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2010/12/6

アメリカにおける政権交代-日本との比較 ~権力分立制、政治任用制、および分極化した政党制のもとで~ 久保文明

本論文では、アメリカの政権のあり方につき、日本との比較を念頭におきつつ、その概略を論ずる。

1.政権交代のパターン

大統領制のもとでは任期の終了時が政権交代となる。大統領が失職しても、副大統領が昇格するので、政権交代にはならない。アメリカの場合、4年ごとの選挙で当選した大統領が基本的には4年間務めることになる。不信任決議による辞職も、議会の解散もない。

大統領選挙の日程が憲法によって確定しているため、長い選挙戦も可能となる。2008年の場合、同年8月末から9月初めにかけて、民主・共和の二大政党は公認候補を正式に決定した。党内での選出手続きは、公式には同年1月初めにアイオワ州党員集会で始まった。実質的に勝者が決まったのは民主党の場合6月に入ってから、共和党の場合3月頃であった。ただし、多くの候補者は2007年前半には公式に立候補を表明していたし、それ以前からさまざまな準備を開始していた。これはアメリカでは普通である。

このような長期に及ぶ候補者選考は、議院内閣制では不可能であろう。

また、大統領候補は連邦議員である必要はなく、実際、しばしば連邦政治にまったく関わりをもったことがない政治家が登場し、当選してきた。最近でも、新しい方からみていけば、ジョージ・W・ブッシュ、ビル・クリントン、ロナルド・レーガン、ジミー・カーターとなり、ワシントン政界のインサイダーであった大統領(バラク・オバマ、ジョージ・H・W・ブッシュ)より多数当選している。ちなみに、これら4人の前職は全員州知事である(オバマは連邦上院議員であったが、まだ2004年当選の1期目であったに過ぎない)。

日本の議院内閣制のもとでは首相は国会議員から選出され、通常は閣僚や党の要職の経験者である。アメリカ型では党員が政党内での大統領公認候補選びに深く関与するのに対し、日本型では同僚の議員による評価が大きなウエイトをもつ。前者では未経験者の参入が可能であり、長期にわたってメディアや国民が評価を下すが、後者では経験者の中から長年にわたる同僚議員が中心となって、比較的短期間に(場合によると数日から1~2週間以内に)選出することになる。

すでにみたように、アメリカでは、連邦政治の経験が皆無の者が大統領となることも度々起きる。ただし、たとえ素人であっても、そのような大統領を支える制度、すなわち大統領執政府とそこに含まれるホワイトハウス・スタッフが強力である。

まずは、行政部における政権交代の様相をみてみよう。

2.行政部における政権交代

アメリカの大統領は日本の官僚制でいうと局長級まで直接指名する。ただし、その実際については、重要な変化をみてとることができる。

カーター大統領までは、大統領は閣僚を指名したものの、それより下の人事については閣僚が選んだ。しかし、レーガン大統領からは、大統領の側で局長級まで直接指名している。前者の場合、閣僚と部下の関係は円滑になる可能性がより高いが、大統領に対する忠誠心という点では弱い。後者の方法だと、大統領が、政党だけでなく、保守か穏健かなど、さらに詳細な基準で人選を進めることが可能であり、また大統領の思想やメッセージ、目標が行政部の中に浸透しやすい。レーガン大統領は保守派を重視した人選を進めた。それは、最近のジョージ・W・ブッシュ政権ではより顕著であった。

大統領が任命するポジションの数は3,500程度であるといわれる。当然ながら、時間と労力のかかる作業である。本選挙で勝利を予想した候補は、投票日前から任命のための準備作業を開始する。公式には、投票日後に連邦政府から資金とオフィスが用意され、選考作業が本格化する。これは1963年に制定された政権移行法(その後修正)の規定による(梅川健「過去の政権移行はどのように行われたのか」久保文明編『オバマ大統領を支える高官たち―政権移行と政治任用の研究―』(日本評論社2009年、48頁))。このように、高官人事任用に関わる政権移行については、近年政府の助成によって運営されている。

