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「合意なき移行期間終了」は回避できるか――Brexitカウントダウン番外編(2)
(写真提供 Getty Images)

「合意なき移行期間終了」は回避できるか――Brexitカウントダウン番外編(2)

June 30, 2020

鶴岡路人
主任研究員

 

2020年6月15日に行われたEUとイギリスのビデオ首脳会合は、現行の移行期間の延長を行わない方針を確認した[1]。イギリスは2020年1月末にEUを離脱してから、同12月末までの予定で、新たな関係に関する交渉のための移行期間に入っている。その間、イギリスは事実上のEU加盟国として地位を維持し、EUの単一市場・関税同盟にも参加したままの状態になっている。しかし案の定、FTA(自由貿易協定)を含むEU・イギリス間の交渉は難航しており、移行期間の延長の有無が焦点になっていた。 

6月15日の首脳会合では、7月に交渉を加速化し、年末までの交渉妥結と批准手続きの完了、そして2021年1月1日に新協定を発効させる意思が示された。ジョンソン政権は当初、6月までに交渉が進展しない場合には交渉を打ち切る姿勢を示していたが、それは静かに撤回された格好になった。

バルニエEU首席交渉官は、批准作業等に必要な時間を踏まえ、10月末までに最終合意文書が整っている必要があると述べている[2]。7月に方向性が確定すれば、9月から10月にかけてが交渉の山場となる。現在は新型コロナウイルス対応やEU予算交渉に追われる各国首脳も、秋になればイギリスとの交渉問題にコミットできるとみられており、特に、7月からEU議長国となるドイツのメルケル首相の指導力への期待が高まっている[3]。この種の交渉をまとめるには、最後は首脳レベルでの政治決断が求められる。そのためには、オンラインの会合ではなく、やはり対面での膝詰めの折衝が必要だろう。

そこで以下では、交渉の争点を踏まえて、EUとイギリスそれぞれの事情を概観する。そのうえで、移行期間は延長されずに双方が合意を目指すとの前提に基づき、どのようなシナリオがあり得るのかを分析する。加えて、各シナリオが日本に及ぼす影響を考えることにしたい。結論を先取りすれば、交渉進展・妥結への気運が高まる一方、移行期間延長ではない何らかの暫定措置の導入の可能性が浮上しているのが現状である。 

争点とEU、イギリス双方の事情

まずは移行期間の延長を求めていたEU側の事情である。最も重要な目標は、単一市場の一体性の維持だといえる。目下、FTA交渉において焦点となっているのは「公正な競争条件(level playing field: LPF)」である。労働市場や環境に関する規制、国家補助[4]、安全基準などの規制レベルを引き下げることによって、イギリスが不公正に競争力を高めることをEUは警戒している。そのため、LPFへの拘束力を有するコミットメントを求めている。

これをいかに確保するかが問題であり、EUにとって最も都合がよいのは、今後新たに設けられるものを含めてイギリスがEUの規制に従うことである。しかしそれでは規制の自律性を取り戻せず、主権国家として問題であるどころか、そもそもEU離脱の意味がなくなってしまうとして、イギリス側は徹底的に抵抗する姿勢である。

妥協点として浮上しているのは、労働・環境規制に関して、現時点でのEU水準を出発点に、規制を引き下げないこと(non-regression)を確約する方法であり、この場合、それでもなおイギリスが引き下げを行う場合には、関税賦課などの是正措置を盛り込む案である。ここでの課題は、規制レベル引き下げの認定や、関税による是正措置の範囲や規模をいかに決定するかである。国家補助に関するEU側の立場はより強硬であり、同様の扱いが可能かどうかが焦点となる。

このほか、漁業が大きな争点になっている。EUは共通漁業政策を実施しており、各国の排他的経済水域を併せて統一的に漁獲量の割り当てなどが行われている。イギリスは、この枠組みから完全に離脱し、各国とは毎年個別に漁獲割り当てを交渉することを求めている。この問題ではイギリスの立場に理がある部分が多く、交渉力が強いようにみえる。しかし、イギリスで水揚げされる魚介類の多くがEUに輸出され、EU側の水揚げ分はイギリスに多く輸出されるという関係や、他の分野への影響を考えれば、イギリス側としても一方的な措置はとりにくい。経済規模としては小さいものの、FTA妥結のためには漁業の合意が不可欠とされているために、重要性が過剰に高まる結果になっている[5]

加えて、いまだに方向性がみえないのは、EU・イギリス関係の全体的枠組みである。EU側は、FTAに加え、対テロや警察協力などの政治・安全保障協力も含む、一つの大きな協定を求めているのに対して、イギリス側は、FTA以外については必要な場合でも個別の協定にしたい意向である。EU側には、将来のEU・イギリス関係発展の基礎となる枠組みを用意することの他、イギリス側が協定に反する行動をした場合に、必要であれば分野をまたいで対抗措置をとるメカニズムを確保したいとの思惑がある[6]

