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「イノベーション能力欠如モデル」の帰結:
政府に求められる自国・他国のイノベーションのインテリジェンス
写真提供:Getty Images

「イノベーション能力欠如モデル」の帰結: 政府に求められる自国・他国のイノベーションのインテリジェンス

March 5, 2024

R-2023-111

1.現代のイノベーション政策の正当化根拠
2.イノベーション能力欠如モデル下のイノベーション政策立案者に求められるもの
3.イノベーション政策立案者に具体的に求められるアクション

科学技術政策はイノベーションを促すためのものとして語られることが少なくない。では、イノベーション政策として科学技術政策が位置づけられたときに、なぜそのような政策が正当化されるのだろうか。イノベーションにつながり、その収益がイノベーションを起こした者に還流される[1]のであれば、例えば補助金を通じて積極的に介入する必要は必ずしも無い。研究開発に関する減税や、表彰を通じた信用の付与の形態でのインセンティブさえ設けていればよいことになる。

近時の科学技術政策の研究を手がかりにすると、大型の補助金を伴う科学技術政策の正当化理由は、「わが国にはイノベーションの能力が欠如しているために国際競争力を欠いている」という課題認識にあると考えられる。では、そのような課題認識を出発点としたときに、政府にはいかなる活動といかなる能力が求められるのだろうか。

1.現代のイノベーション政策の正当化根拠

広く共有されてきたイノベーション政策の正当化根拠は、イノベーションの公共財としての性質である[2]。平たく言えば、生み出されたイノベーションにただ乗りすることができてしまうために、合理的な主体であれば投資を十分に行わず、ただ乗りを目指してしまう、という性質である。しかし、イノベーションには経済成長との相関があるため、そのような状況は望ましくない。そのため、積極的な介入が好ましい場合がある、というものである。

この理解は未だ色あせるものではないが、国家間のイノベーションのただ乗りが可能なのであれば、各国が活発にイノベーション政策に投資を行うことの説明がつかない。確かに国際的な知的財産権制度の発展はイノベーションのただ乗りを難しくはしているものの、戦略的な保護をしない限りは模倣・追随にさらされてしまう[3]

この疑問に答えるものが、2019年にミュンヘン工科大学のセバスチャン・フォーテンハウワー(Pfotenhauer)教授らが公表した論文である。彼らが指摘するのは「イノベーションの能力ないし注意が不足しているために、社会課題解決ないし競争力獲得において課題が残されている」との正当化を基礎とする捉え方―イノベーション能力欠如モデル―である[4]

このモデルを裏付ける現実は各所で見られる。例えば2016年の欧州委員会では、欧州は米国や日本に比べてGDPに占める研究開発費が少ないために研究者やイノベーターの流出を招いていることを課題認識としてウェブサイトを通じて発信している[5]。わが国のイノベーション政策の文書[6]においても、イノベーションに関する能力の不足が国際競争力の欠如を生んでいるとたびたび記されてきた。 

2.イノベーション能力欠如モデル下のイノベーション政策立案者に求められるもの

この正当化事由の根底にあるのは、イノベーションによる国際競争力の獲得の要請である[7]。経営戦略論の観点では、戦略的に競争優位を獲得するためには、当然ながら現在および将来の内部資源と外部環境の分析を経て最適な計画(イノベーション政策)が立案されることが求められる。

このとき将来の競争力の獲得に重要な分かれ目となるものが、現状の正しい分析と、将来の読みである。とくに科学技術を起点としたイノベーションでは、開発、さらに市場の普及に時間がかかる。近年の研究では開発に少なくとも10年前後、普及に10年前後かかっていることが確認されている[8]。つまり、最低でも10年先を見通さなければならない。

しかも、厄介なのはイノベーションがビジネスとなった場合の、国際分業された「エコシステム」性である[9]。要するにイノベーションを起こしたとしても、製品・サービスとして展開するには国際的な分業が不可避的な状況にある。そうだとすると、イノベーションが製品となった場合に不可欠な構成要素(部品等)をどこの国のアクターが担うのかまでも先読みする必要が出てくる。

2024年現在の高精細の半導体を巡る議論でのファウンドリーが典型的であるが、その中で支配的な構成要素とそこを寡占するアクターが生まれることがある[10]。当然ながら国際競争の中で各アクターはそのような寡占的アクターが生まれないようにするのだが、技術開発競争や戦略そのものの質の差の結果、さらには意図せざる結果として有力なアクターが生まれてきている。

さらに、技術にはパラダイムが存在することは無視できない。例えば、電気自動車と内燃機関を伴う自動車ではパラダイムが異なる。パラダイムが異なる場合、淘汰(とうた)される前のパラダイムで有していた技術的な競争力はほとんど生きない[11]。外部環境の分析においては、そのようなパラダイム変化の可能性も読まなければならない。 