以下は、オバマ政権での高官任命について、簡単に触れる。

2-1 オバマ政権の場合―移行期および新政権構築
新政権の立ち上げは、当選が事実上決まった2008年11月4日の翌日から本格的に始まっていた。ただし実際には、オバマの当選が有力視されていたために、それ以前から、相当な準備が進められていたとみてよいであろう。11月6日には早々と、ラーム・エマニュエル下院議員を大統領首席補佐官に任命することが発表されたのが、その証拠である。

ここで、いくつか、オバマによる新政権立ち上げに見られた特徴を指摘しておきたい。

第一に、人事においては、やや地味であることも多いが、経験と能力を基準として人材を起用している。すでに2008年8月に行われた決定であるが、副大統領候補にジョー・バイデンを選んだことにこの点は象徴されていた。バイデンにはカリスマ性がほとんど皆無であるものの、上院議員としての経歴、とりわけ外交・安全保障問題の専門家としての評価は高いものがあった。

また、既述したエマニュエルの起用も同様である。エマニュエルにも派手さこそないが、クリントン大統領上級顧問としてホワイトハウスの運営を知り尽くし、なおかつ民主党下院選挙対策委員会の長として2006年中間選挙での民主党勝利に貢献した。これほど、ホワイトハウスと議会両方を熟知した人物も珍しいであろう。

さらにオバマが11月5日に立ち上げた政権移行プロジェクト・チームの委員長には、ジョン・ポデスタ、ヴァレリー・ジャレット、そしてピート・ラウズの3名が指名された。とくに注目に値するのが、ポデスタであろう。彼もクリントン大統領の首席補佐官を務め、現在はアメリカ進歩センターの所長兼CEOである。やはり大変な経験の持ち主である。

オバマは現職の連邦上院議員として大統領に当選したが、これは1960年のジョン・F・ケネディ以来である。ジョージ・W・ブッシュ、クリントン、レーガン、ジミー・カーターなど、最近の多くの大統領は、すでに指摘したように、州知事出身である。共通の特徴はワシントン政治への無知であり、州知事時代のスタッフに依存する傾向である。ときに、州知事時代の統治スタイルをそのままワシントンに持ち込もうとすることさえある。だからといってすべてが失敗例というわけではないが、傲慢さが表面化する場合すらある。典型例は、クリントンが当初大統領首席補佐官に任命したトマス・マクラーティである。彼はワシントン政治の素人であったが、クリントンの幼稚園時代以来の旧友ということで、この要職に任命された。当然ながら、ほとんど戦力にはならず、すぐに交代させられた。

その点、オバマは2005年1月着任で在職期間は短いが、たとえ大統領が強く望んだとしても議会で法律を一本通すことがいかに難しいかをよく認識できる立場にいた。初期の人事において、経験や能力を重視する傾向があったのも、それが一因ではなかったかと想像できる。

オバマの政権移行期のアプローチのもう一つの重要な特徴は、2008年11月12日に、主要な省庁の政策実績と課題を調査し、新政権の人事や政策立案に反映させるために、「省庁検証チーム」(Agency Review Team)を立ち上げたことである。135人が10のチームに分かれて活動した。これまでにも、この種のチームが設立されたことはあったが、今回は、投票日前にすでに立ち上げられていて、きわめて早い時期から活動を開始したことが特徴である。クリントン時代に行政部での経験をした人間が多いため、かなり深いところまで検証が行われたと推測できる。また、今後の政策課題などの検証にあたっては、ブッシュ政権もかなりの程度協力的であったと指摘されている。

ただし、あまりに詳細な政策提言を作成すると、実際に任命された新政権担当者によって拒否される場合もある(レーガン・チームの国防政策への提言は、81年にキャスパー・ワインバーガーによって拒否され、採用されなかった)。オバマのチームの場合は、そこまで踏み込まないことが当初から明確にされており、その点を評価する見解もある。

