米国における産業クラスターの発展―ケーススタディ1:サンディエゴ | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

東京財団政策研究所

詳細検索

東京財団政策研究所

米国における産業クラスターの発展―ケーススタディ1:サンディエゴ
画像提供:Getty Images

米国における産業クラスターの発展―ケーススタディ1:サンディエゴ

February 28, 2023

R-2022-126

はじめに
現状
歴史的背景
産業クラスター形成における背景分析
日本への示唆

■はじめに

サンディエゴは、カリフォルニア州南部に位置し、イノベーションの文脈において、世界有数の産業クラスターである。ライフサイエンス・バイオテクノロジーや通信・IT分野を中心に、半導体、ライフサイエンス、IT、ソフトウェアなど様々な分野の新興企業が生まれ大きく成長してきた。本稿では、サンディエゴが産業クラスターとしていかに現在のような姿になったのかをレビューし、日本への示唆を述べる。

■現状

都市の規模としては、サンディエゴは人口約138万人(2021)と北米第8番目の規模を持つ。産業としては、軍需関連、観光、国際貿易、研究開発及び製造業の規模が大きい。産業構成自体は一見伝統的だが、SAN DIEGO INNOVATION REPORTによれば、イノベーション関連企業が直接生み出した売上高(2019)は610億ドル以上となっており、サンディエゴ経済への直接的な経済貢献、間接効果や誘発効果を含めるとサンディエゴのGDP総額の24%に相当する影響をもたらしているといわれる[1]

サンディエゴは2021年のベンチャー投資額が90億ドルを超える全米有数のスタートアップ支援地域である。業界分野別にみると、ライフサイエンス分野のスタートアップに対する投資が全体の75%(2018)を占める[2]

サンディエゴでは積極的な産学連携が特徴的で、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)はその中心にある。UCSDはTIMES誌ハイヤーエデュケーションにおいて世界34位(2022)であり、例年東京大学の国際的な評価に一面では匹敵している[3]

近年(2018年)ではAppleがサンディエゴに1,200人規模の研究拠点拡大を発表するなど、大手IT企業の誘致にも成功しているほか、サンディエゴ州立大学(SDSU)を中心にした地域開発(SDSU Mission Valley)も2020年から起工を開始している。

またIllumina, Beckton Dickinson, Eli LillyやPfizerなどバイオ・医療企業の研究拠点の他、世界有数の半導体メーカーであるQualcomm本社があることで知られる。サンディエゴにおいては、精密医療(Precision Medicine)、ゲノム、デジタルヘルスなど、ソフトウェアとの融合分野での存在感が大きいことは特筆すべきことである[4]

サンディエゴはロサンゼルス圏の隣に位置する都市であり、ロングビーチからサンディエゴに一帯にかけてはテックコーストと呼ばれることもある。ロサンゼルスは390万人を超える人口を有している大都市圏だが、その3分の1程度の規模であるサンディエゴは、このような広域経済圏の中で、特定の高付加価値産業が集積する、ユニークな役割を持っているといえるだろう。

以降は、歴史的な背景とともに、上記を可能にした要素に関して分析する。

■歴史的背景

  • 軍需産業都市としてのスタート

まずサンディエゴは、人気映画「トップガン・マーヴェリック」の舞台にもなっているように、軍事拠点として太平洋西岸における軍港として著名である。1908年のルーズベルト大統領の訪問等をきっかけに海軍の航空基地(Naval Air Station)が建設された。サンディエゴの気候が軍事演習に最適という理由からとされており、1940年代には、海軍研究所(現SPAWAR-航空海事交戦システムセンター)も完成している。1922年に航空学校が設立され、1932年にフリート合資航空会社がサンディエゴ市内に工場を作ったことがサンディエゴの航空・防衛産業や宇宙産業の起点となった[5]

特に、SPAWARはサイバーセキュリティーの専門家を含め 4,000 名以上のエンジニアを配置し、毎年日本の海上自衛隊と大規模な合同訓練も行っている[6]

第二次世界大戦後、連邦政府に務めていた多くの研究者がサンディエゴに移り住み、研究を続けたことが、サンディエゴに多くの研究者・技術者を抱えるきっかけとなったとされている[7]。長らく主な産業は観光、不動産開発、及び軍需関連であったが、冷戦が終盤になるにつれ、基地経済の機能低下が顕著となり、1985年頃までサンディエゴは経済危機に苦しんだ。その後冷戦の終結に伴い、軍需依存型都市から自立型経済構造への転換が進められてきた[5]

