アメリカNOW 第58号 「オバマ政権誕生をめぐる文脈の再確認」:2010年の話題書で読み解くアメリカ(2) (渡辺将人) | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

東京財団政策研究所

詳細検索

東京財団政策研究所

アメリカNOW 第58号 「オバマ政権誕生をめぐる文脈の再確認」:2010年の話題書で読み解くアメリカ(2) (渡辺将人)

October 26, 2010

まもなく11月2日に全米で投票が行われる中間選挙は、オバマ政権の命運を決する。「政治の季節」を迎えているアメリカでは、ペーパーバックに版を重ねている今年度の話題作に改めて注目が集まっている。中間選挙及び選挙後のオバマ政権を読み解く上で、直接あるいは間接に参考になりそうな2010年の政治ベストセラーから数点を選び、前号に引き続き解説してみたい。今号で扱うのは、先ほど邦訳版も出た有名ジャーナリスト2人の手による、オバマ政権誕生に至る道筋の総括書である。

2010年度の政治関連書ナンバーワン Game Change の話題性の裏表

2010年度の政治関連書として話題性でも内容でも文句無しに一番と言えるのが、一流のジャーナリスト2人(マーク・ハルペリン、ジョン・ハイルマン)によって書かれたGame Change: Obama and the Clintons, McCain and Palin, and the Race of a Lifetimeである。ゲームの流れを変えてしまう「ゲーチェンジャー」に、彗星のごとく登場して大統領になったオバマの存在を重ねているタイトルだ。本書はペーパーバックとして益々版を重ねているが、9月末に日本でも『大統領オバマはこうしてつくられた』とのタイトルで朝日新聞社から邦訳が出た。本書をいわゆる「オバマ本」として片付けるわけにはいかない。中間選挙後のオバマ政権、そして2012年の大統領選挙を観察する上で参考になる情報にも満ちている良書である。

2010年2月某日、私はマンハッタン某所にある多目的スタジオで本書の著者2人に会い、本書について裏話を聞く機会に恵まれた。私もメンバーに入っているニューヨークの若手民主党クラブの会合で、著者2人を呼んで新刊トークイベントを行うことになったからだ。ニューヨークの若手民主党員は、2008年の大統領選挙で全米でも最も活発に選挙戦に参加した若年層集団であり、現在でも全米で有数の活動頻度を誇る。アメリカには民主党の若年層集団が数多く存在するが、ニューヨーク発祥で全国展開したものは少なくない。

しかし、反ブッシュ政権で結束を固めていたこれらの組織も、2008年の予備選では「分裂の修羅場」となった。当初は概ねヒラリー支持派が多かったが、選挙戦が進むに従ってオバマ派も増えてきた。弁護士、投資銀行勤務、非営利団体勤務など昼間に政治以外の仕事を持つ若者が、週末のキャンバシングに集合したが、ニューハンプシャーでもペンシルバニアでも、目的地に到着すると「ヒラリー陣営」「オバマ陣営」に分かれて行動する。日中はそれぞれ別の陣営で働き、夜はホテルで両陣営が仲良く飲み交わした。

こうして2008年の選挙を通して様々な形で絆を深めあったメンバーは、民主党関係者が2008年に2つに割れたことの苦渋を自らの体験として記憶に刻んでいる。その党内バトルの総括書であるGame Changeが出版の運びとなったことを受け、是非とも著者に疑問や意見をぶつけようという企画だった。

本書は発売前から、スキャンダル的な話題が先行していたこともあり、ヤングの本と似た「暴露本」だと勘違いされていた。民主党関係者ほど本書の噂に顔をしかめる者もがいたことは興味深い。オバマ政権内にいる旧知の若手に本書の感想をうかがったところ「選挙戦の争いは終わったのだから、次のことに目を向けないと」と顔を曇らせた。本書についての詳細なコメントは、民主党関係者として高い地位にある者ほど気を遣うのが、オバマ政権内に「共存」している「元」両陣営の面々に対する紳士的なマナーでもあった。それだけ本書に描かれている、オバマ・クリントン両陣営の争いのディテールが生々しかったとも言える。