もう一つ、新政権を作る際のジレンマは、選挙チームからどの程度論功行賞として新政権の上位ポストに抜擢するかであろう。選挙のプロが必ずしも政権運営や政策の専門家とは限らない。勝利に貢献したというだけで選挙チームに希望通りのポストを与えると、政策立案上の経験や能力の点で見劣りする人事となる。
他方で、候補者を長年至近距離からもっともよく見てきたのは、選挙スタッフである、との指摘も存在する。オバマがどのような状況でどのような対応をしたか、あるいはどの問題に対してどのような発言をしてきたかなど、選挙スタッフでないと把握していない部分も多い。その意味で、選挙スタッフが政権上層部に加わることがきわめて重要であるとの見解も提出されている。

オバマ政権では、デイヴィッド・プラフ選挙委員長は当初政権入りしなかったが(ただし、途中から外部の上級顧問として助言している)、デイヴィッド・アクセルロッドやピート・ラウズらが大統領上級顧問としてホワイトハウス上層部に加わり、またロバート・ギブスが大統領報道官に起用されている。閣僚ではなく、政権全体の方向性や包括的な戦略に影響を及ぼしうるポストについているといえよう。

さらに注目点を付け加えれば、最後まで指名を争ったヒラリー・クリントンを国務長官に起用して、最大の反対派陣営と協力する態勢を整えたこと、国防長官のボブ・ゲーツを留任させ、国家安全保障担当大統領補佐官にジョン・マケインの支持者であったジム・ジヨーンズを登用し、さらにレイ・ラフッドを運輸長官に抜擢するなど、共和党員を要職に迎え入れて、超党派の姿勢を顕著に示したことなどが、特筆に価しよう。これは、ワシントンにおける民主党・共和党の政党対立の構造を打破すると誓った公約に忠実な人事であったともいえる。

2-2 オバマ政権の任用過程の特徴
以下では、約1年4カ月が経過した時点でのオバマ政権の人事の特徴について、いくつか指摘する。

オバマ政権の政治任用に特徴的な点として、政治任用過程の遅れがあげられる。政権発足後、大統領による指名は迅速に行われたが、その後の上院の承認過程は歴代の政権と比較しても遅れが顕著である。3,500ともいわれる政治任用職において、上院の承認が必要な官職は1,127に上る。とりわけ行政部では、526 の官職において政治任用が予定されていたが(非常勤の官職、大使、連邦検察官、連邦執行官は除く)、 2010 年 5 月 2 日現在、承認済みのものは 379 ( 72.1 %)に止まっている。 G.W.ブッシュ政権では最初の一年間で約81%の承認を終えており、それと比べてもオバマ政権の遅れは明らかである。オバマ政権では2009年中に承認済みのものだけでも、承認に要した期間は、ブッシュ政権第一期と比べて平均10日間ほど長くなっている。また、現在も多くの承認手続きが継続している状態であるため、すべてが完了する頃にはその期間はさらに長くなることが予想される。

政治任用過程が長期化した要因として、上院の承認過程における共和党保守派の抵抗があげられる。上院ではしばしば候補者個人の適性とは無関係に、政治的な理由から承認過程が中断されている。とりわけ現在は上院においても与党の民主党が多数派であるため、承認手続きの妨害は野党の共和党が選択しうる貴重な手段となっているおり、たとえば、関連する政策の執行を遅らせたり、特定のアジェンダに政権や世論の関心をひきつけるといった目的で用いられている。長期化をもたらしたその他の要因として、オバマ政権の人事を統括していたドン・ギプスが南アフリカ大使に就任し、人事の作業から離れたこと、政府と上院が経済問題、医療保険改革、イラクとアフガニスタンにおける戦争など、さまざまな案件に多くの資源を割かれていたことなども指摘されている。

