タイプ
論考
プロジェクト
日付
2008/11/1

アメリカNOW第29号  2008年大統領選挙と副大統領候補 ― バイデンとペイリンの再検証(渡辺将人) 

【副大統領候補:バイデン再考】
一般に副大統領は大統領選挙の結果に与える影響は限定的だとも考えられている。しかし、本来は副大統領候補を大統領候補とともに、しっかりと吟味して結論を出す意義は少なくない。20世紀の歴史を振返っても、トルーマン、ジョンソン、フォードらは、大統領選は副大統領から繰り上がった。また、チェイニー副大統領のように例外的ながら重量級の影響力を発揮する副大統領も近年では生まれている。今回は、バイデン副大統領が誕生すれば、外交においてきわめて大きな力をもつ可能性が高い、大統領よりも議会経験の豊富な副大統領の誕生となる。ペイリン副大統領になれば、女性初の副大統領となる。2008年大統領選挙における、副大統領候補の存在感を選挙直前の現在に改めて振返っておきたい。

筆者は2008年1月、ジョセフ・バイデン上院議員のアイオワ党員集会キャンペーンに同行した。バイデン上院議員は予備選からは早期撤退したため、アイオワが「大統領候補としてのバイデン氏」の動向を見る唯一、そして最大の機会であった。勢力的にアイオワ全土を回っていたバイデン氏は、2008年1月3日の党員集会前夜の1月2日、最終地をアイオワ大学のあるアイオワシティに隣接するコラルビル訪問に定めた。アイオワシティ・コラルビル地域は、アイオワ州内ではリベラル色の強い地域であり、バイデンにとってキャンペーンのクライマックスに相応しい土地だった。

会場はコラルビルのモール裏から山道に入って20分程、小さな公民館が会場となった。筆者が到着した開会30分前には既に駐車場に車が停められないほど小さな駐車スペースしかなかった。合計20台程。残りは徒歩で参集しているようだった。シーダーラピッドからバイデンの議員車が遅れている連絡が随時入った。50人程すし詰め状態の支援者達はジーンズに野球帽姿で仕事帰りの労働者、子供連れの主婦などでごった返し、バイデンのブルーカラー層人気を証明していた。

【「チェンジ」でも「経験」でもなく「アクション」を】
アメリカNOWのアイオワ編で述べたように、アイオワ州の民主党員は党員集会で「リアライメント」で二度投票するチャンスがある。世間では泡沫だと思われている候補でも、「面白いかも」と思えばショッピングで集会に足を運ぶ。アイオワ党員集会は事実上、クリントン、オバマ、エドワーズの三者レースであったが、バイデンの魅力を「確認してみよう」と、雪道の中を多くの近隣住民が集まった。当然、外国人、それも日本人は筆者一人だった。しかし、バイデン議員はむしろ日本からの来客に興味を示した。筆者がバイデン上院議員に会うのは約10年ぶりのことである。当時バイデンは、ジェシー・ヘルムズ外交委員長の隣で、ヘルムズを押しのけて「アメリカが滞納している国連分担金は残らず払う」と吠えていた。公聴会はバイデン節一本やりだった。

そのバイデン節は10年たっても変わっていなかった。到着まで壇上で盛り上げたのは「ジョーに賛成 I agree with joe」のプラカードを掲げた、アイオワ大学の学生だった。シーダーラピッドからの雪道を飛ばして到着したバイデンは、冒頭、孫に手を振って家族愛ぶりをアピール。「チェンジか経験かと言っているが、問題はアクションだ。危機に対処するアクションだ。もし経験がすべてなら、今この瞬間に勝負あっただ。私の勝利。イッツオーバー」と叫んだ。バイデンの特徴はその溢れる自信である。