本書を決定的に有名にしたのは、リード上院院内総務の問題発言報道である。本書内でリードがオバマのような黒人大統領は「肌の色が浅く」「黒人訛りもない」ので受け入れられるだろうと述べたという記述をめぐる、リード院内総務がオバマ大統領に謝罪し、それを大統領が受け入れるという騒ぎに発展した。しかし、この騒ぎの原因となった報道はミスリーディングだった。リードはオバマの将来を気遣っていたのだ。本書によれば、リードは、オバマは議会向きではないと考えていた。「ここにはいき場所はない」とオバマに伝えたリードは、上院議員に一生をかけるのではなく大統領を目指してほしいと考えていた。オバマを大統領にしたいと支援した、最初の人物だったと言ってもよい。本書の該当部分を引用する。

「当時、リードがオバマを支持していたのは疑いのない真実だった。オバマの演説能力に魅了されたリードは、アメリカも黒人の大統領候補を受け入れられるようになったと考えた。とりわけオバマのような、『肌の色が浅く』『あえてそのように話さないかぎりは黒人訛りもない』アフリカ系アメリカ人ならと」

つまり、リードはオバマに心底惚れていた。黒人大統領にさまざまな障害があったのがアメリカ政治の現実だとするならば、いよいよオバマならば大統領になってくれるかもしれない。そうした文脈で触れた部分にすぎない。該当部分だけを抜き出せば「差別発言」だが、文脈をしっかり理解すれば、むしろオバマに好意的な発言だとわかる。私は本書をしっかり読んだ複数のアフリカ系を含む民主党の政治関係者に、ワシントンとシカゴとニューヨークの3カ所でこの部分について聞いてみたが、全員が「問題ない」「なぜリードがスケープゴートにあったのか」と首を傾げた。

今に始まったことではないが、先行報道が本の内容を正しく反映していることは少ない。しかし、版元は話題になるなら一定のミスリードな誤読を容認することもある。案の定、本書におけるリード上院院内総務の発言の先行報道もほとんど誤報に近いものだったが、その後これをあえて訂正する動きはなかった。リードはたとえオバマが大統領になれる理由を挙げた流れでとはいえ、不適切だったと潔く詫びた。謝罪を受け入れたオバマは、悪意に満ちたものではないことを良く知っていた。騒ぎが起きた当時は、院内総務辞任かと勘ぐる向きもあり、議会共和党も一時興奮したが、辞任の必要がないことはオバマ本人が一番知っていた。

単なる「オバマ本」ではない。クリントン分析の深さに価値

本書の特徴の1つは、クリントン分析として比類のない深さを持っていることだ。邦訳は日本国内の「オバマ本」の扱いに合わせてオバマだけに焦点を絞ったタイトルは『大統領オバマはこうしてつくられた』になっているが、原題のサブタイトルには「オバマとクリントン、マケインとペイリン」が入っており、類書で既に多くが語られているオバマ論ではなく、勝てるはずだったクリントン陣営の敗因分析に多くの紙幅を割いている。チーム・クリントン論として秀逸だ。本書はクリントンパートだけを抜き取ってもそのまま出版可能な分量とレベルに達している。エドワーズについては、ダッシェル元上院院内総務を通して司法長官になりたい下心による「取引」をもちかけるなど、勝ち目のない選挙戦で3位の立場を最大限利用しようとする様が生々しく描かれている。エドワーズは当初ヒラリーを支持したほうが、自分を優遇してくれると踏んでいたが、敗者を支持するのを嫌ってオバマに乗り換えた。