「合意なき移行期間終了」が経済的に大きなダメージになることについてはイギリス側でも認識が広く共有されている。そのため、その回避を求める声は国内で極めて強い。しかし、そこで発生したのが新型コロナウイルス危機である。これにより、イギリスのGDPはすでに前年比で2桁減という、リーマンショックを上回る壊滅的状況になっている。

そうしたなかで、(1)これ以上の経済的損失は何としてでも回避しなければならない、との立場と、(2)こうした状況であれば「合意なき移行期間終了」による経済的損失があっても目立たなくて済むとの声がある。通常であれば(1)が常識的立場だが、(2)が現実味をもって語られる機会が増えているのがイギリス政治の現実である。コロナ危機への対応で大胆な政策を打ち出すためにも、あらゆる制約を排除できる「合意なき移行期間終了」の方が好都合との考え方も存在する[7]

しかし、ジョンソン政権としては、当面、本気で合意を目指す方針とみられる。その最大の理由は、経済的影響とともに、「合意なき移行期間終了」への国内の支持を確保するのが難しい現実である。野党労働党にもつけ入る隙を与えてしまう。2019年夏から秋にかけての「合意なき離脱」をめぐる国内対立の際、ジョンソン政権は、当初「合意なき離脱」を辞さない強硬姿勢を示していたものの、結局、合意を追求する姿勢に舵を切り、実際EUとの間で新たな離脱協定が成立した。それが同年12月の総選挙での勝利につながった[8]。今回に関しても、合意が可能であれば、「合意なし」よりも国内政治的リスクが低いとの計算が成立するはずである。 

移行期間延長ではない延長戦へ? 

ただし、合意に向けての困難な問題は上述のように複数存在し、残された時間も短くなってきている。そうしたなかで考えられるシナリオは、「合意なき移行期間終了」以外だと、大きく分けて下記の4つであろう[9]

  1. 包括的な合意が成立――FTA(LPFを含む、関税・数量制限なしのFTA)、漁業等を含む包括的な合意が成立し、年末までに批准完了
  2. 包括的な合意が成立、実施のための暫定期間を設定――上記(1)の合意が成立しても、批准が間に合わない可能性があり、その場合、現状を暫定的に継続
  3. 暫定的・部分的合意が成立、その他については交渉継続――合意成立部分が少なければ、実質的には移行期間の延長。暫定的合意に現行の体制(の一部)を期間限定で継続する規定を盛り込む
  4. 暫定的・部分的合意も断念し、交渉継続のために移行期間と類似の内容の新たな実施期間等を設定する協定を締結

これは可能性が高い順ではなく、合意形成・交渉妥結という観点で望ましい順番である。また、4つのシナリオの間の境界線は明確ではなく、実際には程度の差といえる部分が大きい。例えば(1)の場合でも、全ての交渉が完全に終了する可能性は低く、「積み残し」となる案件の内容と数次第では、(1)に分類可能なこともあれば、(3)に近くなることもある。政治的には、一部で積み残しがあっても、包括的な合意成立としてアピールするかもしれない。

現時点で「合意なき移行期間終了」の可能性を完全に排除することはできないものの、何らかの合意が成立するのではとの観測が強まっている。他方で、妥結への政治的意思があっても、残り時間が限られているのも現実であり、一定程度の積み残しが発生し、それに伴う暫定的措置が導入される可能性は十分に考えられる。移行期間の延長ではない部分的な延長戦である。問題はその範囲がどのようになるかであろう。

いずれにしても重要なのは、たとえ何らかの暫定的措置が設けられるとしても、決して「移行期間」とは呼ばないことである。これはジョンソン政権にとって譲れない一線である。2019年夏から秋にかけて、ジョンソン政権が北アイルランド国境に関する「安全策(バックストップ)」の撤回にこだわったのと似た構図である。結局、安全策は拒否したが、北アイルランドに対する特別な措置の導入を受け入れた[10]。今回も、移行期間を延長しないことについては動きようがなかった。しかし、その名称を使用しなければ、最終手段ではあるが、妥協の余地が生まれるのかもしれない。

暫定的措置を新たに導入することの問題の一つは、2021年1月以降のイギリスによるEU予算への拠出金である。特にコロナ危機からの経済復興のための大規模な基金などが計画されているが、イギリスがこれへの参加を受け入れる可能性はない。また、暫定的・部分的な協定や、FTAを伴わない関税譲許となれば、WTO(世界貿易機関)の諸ルールとの抵触の可能性もある[11]。 

日本にとっては厄介な新たな暫定的措置 

イギリスに進出した日本企業にとって、EU・イギリス交渉の行方は死活的である。また日英の関係では、現在も日EUのEPA(経済連携協定)が暫定的にイギリスにも適用され続けているが、これは移行期間とともに終了する。

そのため両国政府は、2020年6月に日英二国間の新たな経済パートナーシップの交渉を開始した[12]。移行期間が2020年末に終了することを見据え、それまでに交渉妥結のうえ、批准を終わらせる方向が示されている。

