タイプ
論考
プロジェクト
日付
2013/5/13

「PM2.5」を契機に日中関係の再構築を

東京財団研究員
染野 憲治


中国で顕在化したPM2.5の脅威

2013年1月、PM2.5(微小粒子状物質)の影響が中国の都市部で顕在化した。

このPM2.5とは、大気中に浮遊する微粒子のうち、粒子径が2.5マイクロメートル以下の超微粒子で、例えば粒子径が10マイクロメートル以下であれば「PM10」と呼ばれる。大気中の粒子状物質は、呼吸器疾患の原因になる。さらにPM2.5はPM10と比べて微小なため、毛細血管に入り込み心臓に負担をかけるといった健康への影響も懸念される。世界ではアメリカが早くよりPM2.5に注目し、1990年代に環境基準を作り、日本もその流れに続いた。現在の日本の環境基準は、アメリカと同レベルにある。

他方、中国の環境基準は、日米に比べると緩くアメリカと日本の環境基準一日平均「35マイクログラム」に対し、「70マイクログラム」となっている。

実は去年まで、中国当局ではPM2.5の正式な測定を行っていなかった。アメリカ大使館では北京五輪の少し前から測定を始めていたが、一昨年その結果が報道されたことを契機に世論が高まり、本年1月より中国当局も主要都市にて測定を始めた。その測定開始間もない1月、北京で中国の環境基準の実に10倍となる700マイクログラムの値を計測し、街に霞がかかった様子になった。1月より、そのような状況が長く続き、私が北京に滞在した3月も、1立方メートルあたり200~300マイクログラムを記録する日があった。

今年とくに大気汚染の影響が目立った直接の理由は寒さにある。今年の北京は21世紀に入って一番の寒さで、暖房を使用するため石炭などの消費量も多かった。また逆転層により冷たい空気が下に溜まり対流せず、さらに汚染が顕在化したのである。

ただし、そのような気象条件の後ろには、そもそも中国における大気汚染の深刻さがある。代表的な大気汚染物質である二酸化硫黄(SO2)の排出量は世界第1位であり、地域差はあるが、全般的な大気汚染の水準は、日本で公害問題がピークだった70年代前半に並ぶ状況である。

だからと言って、中国がこれまで何も大気汚染対策を施さずに来たわけではない。石炭を使用する火力発電所や、製鉄所などから排出されるSO2を減らすため、2005年から5年間かけて総量削減を国家目標に掲げ、10パーセント以上の削減に成功している。さらに2010年からの5年間で、さらに8パーセントの削減と新規に窒素酸化物(NOx)の削減にも取り組んでいる。しかし、急速な経済成長によるエネルギー消費量の増加や石炭中心のエネルギー構成、自動車台数の増加など環境改善のためには厳しい現状が続く。

環境問題は経済成長の副作用

中国経済が8~10パーセントの高い伸びを見せている現在、それに対応した環境対策が求められる。日本の場合は70年代前半に、環境対策としてGDP(国内総生産)比約8パーセント以上の費用を使ったといわれている。中国はいまだGDP比2パーセント強しか使われておらず、環境対策に今まで以上のお金を使わなければならない。また、環境問題に関わる組織の人数にしても、所掌する業務に差異はあるが、米国の環境保護庁の職員数が約1万8000人、日本の環境省の職員数が約1500人なのに対して、中国のそれは約300人。人口が日本の約10倍、国土面積が約25倍の国でわずか300人というのはあまりにも頼りない。

中国も環境対策が必要との自覚はあるし、取り組みも進めているが、現実の成果はまだ不十分といわざるを得ないだろう。

PM2.5の問題で大気汚染ばかりがクローズアップされているが、中国では水質や土壌汚染の問題も深刻である。中国メディアでも、水質汚染によって、住民の相当数が「がん」を発症している「がん村」の存在を報道している。裕福な人たちなら空気清浄機を使ったり、飲用水はミネラルウォーターにするなどの自衛措置も考えられるが、このような「がん村」の被害者は、貧しく、情報の入手も発信もままならない農村部の人々である。

中国社会には変化の兆しも見られる。ある程度、経済が豊かになると、富裕層を中心に健康への不安から環境問題に対する不満が必然的に出てくる。とりわけ上海や北京などの都市部に住んでいる人は、情報感度も高く、環境に対する要求水準も高い。また、農村部の汚染についても前述のように報道され、社会問題として認識が共有されつつある。

経済成長の副作用として必然的に顕在化した環境問題にどう対処するか。国土が広く人口が多いゆえの統治の難しさはあるだろうが、経済一辺倒では国がもたないことを自覚して、環境対策により多くの予算と人員を割くようにしてほしい。中国はいま大きな転換期を迎えている。

日中の環境協力をどう進めるか

かつての日本も高度経済成長期に激甚な公害を経験したが、法律を整備し、環境規制を強化し、二酸化硫黄や窒素酸化物などの汚染物質を減らしてきた歴史がある。

今回のPM2.5の報道をきっかけに、日本でも大気汚染の心配をされる人がいるが、その数値は中国と比較しても桁が一つ違う水準である。現状はいたずらに騒ぎ立てるレベルではないだろう。

「環境対策」というと、どうしても最新技術の供与といった話になりがちだが、そういった小手先の対策にばかり頼っていても、根本的な解決には結びつかない。環境保全を進めることが有利になるように社会に様々な仕組みをつくり、動かしていく必要がある。

現下の日中関係から、一部には日中環境協力の実現に懐疑的な論調もあるが、実際、日中関係が政治的に冷え込んでいた小泉政権下でも、日中韓の大臣が集まって開催する環境大臣会合は、一度も途切れたことがない。日中の環境協力は30年以上の先人らの歴史があり、私自身、2004年から3年間、在中国大使館に勤務した経験からも、日中協力の潜在力を信じている。

時間はかかるだろうが、日本と中国は真摯に向き合い、今回のPM2.5問題を契機に、今後の日中間の環境協力態勢をどう進めるべきかを論ずることは、日本への影響をいたずらに騒ぐより有意義なことである。

日本は中国に対する途上国援助(ODA)をほとんど停止しているが、そのレガシー(遺産)まで否定する必要はない。北京には、日中平和友好条約締結10周年記念の一環として、96年に日本のODAで建てた「日中友好環境保全センター」がある。そこには、長年の日中の環境当局者の交流の歴史がある。日中環境協力のシンボル的な存在である同センターを活用することを推奨したい。

また、わずかながらのODAとして、技術協力の枠組みは残っている。中国の環境問題当局者のみならず、研究者、学生、メディア、NGOなどのなかにも、「日本の環境保全への取り組み、政策、技術、市民活動を学びたい」という人は多くいる。そのような熱意のある人たちに一人でも多く来日してもらい、日本の社会を見てほしい。

このような交流の拡大は、短期的には、日本の環境ビジネスの拡大につながるチャンスでもある。そして、中長期的には中国の環境改善につながるのみならず、日本の国益にも直結する良好な日中関係の礎のひとつになることも願う。

もちろん、環境問題は日本と中国だけの問題ではなく、アメリカも、欧州各国も、韓国も、協力する姿勢を表明している。選択肢もいろいろあっていいだろう。

環境対策に近道はない。「急がば回れ」で、日中がよりよき隣人関係を築き直すことが、環境問題解決への唯一の道と言えるだろう。

(『潮』2013年6月号より転載)