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医療供給体制と構造的制約-日本のコロナ病床確保はなぜ困難に直面したのか-
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医療供給体制と構造的制約-日本のコロナ病床確保はなぜ困難に直面したのか-

March 22, 2023

R-2022-138

政策課題としての医療
制度としての医療
医療制度の形成過程
コロナ禍と日本の医療

筆者は20203月に『日本医療の近代史』(ミネルヴァ書房)を公刊し、医療制度の歴史分析を行った。本稿では同書をもとにわが国の医療構造の特性とその国民生活への影響について分析している。また、拙著公刊後に発生した新型コロナウイルス感染症への対処が、失政や準備不足というよりも医療体制の構造上の要因によって発生していることも明らかにしたい。まず、そもそも医療「問題」とは何か、制度としての医療の特性は何かを明らかにする。続いて日本の医療が形成された歴史的事情を概説し、最後にコロナ禍における日本医療の混乱がなぜ生じたかを考察する。

政策課題としての医療

医療は人間の生死や健康に関わっているため、それが機能するか否かは一般市民にとっても重要な関心事である。病気やけがの際に十分な処置が安い費用で受けられる。複雑で難解な医学的処置の中で、不安だらけの自分に寄り添う温かさもあって欲しい。人が医療に求めるものは多面的であり、それゆえに医療に求める理想と現実の乖離に対して様々な批判が生じるのはある意味で当然である。

ただし多面的ゆえに医療の何を問題にしているのかが噛み合わないことはあり得る。例えば先進医療導入の消極性という日本医療に対する批判と、医薬品の安全確保に慎重な厚生労働省のシステム擁護は、それぞれ異なる側面への着眼から生じる齟齬である。また科学技術としての医療は客観的でなければならない一方、対人サービスとしての医療における主観性や物語性を重視することもまた大切で、それは二律背反の関係にない。医療に関わる問題は、医療費、医療安全、先進技術、インフォームドコンセントなどさまざまあるが、まず、公共政策としての医療問題とは何かを整理してみよう。

医療とは一回性が高いサービスである。一般の消費財、例えばラーメンとか美容院であれば費用対効果の評価は誰でもできるが、自分の治療の是非や医師の技量評価、そもそも眼前の医師はホンモノかを非医療人が判断することは容易でない。また試行錯誤の連続で評価は妥当なものへ収斂し、下手な美容院や不味いラーメン店から客足は遠のく。ところが医療で「試行」して「外れ」を引いたら、「次」はない。そういう患者の不利益を回避するため、医療職の養成と免許制度は政府の管理下で厳密に実施されている。

資産や所得の多寡で受診機会に差が出ることは社会的に公平でない。そこで、政府は健康保険制度などを整備して、経済アクセスの改善によって国民の受診を保障している。しかも保険診療に伴う公定価格表を作成することで、一般国民は特段の知識も、面倒な医療者との交渉もすることなしに適正価格で受診できることになる。疾病保険がもたらす国民への便益は非常に大きいのである。さらに政府は、通常の市場を通じて提供できない医療、例えば非都市部やへき地、高度で特殊な機能などを提供し、通常の医事収益で賄えない赤字は公金で補填する政策医療を展開してもいる。

つまり、政府が国民に対して負っている医療上の責任とは、①医療提供の質保障②医療の経済アクセス保障③医療の物理的アクセス保障、にまとめられる。

制度としての医療

医療は高度な科学技術であり、その理解には高度な知識と技術を要する。専門外に対して閉じているような政策領域を、政治学では「政策共同体(policy community)」と呼ぶ。民主主義のもとでは高い政治的正統性を持つ議員や首長に対しても遮蔽性・自律性が高いため、共同体内で独占的に政策形成がなされていると考えられてきた。ただし、医療を含めた社会保障や公衆衛生など広義の保健福祉政策は、厚生労働省や都道府県庁保健福祉部などの公的機関で一般の行政職によって立案・実施されている。

ここで、広義の医療を「科学技術としての医学」と「医療制度(狭義の医療)」に分けてみよう。医師の優位の根拠である専門知識が必要なのは前者の医学領域である。そうした知識なしに有効な医学的指示はできないし、通常の医育経路を経ないで専門知識や技量を持つことは不可能なので、医学は医師たちの排他的独占が認められる。だが医育には政策決定や行政運営の訓練は埋め込まれておらず、医師たちは医療「行政」の専門家ではない。だから医療制度における優位を医師の地位は保障しない。また、前節で述べたように国家は、①供給される技術の質保障②経済アクセス保障③物理的アクセス保障の構築の責任を負う。医学知識は制度設計の前提ではあるが十分条件ではない。しかも医療のアクセス保障に関しては、医学内在的というより(政治的争点になった、社会の安定を図るなど)社会的要因に起因している。

