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ヴァイマル共和国の教訓――分断された社会とポピュリズムとしてのナチズム
画像提供:Getty Images

ヴァイマル共和国の教訓――分断された社会とポピュリズムとしてのナチズム

April 27, 2022

R-2021-095

※本稿は、2022年3月9日に開催されたウェビナー「歴史から考えるポピュリズム―戦間期ヨーロッパの経験から」で報告した内容の一部である。

「ヴァイマル状況」?
分断された社会
「国民政党」としてのナチ党

「ヴァイマル状況」?

近年、ドイツのメディアでは「ヴァイマル状況(Weimarer Verhältnisse)」や「ヴァイマルの亡霊(Gespenst von Weimar)」といった見出しをよく目にするようになった。ヴァイマル共和国(1919-1933年)とは、第一次世界大戦の敗戦と革命のなかで成立し、当時世界で最も先進的な民主憲法を備えていたドイツの共和政のことである。その共和政は、世界恐慌のなか左右の反体制勢力の挟撃に合い、ナチ政権の成立によって打ち倒された[1]。つまり、「ヴァイマル状況」という言葉が意味するのは、われわれの現在の状況がヴァイマル共和国と似ているのではないか、すなわち、民主政が危機にあり、ついには倒れてしまうのではないかという問いである。

その問いに対して、多くの論文、研究書、一般向け書籍が著されている。一例を挙げれば、筆者が小野寺拓也氏とともに監訳した『ナチズムは再来するのか?』(原題は『ヴァイマル状況?』)という本がある[2]。同書は、20174月から7月にかけてドイツのバイエルン放送と『フランクフルター・アルゲマイネ新聞』でメディアミックス的に展開された企画を書籍化したものであり、5人の歴史家と2人の政治学者がそれぞれの専門的知見に基づいて、現代とヴァイマル時代を比較したものである[3]

そうした研究の成果については後述するとして、ここではまず、なぜ「ヴァイマル状況」という言説が出てきたかを確認したい[4]

ヴァイマル共和国と現代を比較する言説が頻繁に飛び交うようになったのは、およそ15年前である。まず2007年の世界金融危機が、1929年の世界恐慌との比較を誘発した。そうした新聞記事は検索で無数に見つかるが、たとえば2010517日の『南ドイツ新聞』には「1929年と2008年」という論説が掲載されている。また、ユーロ危機で示されたドイツの徹底的な緊縮志向は、容易にブリューニング内閣との連想を呼び起こし、各紙に「ヴァイマルの亡霊」という言葉が並んだ(ブリューニングは世界恐慌時の首相であり、議会ではなく大統領緊急令に依拠して危機を乗り切ろうとし、緊縮財政とデフレ政策を進め、かえって左右の反体制派の躍進を招いた)。

そして、この10年でヴァイマルの類推は政治や社会の領域にまで広がった。ドイツにおいても「民主主義の危機」が危惧されたからに他ならない。それは、まずもって「ドイツのための選択肢(AfD)」の台頭に起因する。2013年に結成された同党は、当初は反ユーロ政党だったが、次第に右傾化・排外主義化を強め、とりわけ2015年の難民危機を背景に右翼ポピュリズム政党となり、勢力を伸ばした。2017年の連邦議会選挙では12.6%を獲得し、一気に第三党(結果的には野党第一党)に駆け上がり、21年の総選挙でも旧東側を中心に勢力を維持している。これで連邦議会に議席を有する主要政党は6党となり、中道の二大政党の凋落も相まって、多党化現象が生じた。

そうした政党政治レベルでの変容とともに、社会レベルでも排外主義が高まっていることが、いっそうヴァイマルとの比較をもっともらしいものにしている。たとえば、2014年にはイスラム系移民に対する排斥運動「ペギーダ(Pegida)」(正式名称は「西洋のイスラム化に反対する愛国的ヨーロッパ人」で、ペギーダはそのドイツ語の頭文字)が組織され、ドイツ社会の不安をかき立てた[5]

さらに、AfDやペギーダの台頭と並行して、「人民の裏切り者(Volksverräter)」や「民族共同体(Volksgemeinschaft)」といった、ヴァイマル共和国およびナチ体制時代の遺物であり、とうの昔にドイツが「克服」したかに思われた語彙が復活した。こうした語彙を普及させるとともに、ペギーダやAfDの台頭に一役買っているのがFacebookTwitterなどのSNSである。後述するが、メディアや世論が分断され、そのなかで各陣営が「エコーチェンバー」によって、自分たちにしか通じない特定の思想や価値観を増幅させていく状況は、まさにヴァイマル時代と不気味に類似している。

たしかに、『ナチズムは再来するのか?』で各論者が確認するように、現代はヴァイマル共和国の時代とはさまざまな面で異なる。しかし、現代史研究所(IfZ)所長ヴィルシングが言うように「警戒を怠らないこと」は重要であり、また、現代における(とりわけ米欧の)民主政とヴァイマル共和国とは、見逃すことのできない類似性も存在する。以下本稿では、敢えてそうした類似点に着目してみたい。あらかじめ要点を言えば、分極化ないし分断された社会というのがヴァイマル共和国の重要な特徴だったのであり、ナチ党は、そうした社会のなかでポピュリズム政党として成功した政党だったということである。