第二の特徴は、頁の大半を予備選に割いていることである。全23章中のほとんどが予備選過程で、21章ぐらいにならないと本格的に本選が始まらない。これは2008年選挙戦の「密度」の配分をそのまま反映していると言える。イラク戦争の泥沼化と経済の悪化で、ブッシュ政権末期に民主党が圧倒的に有利な状況にあった中、大統領選挙の帰趨を決したのは、民主党の予備選とりわけ前年から本命視されていたクリントンと新星のオバマの一騎打ちにあった。本書は予備選過程に留まらず、2000年代全体に遡って、民主党内外の政治文脈を跡づける。時間軸の幅の広さは2008年選挙分析の枠を超えている。逆に言えば、2008年選挙、そしてこれからのオバマ政権を占うには、2000年代の政治的文脈が不可欠であるというメッセージが本書からは伝わってくる。

本書におけるハルペリンらのクリントン分析は、これまでに「アメリカNOW」や東京財団のシンポジウムで指摘してきた点とも符合する部分が少なくないので、以下検証してみたい。

文脈1:2004年の大統領選挙の見送り、その原因としてのニューヨークの有権者との「契約」

オバマとヒラリーの一騎打ちの運命を決めたのは、2004年の大統領選挙立候補を見送ったヒラリーの決断であった。そしてその決断は2000年のニューヨークでの上院選挙に源流が求められる。任期を全うすることを公約に上院議員になったことにヒラリーは最後までこだわったからだ。立候補賛成派が大半の側近のなかで、娘のチェルシーただ1人が「母は任期を全うせねばならない」と立候補に反対していたという本書の内容は現実感に溢れている。2000年のニューヨーク州からのモイニハン上院議員の後継としてのヒラリーの出馬は、地縁のない落下傘であり、地元に認めてもらうための選挙戦では、任期全うの誓約は特別の重みを持っていたからだ。上院選の過程にしっかり付き添っていたのは、チェルシーただ1人であった。ニューヨークの地元選挙民の目線を肌で掴んでいたチェルシーの反対は、納得できるものだ。

文脈2:イラク戦争

本書3章の冒頭で、ビル・クリントンによる「この予備選は本選より厳しいものになる」との主張が記されているが、そのクリントンの予測の根拠は、ヒラリーがイラク戦争に賛成票を投じたことに党内リベラル派が怒りを感じていることだったと本書にはある。マーク・ペンは、エドワーズのような投票を詫びる行為は有害と見なし、クリントンに修正を許さなかった。その根底に女性として最高司令官を務める上での配慮があったことが記されている。初動のペンの判断は、実は致命的であった可能性がある。随所で指摘されているように、リベラル派と女性票という本来のヒラリーの基礎票を少なからず失った原因に、ペンの判断があったからだ。

興味深いのは、夫のビルは、謝罪をするかどうかは別として、せめて中間的な立場は示せたはずだとしており、一般的に考えられている以上に党内情勢に現実的な判断をしていたという。これに対し、ペンは女性が最高司令官になることへの反発の予防線ばかりに固執して、肝心の党内基礎票の離反リスクが見えていないお粗末ぶりが描かれている。本書でもアイオワ戦で強力な武器として位置づけられているのがオバマの「2002年反戦スピーチ」だが、このスピーチを6年越しの2008年に燦然と輝かせたのは、オバマ陣営側の努力というより、むしろクリントン陣営内の判断であったとすら言えるかもしれない。

文脈3:本選か予備選か

クリントン陣営が本選を意識した選挙戦を展開し、オバマがまずとにかく指名を勝ち取る選挙戦を意識していたことは間違いない。ヒラリーにとって民主党内に敵はいないと本命視されていた以上、本選で共和党やアメリカの保守的な層に(本書の言うところの「白人の男性たち」に)女性でリベラルという印象の根強い人物を最高司令官に認めさせることに戦略の主眼があった。他方で、オバマにとってムーブメントの本質は民主党内での既存の序列の解体、いわば下克上であり、若者を味方につけた対ワシントンの反乱であった。上院一年目の新人、しかもアフリカ系が史上初めて党内で指名を勝ち取ることがまずは目標であり、そのためにはアイオワが全てであった。本書はクリントンが本選での勝利を見越して、政権移行までを早期に視野に入れた準備をしていた事実を描いている。

