タイプ
論考
プロジェクト
日付
2012/9/19

胡錦濤政権の回顧と中国18全大会の注目点 ―社会政策の領域に関して


法政大学客員学術研究員
及川 淳子


1.はじめに

胡錦濤・温家宝体制の10年間、中国は高度経済成長に支えられ急速に発展した。庶民の暮らしは豊かさを実感できるようになった一方で、格差は拡大し、頻発する集団抗議行動など、社会の不安定要因は増大している。2011年の国家予算で「公共安全支出」として計上された治安維持費がはじめて軍事予算を上回り、注目を集めたことも記憶に新しい。

胡・温体制は「科学的発展観」と「和諧社会」を掲げ、調和の取れた社会の実現を目指してきた。しかし、社会政策の分野*1から回顧すれば、「和諧社会」は挫折したと言わざるを得ない。社会の「安定維持」を最優先する中国共産党は、「和諧社会」の再構築を迫られている。第18回全国代表大会*2を前に今後の方向性を展望するには、胡・温体制を総括する必要がある。

小論では、「民生」と「社会管理」をキーワードに、胡・温体制の社会政策とその実態を構造的に理解することに努め、今後の中国社会を考察する際に有用と思われる視座についても言及したい。

2.胡・温体制が目指した社会政策

(1)「三位一体」から「四位一体」の建設へ

胡・温体制はいかなる改革を構想していたのだろうか。ここで参照すべきは、2005年の胡錦濤講話である。胡錦濤は、「中国の特色ある社会主義事業の総体的な配置は、社会主義の経済建設・政治建設・文化建設という三位一体から、社会主義の経済建設・政治建設・文化建設・社会建設という四位一体へ、ますます明確に発展している」と発言した*3。「四位一体」の方針は、同年秋に開催された第16期五中全会のコミュニケでも「改革・発展・安定の関係を正しく処理し、社会主義の経済建設・政治建設・文化建設・社会建設と党の建設が新たな進展を獲得する」と明記された*4。「和諧社会」の実現を目指す胡・温体制は、「社会」を含む「四位一体」の建設を推進したのである。

(2)「民生」の重視

社会建設の具体的目標を、党大会報告で確認しておこう。2002年16全大会では、「全面的な小康社会建設」が発表された*5。2007年17全大会では、胡錦濤が「科学的発展観」の徹底と「全面的な小康社会建設」を提起し、「民生の改善を重点とする社会建設の推進を加速する」と題して以下の政策を発表した*6

 [1] 教育の発展優先、人材資源強国の建設
 [2] 就業拡大の発展戦略、創業による就業を促進
 [3] 所得の分配制度改革、都市と農村の住民の所得増加
 [4] 都市と農村の住民をカバーする社会保障制度確立の加速、人民の基本的生活を保障
 [5] 基本的な医療衛生制度の確立、全国民の健康レベル向上
 [6] 社会管理を完全にし、社会の安定団結を擁護

「民生」に関わる政策は16全大会報告にも見られるが、17全大会報告で特筆すべきは項目を独立して設けた点だ。胡・温体制は「和諧社会」実現に向けて、特に「民生」の改善を重視した。近年の全人代政府活動報告では、「民生の改善に尽力し、社会事業の発展を加速」(2010年)、「社会事業の発展を加速し、民生の保障と改善を適切に実施」(2011年)、「民生の保障と改善を適切に実施し、大衆の直接的な利益に関わる問題を解決」(2012年)という文言が並んでいる*7。7月23日の胡錦濤講話でも「我々は引き続き任務を強化し、民生の利をさらに求め、民生の憂をさらに解決し、人民が最も関心があり最も直接的で最も現実的な利益の問題をしっかり解決しなければならない」と強調した*8。繰り返される「民生」の重視は、一貫した重点政策であると同時に政策実行の困難さを露呈しているといえよう。

(3)「社会管理」の強化

前述のとおり、17全大会報告では「民生」改善の具体策として「社会管理を完全にし、社会の安定団結を擁護する」という内容があった。党の重要文献で「社会管理」が提起されたのは、胡・温体制になってからである。2004年第16期四中全会の決定に、「社会の建設と管理を強化し、社会管理体制の刷新を推進する」と記されている*9。2006年第16期六中全会の決定では、「社会管理を強化し、社会の安定を守ることは、社会主義和諧社会構築の必然的な要求である」として、以下の政策が明記された*10

