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平成を読み解く――政治・外交検証 連載第3回 平成時代の日本外交――国際環境の変容と内政・外交の相互作用

February 13, 2019

平成の時代が2019年4月で終わる。冷戦の終結とグローバリゼーションのスタートとともに幕を開けた平成とはどのような時代だったのか。政治改革は何をもたらし、どのような力学で統治システムは変化してきたのか。内政と外交はどう関連し、相互作用を及ぼしてきたのか。激動の30年をたどり、ポスト平成時代の政治・外交課題を提示する。

※本稿は2018年10月16日に開催した政治外交検証研究会「平成30年を読み解く――平成の政治・外交を検証する」の議論、出席者作成資料等をもとに東京財団政策研究所が構成・編集したものです。文中敬称は当時。

【出席者】(敬称略)
清水 真人(日本経済新聞編集委員)
竹中 治堅(政治外交検証研究会メンバー/政策研究大学院大学教授)
宮城 大蔵(政治外交検証研究会幹事役/上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科教授)*写真
五百旗頭 薫(政治外交検証研究会幹事役/東京大学大学院法学政治学研究科教授)*モデレーター兼コメンテーター

冷戦期とポスト冷戦後の日本外交

五百旗頭 それでは宮城さん、お願いします。

宮城 私の話のテーマは「平成の日本外交」です。平成以前、つまり「冷戦期(戦後)」と、20194月で終わる平成の後にくる時代、つまり「ポスト冷戦後」の間に挟まれたものが平成の30年だと考えたときに、その時代の外交はどうみえるのか。さらに、外交と内政の連関、あるいは両者の相互作用についてお話しします。

 最初に、平成以前の「戦後日本外交」がどういうものだったかを考えておきたいと思います。その特徴は2つあります。一つは冷戦体制下で、日本の安全保障上の選択肢が限られていたこと。日本国内における安全保障をめぐる議論は、国会における自衛隊の違憲合憲論争や日米安保条約における「極東の範囲」といった法律論争が中心でした。もう一つは、戦争で断絶した各国との国交回復や沖縄返還といった広い意味での戦後処理であったこと。1951年のサンフランシスコ講和条約に始まり、56年の日ソ共同宣言、65年の日韓基本条約、72年の日中共同声明、と国交正常化が進み、さらに同年に沖縄が返還されました。問題の所在が定まっているという意味でいずれも静的であり、基本的に受け身の課題でした。戦後の外務省において条約局が筆頭とされたのは、このような戦後外交の性質を反映したものです。

湾岸戦争をきっかけに冷戦後日本外交のあり方の模索が始まる(1991年1月17日、イラク・バグダッド軍事施設への最初の爆撃 Photo by Laurent VAN DER STOCKT/Gamma-Rapho via Getty Images)

 しかし、法的、静的、受動的を特徴とした戦後外交は、湾岸戦争という突発的かつ困難な政治的判断を必要とする事態を前に、無力さを露呈します。そこから冷戦後日本外交のあり方の模索が始まった。

 他方、「ポスト冷戦後」です。いまや、「冷戦後」の時代が終わりを告げつつある。「冷戦後」時代を特徴づける思考は、ジョージ・ブッシュ(父)大統領の「新世界秩序」です。湾岸戦争に勝利を収めた後の19919月、世界をアメリカ中心の価値観につくり上げていけるようになると国連総会で高らかに宣言したわけですが、20171月、米国では「アメリカ・ファースト」を鮮明に打ち出したドナルド・トランプが大統領に就任。「米一極」から「米最優先」へと冷戦後の時代が終わりを告げつつある。

「米国優先」を掲げるトランプ大統領の出現。「冷戦後」から「ポスト冷戦後」の時代へ(Photo by Aaron P. Bernstein/Getty Images)

 以上2つの間にあるのが平成の30年間です。この間、安全保障上の課題は、1990年代の「国際貢献」や「対米協力」に始まり、北朝鮮情勢への対応を経て、「中国台頭」に対する備えへと行きつく。冷戦後における国際情勢の流動化を前に、アメリカからの要請にどこまで応じるのかという課題から、中国台頭を前にして、いかにしてアメリカを引き留めるのかという問題関心に推移してきています。

政権再編と安全保障政策の連動

 以上をふまえた上で、平成時代の日本外交、特に、冷戦後における国際環境が日本の国内政治をいかに変容させ、その国内政治を基盤とする外交が、今度はいかなる影響を国際政治に及ぼしていったのか、その相互作用を考えてみます。