オバマ側近の最小ユニットの源流も2008年選挙

さて、現在のオバマ政権を理解するうえで手助けになる情報も随所に散りばめられている。象徴的なのはオバマのキャンペーンがアクセルロッド、プラフ、ギブスのシカゴの3人で運営されている情景だ。あくまでこの3人が基本であることが、本書では強調されている。「オバマとしては側近の数はなるべく抑えておきたかった」とも記されている。しかし、ミシェルとジャレットが3人組以外にも側近に入れるべきだと主張し、エマニュエルの跡を継いでホワイトハウスで首席補佐官になったラウスが後に、3人組に加わる形でワシントンからシカゴに通うようになった。3人組プラスのラウス、そしてミシェルとの接点でのジャレット。ここまでがオバマ側近の最小ユニットであることが、本書では如実に描かれている。ちなみにラウスがオバマの側近になった経緯は、ラウスが長年仕えてきたダッシェルの落選と引き換えであり、ダッシェルのDNAがオバマ政権に受け継がれたとすれば、それはラウスの存在である。

また、本書が明らかにした重要な点に、クリントン元大統領が、かなり早い段階から夫人のキャンペーンの枢要な部分に主体的に参画していた事実を克明に明らかにしたことがある。一般的にクリントン元大統領が表舞台に姿を見せ、妻の代弁者としてキャンペーンを展開したのは、予備選でもニューハンプシャー州やサウスカロライナ州辺りからのように認識されていた。テレビで頻繁にオンレコの発言するようになった時期がこの頃だからだ。しかし、実際にはアイオワ党員集会やニューハンプシャー予備選以前から、名誉キャンペーンマネージャー的な立場で、陣営内でかなりの影響力を及ぼしていた。

大統領経験者の配偶者が大統領選挙に立候補した場合、大統領経験者がどのような動きを見せるのか、どの程度個人的に選挙に関与するのかをめぐる前例として重要であり、今後も参照される事例となるだろう。本来、元大統領の存在は党にとってあまりに大きく、特定の候補者を支持表明するのは、予備選末期や本選後でという配慮も期待されるわけだが(2008年にゴアがそうしたように)、ブッシュ親子が二代続けて大統領になったことで、この手の党への配慮も、共和党側から半ばなし崩しになっていった経緯もあり、民主党支持の選挙民としてもクリントン大統領の選挙参画に甘くなった感がある。いずれにせよ、大統領経験者の退任後の政治関与の類型として、2008年のケースをもって「クリントン型」が確立されたのは興味深い。

ちなみにヒラリーについては、長年連れ添った側近ドイルとの別れのシーンで、情に深い側面も描かれている。オバマを持ち上げ、クリントンを貶す書ではないかという一般の予想を裏切り、クリントンの魅力も存分に描き出している。ヒラリーがオバマではダメだと感じていたのは、本書によれば最高司令官として務まらないと感じていたからで、本選での共和党との戦いでオバマが勝ち残れないのではないかと考えていたからだった。そうであれば、オバマが選ぶパートナーは外交で経験豊かな人物でなければならない。オバマが選ぶ副大統領候補をヒラリーはほぼ的確に当てていた。「バイデンは確率として二分の一、バイは四分の一、ケーンとセベリウスは八分の一」と予測しており、その通りバイデンになった。そしてオバマ政権でヒラリーは国務長官として、政権の外交面を司ることになった。本書はオバマ政権に流れ込む地下水脈的なコンテキストを、オバマではなくクリントン側に注目することで見事に可視化することに成功している。2008年以降、大統領選から今日に至るまで、オバマとクリントンは「民主党」というコインの裏表である。