「虐殺をやめさせるために、ボスニアに武力行使させるためにクリントン大統領を説得するのに二年を要した」とボスニアでの活躍を強調し、スロボダン・ミロシェヴィッチとの単独会談の秘話を披露した。「38年間、世界の指導者と会って来たが現在のアメリカは信頼を失っている」として現政権批判を得意の外交論から展開。徹底して外交で演説を通した。バイデンの成功体験はコソボ紛争でのイニシアティブに支えられており、バイデン外交の持論は常にここに立ち返る。そのためイラク政策やその他の介入政策全般に、コソボ体験のアナロージーが当てはめられがちであり、専門家の間での賛否の遠因となっている。

【バイデン政策重点7項目とイラク政策の独自案】
バイデン陣営に終始一貫して特徴的なのは、集会に一般の労働者層が読むと思えないような、議会でメディア向けに配布するための政策提言のリリースを持ち込んで配布することだ。「バイデン政策パケット」と呼ぶ人もいる。「イラク政策」「外交」「エネルギー」「環境」「医療政策」「財政」「女性」の重点7項目について、厚紙でそれぞれ4ページ以上の詳細な政策案のパンフレットを作成した。「イラク政策」だけは外交から切り離している。シーア派、スンニ派、クルドで三つの地域に分割する案であるが、東欧の事例を中東に当てはめるには無理があるとして、中東専門家に受けは良くないが、独自性では目をひいた。

演説はイラク政策とブッシュ批判が大半だったが、それにもかかわらず、主婦層と農村のブルーカラー層に退席者は一人もいなかった。「イラク」が主要争点といっても、民主党選挙民の関心は「戦争を終わらせる」ことを求めるにとどまっており、ほとんどの候補者もそれに呼応して、結局その段階でのアピールにとどまっていた。イラクの混乱をその後どうしたらいいのかという議論に具体的に踏み込んで政策提言を掲げていたのは、民主党では結局バイデン1人であったことは特記しておくべきだろう。

イラクの現状が良好とはいえないことについては、共和、民主すべての候補者にコンセンサスはあったが、そこで問題にされている「イラク問題」とは、少なくとも選挙民の関心の次元では、厳密には国内問題の延長としての「アメリカ軍撤退問題」であり、国際社会における「イラクの将来の問題」ではないことをバイデン陣営だけが憂慮していた。

バイデンのイラク分割案への批判はある。しかし、「撤退をどの程度スピーディにするか」「慎重に時間をかけてやるか」の「アメリカ軍の撤退」をめぐる議論に終始する党内で、「イラクの国造り」や「イラク人の今後にどう責任を持つか」という議論に踏み込んだ珍しい候補者だった。イラク統治をめぐる深い議論に立ち入っていることは、関与継続を印象づける諸刃の剣にもなりかねず「撤退論」が根強い民主党内ではリスキーだったからだ。

同じく外交分野を売りにしていたビル・リチャードソンも国連平和維持活動へのバトンタッチに言及しているものの、バイデンほど詳細な提言をアイオワの段階では発表していなかった。他方でアジアへの言及が少ないバイデンに対抗して、チャードソンは自らの北朝鮮訪問の写真が大きく入ったフライヤーを党員集会で配ってアジア外交での経験を語って歩いた。

【堅実策(セーフ・ピック)としてのバイデン】
さて、そのバイデンが副大統領候補としてカムバックしたのは、民主党大会前。発表タイミング寸前まで、米メディアも副大統領候補の確定報道が打てなかった。民主党関係者は「副大統領候補を決めても、絶対に8月の党大会直前まで副大統領の公表は伏せる」と、7月上旬の早い段階から断言していた。無事、共和党の撹乱にも惑わされずに、党大会直前まで発表を引っ張る事ができた。発表時には、バイデンという選択肢について民主党関係者は概ね胸を撫で下ろしていた。

筆者は2008年8月24日にニューヨークから民主党大会に列席するためにデンバーに飛んだ。そのさい2004年の民主党指名争いに名乗りをあげたこともあるアル・シャープトン師と同じ便になった。FOX NEWSの「ハニティ&コルメス」でリベラル側の立場でアンカーを務めるアラン・コルメスも同乗するなど党大会に向かう党関係ものと米メディア関係者でごったがえした。