そのためには、7月末までの合意が必要だというのが日本の基本的立場であり、その前提に立てば、長い交渉を要する包括的かつ野心的なFTAは難しくなる[13]。今回の積み残しは、イギリスがCPTPP(環太平洋パートナーシップ)に正式に加盟申請するのであれば、その際の二国間交渉の場で解決をはかるのは合理的であろう。また、今年7月は無理だとしても、8月か9月に交渉を終わらせるのであれば、EU・イギリス交渉の結果を完全に踏まえることも難しくなる。その観点からも、イギリスのCPTPP参加は、日英交渉の積み残しに対処するとともに、EU・イギリス合意の結果を受けて必要になる調整を行う機会にもなる。ただし、CPTPPへの新規参加の手順については不明な点も多く、イギリスの参加には長い時間を要する可能性も指摘されている[14]

 EU・イギリス交渉に関して厄介なのは、上述のように、移行期間の延長はなされずに、事実上の部分的かつ暫定的な措置が導入されるケースである[15]。その場合は、同暫定措置と(すでに発効していると仮定すれば)日英FTAの内容に齟齬が生じないことを確保しなければならない。加えて、英国に進出している日本企業にとっては、日英交渉以上にEU・イギリス交渉の行方が死活的であり、日本としても、EU・イギリス交渉を常に横目で見ながらのイギリスとの交渉になる。

移行期間終了という期限が迫るなかで、EU・イギリス間の交渉は、これから加速化していく。ビデオ会議ではなく対面での交渉も増えそうである。実際にFTAをまとめることができれば、世界のFTAの歴史においても異例なほどのスピード合意だといえるかもしれない。通常のFTAであれば、交渉がまとまらなければ、現行の貿易条件が続くだけであり、交渉は長引きがちになる。しかし今回は、2020年末を過ぎると関税等が上昇するなど、貿易条件が著しく悪化する点が特徴である[16]。EU・イギリス交渉は、こうした「締め切りの力」にかかっている。


[1] “EU-UK Statement following the High Level Meeting on 15 June,” 15 June 2020.

[2] “Statement by Michel Barnier following Round 4 of negotiations for a new partnership between the European Union and the United Kingdom,” Brussels, 5 June 2020.

[3] “Brexit deal’s last hope: Germany,” POLITICO.eu, 16 June 2020.

[4] 企業に対する国家が行う補助金等による支援のことであり、単一市場における公正な競争条件確保のために、EUレベルで厳しい規制が設けられている。

[5] Anand Menon et al., Fisheries and Brexit, The UK in a Changing Europe, June 2020.

[6] Anand Menon et al., The Brexit Negotiations: A Stocktake, The UK in a Changing Europe, June 2020.

[7] Mujtaba Rahman, “The pandemic is being used as cover for a no-deal Brexit,” The Guardian, 3 June 2020; James Forsyth, “Brexit is back – and Covid has transformed negotiations,” The Spectator, 23 May 2020.

[8] 鶴岡路人『EU離脱――イギリスとEUの地殻変動』(ちくま新書、2020年)、第3章。書籍詳細はhttps://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=3334 を参照。

[9] なお、6月末の期限を過ぎても、離脱協定に基づいて移行期間を延長する方策がないわけではないとの議論も根強いが、国内事情もありイギリス側が明確に否定している以上、ここでは、その可能性を排除して考える。加えて、移行期間の延長と事実上ほぼ変わらない措置の可能性がある以上、あえて移行期間の延長に固執する必要もない。離脱協定に基づく2020年7月以降の移行期間延長の方法については下記が便利。Jean-Claude Piris, “Extending the Brexit transition period after 30 June 2020,” Comment, Encompass, May 2020; Georgina Wright et al., “Implementing Brexit: Securing more time,” IfG Analysis, Istitute for Government, May 2020.

[10] 鶴岡『EU離脱』、第5章。

[11] Tobias Lock et al., “The Brexit transition extension 2.0,” Discussion Paper, European Policy Centre, 11 June 2020; Georgina Wright et al., “Implementing Brexit: Securing more time,” IfG Analysis, Istitute for Government, May 2020.

[12] 外務省「茂木外務大臣とトラス英国国際貿易大臣とのテレビ会談」(2020年6月9日)。なお、この外務省リリースを含め、FTA(ないしEPA)ではなく、「経済パートナーシップ」の構築という表現が用いられている。これは、最終的な合意の形式と名称が未定であることによる。ただし、本文では便宜上、FTA交渉と表現する。

[13] “Japan rushes UK to agree first post-Brexit trade deal,” Financial Times, 23 June 2020.

[14] “Brexit Britain looks to the Pacific,” POLITICO.eu, 23 June 2020.

[15] この点については、Michito Tsuruoka, “The Shape of a Japan-UK Free Trade Agreement,” The Diplomat, 2 April 2020 を参照。

[16] James Forsyth, “Is a Brexit deal within reach?” The Spectator, 20 June 2020.


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    • 鶴岡 路人/Michito Tsuruoka
    • 元主任研究員
    • 鶴岡 路人
    • 鶴岡 路人
    研究分野・主な関心領域
    • 欧州政治
    • 国際安全保障
    • 米欧関係
    • 日欧関係

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