一方、オバマ政権の政治任用では、エスニシティや性別の分布に配慮することにより、各集団の代表性を確保している。2010 年 5 月 2 日現在、政治任用職(承認済み、指名済み、指名告知を含む)の内訳は、アフリカ系は 54 名( 12.4 %)、ヒスパニック系は 39 名( 8.9% )、アジア系は 18 名( 4.1% )、女性は 140 名( 32.2 %)である。アフリカ系や女性の割合はクリントン政権に比べれば下がっているものの、歴代の政権のなかでは全体的に高い値を示している。オバマ政権ではとりわけヒスパニック系の増加が顕著であり、ヒスパニック系有権者への配慮がうかがえる。さらに、閣僚人事に関しては、15人中10人をエスニック・マイノリティや女性から登用しており、主要ポストにおける代表性の確保はかなり徹底して行われている(以上の分析は、菅原和行「政治任用の特徴」久保文明編『オバマ政治を採点する』日本評論社2010年、より引用)。

3.政治任用制の功罪

すでに述べたように、大統領が任命権を持つ官僚の数はおおよそ3,500人程度といわれている。ただし、これは連邦公務員全体からみると、0.1%に過ぎない。大統領は場合によると単に自分と同じ政党であるだけでなく、自分の政治的立場(政党の中でも右寄り、左寄りといった違いが存在する)と同じ人物を優先的に起用する。それは、すでに述べたように、レーガン、ジョージ・W・ブッシュの政権でとくに顕著であった。一般的には、大統領選挙の時からの忠実な支持者が登用される傾向も強い。ただ、現在は同時に、特定の政策に対する専門的知識や能力も重視されており、その結果シンクタンク研究者の登用も増えている。

アメリカの官僚制のあり方は、いろいろな意味でこんにちの日本の官僚制と対照的である。その長所・短所を政権交代の議論と関わる範囲で考えてみよう。

日本の官僚制には、政策の誤りを自ら直す、あるいは政策転換を積極的に主導するという誘引に乏しい。すでに施行されている政策を手直しすること、ましてや誤りであったと認めることは、組織の先輩たちを批判することにつながる。組織内での出世競争のみならず、しばしば退職後の就職の世話まで組織ないし組織の出身者に頼っている立場からは、そのような強い批判はしにくいであろう。

生涯を特定の官庁とそのネットワークの中で過ごす傾向が濃厚であるため、組織の中では、幹部候補であるキャリア組とそれ以外のノン・キャリアどちらについても、退職後の職の確保が重視される嫌いがあり、組織自体には、それを抑制するメカニズムはそれほど存在しない。散発的な政治家による介入やメディアによる報道が、数少ない抑制要因である。

わが国の政治で興味深い点は、いわゆる天下り規制や関連する組織の削減といった問題については、首相や内閣による上からの指示ですら、官僚組織による露骨な抵抗に遭うことが少なくないことである。このような点では、首相による行政部の把握・統制は、それほど強いものではない。
それに対して、アメリカの官僚制においては、政策変更あるいは政策転換について、積極的な体質をもつことを指摘できる。前任者が犯した誤りを発見した場合、あるいは政策転換の必要を感じた場合、彼らはさほど躊躇することなく、前政権が犯した「誤り」を暴露し、あるいは政策を変更するであろう。前任者は前政権によって任命された官僚であり、それは対立政党に所属する政敵であることが多い。誘因としては、むしろ前政権による誤りを積極的に国民に公開ないし暴露し、自分たちがいかに画期的な改善を行っているかをアピールすることにある。それが大きな政治的得点にもなるからである。

