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【書評】『グローバル冷戦史―第三世界への介入と現代世界の形成』O. A.ウェスタッド著/佐々木雄太監訳(名古屋大学出版会、2010年)

February 18, 2011

評者:水本義彦(二松学舎大学専任講師)

本書の原書が出版されたのは2005年のことであるが、本書は冷戦史研究の新たな方向性を提示した画期的な研究であり、すでにガディスやレフラーの著作に並ぶ冷戦史の必読書として定着した感がある。このたび、最新の研究成果である本書が、平易な日本語に翻訳され、学究者のみならず一般読者にも容易に入手できるようになったことを、まず喜びたい。

本書の構成は以下のとおりである。

日本語版のための序章
第1章 自由の帝国-アメリカのイデオロギーと対外的介入
第2章 公正の帝国-ソ連のイデオロギーと対外的介入
第3章 革命家たち-反植民地の政治とその変容
第4章 「第三世界」の形成-革命に直面するアメリカ
第5章 キューバとベトナムの挑戦
第6章 脱植民地化の危機-南部アフリカ
第7章 社会主義の可能性-エチオピアとアフリカの角
第8章 イスラーム主義の反抗-イランとアフガニスタン
第9章 1980年代-レーガンの攻勢
第10章 ゴルバチョフの撤退と冷戦の終焉
終章 革命、介入、大国崩壊

本書の目的・主張

本書の目的は、第二次大戦後、なぜ、どのように米ソ両国が第三世界諸国に介入したのか、またその介入が第三世界にどのような変容をもたらし、今日の世界を形成したのかを明らかにすることにある。ウェスタッドは、「冷戦」を「米ソ間のグローバルな対立が国際情勢を支配した状況」(4頁)と定義し、その冷戦と、戦後ヨーロッパ諸国の経済的・政治的植民地支配を脱した「第三世界」諸国との交錯を「介入」という現象に見出す。本書は、第三世界での米ソ対立を、「自由」と「公正」を基本的価値とする二つの「近代性(modernity)」、発展モデルの相剋(第1,2章)と理解したうえで、その対立に脱植民地化後の第三世界諸国の指導者が呼応していく過程を丹念に描き出している。

冷戦期の米ソによる第三世界への介入を考察した結果、ウェスタッドは、次のような論争的な結論に達する。すなわち、従来「ヨーロッパを中心とした軍事力と戦略的支配をめぐる二つの超大国間の対立」と考えられてきた冷戦の「最も重要な局面は、軍事面でも戦略面でもなく、ヨーロッパ中心的なものでもなく、第三世界における政治的、社会的発展に関係していたと主張する」(399頁)。そして本書は、米ソの介入の「悲劇」的結末に読者の関心を引く。米ソの介入の多くは、第三世界諸国を「荒廃」させ、「第三世界が自ら生み出す困難に自力で対応できないような脆弱な社会状況を残し」(407頁)、その負の影響は冷戦後の今日まで及んでいるとする。とくに、ソ連よりも頻繁に介入したアメリカに対する評価は厳しく、韓国と台湾が達成した安定的な成長と民主化を、戦後アメリカが介入した他の約30の第三世界諸国は実現できなかったと評価している。

本書の特徴・意義

本書は、有益な示唆に富む研究であるが、ここでは、その特徴を二点指摘するにとどめたい。

第一に、本書は、米ソ両大国に対する均等な目配りを行うことでバランスの取れた「米ソ二極史観」を打ち立てつつ、第三世界諸国側からの米ソへの能動的な働きかけをも指摘して、超大国と第三世界諸国の「支配―従属」という単純なイメージの修正を試みている。ポスト冷戦時代の冷戦史研究は「米ソ二極史観」を越えることが大きな課題のひとつとされてきたが、現実には、史料解禁の遅れもあって、ソ連・共産圏諸国の冷戦政策の解明はその途上にあり、純粋な意味での「米ソ二極史観」はまだ確立させていないといっても過言ではない。むしろ、冷戦後の西側諸国での活発な研究の蓄積によって明らかになった米ソの総合的な力の格差を前提に、冷戦を米ソの二超大国間の対立ではなく、覇権国アメリカに対するソ連の挑戦と見るのが現実的な評価であるとの認識も存在している。これまでソ連・共産圏諸国の政治・外交に関する著作を数多く発表してきた著者が、マルチ・アーカイヴァルの手法を駆使して、ソ連と他の共産主義諸国(中国、キューバ、東ドイツなど)による第三世界への多角的移入の実態を明らかにしたことにより、これまで以上にバランスの取れた東西対立の実相が浮び上がってきた。また本書は、冷戦におけるイデオロギー対立の側面を強調することで、物理的パワーにおいてアメリカに遅れを取りながらも、ソ連がなぜグローバルな影響力(または、少なくとも、そのようなイメージ)を与えることができたのかを理解する手がかりを与えてくれる。この意味で、冷戦の本質をめぐる議論にイデオロギーをどう位置づけるかという旧くて新しい問題を考える上でも、本書は重要な貢献をしたといえよう。

さらに本書の特徴として強調されるべきは、第三世界諸国を超大国の介入に翻弄される被支配者として単純化せず、超大国と第三世界との相互作用に着目し、第三世界各地域の指導者たちが「超大国の介入をそそのかし助長する重要な役割を果たした」(401頁)ともする。ウェスタッドは、米ソによる二つの「近代性」はともにヨーロッパの社会思想にその源流を発しながらも、ヨーロッパ諸国の帝国主義、植民地主義とは一線を画し、米ソの介入の動機を「搾取や制圧ではなく、統制と改善」を目的とするものであったとする(8頁)。加えて、米ソの発展モデルは、第三世界の共鳴を呼び、米ソと第三世界諸国の間には「イデオロギー的一体感」(402頁)があったとも指摘している。ウェスタッドの第三世界側の主体性を重視するアプローチは、西欧諸国側のアメリカへの働きかけを捉えて「招かれた帝国」論を唱えたルンデスタッドの研究や、米ソ以外の諸国がいかに冷戦を「拡大」、「熾烈化」させ、「長期化」させたかに注目するトニー・スミスの分析手法に連なるものである。このように、本書は、冷戦史の分析手法におけるこれまでの課題に対する総合的な解答として高く評価される。