分断された社会

ヴァイマル共和国を象徴するものとして、ベルリンのロマーニッシェス・カフェがある。共和国末期のベルリンを舞台とし、2017年からドイツで放映され大ヒットした歴史スリラードラマ『バビロン・ベルリン』にも登場するカフェである。優れたヴァイマル共和国論を著した歴史家エリック・ワイツは、このロマーニッシェス・カフェを「ヴァイマルの政治と社会の完璧な象徴」だと指摘している。このカフェではドアマンが客の座席を決める。店内は富裕層のエリアと一般客のエリアに大きく分かれ、各エリアはさらに細かく分かれ、共産党員専用のテーブルもある。それぞれのグループは交じり合わない。ワイツは言う。このカフェは「活気があって、民主的で、熱心だが、分断されていて、反目し合っていて、自分のサークルの外にいるひととは話せない」[6]

最新のヴァイマル共和国崩壊論を上梓した歴史家ベンジャミン・カーター・ヘットもまた、ワイツの研究を参照しつつ、次のように述べる。「政治、宗教、社会階級、職業、居住地域に関して、次第に激しく、和解し難くなる分断は、ヴァイマル共和政の大きな特徴だ」と[7]

ここで分断とは、単純に民主派と反民主派、共和国派と反共和国派の分断だけを意味するわけではない。ヴァイマル共和国には、三つの「宗派化」した陣営、すなわち、①社会主義陣営、②カトリック陣営、③プロテスタント陣営があり、それぞれの陣営内に民主派と非民主派がいるという状況であった。投票行動の変化は基本的に各陣営の内部で起こり、陣営の境界を越える変化は少なかった[8]

また、メディア史家ウーテ・ダニエルが指摘するように、ヴァイマル共和国ではメディアも政治的・イデオロギー的に分断されていた[9]。全体を包括するような主要メディアは存在せず、新聞は党派によって分断されており、それぞれ「エコーチェンバー」を作り出していた。ある陣営にとっての真実が、他の陣営にとってはフェイクになる。そんな状況が生み出されていたのである。

さらに、地域間の分断、都市と地方の分断も見逃せない。とりわけ、大都市ベルリンは他の地域の怨嗟の的となった。地方からみたベルリンは、「共和主義、多元主義、機械化、アメリカ化、派閥主義、教育実験、道徳の退廃、とりわけ性別の適切な境界の混乱という退廃」の象徴であった[10]

また、ベルリンには外国人も多く、ユダヤ人に関しては、ドイツ全体では人口の1%に満たない割合のところ、ベルリンでは7%を占めていた。こうしたなかでユダヤ人は「エリート」「資本主義」「共産主義」のシンボルとなり、反ユダヤ主義は反エリート、反資本主義、反共産主義の意味をもつようになった。

アメリカで活躍する歴史家であるヘットは興味深い比喩を用いている。「反ユダヤ主義は、現代のアメリカの民主党と共和党で隔たりのある、妊娠中絶問題と同じような意味合いを持つ。大多数の国民にとって、ユダヤ人を支持するか排斥するかは最大の問題でもなんでもない。だが、この問題がシンボル化されると、どちらかの側につくための身分証として受け入れざるを得なくなる」[11]

「国民政党」としてのナチ党

こうしたなかで台頭したのがナチ党だが、しばしば指摘されるように、ヒトラーは選挙によって首相の座についたわけではない。とはいえ、ナチ党が、1928年の総選挙では得票率2.6%に過ぎなかった状態から、わずか数年で30%台を獲得するようになったことも、忘れるべきではない。こうした急速なナチ党への支持拡大なくして、19331月にヒトラーが首相に任命されることもなかったであろう。

古い研究ではナチ党は中間層の運動と捉えられてきたが、ユルゲン・ファルターらの統計的手法を用いた歴史研究により、実際にはナチ党は、党員においても支持者においても、従来考えられてきたよりもはるかに多様な人びとから構成されていたことが判明している。たとえば、ナチ党に投票した者のうち3分の1は労働者層であった。たしかに、当時は労働者層が現代よりも多いので、有権者人口と比較すると、ナチ党員やナチ党投票者に占める労働者の割合は低く、中間層の割合が高い。こうした点をふまえて、ファルターはナチ党を「中間層の傾向が強い国民政党」と規定している[12]。ここで「国民政党」とは、広範な社会層に満遍なく支持される大政党を意味する。

加えて注意すべきは、ナチ党に投票した人びとの多数が、「経済的敗者」や「社会的な根無し草」と呼ばれるような人びとではなかったことだ。たとえば、ナチ党に投票した者のなかで、失業者が占める割合は全体の平均よりも低い。それに対して、それまで棄権していた人びとが、1928年から33年のあいだに投票所に足を運び、ナチ党の成功に貢献している[13]