バイデン決定直後だったこともあり、機内でシャープトンに意見を求めてみると「バイデンという選択肢は悪くないな」と即時に答えた。シャープトン師のコメント手法は巧みでときにスピンも混ざる。2000年のヒラリー上院選の頃からニューヨーク政治では、黒人票の動向との絡みでアウトリーチ担当者の間ではシャープトン発言は鬼門だった。その経験からしても、シャープトンの機上のあっさりした意図のない発言は拍子抜けするほど素直だった。「堅実策(セーフ・ピック)が一番いい」というのが民主党マジョリティの印象論だった。

【クリントン支持層の再取り込みへ】
改めて民主党の副大統領候補選択を振返ってみると、いくつかのことが言えよう。第一に、ヒラリー・クリントンが副大統領候補になる可能性が一部の憶測に反して生じなかったこと。オバマ陣営の最終リストは、ジョー・バイデン上院議員(デラウェア州選出)、エバン・バイ上院議員(インディアナ州選出)、ティム・ケーン知事(ヴァージニア州)の三人に絞られた。

クリントン上院議員については、オバマ陣営は、そもそも対象として検討していなかったことが明らかになった。クリントン、オバマの両陣営の路線対立が当初から決定的であったことも要因として少なくない。2008年夏を通して、クリントンとの「ドリームチケット」の可能性を論じることは、陣営内部では、現場レベルでも半ば暗黙の了解で話題にはしない雰囲気があった。

もちろん、クリントン側もアメリカNOW16号で述べた通り、候補者本人が副大統領職に魅力を感じて、積極的にポストを求めていたとは思えない。ニューヨーク市の女性支援団体を中心に、ヒラリー支援層は副大統領にクリントンを選ぶようオバマ陣営に訴える運動を指名争いの決着と同時に動かしていたが(拠点はニューヨーク)、クリントンはあくまで大統領になるべく立候補したという当初の立場を変えようとしなかった。

「プランBはなかった」と語る、側近の言葉にその決意が表れていた。数年前から「勝算がない限り彼女は出ない」という前提が、クリントン周囲にはあった以上、立候補の時点で関係者は誰もがクリントンの勝利を感じた。周囲では「出たなら勝つ」が合い言葉でもあった。そうした経緯を踏まえると、副大統領はまったく魅力的選択肢ではなかった。

さて、第二に組み合わせの意外性であった。本連載でも3月の時点で副大統領候補としてバイデン上院議員の可能性に若干言及したが、これは女性候補を補う意味で、クリントンの相手としての想定であり、オバマの相手としての予測でなかった。オバマの相手としては、サプライズとしての可能性ではむしろ女性候補が語られてきたが、結果として実現せず、かわりに共和党がこの方法を採用するという「逆転現象」が起きた。オバマ陣営が女性を選ばなかったことの理由の一つに関係者の間で語られているのは、クリントン以外の女性をペアに迎え入れることができなかったことがあげられる。女性初の大統領を目指したクリントンへの配慮を欠くからである。ひいてはクリントン家の党大会以降の支持、ヒラリー支持者との融合を害するという判断もあった。

【副大統領候補3つの分類】
副大統領候補の選択については、NPR(ナショナル公共ラジオ)のマーラ・ライヤソンが、興味深い分類を示している。1:大統領候補の経験不足の部分を補う型(ジョー・バイデン上院議員:公職経験の長さ)、2:意表をつく型(ティム・ケーン知事、就任一期目の若さコンビのサプライズ)、3:キャンペンーンの主軸メッセージの共鳴型(1992年クリントン=ゴア型)。