かつてわが国の厚生省において薬害エイズ問題が起きたが、このとき役所は問題を隠蔽しようとする体質を示した。アメリカの制度であれば、誘因は逆に動く可能性が高い。

アメリカの官僚制の長所としてもう一つ指摘できるのは、アメリカでは、多くの者が大統領に対する忠誠心を少なくとも一つの重要な基準として任用されていることである。逆に自分が属する局や省に対する忠誠心は、一生過ごす職場という意識をもつこともないため、あまり強くない。もしも大統領が再選に失敗すると、彼らもほぼ全員失職することになる。その意味で、彼らの運命は大統領と一心同体であり、職を賭して仕事をする。すなわち、自分の職務の成功は政権の成功につながりうるし、自らの失政は政権の再選失敗に帰着しうる。「重大な政策判断の誤りをしておいて一生涯居座る高級官僚」という例は、あまり存在しないであろう。セクショナリズム的発想もそれほど顕著でない。

比較の観点からもう一つ重要なのは、官僚制そのものの性格と同時に、大統領と官僚制との関係である。すでに述べたように、アメリカの制度の下では、局長以上の高級官僚は大統領が任命する。したがって、大統領にとって、官僚制をうまくコントロールすることはそれほど困難ではない。むろん、このようにして任命された者同士でも対立はある。歴代の大統領もそれに手を焼いてきた。にもかかわらず、日本の首相が直面する問題とは桁が違うように思われる。

日本の首相にとって、官僚ないし官僚制をどのように扱うかはつねに困難な問題であり続けてきた。日本の政治では、官僚制は一つの独自の勢力であるといっても過言でないであろう。世論にアピールするためにも、歳出削減のためにも、官僚の既得権を削減することは、最近の内閣が重視してきた政策項目である。しかし、ここで成果をあげることは、郵政改革のような例外はあるものの、しばしば官僚が激しく抵抗するため、それほど容易なことではない。アメリカ的感覚から言うと、首相が行政部のトップのはずなのに、なぜ官僚は首相に抵抗し、また抵抗できるのか、きわめて不思議であろう。いろいろな理由があろうが、首相自身、アメリカの大統領がもつホワイトハウス・スタッフのような直属の部下や組織をもたず、政策形成も法案作成も官僚に依存している。また、多くの議員は与野党を問わず、官僚に直接間接に依存し、あるいは官僚を通して配分されるさまざまな補助金や事業、あるいはそこで決定されるさまざまな規則や政策(規制や保護など)の受益者であるため、首相対官僚という状況においてしばしば官僚の応援団となる。また、首相の在任期間は普通あまり長くないため、長期戦に持ち込まれると、首相にとって分の悪い戦いとなってしまう。

とくに、現民主党政権のように、官僚と戦い、官僚に依存しない大方針を実践しようとすると、政治家によほどの専門能力が備わっていないと機能しない可能性が高い。そもそも、巨大な官僚機構の上に就任したばかりのわずか3~5人程度の政務三役で十分に組織をコントロールできるか、相当疑問であろう。しかも、アメリカに存在する民間のシンクタンクは日本にはさほど存在せず、そのようなところから助言を受けることもできない。

しばしば指摘されるように、アメリカの大統領直属の大統領執政府と、とりわけそこに包含されるホワイトハウス事務局は、大統領を制度的に支える強力にして巨大な手足である。大統領補佐官を中心とするこのスタッフ組織が、行政部各省庁に対して、議会に対して、またメディアや利益団体に対して、大統領が影響力を及ぼそうとする際の重要な制度的拠点となる。行政部に上から厳しい規律を課していこうとするのも、彼らである。国民に対する働きかけを行うことも可能である。大統領は、このような直属で自前、かつ自分に対する忠誠度がきわめて高いスタッフ組織を抱えているからこそ、外部に対して一定程度強力なリーダーシップを行使できるといえよう。

日本の官邸は、そもそもこのような機能という観点からみれば、さほど強くない。とくに、現民主党政権においては、内閣の中に規律をもたらそうとする官邸からの努力と力が弱かったように思われる。