第二に、本書は1970年代から80年代の出来事に叙述の大半を割き、デタントの崩壊、新冷戦の出現、冷戦の終焉といった国際システムの変動を意識しつつ、米ソの介入による第三世界政治の変転を考察している。本書がこの時期に注目するのは、当該期に超大国間での第三世界をめぐる対立が最高潮に達し、また第三世界の開発が冷戦のより広い展開の中で最も重要性を持った時期だからである。この時期の重要性は他にも、1970年代に、ソ連がヨーロッパや隣接地域を越えて中東・アフリカに介入して初めてグローバル・パワーの様相を呈したこと(第7章)、イラン革命(1979年)とアフガニスタン戦争によって、米ソ両方の西洋的近代化モデルがイスラーム主義の反発にあって限界を露呈したこと(第8章)、に求められよう。崩壊したソ連共産主義のみならず、勝者になったとされるアメリカ自由民主主義さえもが近代化モデルとしての魅力、正当性を失いつつある中で、今世紀に入ってからも見られるアメリカの一方的な介入が引き起こす悲劇に本書は警鐘を鳴らしている。第三世界での冷戦が最高潮に達した時期としても1970,80年代は重要であるが、このように現代世界の起点としても当該期は重要な時期である。

本書の問題点と今後の研究課題

本書の問題点を踏まえ、今後の研究課題を三点挙げたい。

第一は、すでに原書に対する書評や本書「監訳者あとがき」でも指摘されているように、本書は第三世界での米ソ対立に分析の焦点を絞り、冷戦の重要な新局面を描き出した一方で、従来の研究で指摘されてきた冷戦の戦略的・軍事的側面や「ヨーロッパ冷戦」、東西陣営内の同盟政治の局面を包含した冷戦の全体像を提示するに至っていない。換言すれば、冷戦を本書の表題どおり「グローバルな」現象と見るなら、第三世界情勢の分析のみをもって冷戦の本質を語ることには自ずと限界がある。著者が、第三世界の政治的・経済的発展の試みとその悲劇的結末を冷戦の最重要局面とするのは、第三世界諸国での内戦、国家破綻、貧困というポスト冷戦期の国際政治の重要問題の起源を冷戦期に求め、過去を現在との関連で眺めているからである。しかし、著者も認めているように、歴史分析においては過去を過去としてその事実を究明する作業も重要である。冷戦期、米ソの指導者がヨーロッパの東西対立や核戦略を対外政策策定の中心に位置づけていたことは紛れもない事実であり、こうした事実認識に欠ける叙述は要諦を得ないだろう。

第二に、本書は「介入」という現象に注目する一方で、米ソによる制度化された、または日常的と形容してもよい第三世界への干渉・支配の実態分析が十分ではない。「介入」という目に付きやすい現象も重要であるが、介入に至らない程度の関与、例えば、経済・軍事(武器・軍事顧問)援助、非公然・準軍事的活動、基地、通商貿易関係といった日常的な米ソの影響力行使を看過してはならない。こうした問題は、伝統的に修正主義学派が関心を示してきた分野である。本書は、米ソの介入の動機を「搾取や制圧ではなく、統制と改善」に見出し、米ソの帝国主義的な意図を否定して修正主義学派とは一線を画すが、アメリカの第三世界支配に対する修正主義学派の批判的な考察に正面から応えるものではない。また、独立後多くの第三世界諸国が辿った国家建設の失敗の原因を究明するのであれば、それを米ソの介入のみに求めるのでは不十分であり、ヨーロッパの旧宗主国による植民地支配や脱植民地化の形態、脱植民地化後の貿易・通商関係なども含んだ包括的な分析が必要であろう。

最後に、本書は、米ソ対立を第三世界での社会発展モデルの相剋と描き、その介入の動因をイデオロギーに求めているが、米ソの介入の動機が、イデオロギーよりも地政学的・戦略的な認識、ゼロ・サム的な強迫観念に基づいていたと思われる事例(アフリカやアフガニスタンの事例など)が散見された。著者自身、第三世界での米ソ対立激化の一因を「敵方が勝利した場合の結果に対する黙示録的なまでの恐れ」(400頁)に見出している。また、本書は、中ソ対立と両国による第三世界への介入の関連を必ずしも明確にしていないが、「1965年までに、第三世界におけるソ連の努力の大半は、モスクワにとって利益が最小で、最遠の国においてであっても、中国の措置に対抗することに注がれた」(171頁)と指摘している。無論、イデオロギーと安全保障認識は表裏一体であるが、本書で描かれる第三世界をめぐる米ソ対立、中ソ対立には、発展モデルをめぐる競争と同時に、地政学的な勢力圏争いや安全保障のジレンマに由来する「作用―反作用」の応酬と理解できる事例も含まれている。

上記三点は本書の問題点であるだけでなく、今後の冷戦史研究の課題と認識されるべき問題である。

本書は、冷戦史のみならず、広く戦後の国際関係史に関心のある学究者に有益な示唆を与えてくれる大著である。

    • 二松学舎大学専任講師
    • 水本 義彦
    • 水本 義彦

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