もちろん、「3」は「2」とも部分的に重なる。「2」と「3」の問題点は、経験のなさも共鳴してアピールになってしまうことである。「1」は守りの「堅実策」。「2」と「3」は攻めの「攻撃策」。オバマ陣営内でも、リベラル派はオバマと同じ若さや変革への希望を感じさせる、ワシントンでの職歴の短い人物を待望する「攻撃策」支持が少なくなかった。2008年の民主党で独特だったのは「ヒラリー派(ヒラリー・パーソン)」か「オバマ派(オバマ・パーソン)」か、という選択肢だったとライヤソンは述べる。例えば選外になったエバン・バイは「ヒラリーパーソン」だった。

「バイデンに決まった」という早朝三時のテキストメッセージの連絡を受け、またそれに先立った一部報道を受け、全米のオバマ派の議員とスタッフの間にメールや電話が飛び交った。初動では複雑な反応も少なくなかった。ある党幹部は「バイデンでいいと思うか?」が第一声で、明らかに100%満足しているという様子ではなかった。初動は主にリベラル派に「ワシントンの代名詞のようなバイデンでは、チェンジにならない」と動揺が走ったが、のちに「バイデンであれば確実にいい副大統領候補にはなるだろう。安定感はある」という慎重な反応に収束していった。

今となっては笑い話であるが、「2」の意表をつくサプライズ型として、リベラル派のごく一部でラルフ・ネーダー(ネーダー封じ込め)、超党派系としては、イラク撤退で民主党と共同歩調の共和党のチャック・ヘーゲル上院議員の名前も語られていたが、ヘーゲルは同性愛に寛容でないと見られるなど社会保守的であるとして「ヘーゲルを候補者に選ばないように」との声が同性愛コミュニティから強まり、リベラル派支援者に11月の棄権を示唆するグループも発生したため、現実的ではなくなった。震源はニューヨークだったが、サンフランシスコ、シカゴなどでも同様だった。

【バイデン選択の非定石性】
バイデン上院議員という選択は、「堅実策」に見えて、実は選挙論的には、かなり思い切った判断でもある。まず、ここ最近では珍しい上院議員のコンビであること。ここ数代の大統領はいずれも知事出身者であり、上院議員が大統領候補になるだけでも、珍しい事態なのに、輪をかけて上院議員コンビに持ち込んだことは実は「静かなサプライズ」だった。また、ハワイ州生まれながら、イリノイ州選出で事実上都市部の北部候補であるオバマが、南部、中西部という「州バランス」で選ばなかったことも「定石外」でなかなか面白かった。

かつてのクリトンにとってのゴア、またW・ブッシュにとってのチェイニーも、コンビの州バランスを度外視した選択だったが、今回も特に「北部」と「南部」の分散にはこだわらず、激戦州のペンシルバニア州のフィラデルフィア地域に絶大な力をもつバイデンを選んだ。民主党全国委員会関係者は、7月時点で筆者に次のように語っていた。

「オバマの予備選勝利後の問題は何より中道化だった。コアなサポーターは早期から懸念表明していた。イラク戦争反対はオバマのシンボルであり、リベラル派は一刻も早く撤退をとの信念崩していない。イラクからすぐに撤退できないという慎重姿勢は、中道性が誇張され、リベラル層の戦意喪失につながる。セベリウス知事では中西部票がまとめられるか不安。彼女は期待されているほど、中西部票すべてをとりまとめるほどの集票力を持っていない。女性ならいいのかという問題はある。上院議員色が強い人は避けたいとの意見根強い。知事的な人である必要からは、バイデン上院議員は優秀だが適役ではないとの意見もある。今回は上院議員対決であり、副大統領候補がそれを補う、統治能力のカリスマを持てるかどうか」

しかし、蓋をあけてみれば、こうした通常の選挙経験から導かれる考えとは正反対の、上院議員コンビだった。これは十分に「挑戦的」選択であった。若くして初婚の妻(のちにジル夫人と再婚)と子供を自動車事故で亡くしたバイデンは、自動車へのトラウマがある。それ以後、鉄道でしか通勤しなくなったバイデンは、ワシントンの議会からデラウェまで、アムトラック通勤をすることから、ペイリンの「ホッケーママ」に対抗してか、「アムトラック・ダッド」というニックネームで呼ばれていることをバイデン陣営は強調。カトリック系ブルーカラー労働者票にアピールする庶民性がアクセントになっている。当選すればチェイニー副大統領に引き続き、外交にきわめて大きな力を及ぼす、重量級副大統領になる。

