東京財団政策研究所 No. 8

公益財団法人東京財団政策研究所のリーフレットです。非営利・独立の民間シンクタンクとして、外交・安全保障、経済・社会保障、環境・社会分野の政策提言・普及活動と、国内外で実施する各種人材育成プログラムを行っています。


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05束したのは、香港を野放しにするのではなく、徐々に管理を強化していくための“過渡期”を設けたためだと考えられる。それに対して、イギリス政府と香港住民が「一国二制度」を受け入れたのは、中国共産党の一党独裁体制がそこまで長くはもたないとみていたからだった。1997年、香港返還に際して、国際政治学者の間で、「香港の中国化」、または「中国の香港化」という二者択一の命題が提起され、議論されていた。今から振り返れば、「中国の香港化」を支持した論者は中国情勢を読み間違ったことになる。1997年以降の中国経済と中国社会における最大の契機は、2001年にWTOへ加盟したことである。このことは、その後の10年間の奇跡的な経済成長をもたらした。とくに、2008年の北京オリンピック・パラリンピックと2010年の上海万博は、さらに中国の経済成長を押し上げた。北京大学の張維迎教授(経済学)は、胡錦濤政権の10年間(2003-12年)を、経済的にはbestdecade(最高の10年)、社会的にはworstdecade(最悪な10年)、改革的にはlostdecade(失われた10年)と定義している。ここでいう最高の10年とは、年平均10%の経済成長を実現したからにほかならない。一方、最悪な10年というのは、所得格差が拡大し、腐敗が横行したことを指す。すなわち、勝ち組と負け組のいずれもが社会の現状について不満を募らせていたということになる。失われた10年とは、改革が停滞、ないしは、後退したことを示している。2013年3月、習近平政権は正式に始動した。当初、のゆえんである。また、米中対立をここまでエスカレートさせたのは、価値観の違いと安全保障上の対立という要因も見え隠れしている。具体的に述べると、中国の拡張路線は、アメリカの安全保障上のテリトリーを脅かしているとみなされているのだ。そのうえ、詳細は後述するが、2020年7月1日に施行された「香港版国家安全維持法」はアメリカ人が信奉する自由、民主と人権からなる世界普遍的な価値観に違反しているとして、トランプ政権は強く反発し、香港行政長官をはじめとする関係者に対して制裁案を発令している。それに対して、中国政府は一歩も引かず、アメリカの議員などに対する制裁案を発表した。米中はこのようなつば迫り合いを、日々繰り返しているのである。「一国二制度」の終焉と香港の将来21997年7月まで、香港はイギリスの植民地だった。イギリス政府と中国政府は香港の資本主義を50年間変えないことについて合意し、香港が中国に返還された。それからわずか23年、香港に適用されてきた「一国二制度」が終焉に近づいている。これまでの23年間、香港住民は自らの権利を守り、民主化を求めて戦ってきた。中国の香港政策を振り返れば、経済の繁栄を保障する代わりに、香港に対する管理を強化してきた歴史がある。もともと香港は、レッセフェール(自由放任)の国際金融センターであり、国際海運センターだった。また、香港は独立した司法制度をもっていたが、香港返還後、中国による香港の司法への介入が始まった。そもそも「一国二制度」の枠組みは、どのようなロジックで存続できるのだろうか。香港の制度を正しく表現すれば、独立した司法制度と自由主義の組み合わせである。一方、中国の政治体制は中国独自の社会主義、つまり、「共産党の独裁体制」ということになる。現実的に考えれば、自由主義と共産党独裁の社会主義とは水と油の関係にあり、両者は相容れないものだ。それでも、北京が香港の「一国二制度」の存続を約近い将来、香港が中国の一都市に変わってしまう!?


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