ペイリン分析の叩き台を提供するエピソードの数々

本書が2010年中間選挙後も参照すべき価値を有している別の点に、ペイリンの人物像について深く掘り下げられていることがある。

既に周知のように、マケインが願っていた副大統領候補はリーバマンだった。リーバマンは候補の最終リストに載ることに対して「光栄であり、ぜひやりたい」と述べている。これが2008年7月中旬だった。マケイン側近は元民主党副大統領候補を迎え入れることのダメージは最小限に食い止められると見積もっていた。この考えを甘いと一蹴したのがカール・ローブだった。共和党大会は逃げ切れるかもしれないが、党を分裂させることになると警告した。本書によれば、ローブはリーバマンに直接連絡をとり「マケインは頑固なので言い出したら止まらない」「辞退してくれ」と懇願した。

陣営内はリーバマンを起用するかどうかで揉めに揉め、最終的にマケインがリーバマン起用は共和党の基礎票を離反させることを認めて引き下がった。この時点で共和党大会は1週間後だった。驚くべきことに、1週間後に副大統領候補を全世界にお披露目しなくてはならないのに、候補選びは白紙状態に戻った。そして、その原因はリーバマンだった。その過程を詳細に描きだしただけでも本書の価値は高いが、デンバーの民主党大会で終始、民主党の議員やスタッフが「リーバマンになりそうだ」「ユダヤ系票が割れる」と騒いでいた背景が、本書で私も再確認できた。

パニック状態に陥ったマケイン側近はリストの末端にあったペイリンに打診をはかる。そのときのマケインは乗り気ではなく、渋々認めたという。マケイン陣営によるペイリンへの「政治教育」は基礎からの促成教育だった。大統領選まではアラスカの仕事ではなく、大統領選に集中しなくてはいけません、という初歩から始まった。政策的立場の違いなど考慮せずに駆け込みで決定した副大統領候補だった。

マケインは基本的にプロライフ(人工妊娠中絶禁止派)だが、強姦、母体が危機にある場合など一定の例外を認めている。ペイリンは例外を認めない原理的プロライフだった。マケインは幹細胞研究に賛成だが、ペイリンは反対だった。マケイン陣営はペイリンにマケインと立場の違う問題について発言することを禁じ、ペイリンもそれを承諾した。当初、ペイリンは猫を被っていた。副大統領候補にしてくれたマケイン陣営にいい顔を見せようと何を聞かれても首を縦にふっていた。「進化論を否定しているのではないか」とマケイン陣営に聞かれても「父が理科の教師だったから」と安心を与えようとした。しかし、早々に化けの皮がはがれる。2008年9月、幹細胞研究支持の広告への出演で原稿を読むことをペイリンが拒んだのだ。

側近のカルヴァハウスがマケインに伝えた評価は「ハイリスク、ハイリターン(high risk, high reward)」だった。これに対してマケインは「自分はこれまでもリスクテーカーだった」と答えてペイリンを受け入れた。サイコロの目は「ハイリスク」のほうに出たことは周知の通りだ。自称「リスクテーカー」のマケインが、自分で選んだ道だった。

本書はペイリンへの厳しい評価が、民主党側からのみならず、共和党エスタブリッシュメントにも根強いことを指摘する。ホワイトハウス西棟地下のテレビ室でペイリン起用を知ったブッシュ大統領は困惑し、チェイニーは「向こう見ずな選択」だと切り捨てた。ペイリン問題は2点に収斂していた。第一に、あまりに急な起用だったため、いわゆる「身体検査」がほとんどなされずにペイリンを党大会の壇上に上げてしまったことだった。ペイリンがメディアを賑わすたびに、それらの噂が事実なのかどうか、マケイン陣営はペイリンにいちいちお伺いをたてなければならなかった。言い換えればオペレーション上の問題である。

第二に、言い古されていることであるが、ペイリンの資質である。ペイリンは北朝鮮と韓国がなぜ別々の国なのかを説明できず、9・11テロを起こしたのはサダム・フセインだと思っていた。こうした資質が短期間で解決する問題とは思えない。しかし、ペイリンは本選で基礎票を盛り上げた実績があり、アラスカ州知事の公職を無責任に放棄したあとも、大衆的人気が落ちない。共和党エスタブリッシュメントが、ペイリンを党の活性化にどのように処遇するのかは、中間選挙後の焦点の一つになろう。本書はペイリン論としても面白い。