要するに、とくに日本の議院内閣制においては、首相は行政権に属することであっても、十分に与党から独立して指導力を発揮しにくい。実は立法に関しても、与党が強く抵抗するものについては、法案の通過は容易でない。それに対してアメリカの大統領は、立法に関しては弱い立場におかれているが、行政権に属することについては、ある意味できわめて自立的な決定権限を握っているといえよう。そして何より、4年という確定した任期が指導力展開の大きな支えとなっている。
ちなみに、日本の首相は第二次大戦後の平均在任機関が約2年に過ぎないが、イギリスでは10年に及ぶ例も存在し(サッチャー首相11年、ブレア首相10年)、平均も約5年である。

4.立法府における「政権交代」

アメリカの大統領制においては、上下両院あるいはどちらかにおいて、与党が少数党に留まる「分割政府」状態が頻発する(第二次大戦後では、1947-48, 55-60, 69-76, 81-92, 95-2000, 01-02, 07-08年, 11年以降)。

政権交代が起きても、与党が議会での多数派になれなければ、政策の実現に帰着しないことも多くなる。そもそも、与党が多数党になったとしても、アメリカの政党の規律が弱いため、大統領が望む法案が順調に成立するわけでもない。そのような状況になるためには、大統領が選挙で相当の圧勝をすること、高い支持率を維持すること、そして自党の議員を多数当選させることが必要である。

オバマ大統領の場合、得票率で53%対46%であり、さほど圧勝とはいえない。民主党・共和党の議席数は、下院で253対178、上院では59対41であり、民主党が大幅に上回っているものの、共和党の反対が固い法案に関しては、必ずしも過半数を確実に見込める数ではない。とくに上院に関しては、民主党の議席が60に達していないため、少数党の議事妨害を防ぐことは容易でない。

オバマ大統領の支持率は就任時には70%近くあったが、現在は40%台前半から半ば程度まで下がっており、強い影響力を発揮できる数字ではない。

議院内閣制との違いは、とくに共和党が強い、あるいは同党と激しく競い合う接戦州から選出されている民主党議員の場合、共和党が強く反対する法案には共和党と同調する可能性が小さくないことである。

これは、2008年選挙において、マケイン票がオバマ票を上回った選挙区から選出されている49人の民主党下院議員によく当てはまる。あるいは、ブルー・ドッグと呼ばれる民主党保守派の議員集団もかなりの程度同様である。

民主党は2006年中間選挙と08年選挙で2回続けて大幅な議席増を達成し、少数党から70議席差をもつ多数党に伸長した。ただ、これは実力以上に議席が膨れ上がっていることも示唆している。実際、2010年中間選挙において、それを一挙に吐き出すことになった。

大統領が態度を表明した法案が、どの程度議会を通過するかについては、すでに統計が存在する。統一政府(与党が議会の上下両院で多数党になっている状態)の方が明らかに通過率が高く、分割政府ではその数値は落ちる。1993年94年にはクリントン政権は86.4%の通過率を誇ったが(上下両院の平均値)、95年にそれは36.2%にまで落ち込んだ(大統領が賛否を表明した法案について、どの程度大統領の意向が通っているかについての数字)。共和党が40年ぶりに上下両院で多数党になったからである。

かくして、議会は政権交代による大きな変動をむしろ抑制する場合が多い。

ただし、20世紀以降でみれば、1912年、32年、64年、80年のように、大統領が圧勝し、また多数の自党議員を同時に当選させたとき(coattail effect)には、巨大な変化が実現する。巨大な政治運動が政府を掌握し、政府と国民の関係を大きく変更する立法を矢継ぎ早に成立させるパターンである。ただし、アメリカでは、このような現象はそう簡単には起きないことに留意する必要があろう。

5.政党政治との関係において

政権交代について考える際には、政党制に注目する必要もある。1960年代のアメリカ政党制は、今日にかけて大きく変動し、大きな政策的変化ももたらした。アメリカの政党については、規律に欠けるため「責任政党」とはいえず、選挙で約束した政策を成立させる能力をもたないと論評されてきた。今日でも、日本やヨーロッパの政党が当然もつような固い規律をアメリカの政党が獲得したわけではない。しかし、さまざまな要因で民主党・共和党の二大政党は大きく支持基盤、支持する政策、価値観を変えて異なる政党となり、その結果異なる政党制を形成するに至った。現在、民主党と共和党はイデオロギー的にきわめて異なる政党となり、同時に、政党内部でのイデオロギー的な一体性はかつてと比較すると格段に増してきた。

