タイプ
その他
日付
2008/10/20

第8回研究会報告<発表と議論の内容>

[発表]

科学研究の自由の根拠と条件~科学者インタビュー第一期報告
(ぬで島)


1 科学者インタビュー:趣旨と実施概要

 生命・身体論と並ぶ本研究プロジェクトの二本柱の一つである科学論の一環として、以下の趣旨に基づき科学者インタビューを企画し、今年度上半期にまず4件実施したので、その概要とまとめを報告する。

科学者インタビューの趣旨:
 第4回研究会で得た以下の論点を、直接科学者に問い、検証・敷衍する;
  *学問研究の自由は、研究者の特権か/その根拠は何か
    ・「特権」の根拠の一端としての、科学研究の価値とは何か
  *学問研究の自由に、生命科学・医学の実験研究は含まれるか
 (詳しくは、第4回研究会報告:学問の自由と生命科学研究参照。)

第一期(6月〜9月)実施概要:
 惑星科学、進化生物学・行動生態学、宇宙物理学・科学論、科学ジャーナリズムを専門とする4名の方々に、それぞれ2時間前後のインタビューに応じていただいた。
 毎回のインタビュー要旨と、テープ起こしに手を加えた対話録を作成した。

2 各論点の検証と敷衍

 インタビュー結果から、1の趣旨で述べた論点を、さらに以下のように敷衍してまとめることができた。

1)「学問研究の自由」の根拠
[学問研究の自由は、大学人ないし職業研究者の特権か?]
[研究の自由の根拠は何か]
[学問の自由は思想信条・表現の自由と異なるのか、同じなのか]

2)科学研究の自由と制約の条件=科学と社会の関係(1)
[「学問」と「科学(実験)研究」の区別]
[科学を制約する規範はどこから出てくるか]
[科学を律する規範はどのように確立されるべきか]
[社会の価値選択=政策決定における科学の役割]

3)科学の価値とは何か=科学と社会の関係(2)
[科学の価値とは]
[科学の価値をどう社会に根付かせていくか]

3 得られた結果のまとめ・考察

*学問研究の自由は、それを業とする者ないし大学人の特権であるとの考え方に対しては、賛否両論があった。

*学問研究の自由が限られた者の特権であるかそうでないかとは関わりなく、科学研究がそれ以外の他の一般の営みと異なるところがあるとすれば、それは高度な研究機材が不可欠であるといったハード面ではなく、科学の進め方をめぐるソフト面の問題である、という点については意見の一致がみられた。

*具体的にいえば、科学研究の自由の根拠ないし基盤は、
 1)研究のルールを身につける修業を積むことであり、
 2)そうしたルールを職業規範として守る自律的職能集団が存在することである。

*したがって、学問研究と思想信条・表現一般(の自由の保障のあり方)を分かつのは、その精神的営為としての内容や価値であるというよりは、上に述べたような自律的な職業規範の有無だと考えるべきである。

*知的営為としての科学研究は、人を人たらしめる由縁に関わる重要性をもつが、現代社会では、それは他の様々な価値と競合するone of themとして、相対的な地位を占めるのみである。したがって、科学研究の自由を、ほかの思想や芸術などの知的営みの自由一般と分けて、憲法で特別の権利として認める必然性はないと思われる。

*相対的な地位ではあるが、純粋な知的営為としての科学の価値、有用性のない科学研究の価値も一般の人々は認めており、そうした科学を求めているはずだという点では意見の一致がみられた。

*「学問」と「科学(実験)研究」を概念として分けることについて異論はなかった。しかし、「(実験)研究」と分けられた「学問」(の自由)は思想信条・表現一般(の自由)と同じものとしてよいか、それとも異なるものと位置付けるべきかについては両論があった。

*以上の結果をふまえ、発表者は、倫理の時代に揺れた科学の自由の土俵を固め直し、研究を行う側とその成果を享受する側双方の利益と権利を保障し直すために、「学問の自由」の概念を次の二点に分解し、新たに位置付け直すべきであると考えるに至った:
 1)精神的営為としての科学研究
  → 知的探求の自由とその成果の享受という形で、基本的人権一般に加える
 2)フィジカルな行為としての科学研究:
  → 専門家集団の自律と責任の下での職業規範に服すべきものとする
   職業規範と社会の価値観・公益との調整を、国の責務ないし権限の範囲とする

 この二点の方向に沿って、現行憲法のどこをどのように改正すればよいか、具体的な提言案を検討していきたい。

[ディスカッション]

自由の根拠となる修業とは
 まず、科学研究の自由の根拠として挙げられた、「修業」とはどのようなものかについて質疑が交わされた。インタビュー結果では、それは大学院での5年間の研鑽として語られることが多かった。そこで、科学研究の計画と方法の善し悪しを見分ける力や、職業倫理規範を持ち守ることを引き受ける誓いを身につける、というのが修業の中味である。ではその5年間で修業は終わるのだろうか。大学院に5年行けば、あとは何をしてもよい自由の切符が手に入るのだろうか。そうではないだろう、修業を基礎にして自律的に規範を守り、責任を取っていくことが、科学研究の自由が認められる条件であると捉えるべきである、という議論がなされた。

