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Brexitカウントダウン(20)「ジョンソン合意」とは何か ――離脱後のEU・英国関係の選択肢(後編)
2019年10月17日、ブリュッセルで記者会見に臨むジョンソン首相(写真提供 Getty Images)

Brexitカウントダウン(20)「ジョンソン合意」とは何か ――離脱後のEU・英国関係の選択肢(後編)

November 28, 2019

鶴岡路人
主任研究員

意外だった「ジョンソン合意」?

2019年10月17日、ブリュッセルで開催の欧州理事会(EU首脳会合)は、英国との間の新たな離脱協定と政治宣言に合意した。英ジョンソン政権の求めてきた「再交渉」に応じた結果である。これが「ジョンソン合意(Johnson‘s deal)」である。

当初、ジョンソン政権による再交渉の要求は、「合意なき離脱」に持ち込むにあたっての口実との見方が支配的だった。英国は再交渉を求めたにもかかわらず、EU側が頑なだったために妥結にいたらず、「合意なき離脱」を選択せざるを得なかったと主張するための見せかけだというのである。首相以下、ジョンソン政権がどこまで再交渉に本気かについては、常に疑問が投げかけられてきた。

それでも、少なくとも最終段階においては、真剣な交渉が行われることになった。その背景には、英国側にもEU側にも、「合意なき離脱」を避けなければならないとの強い危機感が存在した。ジョンソン政権は、「合意なき離脱」への覚悟を対外的には示しつつ、経済が本当に深刻な影響を受けた場合の政治的コストも無視できなかったのだといえる。EU側にとっても、従来否定していた離脱協定の再交渉は、「合意なき離脱」回避のためであれば受け入れ可能なコストになったということなのだろう。

「ジョンソン合意」に関しては、北アイルランドに関する「バックストップ(安全策)」が撤回され、英国と北アイルランドの間に事実上の関税チェックポイントが設けられることになった点が注目を集めた。

しかし、メイ政権による従来の合意、すなわち「メイ合意」と「ジョンソン合意」の最大の違いは、安全策の有無ではなく、より本質的には、離脱後のEUと英国との関係の方向性である。端的にいって、「ジョンソン合意」は、より浅く、距離のあるEU・英国関係を想定したものである。今回はこの点に着目して、「ジョンソン合意」に示された離脱後のEU・英国関係を分析することにしたい。

なお、10月17日にEUとの合意は成立したものの、英国議会での承認手続きが遅れたため、10月31日とされていた離脱期日は再び延期され、2020年1月31日になっている。「ジョンソン合意」に関する議会審議の遅れにしびれを切らしたジョンソン首相は、議会の解散を選択し、12月12日に下院議員選挙が予定されている。

 Brexitの行方は、この選挙の結果次第ではまた振り出しに戻る可能性もある。実際、労働党はEUとの関税同盟の維持を一つの可能性として掲げているし、たとえジョンソン政権が継続したとしても、与党保守党の獲得議席次第では、「ジョンソン合意」の議会承認には紆余曲折も予想される。それでも、この合意がEUと英国との間で成立した事実は重く、また「メイ合意」よりも高い支持を得ているのが現実である。

「手段」としての安全策撤回

 離脱協定の再交渉に向けたジョンソンの焦点の一つが北アイルランド国境に関する安全策の削除だったことは明らかだった。北アイルランドは、EUの関税地域(関税同盟)から法的には離脱するものの、実態としてはEU側に事実上残留することになった。これにより、アイルランド島における北アイルランド(英連合王国の一部)とアイルランド共和国との自由な国境が確保される。

このことは同時に、北アイルランドが、英本土(グレート・ブリテン島:イングランド、スコットランド、ウェールズ)から、切り離されることをも意味する。英本土から北アイルランドに入る(一部の)物品には予めEUの関税がかけられ、その後、同物品が北アイルランド内で消費されたことが確定した段階で関税が還付されるという制度が想定されている。極めて複雑かつ煩雑な制度である。各種規制面においても、北アイルランドは、英国の一部というよりは、EU側に位置すると捉える方が現実に近くなる。(これまでの議論については、「Brexitカウントダウン(19)北アイルランド限定措置は解決策になるか」2019年9月25日を参照。)