  • カリフォルニア大学サンディエゴ校(以下UCSD)や研究所の設立・集積によるリサーチクラスターの発展

1960年、UCSDがカリフォルニア大学機構の7番目のキャンパスとして設立される。エンジニア養成のための工学部設置を強く要望する地元軍需産業関係者を振り切り、物理学と医学を中心とする知の殿堂を目指し優秀な学者を集めた[5]

UCSDの近隣地区にはソーク研究所(Salk Institute for Biological Studies)があるが、これはポリオワクチンを開発したJonas Salk博士によって1963年に創設された研究所で、数多くのノーベル賞学者を輩出するに至っている[8]

また同じく医学分野では、篤志家Ellen Browning Scrippsによって設立されたスクリプス研究所も近隣に位置する。その他、シドニー・キメル癌センター(1973年設立)、バーンハム研究所(1976年設立)、ラホヤ・アレルギー免疫学研究所 (1988年設立)等がある。1960年のUCSDの開学から20年をかけて、これら世界的水準の大学と研究機関が集積する所謂「知的クラスター」が直径4キロメートル以内に高密度に形成されている空間が誕生した[5]

  • 産学連携からの産業クラスター形成の発展

上記の研究機関の集積を発端とし、産学連携に伴う産業クラスター形成が活発化する。1978年、UCSDのIvor Royston教授とラボテクニシャンだったHoward Birndorfがモノクローナル抗体の医薬品開発会社(Hybritech) を設立した。同社は1986年、Elli Lily社に3億ドル以上で売却されることになったが、当時のElli Lily社の文化に合わない優秀な人材が次々と退職した結果、サンディエゴ周辺に幾多の企業を創業、産業クラスターの形成に寄与していくことになる。具体的には、 Gen-Probe, IDEC(現Biogen), Genesys, Aurylin Pharmaceutical, CancerVaxなど、Hybritechからの広い意味での関連スピンオフ企業は50を超す数となっていった[5]

また1998年、現在遺伝子解析の最大手企業となっているIllumina社がサンディエゴに創業される(2000年上場)。その創業の歴史を紐解くと、基盤となる技術や、5人の共同創業者たちは必ずしもサンディエゴの研究機関などにいたわけではない[9]が、サンディエゴに存在した豊富な研究人材や、投資環境の良さが起業につながった。2019年時点で、サンディエゴには960社のライフサイエンス関連企業が立地、約6.8万人がライフサイエンス関連産業に従事している[4]

一方で、通信の世界でも80年代には重要な会社が設立されている。Qualcommは1985年にUCSDの教授であったIrwin Mark Jacobs率いる7人のLinkabit(1968年創業でデジタル通信機器を開発)の元社員によって設立され、「QUALity COMMunications」のためにQualcommと名付けられた。当初米国政府の防衛プロジェクト向けの委託研究開発センターとして始まったが、同社の開発した衛星通信システムOmnitracsの需要が高くなるにつれて成長が加速し、1989年までにQualcommは3200万ドルの収益を上げ、同社の主力商品となる携帯電話ネットワーク向けの符号分割多重アクセス(CDMA)技術に対する研究開発資金を拠出できた。これがモデムチップの研究開発力と堅牢な特許ポートフォリオを武器として,Qualcommが長きに亘り移動体通信モデム業界の覇者となる基盤を整えるきっかけとなった[10]

上記のケーススタディから、サンディエゴに高度な産業クラスターが形成される発端として、世界的な研究機関の集積と、産学連携の重要性が伺える。

  • 支援組織の発達

また、起業家の創業を支援する投資家や起業家支援組織の存在も重要な要素を占めている。サンディエゴにおいても、1980年代から1990年代には、現地有力ベンチャーキャピタルが次々と設立されている。具体的には1983年にアバロン・ベンチャーズ(ITおよびライフサイエンス分野に投資)、1993年にフォワード・ベンチャーズ(ライフサイエンス分野に投資)、1994年にTimothy Wollaegerによるキングスベリー・キャピタル・パートナーズ(ヘルスケア分野に投資)等が挙げられる。

また、今でこそイノベーション・エコシステムを生み出す団体は世界の各都市に数多くあるが、サンディエゴにおけるConnectと呼ばれる起業家のための非営利団体(UCSD Extensionの学部長であったMary Walshokによって設立された、産学連携・マッチメーキングを促す組織)は非常に先進的な事例であった。その他、メンタリング、資金調達支援組織、コミュニティハブであるBiocom (1995年にサンディエゴに設立された世界最大級のバイオコミュニティ)や、オープンイノベーション拠点としてJohnson & Johnson Innovation, JLABS (2012年インキュベーション施設として設立)、LaunchBio (コワーキングスペースのネットワーク機関「BioLabs」の支援を受けて2016年に設立した非営利団体)が知られている[4]