 冷戦後あるいは平成の政治の特徴は、まず、政権交代が繰り返されたこと、そして連立政権であったことです。小渕政権発足時だけが自民党単独で、ほかはすべて連立です。しかも組み替えが割と頻繁に行われている。この政界再編の動きが安全保障政策の変化と連動しているのではなかろうか。そこに、竹中さんが強調された参議院の「ねじれ」が重なってきている。

 俯瞰してみますと、宮沢政権下でのPKO関連法案は、社公民(社会・公明・民社)ブロックの最終的解体と自公民(自民・公明・民社)の接近を引き起こしました。

北朝鮮危機は米国からのガイドライン関連法成立への圧力を強化させ、連立政権の亀裂を加速させた(Photo by Chung Sung-Jun/Getty Images)

 細川護熙(19938月~944月在任)・羽田孜(199446月在任)の非自民連立政権下で進行した第一次北朝鮮危機は、対応策をめぐって小沢氏率いる新生党と社会党の亀裂を加速させ、細川首相退陣後には有事対応をカギとする連立組み換え工作が水面下で展開されました。朝鮮有事の危機と重なったことが、非自民連立の弱点であった安全保障をめぐる不一致を露呈させ、短命に終わらせる原因の一つとなったという面もある。

 つづく自社さ(自民・社民・さきがけ)連立の村山富市政権(19946月~961月在任)は逆に、北朝鮮をめぐる核危機がひとまず収束し、有事対応問題を棚上げすることで成立したともいえます。

 自社さ連立の枠組みは橋本政権にも受け継がれましたが、最終的には沖縄の基地問題への対応を主要因の一つとして瓦解します。橋本政権下の自民党内では、自社さ連立維持派と保保(自民党内の右派と野党の保守勢力)連合を志向する動きがせめぎあう。そこでも焦点となったのが安全保障問題でした。

 次いで小渕政権下では自自公(自民・自由・公明)の枠組みで、ガイドライン関連法が可決成立します。朝鮮半島情勢の緊迫化を懸念するアメリカから再三にわたって早期成立を求められていたものの、橋本政権下では社民党の難色で棚上げ状態にあった法案です。非自民連立、自社さと、安全保障政策での不一致を内包する連立が続きましたが、自自公連立は、一定の安定した枠組みを提供するものともみえました。しかし、存在感の埋没を懸念した自由党の小沢党首は連立を離脱し、やがて民主党に合流します。

 安倍首相が第一次政権で退陣したのは、自身の体調悪化だけでなく、実は対テロ特措法です。小沢代表の下で民主党が継続拒否をする。安倍首相は「私が総理であるということで、野党党首との話し合いも難しい状況が生まれている」「テロとの戦いを継続させるうえにおいて……新たな総理のもとでテロとの戦いを継続していく。それをめざすべきではないか」と辞任の理由を述べています。いってみれば、テロとの戦いを継続するために日本の首相が交代すべきという説明でした。

 福田政権になると民主党の小沢代表は「大連立構想」に走ります。その核心部は消費税引き上げと並んで、対テロ特措法の延長でした。

鳩山首相は普天間基地代替施設の「最低でも県外」を撤回し、連立瓦解、首相退陣へ(2010年5月23日、那覇市。写真提供 Kyodonews)

 2009年には民主党が総選挙に大勝して鳩山政権が発足しますが、参議院で過半数に満たなかったため、社民党、国民新党との連立となりました。鳩山首相が当初掲げた普天間基地代替施設の「最低でも県外」を撤回し、自公時代の辺野古案に回帰すると、これに反対する社民党は連立を離脱し、連立瓦解の責任をとって鳩山首相は退陣します。

 こうしてみると、冷戦後の日本政治の一つの特徴である頻繁な連立与党の組み換えは、外交・安全保障問題を主要因の一つとしていることがうかがえます。それは、米ソ冷戦下の固定的な国際環境とイデオロギー対立を前提とした自社中心の55年体制が、冷戦後の国際環境に直面したことを大きな要因として引き起こされた変化でした。

 その中にあって自公の枠組みが比較的安定し、ほかが持続性を欠いた一因は、公明党と社民党(1996年までは社会党)の行動の違いです。社民党が安全保障政策の不一致を理由に複数回にわたって連立政権を離脱しているのに対して、憲法や安保問題をめぐって必ずしも自民党と一致しているわけではない公明党が連立を維持していることが、結果としての自公の安定をもたらしているのです。

「非自民」形成模索の歴史

 平成時代は「非自民」形成の模索の歴史ともいえます。「55年体制が終わった」といいますが、社会党がなくなっただけで自民党がなくなったわけではない。それでは社会党に代わる「非自民」のスペースをどのような政治勢力が埋めることになったのか。