いずれにしても、これによって、英本土がEUの関税同盟から離脱し、規制に関してもEUと異なる選択をする可能性が確保されたのである。これこそがジョンソン政権の求めていたものだった。

ここで重点が置かれたのは、北アイルランドの扱いではなく、英本土を確実にEU関税同盟から離脱させることだった。別のいい方をすれば、北アイルランドの英本土からの事実上の切り離しは、ジョンソン政権の考えるBrexit後のEU・英国関係から逆算の結果として、それを実現する手段として選択されたものだった。

北アイルランドをEUに差し出したジョンソン

 誤解を恐れずにいえば、ジョンソンにとっては、北アイルランドの将来よりも、離脱後に英国がEUに縛られずに各種規制を行うこと、および世界中で自由にFTA(自由貿易協定)を締結できることの方が重要だった。それを実現するためには、英全土に影響の及ぶ安全策を撤廃する必要があった。北アイルランドに足を引っ張られたくなかったのだともいえる。「イングランド・ナショナリズム」と表現することもできる(これについては、「Brexitカウントダウン(13)連合王国分裂危機の構図」2019年7月3日を参照)。

メイ政権による英全土を対象とする安全策は、いってみれば、北アイルランドの自由な国境を確保するために英本土をEU関税同盟などに差し出すとの決定だった。ジョンソン政権の発想は完全にその逆である。英本土の自由を確保するために、北アイルランドをEUに差し出したのである。離脱協定の文言については、「メイ合意」と「ジョンソン合意」の90%以上が同一だが、基本的アプローチに大きな差異が見いだせる。「ジョンソン合意」では、「北アイルランドのために」安全策を撤廃するのではなく、また安全策撤廃自体が目的だったのでもなく、離脱後の英国の規制と通商政策の自律性の確保が求められた。この点は強調される必要がある。

大きな関心の一つは米国とのFTAだが、インドや中国、日本との関係も常に視野に入っている。「メイ合意」では、安全策として英全土がEU関税同盟にとどまる可能性が存在した。そうした英全土がEUの関税同盟から「抜けられない」状態が続く場合、その間、米国などとの包括的なFTAを締結することは不可能になったはずである。

「ジョンソン合意」の想定するEU・英国関係

ジョンソン政権下での離脱合意は、2019年10月に、まさに急転直下妥結にいたったが、再交渉の過程における英国の基本的姿勢、そしてメイ政権との顕著な相違を示したのは、ジョンソン首相がユンカー欧州委員長に送った10月2日付の書簡だった。

そのなかでジョンソンは、メイ政権による安全策は、関税や規制に関して英国がEUとの緊密な統合を維持していくとの前提に立ち、そのための橋渡しとして考えられたものであったとしたうえで、「そうした将来の関係は現在の英国政府の目標ではない」と明確に述べた。そして、「将来の関係は自由貿易協定に基づくものであるべきで、規制や貿易政策に関して英国は主権を行使することになる」と述べ、そうである以上、安全策という現行の橋はどこにもつながらないものであり、「新たな道を見つけなければならない」と訴えた[1]

こうした基本方針に沿って、離脱協定の北アイルランドに関する規定が大幅に変更された他、主として将来の関係に関する政治宣言の文言が修正された。例えば、2018年11月にメイ政権下で合意された政治宣言では、モノの貿易に関して、「可能な限り緊密な(as close as possible)」関係の構築が謳われていた(第20パラグラフ)[2]。しかしジョンソン政権下の2019年10月の政治宣言では、その部分が「自由貿易協定に基づく」と修正されている(第19パラグラフ)[3]

また、(物品)規制に関しても、「関連する領域において英国がEUの規制に揃える(aligning)ことを検討する」とした2018年11月の文言(第25パラグラフ)は、新たな合意では削除された。これは、環境水準や労働規制、競争政策などに関して「対等な競争条件(level playing field)」を維持することへの重要なコミットメントであり、従来の政治宣言では強く打ち出されていたが、新たな政治宣言では、文言や位置づけが大きく後退した。そのため労働党などのリベラル派は、特に雇用や環境に関して、英国内の規制の水準が低下することへの懸念を表明している。さらには、それこそがジョンソン政権の狙いだったとの批判もある[4]