■産業クラスター形成における背景分析

Walcott (2002)[11] は、(1) 優れた研究大学の存在、(2) Ivor Royston(Qualcomm創業者)、Howard Birndorf(Hybritech創業者)、Tim Wollaenger(地元ベンチャーキャピタリスト)、William Otterson(Connect初代ディレクター) などのリーダーシップ、(3) 地元エンジェル投資家やベンチャーキャピタル、Elli Lilyなど製薬企業などの多様な投資主体の存在、(4)産学間の低い壁、大手製薬企業とバイオベンチャーとの関係、自由な起業家文化の存在、(5) 研究・教育拠点、住宅地、ショッピングモールなどの生活環境、他方でバイオ研究に必要な建物・設備、活発な不動産産業の存在、を挙げている。一方で、富岡(2006)は、「行政の目立った介入は見られない」[12] としている。

  • 独特のカルチャー

サンディエゴはAmerica's finest cityとも呼ばれており、またロサンゼルスから車で一時間半ほどの距離に位置し温暖な気候に恵まれ、地域に長期間留まる人材が多い。また海岸や山や砂漠といった豊かな自然環境に囲まれ、食文化も豊かである。このような良好な生活環境が、地域への人材の定着をもたらしたことや、イノベーションを促す研究拠点や企業集積に大きな役割を担ったことは容易に想像できる。特に、ノーベル賞受賞者などの著名な研究者をサンディエゴの気候で魅了すれば、自ずと若い研究者もその元で学ぼうと移住するだろうという戦略が奏功したともされている[7]

また、そのような良好な生活環境の下、住みやすい持続的な都市を目指し、効果的な都市開発の計画実施をサンディエゴ市が行っていることも評価されている。2008年にはサンディエゴ市は都市開発の総合計画およびコミュニティプランを更新し、直近では持続可能な都市を目指してCity of Village戦略を発表し、American Planning Association計画賞を受賞するなど[13]、地元政府が良好な生活環境の充実に努めていることにも注目すべきであろう。

  • 産業フォーカス

サンディエゴの産業クラスター形成においては、世界的な研究拠点の集積と緊密な産学連携のもとに誕生したHybritechのような先進的な企業の創業事例、またIlluminaやQualcommなどの大手企業への成長が強力な磁力となり、良好な生活環境も相まって、バイオテクノロジー分野や通信分野に全米から高付加価値人材、また資本を継続的に集めることができたことが大きい。また複数の高付加価値産業を抱えることで、今後更に高度かつ膨大なコンピューティングが要求されるバイオテクノロジー産業とIT・通信産業間のシナジーも今後も期待されており、産業クラスター内に抱える産業分野の多様性の視点もあわせて重要である。

  • 結果としての強いコミュニティ

    ◦充実した高度労働人口の存在

2016年、San Diego Regional Economic Development Corporationは ”Talent: Where San Diego Stands”と呼ばれるレポートを発表し、サンディエゴ労働人口の教育取得度及びSTEM人材の集積状況と、今後の人材集積のビジョンを発表している[14]

そのレポートの中で、上記のような知的・産業クラスター形成の結果として、サンディエゴのSTEM関連雇用は人口シェア(per 1000) で米国2位、博士号取得者も人口シェア・ベース(ボストン・サンフランシスコ・サンノゼに次ぐ)で4位となり、また高齢者のうち学位取得者の割合は米国1位となったとしている。

 ◦篤志家・フィランソロピーの存在

サンディエゴに最大の支部を持つTech Coast Angels(TCA)は、アメリカでのエンジェル投資家グループの草分け的存在であり、1997年に創立されて以来、南カリフォルニアを中心に活動を続けており、起業初期の資金の出し手として重要な役割を果たしている。

またサンディエゴでは、多くの特定個人の資産がイノベーションを生み出す機関の設立に繋がっている。特に米国のジャーナリスト、慈善家であったEllen Browning Scripps (1836-1932年)は、スクリップス海洋研究所、スクリップス研究所の他、スクリップスカレッジ、サンディエゴ自然史博物館、サンディエゴ動物園などに資金援助した。1920年代までに推定3000万ドル(2017年ドル換算で37億ドル)の資産を持ち、その殆どを寄付した[15]。産業クラスター形成において、このようなフィランソロピーの役割も無視できない。

