タイプ
論考
プロジェクト
日付
2011/8/12

アメリカNOW 第78号 「ベースライン」で読み解く米国の財政問題(2)~決着していないブッシュ減税延長問題~ (安井明彦)

前回の拙稿*1では、米国債の格下げ問題をとりあげながら、米国財政の分析に欠かせない「ベースライン」の概念を紹介した。続編となる今回は、ブッシュ減税の延長問題を題材に、これからの財政再建論議におけるベースラインの重要性に焦点をあてる。

ベースラインの試練
前回の拙稿で述べたように、ベースラインは米国財政を分析する上で欠かせない概念である。しかし近年の米国では、そのベースラインの作成が試練に直面している。大規模な政策の今後が不透明だからである。

復習すると、米国財政の世界でいうベースラインとは、これからの財政を分析する際に基準となる財政の見通しを指す。大雑把な言い方をすれば、「新たな政策が講じられないという前提で予測される財政の水準」がベースラインである。

ベースラインが直面している試練は、この「新たな政策が講じられない場合」という前提条件に関連する。近年の米国財政は、この前提条件をどう解釈するかで、将来の財政の姿が大きく変わってしまう状況にある。

最大の理由はブッシュ減税にある。2001、2003年に始まったブッシュ減税は、当初は2010年末までの時限減税だった。その後、失効が迫った昨年末に2年間の延長措置が講じられており、現在では2012年末までの時限減税となっている。

ベースラインを作成する際の問題は、このブッシュ減税の失効をどう織り込むかである。「新たな政策が講じられない場合」という原則を忠実に守るのであれば、現行の法律で延長が決まっていないブッシュ減税については、「2013年以降は継続されない」という前提をたてることになる。しかし、ブッシュ減税の打ち切りは実質的な大増税を意味する。民主党・共和党の双方とも、減税の全面的な失効は支持していない。経済・政治の両面で大きな衝撃が起こり得る全面失効が、簡単に許されるとは考え難い。

こうしたことから、ベースラインの計算上も、「少なくとも一部の減税は延長される」とみるのが妥当ではないか、という指摘がある。2010年末に当初の期限通りにブッシュ減税が失効しなかったという事実も、こうした指摘を支援する材料になっている。

ベースラインとブッシュ減税の関係が議論になるのは、減税の規模があまりに大きいからだ。ブッシュ減税を全面的に延長した場合、これが失効した場合との歳入の差は、向こう10年間で3.8兆ドルに達する。これを向こう10年間の財政赤字に直すと、ブッシュ減税の延長を織り込むことで、赤字の規模は失効を前提とした場合の1.8倍以上に膨れあがる計算である。

ベースラインのそもそもの役割は、これからの財政政策を検討するにあたって、その大きさを測るための基準を提示することにある。その基準にこれだけ大きな違いが生じてしまうからこそ、「新たな政策が講じられない場合」の定義が重要になっているのである。

関係者の対応は別れている。議会の予算審議を司るCBO(議会予算局)は、伝統的なベースライン(ブッシュ減税は期限通りの失効が前提)を使い続けている。これに対して政権の予算編成を司るOMB(行政管理予算局)は、ブッシュ減税の延長などを見込んだ「修正済み」のベースラインを使っている*2

財政再建とブッシュ減税
ブッシュ減税とベースラインの関係は、財政再建に向けた今後の取り組みにも重要な意味合いを持つ。

舞台となるのは、2011年財政管理法によって定められた議会による財政赤字削減策の編成作業だ。財政管理法は、最低でも2.1兆ドルの財政赤字を二段階で削減するプロセスを定めている。このうち第一段階の9,000億ドルは、前回取り上げた裁量的経費への上限設定で達成されている。一方、第二段階の1.2兆ドル以上については、まず議会による削減策作りが試され、これが不首尾に終わった場合には、広範囲な歳出の強制削減を自動的に発動して確保する仕組みである*3