 [1] 服務型政府の建設、社会管理と公共サービスの強化
 [2] 社区の建設を推進、基層レベルのサービスと管理ネットワークの整備
 [3] 社会組織を健全化し、サービスの社会機能を増強
 [4] 各方面の利益関係を全面的・計画的に案配し、社会の矛盾を適切に処理
 [5] 危機管理体制のメカニズムを完全にし、各種リスクに効果的に対応
 [6] 社会治安の総合的管理と人民大衆の安全感を強化
 [7] 国家の安全工作と国防建設を強化、国家の安定・安全を保障

当初、「社会管理」は公共サービスを中心とした概念であったが、その後は社会変化にともない変容しつつある。今年の全人代政府活動報告では、公共サービスのほか、基層レベルの自治、戸籍管理制度改革、電子行政、インターネット管理、突発性事件の危機管理、知的財産権保護、食品の安全問題、陳情対策、犯罪対策など多岐にわたっている*11。「社会管理」が包括するのは、中国が直面している困難な社会問題にほかならない。「民生」の重視と「社会管理」の強化は、「安定維持」を絶対視する中国共産党政権の最重要課題なのである。

3.「民生」と「社会管理」の実態

(1)「民生」の改善と構造的課題

「民生」の改善は、庶民の生活と密接に関わる各分野で改革が進められている。2011、2012年の全人代政府活動報告では、就業問題、所得の再分配、社会保障制度、不動産市場のコントロール、医薬・衛生事業、人口・計画出産の分野などを主要任務として、成果と課題が報告されている*12
しかし、現状に対する庶民の不満は深刻だ。『社会青書2012年』によれば、庶民は、[1]物価上昇、[2]医療費負担、[3]所得格差、に最も関心を寄せている*13。経済発展によって生活が向上し、いわゆる「中間層」も拡大しているが、政府は山積する問題の重要性や緊急性を認識しつつも対策が追いつかないというのが実態である。

「民生」の改善が困難を極める背景には、構造的な課題が存在している。管見では、第一の課題は戸籍制度の問題である。都市戸籍と農村戸籍の区分は、教育や医療など格差是正の障害となっている。第二の課題は社会構造の変化だ。都市化率は2011年に50%を越え、中国は都市型社会への移行期に入った*14。社会構造の変化にともない、社会保障政策も構造改革が求められている。第三の課題は、経済成長の減速と少子高齢化という今後の趨勢である。

中国のGDPは世界第二位となったが、庶民感覚では「国富」が「民富」に直結するわけではない。経済発展と社会の安定は政権維持に有利だが、「民生」に関わる庶民の不満は中国共産党にとって潜在的な危機である。

(2)「社会管理」の強化と言論空間

「社会管理」は公共サービスや治安維持など多岐にわたり、現在は管理強化の傾向にある。土地収用や健康被害など各種の権利擁護を訴える集団抗議行動は増加し、民主活動家や人権派弁護士に対する圧力も強化されている。チベットやウイグルなど少数民族地域での問題も深刻だ。社会の「安定維持」を最優先する政権にとって、もはや「社会管理」は「危機管理」と同義ではないだろうか。

自由と規制が拮抗する言論空間は、「社会管理」が顕著な領域である。メディアは市場化によって自由を拡大しつつあり、5億人を越えたインターネットユーザーの影響力は絶大だ*15。ネット上で意見を発表する「新意見階層」と呼ばれる人々が情報発信し、一定の世論を形成して社会問題解決への圧力となることもあるが、ネット規制も強化されている。ネット上でナショナリズムが高揚すると、当局はある程度自由な言論を容認するが、一定の範囲内で世論を誘導する策を講じることもある。

胡・温体制の10年間は、価値観が多様化し各種論争が激化した時期でもあった。「普遍的価値」をめぐる論争はその代表例だ。温家宝は2007年に発表した論文で、「科学・民主・法制・自由・人権は資本主義の専有物ではなく、人類が長い歴史において共に追求してきた価値観と創造した文明の成果である」と主張した*16。週刊紙『南方週末』が、翌年、四川大地震の救援活動報道で「普遍的価値」に言及し、論争は一気に本格化した。『人民日報』や雑誌『求是』が批判キャンペーンを展開すると、雑誌『炎黄春秋』は擁護の論陣を張った。同年末に知識人たちが発表した「08憲章」は民主化と「普遍的価値」を主張したが、その結果は厳しい弾圧である。許容範囲内での論争は容認されるが、政治的な尺度を越えれば規制や処罰の対象となるのだ。

