、補完あるいは支援するような動きを国際社会は行っていくべきである。

いずれにしろ、アフガニスタンの前途は多難である。国際社会には、これらを承知の上で引き続きアフガニスタンを支援していくことが望まれる。

(了)

    • 元東京財団研究員
    • 宮原 信孝
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