ここで財政管理法の成立に至るまでのバラク・オバマ政権と共和党の対立を振り返っておきたい。

今回の論争でもめたのは、債務上限引上げの条件となった財政赤字削減策の内容である。共和党が歳出削減に限定した削減策を求めたのに対し、オバマ政権は富裕層への増税を含めるよう主張した。政権の念頭にあったのは、ブッシュ減税のうち中低所得層向けの部分だけを延長、失効となる富裕層向けの部分だけを実質的な増税とする税制改正だ。共和党が妥協に応じるには、こうした税制改正への糸口をつかませない必要があった。

ベースラインが重要なのは、これにブッシュ減税をどう織り込むかによって、議会が編成すべき財政削減策が変わってくる可能性があるからだ。法律で歳出上限自体が決められている第一段階の裁量的経費と違い、第二段階の削減額はベースラインとの対比で決められている*4 。仮にベースラインにブッシュ減税の失効を織り込んだ場合、たとえ一部でも減税を延長すれば、(ベースライン対比で)財政赤字を増やす計算になる。したがって、議会が課題である1.2兆ドル以上の財政赤字削減策を編成するには、延長によって増加する赤字を飲み込める削減策を作らなければならない。一方、ベースラインにブッシュ減税の延長を織り込めば、これを一部だけの延長に切り替えることで(ベースライン対比の)財政赤字を削減でき、それだけ議会が追加で考えなければならない削減策の規模は小さくなる。

数字を使って説明しよう。

ブッシュ減税の失効を前提とした場合、向こう10年間の財政赤字が4.6兆ドルになるとする。これをベースラインとすると、議会は財政赤字を3.4兆ドル以下(4.6兆-1.2兆)に減らさなければならない。ここで、オバマ政権が主張するようにブッシュ減税のうち中低所得層向けの部分だけを延長した場合、財政赤字は7.4兆ドルにまで「増加」する。議会が財政赤字を3.4兆ドル以下に減らすためには、4兆ドル(7.4兆-3.4兆)以上の削減策を作る必要が生じる。

ブッシュ減税の延長をベースラインに織り込むとどうなるだろうか。向こう10年間の財政赤字(ベースライン)が8.4兆ドルになるとする。議会が達成しなければならない財政赤字は7.2兆ドル(8.4兆-1.2兆)以下である。先に触れたようにブッシュ減税を部分的に失効させた場合の財政赤字は7.4兆ドルなので、これだけで1兆ドル(8.4兆-7.4兆)の「削減」が稼げる。追加的に議会が考えなければならない削減策は、0.2兆ドル(7.4兆-7.2兆)で良いことになる。

こうした違いを政治の現実に引きなおすと、ベースラインの前提次第で、オバマ政権が求める税制改正を財政管理法のプロセスで実施しようとした場合の難易度が変わることがわかる。ブッシュ減税の失効をベースラインに織り込めば、たとえ部分的でもその延長を削減策に織り込むのは難しくなる。一方で、全面的な延長をベースラインの前提とするならば、部分的な延長への切り替えはがぜん魅力を増す。

対立の萌芽
財政管理法におけるブッシュ減税とベースラインの関係は、既にオバマ政権と共和党の争いの種になっている。

財政管理法が下院で可決された8月1日、ホワイトハウスのホームページに、オバマ政権のジーン・スパーリングNEC(国家経済会議)議長による一文が掲載された*5 。その主旨は、「財政管理法は赤字削減の基準となるベースラインを限定しておらず、議会は使用するベースラインの前提条件を指定できる」というものだった。

これに反発したのが共和党である。翌8月2日に下院予算委員会のポール・ライアン委員長は、早速自らのホームページに反論を掲載*6 。「財政管理法は通常の財政関連法と同様のベースラインの使用を定めており、議会が好き勝手な前提に基づいたベースラインを要求する余地はない」と指摘している。

対立の根底にあるのは、ブッシュ減税の延長問題である。財政管理法で定められているのは議会のプロセスであり、通常の手続きを踏むのであれば、基準となるのはCBOの予測、すなわちブッシュ減税の失効を前提としたベースラインになる。そうであれば、ブッシュ減税をたとえ部分的にでも延長するのは難しくなる。既に述べたように、議会は減税の延長分を飲み込めるだけの大きさの赤字削減策を作らなければならなくなるからだ。