アメリカ政党研究において、政党ないし政党制の変化を論ずる場合には、決定的選挙による政党再編論が多くの成果を蓄積してきた。それは1932年の選挙およびその後の政党再編の時期まではたしかに妥当する。しかし、それ以降現在に至るまで、1968年、1980年、1994年など決定的選挙の「候補」は存在するものの、1932年までにみられたような典型的な決定的選挙は登場していない。したがって、1932年を最後にかつてのような衆目の一致する決定的選挙による大規模な政党再編は起きておらず、むしろ現実に起きたのは漸進的かつ長期的な変化であったとみるべきである。

ただし、1960年代半ばから今日に至るまでの政党制の変化といっても、必ずしも二大政党制という形態そのものが変化したわけではない。アメリカの政党制は今でも相変わらず民主党・共和党という同じ二つの政党からなる二大政党制である。ただし、それぞれの政党の支持基盤は大きく変動した。また、民主・共和両党の力関係も変容した。1960年代半ばから2010年半ばまでを対象にすれば、民主党優位の体制から両党拮抗体制への移行である。また、1960年代前半にはアメリカ政治全体で、また共和党においてさえ周辺的な存在であった保守主義勢力が大きく台頭し、共和党内で主導権を獲得するに至った。この結果、政治的空間において、アメリカの政党制はかつてよりはるかに保守に傾斜した姿を見せるに至っている。この変化は、いうまでもなく、さまざまの政策に対してきわめて重要な含意をもつ。

ただし、政権交代と政策革新の関係については、すでに述べた分割政府の可能性といった、アメリカの政治制度の一般論からの説明とは別に、歴史的な文脈において、これとは異なった意味づけを与えることも可能であろう。

アイゼンハワー政権からケネディ政権に交代した際、そこから帰結した政策変更の幅や規模は、それほど大きくなかったともいえる。またジョンソン政権からニクソン政権への交代の場合も、ニクソン大統領がケインズ的経済政策を採用し、環境保護庁を設置したことにみられるように、かなりの継続性が存在した。フォード政権からカーター政権についても同様であろう。当時、穏健派主導の共和党と民主党の間には、ニューディール的政策や穏健な国際主義に依拠したソ連封じ込め政策について、かなりの程度合意が存在していた。

それに対し、1981年に成立したレーガン政権は、下院が民主党支配のままであったにもかかわらず、1954年以来の上院での共和党多数化にも助けられ、多くの政策革新を成し遂げた。

逆に1989年に成立したG・H・W・ブッシュ政権に対して、同じ政党であったにもかかわらず、共和党保守派は当初から懐疑心を抱いていた。果たして1992年選挙までに多くの保守派は離反した。政策的にも増税を受入れ、環境規制を強化するなど、G・H・W・ブッシュ政権が推進した政策には、レーガン路線からの転換と言えるものも少なくなかった。そして周知の通り、2001年1月のクリントン政権からG・W・ブッシュ政権への移行は、多数の根本的な政策革新を引き起こした。

ただし、たとえば金融機関に対する規制緩和という点では、クリントン政権からブッシュ政権への連続性はきわめて強いとの主張も存在する(Lawrence R. Jacobs & Desmond King, “The Political Crisis of the American State: The Unsustainable State in a Time of Unraveling,” Lawrence R. Jacobs & Desmond King eds., The Unsustainable American State (Oxford University Press, New York, 2009), pp.3-33.)。ただし、これが政策領域による特殊性によるものか、あるいはクリントン政権が民主党でも右寄りの路線をとっていたためであるか、即断はしにくい。
かくして、近年のアメリカの政党制の変容は、きわめて重要な政策的含意を含んでいると考えられるし、アメリカにおける政権交代の意味にも変更を迫ってきた。