ジョンソン政権が目指すのは、野心的なFTAといいながら、実際にはかなり簡素なFTAということなのだろう。従来、EUとカナダとのFTAであるCETA(包括的経済貿易協定)が一つのモデルになるとの指摘が頻繁に聞かれたが、実際にはそれ以下、つまり対象範囲のより狭い協定が想定されている可能性が高い。

ただし、FTAが締結されても、将来のEUと英国の間で、実際にどのような経済関係が形成されるかは不明な点も多い。というのも、FTAを使用するかしないかは事業者次第である。FTA利用につきものの原産地規則に基づく証明を取得するコストは、特に中小企業にとっては決して小さくない。そのため、既存のFTAにしても使用率が低迷することがある。関税を納める分よりも、FTAの恩恵を受けるための手続き費用などの方が高いケースは珍しくない。

離脱後のEUとの関係がより薄く細くなるということであれば、当然のことながら、経済的には英国にとってマイナスが大きくなる。「ジョンソン合意」の経済効果については、すでにさまざまな試算がなされているが、いずれも、「合意なき離脱」に比べればよいものの、「メイ合意」よりは、例えばGDP(国内総生産)の値でのマイナス幅が大きくなるという結果になっている[5]。経済界にとっては看過できない問題であると同時に、それは雇用にも影響する可能性があり、労働党なども追及を強めている。

移行期間を見据えて

必ずしも野心的とはいえない協定を模索する姿勢は、移行期間(transition period)との関係でもジョンソン政権の基本的立場に合致している。というのも、移行期間は当初から2020年12月末までとされており、離脱が延期されたものの、移行期間の終了時期は変更されていない。当初の離脱予定の2019年3月29日から起算すれば1年9カ月が確保されていたものの、離脱が2020年1月末だと仮定すれば、11カ月のみの移行期間になる。

この間に、例えばFTAなど、離脱後の新たなEU・英国関係を規定する交渉を行い、さらに批准を終え発効にまで持ち込むのは、普通に考えれば現実的ではない。

モノの貿易に限定されるような協定であれば、EUの排他的権能に収まるために、EU加盟国議会の批准は必要にならず、場合によっては迅速な批准手続きが期待できるが、サービス分野、さらには「対等な競争条件」を確保するための規制に関する各種規定が盛り込まれる場合は――EU側は確実にこれらを求めてくる――「混合協定(mixed agreement)」という種類の協定になり、EU側では欧州議会に加えて、全加盟国での批准手続きが必要になる。

批准手続きだけで数年かかることも珍しくない。最終的な批准の完了を待たずに、モノの貿易の部分などを暫定適用することも可能だが、そもそも多分野におよぶ協定の交渉には時間を要するため、移行期間の延長が課題となる。

移行期間中の英国は、EUの各種会合に出席できなくなり、当然のことながら閣僚理事会などでの投票権も失う。しかし、EUの各種規制には従う義務があり、EU予算への拠出金も従来どおりの扱いになる。単一市場の恩恵を受け続ける以上、その「参加費」を払い続けるということである。しかし、発言権・選挙権は欠きつつ徴税のみはされ続けるような状況は、英国にとって心地よいものではない。

そうした状況をさらに延長することに対して、英国内で政治的に反発が生じるのは必至である。国民の間では、「EUを離脱したと思ったら、まだ抜けていなかったのか」ということになりかねない。ジョンソン首相の保守党は、11月24日に発表したマニフェストのなかで、移行期間の延長はしないと公約した[6]

離脱協定は第132条において、EU・英国の合同委員会が2020年7月1日までに、移行期間延長の決定をすることができると規定している。ただし、この決定は1回限りで、1年か2年と限定されている。つまり、延期したとしても移行期間は、2021年末か2022年末までということになる。

なお、移行期間が2020年末までとされたのは、EU予算の大枠を定める7年毎の現行の多年次財政枠組み(MFF)が2020年末までであり、新たなMFFが2021年から適用されるという事情があった。次期MFFをめぐる交渉はすでに本格化しているが、英国の抜けた穴をどうするのかは激しい争点になっており、移行期間がいつまで継続するかは、EU側への影響も大きい。

移行期間終了時の「合意なき離脱」?