「科学」の範囲はどこまでか
 次に、自由の検討の対象とすべき「科学」の範囲はどこまでなのかについて、質疑が交わされた。前回第4回研究会では「生命科学・医学」がもたらす問題と憲法の学問の自由の関係を取り上げたが、今回はそこに対象が絞られず、広く「科学」としている。インタビュー相手4名のなかには生物学者が一人いるだけで、医学者はいなかった。それはなぜか。また人文社会系は対象に考えていないのかとの提起がなされた。
 それに対して発表者からは、対象を生命科学・医学に限らなかったのは、生命倫理の問題に議論を狭めたくなかったからだとの応えがあった。学問研究の自由は、科学と社会の関係という広い文脈で捉える必要がある課題であり、そこで得られる知見は、生命倫理の土台づくりに貢献するだけでなく、科学政策論全体に還元できる、との説明がなされた。
 次いで、その意味での科学論は、いわゆる理系の分野を念頭に置いていた、との応えがなされた。それに対して、今後は社会科学系の研究者にもインタビュー対象を広げるべきではないかとの指摘がなされた。

国家権力との関係
 次に、憲法で学問の自由が問題にされた原点を、考察の前提として外さないようにしなければならないとの指摘がなされた。かつて日本の国家権力が学問に介入し制約を加えたことに対する反省から、二度とそのような事態を起こさないようにするために、憲法で学問の自由が保障されたのである。したがって、学問研究の自由が認められる根拠を考察する際には、科学のあり方の分析に留めてはならず、国家権力との関係をもっと重視しなければならない、との提起がなされた。
 それに対しては、憲法の学問の自由にそうした歴史的前提があることは認めるが、半世紀以上を経た現在でも、同じようにそれを前提にしたままでよいのかを問題にしたい、との応えがなされた。実際、倫理の名の下に行政が一部の分野の生命科学・医学研究に加えている制約は実用面のものにすぎず、学問研究への制約がなされているとは考えない、いまの国家権力は科学の営みに介入しようとはしていない、と応えた科学者がいた。だが国家が今後も科学に介入しないという保証はない。政策提言の検討において、国家権力と科学の関係が重要な軸になることはもちろんである。
 その軸を考察に組み込むために、インタビュー対象として、国から厳しく制約を受けていると意識している科学者、たとえばヒトES細胞研究者などを選んではどうかとの提案があり、賛同された。またそれと関連して、問題を正確にあぶり出すために、「いま何を最も制約と感じているか」という質問項目を加えればよいのではないかとの提案があり、これも賛同された。

学問研究の自由は大学人の特権か
 また、もう一つの歴史的前提として、学問研究の自由における大学の位置が議論になった。憲法が保障する学問の自由は大学人の特権であると考えられてきたのは、学問の場が大学に限られていた時代状況があったからである。インタビューでも、学問の自由を大学人の特権とするのは、大学が大衆化する時代以前の、古い考え方だと応えた科学者学者がいた。
 これに対して、学問=大学という社会の構図は、それほど大きく変わっていないのではないかとの意見が出された。だがもしそうであるとすれば、学問研究の自由は、大学の一員にならなければ保障されないのだろうか。そうではない、大学に属しているからといって、学問の自由を担うに相応しい修練と規範を身につけているとは限らない。憲法の学問の自由は、英語では「academic freedom」と訳されている。それを担うのは、「大学人」ではなく「学問人」と広くとるべきで、一定の修練と規範を身につけていることがその条件だという議論は妥当だ、とのやり取りが交わされた。

学問と(実験)研究を分ける意義:西洋と日本の歴史的背景の違い
 最後に、憲法の「学問の自由」という規定は対象が曖昧なので、それを精神的営為としての「知的探求」と、フィジカルな作用を他に及ぼす「(実験)研究」に分け、異なる権利保障の枠組みに位置付け直すべきだとの発表者の提起に対し、「学問」という広い含蓄のある言葉は憲法に残すべきだとの異論が出された。学問は他のなにものにも代え難い独自の価値を持つもので、それを憲法が認める規定はなくすべきでないとの意見である。
 それに対しては、学問が独自の価値を持つことは認めるが、その範囲に、たとえば動物実験まで入れて解釈し、行政が動物実験の数や実態を把握することすら憲法の定める学問の自由に抵触するからできない、としている現状を放置してよいとは思えない、との反論がなされた。憲法の規定の曖昧さは、科学研究の名の下に生きた動物や人に何をどこまでやってよいかについて、社会のルールを形成する営みを阻害している。公のルールの不在は、日本における動物実験や人体実験に対する社会の信頼を損なっている。その状況を正すために、自由の保障の範囲を明確にする必要がある。「学問」という言葉を守ろうとする意見は、その中味として、人文社会系の分野しか念頭においていないのではないか、との指摘がなされた。
 それに対して、そこにはこの問題についての西洋と日本の歴史の違いが背景にある、との提起がなされた。西洋では国家権力と学問の対立は、主に自然科学系の分野において行われてきた。ガリレオの地動説に対する抑圧と抵抗はその典型例である。それに対し日本では、国家が介入し自由を抑圧してきたのは、主に人文社会系の分野に対してであった。天皇機関説事件はその典型例である。こうした歴史の違いが、国家社会と学問研究の関係の考察に影響を与えていることはありうる。今後は、そうした背景要因も踏まえて議論を提起していく必要があるだろう。

以 上

とりまとめ:プロジェクトリーダー ぬで島次郎


                        研究会の概要に戻る