おわりに

今日、アメリカの民主党・共和党の二大政党は、おそらくは日本の自由民主党・民主党の間の政策的違い以上に、イデオロギー的純化が進み、異なった政党となっている。アメリカの民主党・共和党間の亀裂は、経済政策(民主党は大きな政府、共和党は小さな政府)だけではなく、人種・エスニシティ(民主党は少数民族・人種に寛容、共和党はWASP中心)を巻き込み、さらに信仰のあり方(民主党は世俗派、共和党は信仰派)にもかかわるものとなっている。しかもこの3つの亀裂は、かなりの程度相互に重なり合う傾向にある。このような政党制の変化が政策システムへ与える影響も、決して小さなものではありえない。

それに対して、日本における自由民主党と民主党の対立軸は曖昧である。どちらの政党とも、固い支持層を失うか(自民党の場合)、まだ持てないでおり(民主党の場合)、固定的な支持基盤は融解状況にある。政党が拠って立つ原則のぶれ・変動も大きい。農林漁業者団体、建築関係、および中小の商工業主を基盤としていた自民党は小泉政権の下で、構造改革の政党への脱却を図り、選挙で大勝した。しかし、その後の内閣の下で、急速に元の立場に戻っていった。多くの有権者を失望させ、結果的に旧来の支持層だけでなく、新しい支持者を繋ぎとめることにも失敗した可能性が強い。

民主党はかつて改革の政党としての姿勢を鮮明にしていた。ところが、小泉内閣以降、少なくとも一部ではその逆を行き、その性格を弱めた。また、与党になった後も、小沢系と反小沢系で政策的方向に大きな違いがあり、有権者としては、民主党が拠って立つ原則や基本的価値観が何であるのか、理解しにくい状況が続いている。

アメリカの政党制におけるイデオロギー的分極化には弊害もあるが、長所もある。有権者は共和党政権が出来れば減税の方向に向かい、民主党政権の場合にはその逆に行くという予想ができ、少なくともその方向性についての理解において誤ることはない。

日本の政党の場合、まず何といっても公約を作成し、また政策を実行していくための能力を高める必要がある。日本ではとくに野党の場合、官庁からの支援が得られないために、この弱さは致命的である。アメリカでは、定期的に政権交代が起きてきたために、どちらの政党にも政府経験者が豊富に揃っている。同時に、多数の有力なシンクタンクから支援を受けることができるため、どちらの政党にしても、それほど現実から遊離した公約を打ち上げることはない。

思いつきに過ぎないが、政党助成金の一部をシンクタンクなど政策研究に使用するように義務付ける(あるいはそれを誘因とする)などの方法によって、政党、とくに野党の政策力を向上させることが必要であろう。これは広く国民的な利益に資すると考えられる。

同時に、日本の、とくに二大政党は中長期的には、自らが拠って立つ基本的な政策的立場、価値観、哲学をより明確にしていく必要があろう。それによって固い支持基盤を構築していく必要もある。その場その場で人気のある立場をとり、あるいは八方美人的態度で一回の選挙を乗り切ることは可能であろうが、政権をとってから行き詰まる可能性が高いであろう。



本稿は、2010年度日本比較政治学会研究大会(2010年6月19-20日、東京外国語大学)で発表したペーパー「アメリカにおける政権交代―権力分立制、政治任用制、および分極化した政党制のもとで」を短縮・修正したものである。具体的な政策面での成果については、久保文明「変容過程にあるオバマ政権-その内政と外交」(東京財団ホームページ、2010年5月6日)、および久保文明・東京財団現代アメリカ・プロジェクト編著『オバマ政治を採点する』(日本評論社、2010年)を参照していただきたい。

■久保文明:東京財団上席研究員、東京大学教授