首席補佐官を辞したエマニュエルが軌道に乗せたもの

マケイン陣営を一つだけ擁護しておけば、一般的に正副の大統領候補は世間で思われている以上に「他人」であり、陣営同士の動きも連携がないということだ。本書はオバマとバイデンが電話で話すこともほとんどなく、キャンペーンも別々だったこと、副大統領候補がオバマの毎夜の電話会議に入っていなかったばかりか、会議の存在を知らなかったことを明かしている。勿論、これは大統領選過程での話で、ホワイトハウス内での連携がこのままだというメッセージを本書が伝えているわけではない。オバマのホワイトハウスは、選挙戦のシカゴチームだけで孤立しないように、最大限の工夫を張り巡らせた。とりわけ興味深いのは、初代首席補佐官だったラーム・エマニュエルの起用である。議会回しに熟達した人物、あるいは中東外交での対イスラエル政策やリーバマンの一件で分裂気味のユダヤ系統合のシンボルとして評価されるが、隠れた功労は予備選での対抗馬クリントン派との仲介役であった。

本書の真骨頂はヒラリーに国務長官を打診し、逡巡しながらも最終的に職を受けるまでの過程を詳細に描いていることだ。ヒラリーの発言はカギカッコではないので、すべて伝聞ではあるが、かなりの再現度の高さで当時のやりとりが綴られている。一連の過程でヒラリーの説得を行ったのがエマニュエルだった。政権発足後もエマニュエルが首席補佐官としてホワイトハウスでオバマを支えたことで、オバマとクリントンの二人三脚が円滑に展開した側面が多々ある。そのエマニュエルが政権を去ったことは、「オバマとクリントンの争い」の和解・仲介というエマニュエルの隠れた大きな仕事が一段落した、つまりオバマとクリントンの二人三脚が本質的に軌道に乗ったと見て良いのかもしれない。

2010年夏以降、オバマ派のリベラル系議員の多くが、口々に「ヒラリーの国務長官としてのパフォーマンスは素晴らしい」と再評価する場面に、私も幾度も直面した。エマニュエルもホワイトハウスを去り、次の道へと踏み出した。その原点となるエマニュエルのオバマ政権発足時の最初の一仕事が、本書の巻末には描かれている。エマニュエルがホワイトハウスを去った今でこそ、熟読に値するシーンだ。

インタビューリスト添付なし「完全匿名」の成果

ところで、本書Game Changeに対する批判の1つに、情報源がまったく明かされていないことがある。かなり突っ込んだことが書いてあるのに、検証できないというものだ。確かに、巻末にインタビューリストもなければ、参考文献すら明示されていない。この種の本を書くとき、著者が迷うのは「質」を取るか「信憑性」を取るかの二者択一だ。「質」を取るなら間違いなくソースを明示しないほうが内容は深まる。多くの情報源はインタビューのさいに「名前が出ないこと」を条件にするからだ。「名前を出さなくていいなら、取材を受ける」という返事も多い。拙著『評伝バラク・オバマ』(集英社)でも、インタビューのアポ取りの段階でまったく同じ悩みに直面した。最終的に私は、引用部分は名前を出してリストに載せてもいいと承諾した人だけに限定し、それ以外の人には事実関係の確認材料にするに留めた。

ハルペリンらは情報源の名前を一切出さないで、内容の濃さだけを選んだ。名実ともに当代一流の政治ジャーナリストであるハルペリンとしては正しい選択だ。「ハルペリンの本だから、情報源不明で注もついてないけれど、本当に違いないだろう」という善意の解釈が、本書の野心的な企画を見事に成立させた。もし主要なソースを明らかにしなくてはならなかったら、本書の主要な情報源は取材に応じず、企画が成立していないか、成立しても内容は相当程度薄いものとなっていたに違いない。ソース不明の再現ドラマ風著作をどの程度、歴史的記録として扱うかは、著者が誰であるかも重要な判断材料になろう。

