タイプ
レポート
日付
2015/9/18

〔対談〕日英の比較からプライマリ・ケアを考える(中):GP(家庭医)を巡る制度的な枠組み

対談シリーズ「医療保険の制度改革に向けて」
日英の比較からプライマリ・ケアを考える(中):GP(家庭医)を巡る制度的な枠組み

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「代理人理論」から見たGP

三原:今までは「GPが善人」という前提で議論してきました。しかし、経済学の「代理人議論」(Principal-Agent Theory)に沿うと、少し留意する必要があります。この理論によると、行為主体(プリンシパル)が他の人や組織(エージェント)に対し、自分の利益になる労務を委任することであり、医療の場合は患者が自分の健康を医者に委託する、株主だったら会社の経営を経営陣に委託するケースが該当します。しかし、この関係性にはエージェントが裏切るリスクが付きまとう。特に、情報の非対称性が高いと、委託する側(プリンシパル)の監視が効きにくいため、委託される側(エージェント)が委託する側を裏切るリスクを否定できない。例えば、GPと患者の関係で言うと、必要なケアを提供しない過小診療、必要以上のケアを提供する過剰診療のリスクです。イギリスの場合、診療所に対する報酬は大部分を人頭割にしており、どんなにケアをやっても収入が変わらないため、過剰診療のリスクは想定しにくい一方、今度は過小診療のリスクを伴います。GPを巡る制度はどうやって運営されていますか。
 
澤:医療の標準化を図るための取り組みは数多くありますが、一つの例としては、GPの質を最低限担保する専門医制度があります。これは簡単に言うと、誰でもGPになれるわけじゃないということ。NHSが設立された1948年当初、地域で開業する医師に対し、プライマリ・ケアの専門性は問われず、医学部を卒業したての医師や、専門教育課程の途中でGeneral Practiceへの転科を希望した病院勤務医など、誰でもGPとして働くことができました。いわゆる、「一般医」として、その学術的志向性は必ずしも明確ではなかった。しかし、1981年に3年間の専門研修プログラムが必須化され、それ以降は「家庭医」としての専門研修を無事に修了した医師以外はGPと名乗れなくなった。さらに、2007年には家庭医療後期研修プログラムと専門医試験を基盤とするライセンス制度が導入され、それ以降はその両方をクリアし、「家庭医療専門医」になることで初めてGPとしての診療が許されるようになりました。要するに時代の流れに沿ってGPの専門性を強化してきました。二つ目は、グループ診療が挙げられます。一昔前は患者1人に対して1人のGPが対応する完全主治医制でしたが、今はイングランド内であれば、国民はかかりつけの診療所をどこでも自由に選択することができます。さらに、診療所に平均4~5人くらいいる複数のGPたちから、自分の好みの医師をその都度、自由に選んで受診することもできます。例えば、僕は今、日本に来ていますから、僕にかかっている患者はその間、僕の同僚を受診できますし、僕が診療所で勤務しても「今日はちょっと違う人がいいな」と思えば違う医師にかかることができます。その結果、もし僕が不適切な診療をやっていると、「なぜドクター澤はこんな診察をしているのか?」ということが浮き彫りになる可能性が高い。それに電話相談の通話は毎回、録音され、一定期間、保存されるようになっているので、「見られている」「聴かれている」という感覚は少なからず持っています。診察室がガラス張りになっている感覚に陥る時があります。
 
三原:つまり、GPに対する教育があり、日常の診察でもGP同士のチェックがあるということですね。GPに対する教育で言うと、シャーロック・ホームズにGPが出てくる一節があります。ホームズの相棒、ワトソンは元々、アフガニスタンに従軍した軍医。ホームズが「君は何の専門性もないじゃないか」と言う場面があります[1]。でも、これは昔のGP。最近は専門性を高め、家庭医としてのプロフェッショナリズムを積んでいるわけですね。GPを「一般医」と訳すのは間違いですね。

QOFとNICE

三原:GPを巡る制度として、患者が診療所を選べるシステムも緩やかなインセンティブになっていると思います。具体的には、「GP Patient Survey」「NHS Choices」というウエブサイトや診療所のウエブサイトに行けば、診療所ごとの患者満足度を把握できる。これもGPにとってプレッシャーになっているのではないでしょうか。
 