【サラ・ペイランという奇策】
サラ・ペイリンという選択については共和党内でも賛否両論があった。そもそも共和党の副大統領候補選択で、民主党側が最も恐れていたのは、超党派路線である。民主党の基礎票の一つであるユダヤ系であるリーバマン上院議員を選んだ場合の超党派路線への懸念は大きかった。そのさいマケイン候補の超党派路線はさらに強化されることになる。国をあげて経済と外交に取り組もうというメッセージは「統一」をめざすオバマ路線とかち合う。民主党大会初日のオバマ陣営周辺は、共和党側の副大統領候補選びは「超党派路線」「ユダヤ系か」という噂でもちきりだった。

ところが、民主党大会最終日のオバマ演説の翌日の金曜日、マケイン陣営はペイリンを発表した。当時、デンバーの党大会に出席していた筆者のもとに、早朝8時過ぎにイリノイ州議会関係者から速報として入ったテキストメッセージは「マケイン・ピックト・ア・ウーマン(マケインが女を選んだ)」であり、同様のメールが相次いだ。このことに象徴されるように、当初の民主党内のリアクションは「女性」ということに終始し、ペイリンのバックグランド、とりわけ社会保守性に注目が注がれるようになるのは、しばらくしてからのことだった。それだけ無名であることも意味していた。

「女性カードを切られた。やられた」「20年アメリカの選挙やっているが、アラスカ州の知事なんて知らない」。筆者周辺の民主党関係者は異口同音にそう唱えたが、オバマの屋外会場での大演説の報道の余韻がかき消され、雪崩を打ってメディアはペイリン一色となる。この「ペイリン現象」が共和党大会でのペイリン演説を起点に9月一杯まで継続したのは周知の通りである。メディア戦略としては秀逸であった。共和党大会には「ウィー」「ラブ」「サラ」の白い紙を背中に貼付けた三人組の女性共和党員が、会場内を練り歩いた。

民主党はパンディットをフル回転させ、メディアを舞台に反撃を試みた。民主党系コラムニストのエレノア・クリフトは、保守系司会者ジョン・マクラフリンの番組「マクラフリン・グループ」で「表面的には面白い戦略に見える。しかし、女だったらいいものではない。誤っている。プロライフで、保守的では、女である意味がない。女性運動の核はプロチョイスにあったのであり、その意味で、ペイリンが民主党の女性票をシェイクするというのはお門違いもはなはだしい」と応戦した。

【「社会保守」とショック療法】
マケイン側の狙いは当然、民主党大会後の余韻をかき消し本選を共和党ムードで推し進めるためのショック療法であり、発表のタイミングも練られていた。しかし、実は「女性カード」は党内でも目新しい案ではなかった。民主党がバイデンを選んだ日、ディック・モリスは「バイデンに当てるには女性がいい」として、テキサス州選出上院議員のケイ・ベイリー・ハッチンソンを推すコメントをニューヨークの地元紙に寄せ注目を浴びた。白人女性で民主党内のヒラリーボーターを揺さぶる、というところまでは妥当な案だった。他にも女性案の声は共和党筋からいくつかあがった。

しかし、マケイン陣営は「無名」「社会保守」にこだわった。第一に旋風を巻き起こすには無名でないといけないというショック療法。あえてレーダー外の人物にした。ハッチンソンもエリザベス・ドールも対象にならなかった。第二に、社会保守へのアピール。宗教保守など社会保守基盤を埋め合わせることは重要点であり、ロムニーとハッカビーの敗退後に沈滞気味だった社会保守票の鼓舞が求められた。そして、マケイン陣営は「女性で社会保守」という未知の領域に突き進んだ。目ざとかったのは、保守系「ニューズ・マックス」誌で、「エネルギー重点州」特集でアラスカを扱い、党大会前に発売されている2008年9月号でペイランのインタビューを企画している。