医療制度の形成過程

日本医療の制度化過程を概観するために、まずは江戸まで遡ってみよう。当時の医療は漢方医学であり、医師は診療所で患者を診察し、代金として薬礼を受け取った。また診療自体を無償とすることで、職人的技術を超越した「仁術」としての医療という威信を得た。これら近世医療の特性は、現代にまで影響が及んでいる。日本の医療は病院でなく開業医主体であり、また医療費は技術ではなく薬や注射など「モノ」に課金する傾向が長く続いた。

明治維新後、近代国家日本の衛生的課題は感染症だった。明治期のコレラや大正昭和期の結核は、規模の大きさゆえに国家的対応が求められたが、両者には違いがあった。明治期には非医療者である警察が衛生行政も所管した一方、昭和期には駐在保健婦や保健所など地方行政機構の発展も伴っている。高度国防国家建設に向けて、周産期保健と結核対応を徹底する必要があり、より専門性の高いスタッフや機構を必要としたからである。いまもなおわが国では3万人超の保健師が地方政府で公衆衛生業務に従事しており、緻密で高水準な公衆衛生行政は他国に例を見ない。公衆衛生や疾病予防を重視し、地方政府も重要な主体として関与するのが日本の医療体制の特性であるが、それは戦後のGHQ/PHW体制ではなく、むしろ戦中期にその起源を遡ることができる。

一方、医療供給体制は戦後に大きく変わった。具体的には、①結核克服による疾病構造の変化②医学の発達で医療の中心が病院へ移行、病院建設ブームが生じた③国民皆保険化による医療アクセス改善と需要自体の増大④戦後の社会変化により家族介護力を失った都市部家庭における高齢者の受け入れ先問題⑤革新自治体の伸長などの政治変化によって、老人医療費無料化(=自己負担3割の公費負担)など福祉歳出の拡大、である。

本来、社会変動による福祉の社会化が生じた場合には、サービスの拡大・整備で対処すべきだったが、現実には今述べた5つの条件が相互に連関しながら、医療がその受け皿となっていった。疾病構造の変化で生じた病院ニーズを、開業医たちが引き受けた。開業医たちは医療の保険化と経済成長によって安定的で大きな利得を得た。それを元手に病院運営に乗り出したが、福祉歳出の拡大は、介護ケアを必要とする家庭にとって僅かな自己負担で高齢家族を入院させられるので、大いに歓迎すべきことだった。こうして社会的入院に代表される福祉の医療化が進んでいった。そういった入院先は、患者にとって利便性の高い近所の病院ではあるが、その多くは小規模の私立病院なので、政府の管理が及ばず高度な医療実践の場でもない。一方で、医療費がかからない以上受診抑制の動機がないから受診が爆発的に増大する。1970年代に隆盛を迎えた高齢者医療の厚遇は、それほど時間をあけずに財政上の問題に直面し、医療制度の争点は高齢者医療費の「適正化」へとシフトしていった。保険間財政調整制度や老人保健制度の創設と後期高齢者保険制度への発展的解消、あるいは保健所の機能縮小と対人保健の市町村移管など、80年代以後に採られた制度改革の多くは、高齢者医療費の抑制を直接の目的としたものだった。

マクロ的視点で日本医療を評価すると、高齢化が進んでいるにも関わらず医療費のGDP比率は先進国の中位に位置している。また国民の衛生状態の代理指標とも言える乳幼児死亡率は極めて低く、国民の平均寿命は世界最高である。つまり日本の医療は安くて良いのだが、それを支える要因として、地方政府による公衆衛生行政が緻密に展開されていることや医療機関のアクセスが極めて良いことが挙げられる。

コロナ禍と日本の医療

前節で述べたように、日本の医療は技術的水準が高く、国民の医療アクセス保障も充分な点で制度として優れている。特に地方政府が効果的な公衆衛生行政を展開しているため、感染症や中毒から防御され住民の衛生は保たれている。実際、パンデミック初期の感染率は日本で著しく低く、今日もなお(高齢化率が高いのに)低い死亡率を維持している点に世界的注目が集まっている。だが数度の波状の中で患者数がピークに達すると、病床や保健所などの機能逼迫が何度も観察された。安くて良い医療と優れた公衆衛生が達成されながら、なぜ医療は逼迫するのだろうか。