澤:確かにあります。もし患者満足度の低い診療をしていれば、住民は別の診療所を選択する可能性がありますし、診療所のイメージをできるだけ良く保ちたいという医師のプライドもあるでしょうから。
 
三原:さらに、英国の医療制度を考える上では、QOF(Quality and Outcomes Framework)とNICE(National Institute for Health and Care Excellence、国立医療技術評価機構)に触れる必要があります。このうち、QOFでは予防の達成度や疾病管理の質に応じて報酬が増減する仕組みで、電子カルテで住民の健康情報がコード化されているため、QOFの各項目がどれくらい達成されているかを把握できる。日常の診療でQOFはどれぐらい意識していますか。
 
澤:僕は雇われているGPなので、そこまで意識しませんが、診療所を経営するGPの場合、自分の収入に関わってくるので、こだわる可能性は高くなると思います。診療所の会議でも「この統計は低めだけどどうするか」という議論になるし、電子カルテ上でGP同士の比較もできるため、もし「ドクター澤のQOFで得た報酬が少ない」と分かった場合、「もうちょっと頑張ってね」みたいなプレッシャーをやんわりと受ける時があります。
三原:でも、その場合はどうするのですか。例えば、凄く落ち込んでいる人に対し、「たばこは吸わないようにしましょうね」と働き掛けることは難しいのでは。
 
澤:QOFはメリットとデメリットがあります。メリットとしては、僕達が見落としやすい部分にエビデンスを基に目を向けてさせてくれる点があると思います。
 
三原:過少診療のリスクが減るメリットもありますよね。
 
澤:そうですね。医療の質や地域住民の健康データを改善すればするほど診療所が得をする仕組みなので、自然とそちらの方向にインセンティブが働きます。しかし、QOFだけに集中してしまうと、患者が人ではなく、「データの集合体」になってしまう可能性があり、ここはマイナス面と思います。例えば、不運の事故で母親を亡くし、目の前で泣き崩れる患者にとって、高血圧の管理というのは重要ではありません。そんな時に相手が必要とすることではなく、QOFの観点から自分が必要とすることを一方的にやってしまうと、その患者さんはどう感じるでしょうか。
 
三原:その瞬間、患者-医師の信任関係は崩れますね。
 
澤:その通りです。だから気を付ける必要があります。診療所ではQOFの項目にリマインダーを設定するようにしているので、落ち着いた頃に手紙を送れるし、少し後に風邪で来た時に「血圧を測っていいですか」と聞けるかもしれません。しかし、近年、診療報酬の30%くらいを占めていたQOFの割合が段々下がっています。GPとしては患者を人として診たいと思っていて、「数値」として診たくない。2004年にQOFが入ったからこそ、電子カルテが一気に普及した面があるし、予防的な観点などを意識する契機になった。だが、今ではスタンダードになったため、QOFで与えた報酬分をコアファンディング(基本サービス)に移すことで、GP達は何もしなくても予算が入る仕組みになりつつあります。

三原:そうすると、過小診療のリスクが出て来ませんか。
 
澤:その可能性は否定できないと思います。ただ、国としてはQOFの項目をよりエビデンスに基づくようにしているので、これだけは外せないという重要な部分は引き続き押さえています。それと、QOFとは直接関係ありませんが、CCGが各診療所の処方データや、二次医療への紹介頻度、登録住民の救急センターの利用頻度などをモニターしているので、それらの面で定期的にフィードバックが入ります。例えば、僕の診療所が「高血圧患者にカルシウム拮抗剤(血管拡張作用を示す薬剤)の一つであるFelodipineを多く処方している」「整形外科の外来に患者を頻繁に紹介している」ということが明らかになると、地域の診療所ごとの成績がランキング付けされた上で、「カルシウム拮抗剤でも、費用対効果の高いLercanidipineを処方しよう」「今までの整形外科への紹介状をチェックし、他の選択肢があったか話し合ってみよう」といった議論につながります。
 
