タイプ
その他
プロジェクト
日付
2007/12/20

【書評】「日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ」飯尾潤著

評者:清水唯一朗(慶應義塾大学総合政策学部専任講師)


はじめに
小泉内閣が退陣し、次なる政権がいずれへ進むのかに注目が集まり始めた2007年7月、自民党は参議院選挙に敗れ、政権はわずか1年で転変した。55年体制崩壊後の「失われた10年」を説明しようという試みが小泉政権の退陣を契機として進むなか、本書はやや遅れて登場した。しかし、それゆえに本書は高い説明力と強いメッセージ性をもって世に問われることとなった。

本書は、究極的には、そのタイトルとは裏腹に日本における統治の「構造」を説明することを目的とするものではない。その説明は手段である。構造の形成過程を探求することによって現状の問題点を構造レベルから析出し、解法を提示することに本書の真意はあるといえる。

本書の概要
まずは概要を紹介する。本書は7章から構成されているが、それは、手段としての構造分析(1~4章)、考察の材料としての制度比較(5章)、それらを踏まえた問題析出(6章)、現下における課題提示(7章)と大別することができる。

第1章のタイトルは「官僚内閣制」と極めて刺激的である。議論は戦前戦後の連続・非連続論から始まり、明治憲法下における内閣組織は党派によらない超然内閣を規定しており、いわゆる政党内閣期は限定された「議院内閣制的」内閣であったと説く。この指摘自体は極めて通説的常識的であり何ら驚くものではないが、筆者はそこに現代日本における議院内閣制への誤解の病根を見出していく。議院内閣制は権限が分散する、強いリーダーシップと迅速な決定を求める大統領制導入論の誤謬が、内閣制度の歴史的展開と三権分立の強調の交点として析出される。

その上で、筆者は、議院内閣制とは本来、権力の集中を可能にする制度であり、戦前戦後はその不全形態である「官僚内閣制」の歴史であると捉える。では、戦前戦後において議院内閣制、もしくは政党の民意集約機能が不全でありながら、なぜ戦後の高度成長は実現しえたのか。第2章「省庁代表制」では、この政党の不全を補完する存在として省庁機能が描かれる。おのおのがその領域において広く驥足を伸ばした省庁が、そのパイプを通じて民意代弁と利益媒介機能を担ったのである。

もちろん、行政はそれだけで動いていたわけではない。第3章「政府・与党二元体制」、第4章「政権交代なき政党政治」では、政党の政権獲得機能が論じられる。「与党」という政府とは異なる立場表明が議院内閣制からの逸脱を生み出しているとの指摘は重要であろう。こうして生まれた政権では、目的が不明確であり、公約があいまいであり、民意集約を行うことはできないのである。

そうした問題を克服するためには、議院内閣制と大統領制という二つの制度がめざすものを考えておく必要があろう。第5章「統治機構の比較」では、議会制、行政権、政官関係、民主政の観点から、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、韓国との比較が試みられ、権力核の集中と民主的コントロールの確保、政治的統制を有効に機能させるための制度的装置の創設という二つの条件が抽出される。

以上5章にわたる材料整理を踏まえて、第6章「議院内閣制の確立」で問題の析出が行われる。「日本政治に欠けていたものは何か」という問いのもとで提示されるのは、権力核の不在、民主的統制の不在、首尾一貫性の不在という三つの問題点である。筆者は70年代までの高度成長を支えた官僚内閣制、省庁代表制、政府・与党二元体制が、方針転換を必要とした80年代においてもむしろ強力に推し進められたことに誤りがあったと指摘し、政権選択選挙、首相の地位向上、政官関係の変容という三つの処方箋を調製する。

もっとも、これらの問題は、小選挙区制の導入、中央省庁改革に伴う首相権限の強化、マニュフェスト選挙による政権選択選挙の定着などによって、すでにある程度の達成を遂げてきたように思われる。

しかし、筆者はここで満足をすることはせず、二つの構造設計による議院内閣制の完成を主張する。第一は、マニュフェストの実現のプロセスを整備することである。閣議決定を行い、政府・政権党一致による政策立案と、それとは独立した形での省庁における実施を担保する。それにより、選挙民からの負託に応えることが手続きとして整備される必要を、運用に流れがちな歴史的経緯を踏まえた筆者は提示する。

第二に、政権選択選挙としての意識を国民に持たせるべく、衆議院総選挙と各党の総裁選挙の日程を近似させることが説かれる。安倍内閣からの政権交代に際して、自民党総裁選への投票を希望する国民の声があったことは、こうした著者の主張を後押しするものであろう。

この二点の構造整備をもって著者が目指すのは、議院内閣制の推進による、政党を媒介とした社会利益・意見の吸収・集約機能の獲得、すなわち「民意集約型政党」の形成とそれによる民主的統制の獲得である。党派性を避ける嫌いのある国民をどうやってそこへ持って行くのか。さらなる課題と射程が提示されているように思われる。

本書の意義―歴史の効用と不作為への視線
以上、縷々内容を紹介してきたが、如上の議論から、本書の意義としては大きく三つ挙げることができよう。第一は歴史・比較の知見に基づいた分析を行うことによってはじめて、状況説明を越えた、説得力のある「構造」分析がなされた点である。本書がありがちな日本特殊論を越えて読みうるのも、そうした知見に基づいたことの果実といえよう。

そう見てくると、歴史的経緯を追った第1~4章において、固有名詞や具体的な事例が殆ど挙げられていないことは特筆される。分析的に抽象化された記述は、筆者にとっての「歴史の効用」のあり方を示すものであり、「何があったのか」という事実発掘型を越え、「何が足りなかったのか」という不作為を発見する議論に重点を置くことで、問題の析出が鋭く行われる下地が形成されているのである。

第二に、政官関係論を越えた広汎な統治構造分析が行われたことは、その困難さに思いを巡らせるほどに、頭が下がる思いがする。官僚内閣制、省庁内閣制、政府・与党二元体制という視角、長所短所への目線は筆者のこれまでの現実的な視点に立った蓄積の産物であるし、政府・議会関係と政官関係、権限の委任と行使を峻別して論じた点は、爾後の政官関係論に大きく影響を与えるであろう。

第三に、分析に止まらない積極的な主張提示を行ったことである。他の社会科学に比していささか一般と乖離した感のある政治学において、禁忌とする向きさえある主張の提示が行われたことは評価されるべきであろう。

本書が拓いたもの、本書から拓けるもの
また、そこで提示された課題が一世を風靡した大統領制や首相公選ではなく、現存する議院内閣制のブラッシュアップに求めた筆者の見解に、歴史的経緯に鑑みた議論がいかに現実的な選択肢を提示しうるのかの範型を見た思いがする。筆者が処女作以来追求してきた政官関係論がそれだけで中空に浮いたものではなく、より広汎な統治構造の形成、その処方箋の模索という歩みによって天に地にタイドされたものであることを、本書は教えてくれる。

では、筆者はなぜ主張へと歩を進めたのであろうか。それは筆者が歩んできた学者としての道程と無縁ではなかろう。奇しくも筆者が最初の著書を世に問うたのは93年である。「失われた10年」を、「自身の問題として考える」ようにして歩んできたと筆者は語気を新たに述べている。時代の子であった、というべきであろうか。

本研究会(「政治外交検証プロジェクト」)に集う研究者は、評者を含めて多くが小泉政権発足後に処女作を世に問い、学者としての道を歩み始めている。ふたたび動きはじめた時代の中で、どのような時代の子が生まれいくのであろうか。本書から教えられることは、静的な知はもちろんのこと、動的な知のひとつの姿であるようにも思える。


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