東京財団政策研究所 Review No.03

公益財団法人東京財団政策研究所のリーフレットです。非営利・独立の民間シンクタンクとして、外交・安全保障、経済・社会保障、環境・社会分野の政策提言・普及活動と、国内外で実施する各種人材育成プログラムを行っています。


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06ていた。元紅衛兵の習近平国家主席は天安門の上に立って天下を見下ろす気分で、崇拝する偶像毛沢東と自らをいくらか重ね合わせたに違いない。毛沢東は「共産主義陣営のリーダーになる」という夢を実現できなかったが、習近平国家主席は自らの夢を実現しようとしている。それは中華民族の偉大なる復興という中国の夢である。この夢を実現するツールが、一帯一路の巨大なプロジェクトの推進と中国製造2025プロジェクトである。習近平国家主席およびその取り巻きを勇気づけたのは、世界銀行が試算した購買力平価で再計算された中国のGDPが、すでにアメリカを超えているといわれていることだ。習近平国家主席の「第3次革命」3習近平国家主席は中国で「太子党」あるいは「紅二代」と定義されている。それは革命世代の二世という意味である。二世としての使命は、親の世代が命を懸けて勝ち取った政権をこのまま維持していくことである。したがって、習近平国家主席の使命は共産党の統治体制をこのまま続けていくということにある。ここ数年のアメリカの対中政策にもっとも影響を与えた一冊の本『China2049秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」』*6は世界でベストセラーとなった。著者のピルズベリー氏は元CIA情報分析官として、中国関連の情報収集と分析を担当していたという。同氏の洞察力に基づく分かりやすい描写は、中国を詳しく知らない読者に強い印象を与えている。中国にとりソ連(当時)との関係悪化を受けて、それまで敵国だったアメリカとの関係改善は外交戦略上、現実的なオプションとなった。同様に、米ソの対立が先鋭化するなかで、アメリカにとり中国を取り込むことはソ連との覇権争いのバランスとして重要だった。要するに、米中の利害が一致したため、両者は急接近したのである。長い間、多くのアメリカ人にとり、中国はあくまでも貧しい発展途上国であるのに対して、ソ連はアメリカの真の脅威だった。だからこそ最高実力者だった鄧小平は1979年1月に訪米したとき、アメリカ人から熱烈に歓迎された。要するに、アメリカ人からみると、中国はアメリカの脅威でありえないということだった。歴史的にみて、中ロは同床異夢の関係だった。スターリンは社会主義陣営のリーダーだったが、スターリンが死去したあと、毛沢東は自分こそ共産主義陣営のリーダーであると自負していた。当然のことながらソ連(当時)はそれを認めない。毛沢東が死去する1976年まで中国新華社通信と人民日報はソ連のことを修正帝国主義と定義していた。外交戦略の必要性から中国は、アメリカとの関係を改善する必要があった。とくに、毛沢東が死去したあと、最高実力者鄧小平は「改革・開放」というプラグマティックな戦略へと方針を転換させた。鄧小平にとり経済成長を実現するには、アメリカの協力が不可欠だった。鄧小平およびその後継者たち(江沢民と胡錦濤)は中国の経済発展にとり平和な国際環境が必要であることを十分に認識していた。30年前の天安門事件(1989年6月4日)は国際社会、とりわけ先進国から経済制裁を受けたが、あれは中国共産党のリスク管理の失敗といえる。政治の民主化を求める学生と市民に対して、人民解放軍を動員して発砲を認めたことは最大の失敗だった。不幸中の幸いだったのは、それ以降も中国が「改革・開放」路線を継続したことだった。鄧小平の韜光養の考えを継承した江沢民政権と胡錦濤政権は国際社会と協調しながら、経済発展を図った。では、中国の外交政策は変化したのだろうか。2013年3月の全国人民代表大会で習近平国家主席とその指導部が正式に選出された。そのとき、中国経済はすでに日本を超えて世界で二番目となっ国民に支持される共産党を再生するには腐敗の防止が欠かせない。ChinaWatch2


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