三原:つまり、エビデンスをベースに医療の標準化を促し、標準から外れた医療をやった場合、医者に説明責任を課しているということですね。それで、余りにもエビデンスから外れた診療行為については適正化を求める。そのことを通じて過剰診療あるいは過小診療を抑えているわけですね。それと、イギリスの医療制度の特徴として、NICEがあると思います。2年前に診療所にお邪魔した際、患者の状態に応じてトリアージするための目安を示したNICEのガイドラインが澤さんの診療室に張られており、印象に残ったのですが、NICEによる診療ガイドラインは普段、どれぐらい意識していますか。
 
澤:患者の身に何かあった場合、GPの診療が妥当であったかの判断はNICEガイドラインに沿って判断されることが多いので、意識しているGPは多いと思います。でも、NICEのガイドラインは絶対ではなく、あくまでガイドラインなので、これでGPの診療が限定されることはありません。実際、処方や検査のオーダーというのは、各GPの裁量に任されています。NICEガイドラインによって推奨されていなくても、British National Formulary(英国国民医薬品集)に載っている薬であれば、自由に処方できます。個別医療を提供するのがGPの大きな専門性ということで、国も認めてくれます。でも、その場合は説明する責任があります。もちろん、NICEガイドラインは便利な面もあります。例えば、患者が「この薬効きますか」と疑問を投げかけてきた時、僕達にはゆっくりと調べる時間はありません。そこで、NICEが最近、現場で忙しいGPを対象に作成したのが「Clinical Knowledge Summaries(CKS)」と呼ばれるウエブサイトです。プライマリ・ケア診療に特化した推奨内容と、その基となる信頼性の高いエビデンスが簡単に検索できるようになっていて、イギリス国内であれば、GPだけではなく、一般市民など、誰でも無料でアクセスできます。例えば、妊婦がつわりで昨日から吐いているので薬が欲しい時、GPは普段カバーする健康問題が多く、どうしても全てのエビデンスを覚え切れない面があります。そこで、CKSにVomiting(嘔吐)、Pregnancy(妊娠)などのキーワードを打つと、推奨されている薬の候補とエビデンスの要旨が出てきます。こういったデータは説得力があるので、患者も納得してくれる傾向にあります。もっと詳しく知りたい場合、リンクをクリックすると、関連する論文に飛ぶようになっています。
 
三原:つまり、NICEのガイドラインが医師、患者の情報の非対称性を解消するとともに、これを基にGPが患者の自己決定を支えているということですね。

澤:その通りです。根拠に基づいた医療を提供するには、患者の意向を理解することや、効果的なコミュニケーションが必要不可欠なので、GPの存在は重要と思います。
 
三原:確かに患者はデータを見せられただけでは分からないので、GPの説明を通じてケアに参加することで、患者も納得するということですね。この結果、GPと患者の信任関係が形成されやすくなるし、エビデンスに基づいているため、過小診療、過剰診療などのモラルハザードのリスクも減る。でも、そういう外的動機が強いほど、医師のボランタリズムやプロフェッショナリズムが失われないかという心配があります。つまり、事前に定められたチェックシートを付けるだけのGPが出ないのでしょうか。説明責任を課されるのは辛いこと。医師は本来、「患者のために役に立ちたい」という高いモラルを持っていると思うのですが、「NICEなどが診療内容に文句を付けるのであれば、彼らの言った通りにやればいいじゃないか」と安易に考えるGPが出て来ないのではないでしょうか。
 
澤:そういったリスクは考えられます。でも、実際、外からの圧力は緩やかです。少なくともプライマリ・ケアの領域では、NICEガイドラインはあくまでガイドライン。CCGからのフィードバックも柔らかく、窮屈な感じではありません。僕が理由や判断を説明すれば終了です。現場の自主性は尊重されていると思います。
 