勿論、ハルペリンらが情報源の開示しなかったのは、鍵となるソースが誰かは、政治をある程度知ってる読者であれば、ほんとんど一目瞭然だからだ。いちいち明示するまでもない。多分あなたのご推測の通りかもしれませんから、という暗黙の姿勢である。ニューヨークで私達が行った若手イベントでも「本書は引用が明かされておらず、どうして内容を信じることができるのかという批判がある」という質問が出た。司会は「角度を変えて質問したい。ソースを守っているつもりのようだが、あまりにも誰がソースなのかが明らかだけど」と茶化し、会場を爆笑の渦に巻き込んだ。これに対してハルペリンらは「本書の内容の正確さについてのクレームはほとんどない」とした上で、リン・チェイニーとペイリンからはクレームがあったことを明かした。

「クリントン・パート」については、パッティ・ソリス・ドイルが情報源だろうと巷では言われている。ドイルとヒラリーの二人しか出てこないシーンが多いことに加え、裏切り行為としての情報漏洩に踏み切るだけの動機がいるからだ。クリントン組の中で、これだけのディテールを知り得た立場にいた人で、それを表に出すだけの「動機」がある人は限られている。予備選中にクリントン陣営を解雇されたドイルである。「オバマ・パート」はギブス報道官であると見られている。ギブス目線からの描写が多いことからも明らかだが、プレスとの接触が統制的に制御されているチームオバマで、ハリペリンのような大物ジャーナリストの相手をする人、記事や本をミスリードしないように上手に広報することが許されている権限を有する人はきわめて少ない。ちなみに、ヒラリー・クリントンの国務長官受諾の逡巡過程や手紙は、要請した側のオバマサイドの情報であるとされている。

「エドワーズ・パート」については、複数の名前が想定できる。「動機」からはアンドリュー・ヤングと思われがちだが、ヤングが関与していない選挙戦の現場チームの描写も多く、陣営内に複数のソースを持っていたと見られている。「ペイリン・パート」は間違いなくマケイン陣営である。マケイン周辺が惨敗の恨みをペイリンに一挙にぶつけている様が手に取るように分かる。マケインのスタッフは心底ペイリンが嫌いだった。

絶対漏らすはずのない人物(大統領や候補者などの当時者)と2人でしかいないシーンでは、そこに居合わせた相手側が情報源であるが、引用発言ではない、やたらと内省的なモノローグや解釈めいたものが混ざった描写があれば、その人も情報源であることが少なくない。1994年に出て話題となったボブ・ウッドワードのThe Agenda: Inside the Clinton White Houseは、ジョージ・ステファノプロスが情報源だったが、これは誰が見ても明らかだった。シーンの大半にステファノプロスが絡んでいたし、1人だけ比較的素敵に描かれていた。情報源には、自分を良く世間に見せる宣伝目的もあれば、悲劇のヒロインであることを訴えて同情を誘ったり、政治的窮地で保身をはかることを目的とするケースもある。守秘義務を破るリスクを取る動機は様々だ。

しかし、ジャーナリストの情報源への「返礼」は、原稿の描写を通して行ってはならない。ハルペリンはこの点をしっかりおさえていた。個別の登場人物が決して美化されていないのだ。情報源に対する原稿上の(実際はともかく)距離の取り方は見事である。この種の本は取材が困難で類書が限定される。ごく一部の情報源のコトバがそのまま「歴史」になってしまう恐れが常にある。それだけに、書き手もこの手の本に協力する情報源も、アメリカの政治史の記録に対する大変な責任を背負っている。ハルペリンとハイルマンは、責任の重みに対する配慮が見事だった。関係者から私が聞いたところでは、ホワイトハウスの本書への反応は良好だったそうだが、本書の記述は決してオバマを甘やかしてはいない。