市場と公共利益を優先するメディアと、管理を強化する当局との攻防が激化しているが、庶民の意識は確実に変化している。言論空間に見る「社会管理」の実態は、政治的要因に左右され、「安定維持」を目的とする管理が翻って不安定要素を拡大させている側面もある。胡・温体制の10年間は、社会の不安定化を回避する危機管理に直面した時代でもあるといえよう。

4.おわりに――18全大会と今後の注目点

胡錦濤は中国共産党90周年大会の講話で、建党100周年(2021年)にさらに高いレベルの小康社会を建設すると発表した*17。持続可能な社会の発展と安定のために、「民生」と「社会管理」は今後も重点政策として継続すると思われる。新政権発足後も、人事によって政策の方向性が大きな影響を受けるとは考えにくい。社会の現実に対して適切かつ迅速な対応が求められる新政権の圧力は、さらに高まっていくだろう。今後、「民生」と「社会管理」がどのように展開していくのか注目したい。

中国社会を考察する際には、党・政府と社会の関係が変化しつつある点に着目する必要がある。当事者意識や納税者意識の高まりによって一般庶民の思考や行動も変化しており、「公民社会」*18形成の可能性を模索する議論も多い。もはや多様な利益衝突の調整は党・政府だけでは不十分であり、NGOなど伝統的な地縁・血縁の代替となる新たなネットワークの働きが注目される。党・政府の政策分析と同時に、中国社会の現実をつぶさに観察する複眼的思考が必要だといえよう。




*1 ここで「社会政策」とは、社会保障や社会福祉など個別の政策に限定せず、「社会全般の問題解決に向けた公共政策」という広義で使用する。
*2 以下、18全大会と略記。
*3 胡錦濤「在省部級主要領導幹部提高構建社会主義和諧社会能力専題研討班上的講話」(2005年2月19日)、新華社、同年6月26日。
*4 「中共中央第十六期五中全会公報」新華社、2005年10月11日。
*5 「江沢民同志在党的十六大上所作報告全文」新華社、2002年11月8日。「小康」は「ややゆとりのある生活」を意味する。
*6 「胡錦濤在中国共産党第十七次全国代表大会上的報告」新華社、2007年10月15日。
*7 各年「全人代政府工作報告」より抜粋。中国人大網www.npc.gov.cn。
*8 「全党全国各族人民更加緊密地団結起来 沿着中国特色社会主義偉大道路奮勇前進」『人民日報』2012年7月24日。
*9 「中共中央関於加強党的執政能力建設的決定」(2004年9月19日)『人民日報』同年9月27日。
*10 「中共中央関於構建社会主義和諧社会若干重大問題的決定」(2006年10月11日)『人民日報』同年10月19日。
*11 「第十一期全国人民代表大会第五次会議 国務院総理温家宝作政府工作報告」新華社、2012年3月5日。
*12 2011、2012年「全人代政府工作報告」より抜粋。中国人大網 www.npc.gov.cn
*13 汝信、陸学芸、李培林主編『社会藍皮書 2012年中国社会形勢分析與予測』社会科学文献出版社、2012年1月。
*14 潘家華、魏后凱主編『城市藍皮書 中国城市発展報告No.5:邁向城市時代的緑色繁栄』社会科学文献出版社、2012年8月。
*15 2012年6月末時点のネットユーザーは5億3800万人。中国互聯網絡信息中心(CNNIC)「第30回中国互聯網絡発展状况統計報告」。
*16 「温家宝、関於社会主義初級段階的歴史任務和我国対外政策的幾個問題」『人民日報』2007年2月27日。
*17 「胡錦濤:在慶祝中国共産党成立90周年大会上的講話」新華社、2011年7月1日。
*18 「公民社会」は「civil society」の意味。「市民社会」、「民間社会」も訳語として用いられているが、「公民社会」は公民の社会参加と国家権力に対する制約という政治的意義を強調している。兪可平「中国公民社会:概念、分類與制度環境」『中国社会科学』2006年第1期。