三原:つまり、医者のプロフェッショナリズムやボランタリズムを踏まえて制度が作られているわけですね。英ブレア政権のブレーンだったJulian Le Grandという学者が「(外的動機に従う)機会費用が大きい場合、やる気がくじかれてしまう」と言っています[2]。つまり、外から付与されるインセンティブが強いほど、内部のインセンティブを排除してしまうというわけです。特に、QOFの場合、経済インセンティブが付与されます。この結果、医師は本来のボランタリズムやプロフェッショナリズムよりも、金銭的な価値を優先するリスクがあります。これは診療所を経営する立場からみれば、合理的な選択かもしれませんが、患者の利益が無視されるリスクが高まってしまいます。ここの部分は日本でほとんど議論されていません。日本では医療の質の評価が遅れているため、診療報酬で誘導することになります。これに対し、日本の医療機関の大多数は民間で運営されているため、儲かる加算を取りたがる医療機関の行動は否定できない。しかし、情報の非対称性が大きいため、患者は診療内容をチェックできない。その結果、供給サイドの意向で需要が誘発されてしまい、患者の利益が度外視されることになりかねない。澤さんが今年2月に帰国された際に参加された在宅療養支援診療所連絡会のシンポジウムでも、同じような話題が出ていました。2014年度診療報酬改定では、高齢者住宅などに対する訪問診療の単価が4分の1に下がった[3]ため、「経営をやっていけない」という声が続出する中で、ある医師が「家族もスタッフも養えなくなる。その結果、診療報酬を得るために在宅医療をやることになる。私は何のために医療をやっているのか分からなくなった」と述べました。この時、私は「外的動機が内的動機を排除する一例」と思いました。日本では余り議論されていませんが、インセンティブの作り方は本来、難しい問題です。QOFも一つ間違えると、患者が「ポンドの塊」になりかねない。
 
澤:仰る通りです。だから今、全体の報酬に占めるその割合を段階的に減らしている。良い一手を模索している状況です。

平等か、公平か、日英の思想の違い

三原:こういう議論をやると、「イギリスの医療制度はそんなにいいものなのか。いいことずくめじゃないだろう」と必ず突っ込まれます。澤さんから見て、イギリスの医療制度の課題は何だと思いますか。
 
澤:僕は「完璧な医療システムはない」と考えています。日本やイギリスに限らず、世界の多くの国でも医療に費やせる資源には限りがある。その中で、最も重要なのは関係者や国民がビジョンを共有し、一つの方向性を決めることではないかと考えているんです。NHSのスタンスは明確で、公平な医療を必要とする人に無料で提供すること。「経済的条件によって病人に必要な医療が与えられないなら、どの国も己を真の文明国とは呼べない」という第2次世界大戦後、NHSを誕生に導いたアニューリン・ベバン保健大臣の言葉は有名ですね。そして、彼の言葉は60年以上経った今でもNHS理念の中核であり続けています。イギリスでは医療は消費財ではなく、社会を構成するすべての人々が分かち合う公共的な財と認識しています。2009年に発表された「NHS憲章」には医療者の責務だけでなく、「患者はNHSスタッフと他の患者に対して敬意を払うべきである」などとサービス利用者の責務も明記しています。このため、医療が商品として扱われ、患者を顧客として扱う文化に慣れた人がイギリスにやって来ると、NHSは使いにくいと感じるかもしれません。どちらが良い悪いかではなく、システムを支える哲学が重要と思います。
 
三原:イギリスと日本の医療制度を比較すると、日本は保険料、英国は租税という違いがあるにしても、財源面では公的セクターの影響力が強く、両国の仕組みは似ています。しかし、日本の提供体制は民間がメインなので、アメリカに近い面があります。そうした違いを踏まえると、一般的にアクセス、質、コストの3つは同時に達成できないと言われます。イギリスの場合、コストはGPによるゲートキーパー機能[4]や人頭払いでコントロールしているでしょうし、質の部分は現在、引き上げていると思います。しかし、フリーアクセスの日本に比べると、アクセスが良くないと言わざるを得ない。敢えて議論を分かりやすくするため、評価すべき項目を単純化しましたが、待機時間はイギリスで問題になっているのではないですか。
 