そこで問題となるのは、移行期間終了時の「合意なき離脱」である。EU離脱段階では「合意なき離脱」が避けられる可能性が高まっているが、移行期間終了時の「合意なき(移行期間からの)離脱」のインパクトは、EU離脱の際の「合意なき離脱」と本質的に変わりない。それまでにFTAが間に合わない場合は、以前から指摘されているとおり、EU・英国間の貿易は、一夜にしてWTO(世界貿易機関)条件に変化する(「Brexitカウントダウン(17)離脱後のEU・英国関係の選択肢(前編)」2019年7月3日を参照)。まさに一難去ってまた一難である。

「ジョンソン合意」によって、離脱後のEU・英国関係の選択肢の幅は、かなり狭められたのが現実である。しかし、政治宣言は法的拘束力を有しない、文字通りの政治宣言である。ジョンソン政権、ないしその次の政権が、そこで想定されているよりも野心的な関係を築くことを求めるのであれば、その交渉をEU として断る選択肢はないだろう。そのため、より統合度合いの高い関係に至る可能性も完全には排除できない。

加えて、もし12月12日の総選挙でジョンソン政権の与党保守党が政権を維持できない場合には、さらなる再交渉や再度の国民投票実施などが現実的なアジェンダとして浮上することになる。関税同盟の維持に加え、環境や雇用などに関してEU水準の規制維持を求める労働党が政権をとるような状況になれば、これまでの想定は大きく変化する。

それでも、ジョンソン政権がEUとの間での、より浅く遠い関係の構築を求めた事実には変わりなく、今後政権交代があったとしても、Brexitに関してはそれが議論の出発点となる。


[1] “Letter from the Prime Minister to Jean-Claude Juncker, President of the European Commission,” 10

Downing Street, London, 2 October 2019, https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/836029/PM_letter_to_Juncker.pdf.

[2] “Political declaration setting out the framework for the future relationship between the European Union and the United Kingdom,” Council of the European Union, Brussels, 22 November 2018, https://www.consilium.europa.eu/media/37059/20181121-cover-political-declaration.pdf.

[3] “Political declaration setting out the framework for the future relationship between the European Union and the United Kingdom (Revised Political Declaration),” Council of the European Union, Brussels, 17 October 2019, https://ec.europa.eu/commission/sites/beta-political/files/revised_political_declaration.pdf.

[4] Owen Jones, “Boris Johnson’s Brexit dream is to shred workers’ rights and social protections,” The Guardian, 18 October 2019, https://www.theguardian.com/commentisfree/2019/oct/18/boris-johnson-brexit-dream-shred-workers-rights.

[5] Sam Lowe, “What Boris Johnson’ EU-UK free trade agreement means for business,” Insight, Centre for European Reform (CER), 5 November 2019, https://www.cer.eu/sites/default/files/insight_SL_5.11.19_2.pdf ; Anand Menon and Jonathan Portes, “Boris Johnson’s Brexit deal would make people worse off than Theresa May’s,” The Guardian, 13 October 2019, https://www.theguardian.com/commentisfree/2019/oct/13/boris-johnson-brexit-deal-theresa-may-trade.

[6] The Conservative and Unionist Party, Get Brexit Done, Unleash Britain’s Potential, The Conservative and Unionist Party Manifesto 2019, November 2019, p. 5,
https://assets-global.website-files.com/5da42e2cae7ebd3f8bde353c/5dda924905da587992a064ba_Conservative%202019%20Manifesto.pdf.
なお、同マニフェストでは、「移行期間(transition period)」ではなく、「履行期間(implementation period)」という言葉が使われている。「移行」の場合、まだ完全には離脱していないような印象がある。そのため、すでに離脱したものを「履行」するという側面を強調するために、保守党を含む離脱派の間ではしばらく前から「履行期間」との用語が意図的に使われている。しかし、移行期間の主たる目的は離脱後のEU・英国関係の構築に関する交渉であり、離脱協定の履行のために期間が必要なわけではない。

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    • 鶴岡 路人/Michito Tsuruoka
    • 元主任研究員
    • 鶴岡 路人
    • 鶴岡 路人
    研究分野・主な関心領域
    • 欧州政治
    • 国際安全保障
    • 米欧関係
    • 日欧関係

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