制度史的に考えると、そうした日本医療の長所がパンデミックでの脆弱性の原因だといえる。日本では小規模の私立病院が散在しているが、そもそも政府には医療機関の診療体制に対して直接介入する法的権限がない。しかも地方の衛生行政機関である保健所は日常的に病院と関わる業務をしていない。したがって、新型コロナ症の入院調整をしたり患者を診療につなげたりすることは、政府セクターの手に余る任務だった。

権限がなくとも病院の設置主体の多くが国公立ならば実質的に関与できただろう。例えば203月に安倍首相が決断した一斉休校は、明示的な権限に基づく要請ではないが、小中学校の大多数が公立である日本の教育システムで実質的な効きめがあった。だが160万超の日本の病床の多くは私立病院のものであり、政府の影響力は及ばない。しかも福祉代替的機能で存続してきたそれらの病院は、規模が小さく個室でもなく、新型コロナ症に脆弱な高齢患者を収容している。政府の要請を受け入れる物理的な余地は、どのみちなかったのである。感染抑制に成功しながら、病床供給で異常な逼迫に直面したのは、日本の医療供給体制が歴史的・構造的に有している制約から生じるものだといえる。

保健所の逼迫についてはどのように考えればよいだろうか。戦時中に設置され、占領下のGHQ/PHWも推進した保健所は、府県と政令市に設置される衛生行政機関であり、対人保健(感染症や周産期など)と対物保健(食品衛生や水質保全、動物、医事など)を所管とした。医師所長が法定必置され、多数の保健師に加え各種技術職や行政職員が配置されている。一方、予防医療を推進し国民健康保険財政を維持するために市町村にも保健師が置かれ、日本の公衆衛生行政は地方政府の二系統を通じて展開されている。

ただし、前節で述べたように高齢者医療費の「適正化」が80年代以降の医療政策における焦点だった。そのためには、住民に近い市町村の保健機能強化が合理的だから、府県保健所機能を対物と高度対人に集約し、周産期や高齢者など一般対人保健は市町村へ移管されていった。地方公務員総数は328万人(1994年)から280万人(2022年)へ大幅減少しているが、自治体の保健師は2.5万人(97年)から3.6万人(20年)へ増加している。増分の多くは市町村保健師で、行政改革の制約下でも政府・自治体が市町村保健機能の強化による高齢者保健と医療費適正化に寄せる期待の表れだといえる。

問題は、府県と保健所設置市、そして一般市町村の保健機能の間に一元的な指揮命令系統が存在しないことである。感染症の対処は、高度対人保健機能として保健所に残された。しかしそこで想定されているのは速度が遅く発生も稀少な症例であり、速度が速くコモン・ディジースでもある新型コロナウイルス感染症に保健所が対応するのは困難だった。しかも一般市町村の保健師は感染症制御の行政回路に組み込まれていないので、保健所の逼迫を市町村の応援で乗り切ることはできなかった。地方政府は二系統の保健行政機構を有しながら、相互に冗長性を担保することができなかったが、それは70年代以降の政治変動の帰結として現行の保健機能の切り分けが位置づけられているからである。

このように考えると、病床や保健所の逼迫は単にガバナンスや危機管理が欠如していたからではなく、医療機能形成の歴史的構造的制約のもとで発生したものである。したがって短期間のうちに、廉価で効果的な構造改革を行うことは非常に困難であろう。ただし、今回のパンデミックにおいても神奈川県や和歌山県、墨田区、沖縄県など複数の自治体で注目に値する参照事例もまた打ち出されている。こうしたGood Practiceに学び、そのエッセンスを地域医療や地域保健に活用していくことによって、漸進的ではあるが確実に効果をもたらす構造改革につながっていくのだと思われる。


 

医療の制度を理解するための参考図書

池上直己・J.C.キャンベル1996、『日本の医療―統制とバランス感覚』、中公新書

猪飼周平2010、『病院の世紀の理論』、有斐閣

北山俊哉2011、『福祉国家の制度発展と地方政府』、有斐閣

木村哲也2012、『駐在保健婦の時代1942-1997』、医学書院

    • 関西学院大学総合政策学部 教授
    • 宗前 清貞
    • 宗前 清貞

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