ところがスパーリング議長が述べるように、議会の意図でベースラインを変更できるのであれば、OMBが使っているようなベースライン、すなわちブッシュ減税の延長を前提としたベースラインを基準とする選択肢も浮上する。この場合には、オバマ政権が目指すブッシュ減税の部分失効は格段にやり易くなる。だからこそライアン委員長は、「ベースラインに細工をするな」と釘を刺したわけだ*7

ベースラインをあなどるな
見逃せないのは、CBOのベースライン(ブッシュ減税の失効が前提)を使うと、ブッシュ減税の部分延長だけでなく、共和党が求める全面延長も難しくなるという事実である。ブッシュ減税を全面的に延長した場合の財政赤字(8.4兆ドル)は部分延長の場合(7.4兆ドル)よりも大きく、CBOのベースライン(4.6兆ドル)対比で1.2兆ドルの財政赤字を削減する(3.4兆ドル以下にする)には、さらに大きな削減策(5兆ドル以上)が必要になってしまう。

共和党がCBOのベースラインを擁護する狙いは、ブッシュ減税の延長問題を、財政管理法が定めたプロセスから切り離すことだと考えられる。財政管理法がCBOのベースラインを使う限り、ブッシュ減税の全面延長(共和党の主張)も部分延長(オバマ政権の主張)もそのプロセスの中では扱い難い。財政管理法を生み出した今回の妥協では、ブッシュ減税の延長問題を決着させるためのプロセスは完成していないとみるべきだろう。

ベースラインの選択による影響は甚大だ。例えばブッシュ減税の延長についても、何らかの形での延長で双方が合意すれば、これを実現しやすいようにベースラインを操作するという展開も完全には否定できない。そもそも、削減策実施後の財政赤字の水準さえも、基準となるベースライン次第なのである。

夏の議会休会が終われば、財政再建策の編成作業がいよいよ本格化する。過熱しがちな財政論議の本質を見失わないためには、どのようなベースラインを使って議論が繰り広げられているかを常に意識するようお勧めしたい。


*1:安井明彦、「ベースライン」で読み解く米国の財政問題(1)~米国債の格下げを巡る混乱~アメリカNOW第77号、2011年8月11日
*2:このほか、イラクやアフガニスタンでの戦費にかかわる将来の歳出をどう扱うかも、ベースラインの作成にとっての課題となってきた。
*3:財政管理法では議会に1.5兆ドル以上の赤字削減策の実施を求めている一方で、強制削減が発動されるのは1.2兆ドル以上の赤字削減策が実施されなかった場合と定めている。このため本稿では、議会が実施すべき削減策の規模を1.2兆ドル以上としている。
*4:第一段階の削減策の場合には、実際の歳出額に上限が決められているために、ベースラインの選択にかかわらず、削減策実施後の歳出額は一定になる。この点については、前回拙稿を参照いただきたい。
*5:Gene Sperling,Baselines and Balance, August 1, 2011
*6:Paul Ryan,A Response to Gene Sperling, August 2, 2011
*7:混乱しないように附言しておくと、ここで述べているブッシュ減税の「部分延長」と「部分失効」は、結果としての税率・税収といった観点からは同じ税制改正を意味する。たとえば所得税率でいえば、オバマ政権の主張が実現した場合には、ブッシュ減税が実施されている現在と比較して、富裕層向け部分の税率のみが減税実施前の高い水準に回帰する。にもかかわらず、同じ税制改正に「延長」と「失効」という逆方向の表現が当てはめられるのは、ベースラインの設定が違うからだ。ベースラインに全面失効を織り込んでいる場合、税制改正は(ベースライン対比で)中低所得層部分の税率だけを変更してブッシュ減税と同じ水準に下げること(部分延長)を意味し、ベースラインが全面延長を前提としている場合には(ベースライン対比で)富裕層の税率だけを上昇させる(部分失効)ことになる。

■安井明彦:東京財団「現代アメリカ」プロジェクト・メンバー、みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長