【ペイリンの適応力と保守派が懸念するネオコンとの接近】
人口が少ない州で市長と知事をしており、つい最近までパスポートを持っていなかったという経歴は「土着色」として保守層には喜ばれたが、これが合衆国副大統領に適した資質かという疑問は残った。ある共和党ストラテジストは「ペイリンを一言で言えばその適応能力」と語る。青天の霹靂で表舞台に引きずり出されたペイリンの「適応能力」は凄まじい。少なくとも十分に与えられた役割をこなしている。ABC Newsのチャールズ・ギブソンのインタビューで「ブッシュドクトリンを擁護するかどうか」についても、具体論に入らずに上手くかわしたという評価だった。

しかし、この「適応能力」も1ヶ月を経て陰りを見せ始めた。CBS Newsのケイティ・コリックに「同意できなかった最高裁判決」を尋ねられ、具体例をあげて何も答えなかったことが関係者を落胆させた。民主党はこれを副大統領候補たるものが最高裁判決に無知とはなにごとかと批判したが、身内の保守派の見方は少し違った。露呈したのは、彼女はどこまで本当に保守なのか。人工妊娠中絶をめぐるロー対ウェードの判決に思い入れは本当にあるのか。本当に保守なのか。という根底の疑念だった。党内保守派からの猜疑心が向けられ始めた。保守派との融和のために起用したのに、保守派に疑念を持たれるというシナリオは好ましくない。

最も激しい批判はパトリック・ブキャナン一派から寄せられた。ブキャナンが主催する「The American Conservative」誌(10月6日号)は、「サラ・ペイランの再教育」と称して特集を組んだ。「ペイリンへの提言書」という遊び心のある企画で、「保守派は貴女を信じたい。W・ブッシュのようにがっかりさせないでくれ」と予防線を張った。「クリストルやクラウトハマーが言うことは信じるな」として「ネオコンから距離を置け」という警戒を発した。暗に、ペイリンの外交政策への知識のなさとそれゆえ軸がぶれやすい、外部に影響を受けて染まりやすい状況に懸念を示している。

かつてブキャナン一派が改革党を立ち上げ、共和党と袂を分かったときにペイリンはついてこなかったと不信感を露にしつつも、「イラクの出口戦略に言及しているので、ペイランはネオコンとは距離があるはず」と期待も見せる。吸収力の良さが仇になり、ネオコンの「再教育」にのまれてしまうのではないか、ペイリンをネオコンの外交戦略から引きはがせとして、ペイリンをめぐって孤立主義的保守派とネオコンの綱引きが保守論壇でみられる。しかし、こうした保守論壇でのペイリンの両手を双方で引っ張り続けるブキャナン派とネオコンの論争そのものが、かえって保守陣営の分裂を露呈することになるとの内部の反省の声もある。

他方、一貫して宗教右派を批判してきたマケインが、終盤に選挙のために保守派をパートナーに選んだことに党内穏健派には落胆した者も少なくない。「ライフル協会の終身会員、プロライフといったことも重要だが、それは保守層への限定的なアピールにしかならない。マケインには宗教右派に強硬的であり続けてほしかった」とある経済保守派は語る。このあたりから、マケインの売りである「マーベリック」性に矛盾が混じり始めた。
超党派路線から保守基盤アピール路線に切り替えたマケインは、マケインの持ち味を一部犠牲にすることを余儀なくされた。「小さな州の無名知事」の「女性」という「奇策」が奏功するのか。

いずれにしても、次の副大統領は外交に主導権を発揮する「重量級」か、初の女性の「変わり種」となる。大統領のみならず、副大統領に大いに注目すべき、政権1年目となるだろう。審判はまもなく下る。

以上
■ 渡辺将人: 東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、米ジョージワシントン大学客員研究員