澤:まず、3つのトレードオフについて、僕は少し違う認識を持っています。先進国11カ国を対象にした医療制度の国際比較[5]によると、医療の質は効果性、安全性、協調性、患者中心性の4点に分類され、イギリスは全ての項目で1位になっています。それにもかかわらず、イギリスの国民1人当たりの医療費は11カ国中10位でニュージーランドに次いで低い。医療のアクセスについては、経済的負担を理由に受診を控えることがないかなどのコスト面では、11カ国中1位、そしてアクセスがどれくらいタイムリーかについては、11カ国で3位に入っています。このため、資料を見る限り、必ずしも質、コスト、アクセスの3つのトレードオフが起きるとは言えないのではないでしょうか。それと、アクセスも改善しています。昔は予約入院待ちで6カ月待ったとか、がんで数カ月待った間に転移したというケースもあったそうですが、予約入院の平均待機時間は1998年の約15週間から2009年には約4週に減少しました。がんの疑いがある場合は早く対応されるようになっており、GPにかかってから2週間以内にがん専門外来にかかる患者の割合は近年では95%くらいです。また、強い腹痛を訴える患者がGP診療所を訪れ、盲腸炎が疑われる場合は、GPが外科医に連絡を取って、ベッドを確保し、直ちに病院に送ることになります。これを言うと、ちょっとビックリされるかもしれないですが、実はプライマリ・ケアを基盤とするNHSのようなシステムは、医療を必要とする人達にとってはアクセスが良いと国際的には言われています。そのような人達を念頭にシステムがデザインされていますから。

三原:つまり、平等(Equal)ではないが、公平(Fair)ということですか。澤さんの指摘を私なりに整理すると、日本は平等を重視している。その結果、国民全員がフリーアクセスを認められている。だが、医療を必要とする人にケアが重点配分されない可能性がある。この結果、公平とは言えない面が出てくる。
 
澤:イギリス人の最もイギリス人らしいところは、フェアネス(公平性)の精神だと思っています。そうした精神の下では、自ずと患者のニーズによって対応の仕方が変わります。待機時間もニーズが大きいほど短くなるし、逆にニーズが少ないほど長くなる。
 
三原:平等を重んじる日本の医療制度とは哲学が違うということですね。平等と公平を巡る議論については、提言[6]の第3章で指摘しました。都道府県別医療費の地域差は現在、1.6倍あり、この差は年齢構成(高齢化)と病床数で説明され、このうち病床数については、医療サービスの利用が医療費に影響を与えていることになります。しかし、現在の財政システムでは、全国平均を上回って医療サービスを利用しても、その負担は公費(税金)あるいは保険料の財政調整を通じて、他者に負担を分散できます。これは平等だったとしても、公平とは言えません。さらに言えば、この問題は「医療機関の投資」という大きな問題に繋がっています。病床数が医療費を増やすのは設備投資した費用を回収しようというインセンティブが働いているためです。これはMRIやCTでも同じことが言え、設備投資の費用を回収するために検査するため、医療費を引き上げる要因になります。

澤:日本では「この地域の医療ニーズはこれくらいだから、この地域のMRIは2つ、CTが4つ」という形で地域の医療体制のマネジメントを行う機関は存在しないのでしょうか。
 
三原:その役割を果たすとすれば、日本では保険制度を運営する「保険者」です。しかし、日本の保険者はサラリーマンの加入する被用者保険、自営業者らが加入する市町村国民健康保険、75歳以上の高齢者が加入する後期高齢者医療制度など、年齢・職業で細分化されている上、十分な権限も持っていません。提言では地域に一元化された保険者が提供体制について相応の責任を持つ必要性を指摘しました。
 
(この対談は2015年6月18日、東京財団会議室で行われました)

 
[1] 『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』に収録されている「瀕死の探偵」(The Adventure of the Dying Detective)。ホームズがワトスンに対し、「君は経験も少ないし、これといった専門も持たないただの開業医じゃないか(you are only a general practitioner with very limited experience and mediocre qualifications)」と述べている。
[2] Le Grand,Julian(2003)“Motivation,Agency and Public Policy of Knights & Knaves,Pawns & Queens“(郡司篤晃訳[2008]『公共政策と人間』聖学院大学出版会)p83。
[3] 生活保護受給者らを高齢者住宅などに入居させ、訪問診療を提供することで利益を得る事業者の存在が明らかになったため、不適切な事例を適正化するとして、2014年度診療報酬改定では高齢者住宅などに対する訪問診療の単価が最大4分の1に引き下げられた。
[4] ゲートキーパー機能とはGPが一種の「玄関」となり、2次医療など高度な医療を受ける患者のため、病院を選択・紹介する機能のこと。不必要な入院や治療を減らすことで、医療費を節約するメリットがあるとされている。
[5] Mirror, Mirror on the Wall,(2014)”How the U.S. Health Care System Compares Internationally”
http://www.commonwealthfund.org/publications/fund-reports/2014/jun/mirror-mirror