1920年代の深刻な農業危機、29年に始まる世界恐慌など、危機が次々と訪れるなかで、ヴァイマル共和国の既成政党は安定した連立政権を樹立できずに無力をさらけ出していると有権者には思われた。既存の政党が、各々の支持勢力の個別利益を優先したことも、ナチ党には有利に働いた。多くの人は、抗議の意味でナチ党に投票したのである。このような状況を指して、トーマス・チルダースはナチ党を「抵抗の国民政党」と形容する[14]

ナチ党の戦略面にも巧みなところがあった。ここでは、共和国政府の貿易政策によって苦境に立たされ、不満を抱いていた農村地域に目を付け、1930年以降、「フォルク(人民、民族)」を強調して農民層に訴えかけたことを挙げておこう。この農村進出戦略は功を奏した。

こうして、ファシズム研究者のケヴィン・パスモアが述べるように、「ナチは、それまで多くの政党がなろうとしてきた政党、すなわち、対立し合っているような集団までも単一の運動のなかに融合してしまうような国民政党になる、という点で、最も成功を収めた」のである[15]。石田勇治も、「ナチ党躍進の鍵は、この政党が国民政党となったことにある」と指摘している[16]

とはいえ、ナチ党が単独では政権を握れなかったことは忘れるべきではない。多くの研究が指摘する通り、保守派の助力なくしてヒトラーが権力を握ることはなかった。さらに言えば、保守派は、首相就任後もヒトラーを引きずり下ろすことができた数少ない勢力であった。しかし、彼らはその機会を逸したのである。ヴァイマル共和国の保守派は、自己の利益や権力や名声を守るために、民主主義を放棄してナチと手を組むことを選んだのであった。


[1] ごく簡単なヴァイマル共和国史として、拙稿「ヴァイマル共和国――「即興デモクラシー」のゆくえ」森井裕一(編)『ドイツの歴史を知るための50章』、明石書店、2016年、209-214頁。
[2] アンドレアス・ヴィルシングほか『ナチズムは再来するのか――民主主義をめぐるヴァイマル共和国の教訓』板橋拓己/小野寺拓也監訳、慶應義塾大学出版会、2019年。
[3] ヴァイマル期と現代を比較した同様の優れた企画として、次の2冊を挙げたい。Hanno Hochmuth u.a. (Hg.), Weimars Wirkung. Das Nachleben der ersten deutschen Republik, Göttingen: Wallstein, 2020: Martin Sabrow (Hg.), Auf dem Weg nach Weimar? Demokratie und Krise, Leipzig: Akademische Verlagsanstalt (AVA), 2020.
[4] 以下の記述は下記の拙稿に基づく。「ヴァイマール共和国100年――そのアクチュアリティをめぐって」『ドイツ研究』第54号、18-24頁、とくに18-19頁。
[5] AfDやペギーダにつき、拙稿「変貌するドイツ政治」成蹊大学法学部(編)『教養としての政治学入門』ちくま新書、2019年、307-333頁を参照。
[6] Eric D. Weitz, Weimar Germany: Promise and Tragedy, Weimar Centennial Edition with a New Preface by the Author, Princeton: Princeton University Press, 2018 (1st ed. 2007), p. 77 f.
[7] ベンジャミン・カーター・ヘット『ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか――民主主義が死ぬ日』寺西のぶ子訳、亜紀書房、2020年(原著2018年)、121頁。ヴァイマル共和国史やナチの権力掌握を扱った文献は夥しいが、本書は最新の研究をふまえつつ、一般読者にも分かりやすく、ときに現代との類似性を示しながら、ヴァイマル共和国の崩壊を論じている。本書の原題は「民主主義の死(The Death of Democracy)」であり、ヘットは現代世界が「1930年代に酷似している」という危機意識のもと、30年代の過ちを繰り返さないために本書を書いたという。
[8] 同上、122-123頁。
[9] ウーテ・ダニエル「政治的言語とメディア」ヴィルシングほか『ナチズムは再来するのか』、46-47頁。
[10] Shelley Baranowski, The Sanctity of Rural Life: Nobility, Protestantism, and Nazism in Weimar Prussia, New York: Oxford University Press, 1995, p. 102. ヘット『ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか』、126頁に引用あり。
[11] 同上、132-133頁。
[12] ユルゲン・W・ファルター「抵抗の国民政党」ヴィルシングほか『ナチズムは再来するのか』、53-54頁。
[13] 同上、56-59頁。
[14] 同上、63-64頁。
[15] ケヴィン・パスモア『ファシズムとは何か』福井憲彦訳、岩波書店、2016年、215頁。
[16] 石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』講談社現代新書、2015年、100頁。

    • 政治外交検証研究会メンバー/ポピュリズム国際歴史比較研究会メンバー/東京大学大学院法学政治学研究科教授
    • 板橋 拓己
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