ハルペリンとハイルマンによる合作方式の勝利

本書のもう1つの強みは、2人による共著形式であることだ。この種の本を2人で書く意義は少なくない。選挙取材のジレンマは、特定の陣営に密着しないと深いことは何もわからないが、特定の陣営に密着すると他の陣営のことは、ほとんど何も見えなくなることだ。これは単に物理的、時間的な配分の問題ではなく、陣営の報道関係者との信頼関係の問題でもある。ヒラリー陣営を担当する記者とオバマ陣営を担当する記者、共和党を担当する記者と民主党を担当する記者が同じ人物では、報道担当者との信頼がどうしても築きにくい。勿論、突発のイベントや候補者の動きにも即時に反応できない。そこでハルペリンらは2人で担当陣営を分ける「分割取材」を活用した。

主として予備選でのヒラリー陣営、本選での民主党オバマ陣営などをハルペリンが担当し、予備選でのエドワーズ陣営のほか、マケイン陣営など本選共和党陣営をハイルマンが担当したようだ。本書はシーンと章が概ね陣営ごとに分けられている。執筆の方法として陣営ごとのエピソードを解体して、まったく別の切り口で束ねてしまうこともできただろうが、2人体制の執筆法としてきわめて秀逸だったと言えよう。2人以上に取材者が増えると、執筆時点で収集がつかなくなる。誰でも自分が担当した候補者には思い入れがある。泡沫に終わり本選で意義を失っても、なるべく本にはエピソードを多く入れたいと望むのが人情だ。しかし、そうすると物語の「本線」が歪む。二大政党制の選挙本では、民主と共和に担当を分け合い、両方が本選の候補者に各自密着し、執筆分担を均等に与え合う完全な共著にするには、2人体制がベストなのだ。

ところで、出版当時ハルペリンらの個人的発言がオバマに好意的だったことは興味深い。「オバマが一期だけの大統領と言う人もいるが」という前出ニューヨークでの2010年2月の本書出版イベントでの質問には、「予測はしたくないが、彼は2期目も立候補するだろうし、共和党がここまでぼろぼろのときに出ない手はない」と答えている。オバマの抱える問題以前に、相手側の共和党の弱さが2012年にオバマが望みをかけられる大きな理由になっているとの見立ては妥当だろう。また「オバマの政策が選挙期間中から曖昧だったつけがきているのでは」との質問には、「彼ほど政策を具体的に示してきた大統領候補はいない。ウェブにはちゃんと細かく、ジョブ、教育、エネルギーの政策が書いてあるし、それを読まない人が多いだけだ」として冷静な判断を下した。

「本書の取材で予想と反して一番驚いたことは?」との質問への回答は、両著者で取材での担当章が違ったこともあってか、両者に違いがあった。ハルペリンにとっては、民主党エスタブリッシュメント内の反ヒラリーの動きの強さに驚いたという。チャック・シューマー、ハリー・リード、バーバラ・ボクサー、ジャネット・ナポリターノら穏健派もオバマを支持する反乱に加わっていたことが驚異的だったとした。ハイルマンは、マケイン陣営のサラ・ペイリンの副大統領候補起用のお粗末さに尽きるという。5日前まで副大統領候補の最終リストに名前すらなく、どたばたの中でスタッフが慌ててグーグルで確認するような形で決めてしまい、マケイン本人も誰だか知らなかったという過程には、ただただ唖然としたという。

「今後のアメリカの選挙でも変わらないことはなにか?」という質問に、ハルペリンとハイルマンは「メディアを舞台にしたフリークショー(珍奇な見せ物)」とシニカルに答えた上で、「オバマもまたそれを受け入れなければいけないのだ」と付け加えた。



■ 渡辺将人: 東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授

    • 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授
    • 渡辺 将人
    • 渡辺 将人

注目コンテンツ

BY THIS AUTHOR

この研究員のコンテンツ

0%

INQUIRIES

お問合せ

取材のお申込みやお問合せは
こちらのフォームより送信してください。

お問合せフォーム