 細川・羽田の非自民連立政権は、顔触れなどからすると第一次民主党政権といえなくもない。そこから公明党が抜けたのが、のちの民主党政権です。民主党政権では鳩山首相の「有事駐留論」が注目されましたが、細川首相が同様に「有事駐留論」を唱え、小沢氏が国連中心主義を持論としていたことにも留意すべきです。そこには冷戦後という新たな国際秩序にあわせ、本来、米ソ冷戦に対応した仕組みであった日米安保体制をより柔軟なかたちに再構築し、日本の主体性を回復するという志向性があったともいえるでしょう。

 しかし、「冷戦後」が、緊張緩和や「平和の配当」を意味した時期はそう長くは続かず、特に日本にとって「冷戦後」は、北朝鮮核危機や中国との軋轢など、絶え間ない危機の時代として認識されるようになります。安全保障面における「非自民」の模索は、「日米同盟重視」と、中韓などを念頭に置いて「毅然たる外交」を掲げた野田政権によって、ひとまずは終止符が打たれることになりました。それをどうみるか。外交・安全保障における国論の収斂として肯定的にみるのか、あるいは日本外交の幅が狭くなったとして懸念するのか、意見の分かれるところでしょう。

地域主義の隆盛

 平成時代のもう一つの文脈は、地域主義の隆盛です。

 小泉政権期の2004年、アメリカを抜いて中国が日本の最大の貿易相手になります。それ以降も対中貿易はますます拡大している。他のアジア諸国にとっても同様です。このような経済的趨勢の変化は、「何年に○○条約が結ばれた」といった政治的な出来事と比べると、年表に載りにくいので見過ごされがちですが、極めて大きな出来事です。近年では中国の経済規模は、ドル換算で日本の約3倍にまでなっている。それを脅威としてみるのか、ビジネスチャンスとしてとらえるのか。

 アジア域内の経済的相互依存が深まるのに応じて、地域主義も盛んになりました。1997年のアジア通貨危機を契機として、東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日中韓)や東アジアサミット(EAS)、そして日中韓首脳会議など、さまざまな多国間枠組みが発足し、定着することになる。

中国の経済成長は脅威か、ビジネスチャンスか(APEC歓迎晩さん会を彩る花火。2014年11月10日、北京。Photo by Xinhua/Pool/Anadolu Agency/Getty Images)

 経済規模で中国が日本を凌駕する現状にあっては、「東アジア」での地域主義は中国主導となる可能性は否めません。しかしながら、領土や歴史を発火点とする緊張の一方で、今後の経済成長を考えれば、中国を筆頭とするアジアとの関係を深めることを抜きにして日本の前途は展望できないのも確かです。そのような条件下でいかなるかたちの地域主義を構想するのかということは、一つ考えるべきこととしてある。

「近隣外交」という残された課題

 最後に、今後の課題として日本外交のアイデンティティーについて考えたいと思います。明治以降は「非欧米で唯一」、そして戦後は「世界第2位の経済大国」である状態が続き、国際社会における日本の拠り所にもなったと思います。20092月に、麻生首相は大統領就任直後のバラク・オバマ氏と会談した際「数多くの課題があるが、世界第1位、2位の経済大国である日米が手を携えて協力して取り組まなければならない」と述べたのは象徴的でした。しかし、その翌2010年には、日本はGDPの規模で中国に抜かれ、1968年に当時の西ドイツを抜いて以来、42年間に及んだ「世界第2位の経済大国」の地位を手放すことになった。それに代わる日本の新たなアイデンティティーは何か。これからの世界における日本の位置付けはどういうものでありうるか。それを考えることが、日本外交を展望する上で一つの糸口ではなかろうかという気がしています。

 中国、朝鮮半島という近隣諸国との関係については、領土や歴史も絡んで日本と相手国、双方の国民感情に直結する難しいところがあります。対米関係については重要だというコンセンサスが日本国内にあると思いますが、アジアとの関係、特に中国・朝鮮半島については、日本の中でコンセンサスが定まっているとはいえないように思います。今後の外交が努力すべき課題の一つでしょう。

 その関連でいえば、20001月、小渕政権の下で「日本のフロンティアは日本の中にある」という印象的なタイトルの政策提言が出されました。そこにはこう記されています。日本と中国・韓国(朝鮮半島)との関係は「外交的な努力だけでは掴みきれないものをすくいとり、深みのある関係を築く営みが必要である。そういう営みを『隣交』と呼ぶ」。関係を長期的に安定させ、信頼関係を結ぶには「ある種の国民的な覚悟が必要である。そういう意味での『隣交』である」――いま一度、思い起こすべき提言ではないかと思います。

連載最終回に続く


    • 政治外交検証研究会幹事/ポピュリズム国際歴史比較研究会メンバー/東京大学大学院法学政治学研究科教授
    • 五百旗頭 薫
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