  ◦地元産業の協力

また新産業の創造に関して、地元産業の協力も極めて重要である。サンディエゴにおいて、不動産デベロッパーは新興企業とリスクを共有し、新産業発展において重要な役割を果たしたとされている。HybritechとQualcommの創業者は、起業当初、不動産デベロッパーの支援で良質なオフィスを確保できたとされている。

日本への示唆

  • 地域性を生かした知的・技術集積

サンディエゴは巨大なロサンゼルス経済圏に隣接しつつも、選択的な高付加価値産業の研究拠点集積を基盤とし、産学連携をベースに数多くの先端企業の起業を促し、独自の産業クラスターを形成してきた。また、特に高度人材のエコシステムの形成において、地元企業やフィランソロピーによる起業家支援、地元政府による良好な生活環境の形成努力も重要な役割を担っている。日本国内においても、大都市近郊の中核都市における産業クラスター形成を検討する上で、集積を目指す産業分野の選定、産学連携をベースにした創業支援、及び地域全体の営利・非営利コミュニティ全体の協力が不可欠であると考えられる。

  • 高度人材の育成、定着、及び投資の連鎖

サンディエゴにおいては、複数かつ横断的な分野の研究機関の設置に伴う高度人材の集積、育成に加え、中長期的にそのような高度人材が生涯をかけて、形成された産業クラスターに残ることで高度人材の流動性を生み、結果として複層的な人材エコシステムを形成している。産業クラスター内に長期的に根付いた人材による高付加価値企業の創業、および成功事例が共有されることで、将来的な高度人材誘致のおよび起業インセンティブにもつながり、更なる好循環が生まれる。日本における高付加価値産業の形成および人材誘致においても、産業クラスター内における長期的な人材定着の施策は不可欠であろう。

  • 産業クラスター形成における政府と民間の役割分担の明確化

サンディエゴの産業クラスター形成において、当初は基礎科学研究に対して、また軍事研究に関して多額の連邦政府からの財政支援が行われてきたことは事実であり、産業集積の初期の呼び水となったことは間違いない。一方で、研究集積拠点としての役割が明確化された後の産業クラスター形成においては、産学連携や起業、投資、人材エコシステムの形成などいずれも主たるプレーヤーは民間であり、政府と民間の役割分担の明確化が必要であろう。

日本国内における産業クラスター形成においても、研究助成資金の提供(政府)と、その後の事業化に対するリスクマネー供給(民間)とを切り分けることが重要である。あわせて、民間の活力と対象市場の中長期的な成長を見越した官民連携、特にフィランソロピーの活用なども含めた民間サイドの関与が、産業クラスターのサステナブルな形成において鍵であると考えられる。


参考文献

[1] Connect 2019, SAN DIEGO INNOVATION REPORT

[2] JETRO 2020, 南カリフォルニアのスタートアップ・エコシステム, p.13-19

[3] TIMES World University Rankings 2022 

[4] 経済産業省 2020, バイオコミュニティの形成, p6-7 

[5] 明石芳彦, 地域活性化ニューズレター. Volume 0. 大阪市立大学大学院創造都市研究科, p.9-10

[6] JFIT, The University of California at San Diego, 2016,「カリフォルニア州サンディエゴのIoTイノベーション・エコシステム」, p.13

[7] Greg Horowitt 2005, 地域経済の振興に係る戦略, p5-7 

[8] Salk Institute Webpage

[9] Tony, Czarnik 2019, Illumina- The Origin story

[10] QUALCOMM Incorporated History, FUNDING UNIVERSE

[11] Walcott, Susan M (2002) ―Analyzing an Innovative Environment: San Diego as a Bioscience Beachhead‖. Economic Development Quarterly 16(2):99-114

[12] 富岡一明 (2006)「製薬分野におけるバイオテクノロジー産業の実証分析」 p.127

[13] 芝田昌明, 小泉秀樹(2018)「米国サンディエゴ市におけるコミュニティプラン計画実施に関する研究」公益社団法人日本都市計画学会 都市計画論文集 Vol.53 No.2 2018年 10月 

[14] SAN DIEGO REGIONAL EDC 2016, TALENT WHERE SAN DIEGO STANDS

[15] La Jolla Media Group, How One Woman Shaped La Jolla: The Legacy of Ellen Browning ScrippsLa Jolla

注目コンテンツ

BY THIS AUTHOR

この研究員のコンテンツ

0%

PROGRAM-RELATED CONTENT

この研究員が所属するプログラムのコンテンツ

VIEW MORE

DOMAIN-RELATED CONTENT

同じ研究領域のコンテンツ

VIEW MORE

INQUIRIES

お問合せ

取材のお申込みやお問合せは
こちらのフォームより送信してください。

お問合せフォーム