3.イノベーション政策立案者に具体的に求められるアクション

では、そのような読みはどのように実現できるのか。必要なアクションは次の3点である。

  • 科学技術フォーサイトの着実な実施と、政策への反映
  • 特許・論文の分析を通じた有力となりうるアクターの予測
  • 他国の科学技術政策の分析からの科学技術フォーサイト、有力アクター予測へのフィードバック
  • これらを総合した、ビジネス・エコシステムの予測

 

第一にあげた科学技術フォーサイトとは、将来の科学技術の発展がどのようなものになるのかを、専門家を通じて予測するものである。一つの道筋だけでなく、いくつかのシナリオが作られることもある。わが国ではNISTEP(文部科学省 科学技術・学術政策研究所)が中心となって科学技術予測調査を50年近く行っている。この蓄積は競争力につながりうる。

第二にあげた特許・論文の分析を通じた有力となりうるアクターの予測に関しては、特許・論文のデータから萌芽(ほうが)的な技術を予測する技術が急速に発展している[12]。わが国では特許庁が中心となって特許出願技術に関する動向調査を行ってきた。これを生かすことでいかなるアクターが技術的に力を持ちうるかの手がかりが得られる。ただし、技術分野によっては特許・論文では把握が難しい場合もある。専門家を通じた把握も必要である。

第三にあげた科学技術政策の分析は、他国の政策が、上記の科学技術や有力アクターの予測に影響を与えうるか否かを検討するものである。とくに自国に不利なアクターが有利になりそうな場合、それを迂回する研究開発が促されることがある。

そして最後にあげたビジネス・エコシステムの予測とは、これらの情報を総合したうえで、どのようなアクターがどの要素技術を担い、その要素技術がどの程度影響力を持ちうるかを予測することである。このアクションは管見の限り体系化されてはいない。わが国をはじめ先進国において、そのような取り組みが継続的に、かつ、公開の形態で行われている様子は見られない。

これらの取り組みは1回限りや数年に1度では不十分で、絶え間なく行う必要がある。ただ、これらを通じても高い精度での読みは困難であろうと思われる。そのため、様々な可能性に備えた分散的な投資も必要であろう。しかし、それは結果的には無駄を伴うことを意味する。イノベーションを推進するとはそのような多産多死を受け入れることであるというのが現代のイノベーション・マネジメントの到達点である。


[1] 例えば、知的財産権を通じた模倣・追随の抑制、政府による調達。

[2] 永田晃也.(2019). 科学技術イノベーション政策の正当性. SciREXコアコンテンツ. https://scirex-core.grips.ac.jp/2/2.0.3/main.pdf

[3] Holgersson, M., Granstrand, O., & Bogers, M. (2018). The evolution of intellectual property strategy in innovation ecosystems: Uncovering complementary and substitute appropriability regimes. Long Range Planning, 51(2), 303-319.

[4] Pfotenhauer, S.M., Juhl, J., Aarden, E. (2019). Challenging the “deficit model” of innovation: Framing policy issues under the innovation imperative. Research Policy, 48, 895-954.

[5] European Commission (2016). Why Do We Need an Innovation Union? European Commission. http://ec.europa.eu/research/innovation-union/index_en.cfm?pg=why.

[6] 一例として内閣府(2018). 平成30年度年次経済財政報告の第2章第3節。

[7] 前掲注1 Pfotenhauer et al.(2019).

[8] 数十年の長期に及ぶものもある。例えば近年議論になっている極めて微細化された半導体の製造に用いられる露光技術である極端紫外線露光技術は1986年に提案され、1993年に米国が政策的に開発を推進したが、有効な形で実用化されるまでにそれから20年以上の年月を経なければならなかった(参照:木下博雄(2012) ナノデバイス量産に向けた極端紫外線リソグラフィ技術の開発. 応用物理, 81(5), 391-395.)。

[9] 吉岡(小林)徹(2022). 科学技術・イノベーション政策で「オールジャパン」を強調することの負の側面. 東京財団政策研究所. https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=3924

[10] このほかにもパーソナル・コンピューターにおけるIntelMicrosoft、第三世代携帯電話におけるQualcommが典型例である。これらに対しては経営学から数多くの考察が加えられている。

[11] Furr, N. R., & Snow, D. C. (2015). Intergenerational hybrids: Spillbacks, spillforwards, and adapting to technology discontinuities. Organization Science, 26(2), 475-493.

[12] 例えば、Kyebambe, M. N., Cheng, G., Huang, Y., He, C., & Zhang, Z. (2017). Forecasting emerging technologies: A supervised learning approach through patent analysis. Technological Forecasting and Social Change, 125, 236-244.

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