タイプ
その他
プロジェクト
日付
2011/7/13

【書評】『中国「反日」の源流』岡本隆司著(講談社メチエ、2011年)

評者:五百旗頭薫(東京大学社会科学研究所准教授)


「反日」の源流
本書は冒頭に、中国における「反日」の歴史的源流を解説すると宣言している。読者は裏切られない。しかしはるか17世紀の明清交替期に遡り、日中における国家と社会の関係を比較したスケールの大きな叙述に引き込まれていく。

第一部「「近世」の日本と中国」では、中国の重要な特徴を国家と社会の隔絶に求め、明清期の税財政の構造(14世紀元明交替の混乱で貨幣経済が機能しなくなった北方を維持するために、南方の商業経済から乖離した現物主義による徴税・財政を採用・継続したこと)と人口動態(都市化率の低さと、経済発展・人口増大・食糧不足による移住)にその原因を見出している。

いわゆる「倭寇」も、現物主義を維持するための強引な貿易制限と、決済手段としての銀に対する中国国内の需要との矛盾に起因するものであった。だがカテゴリカルに「倭寇」と命名され、反日のプロトタイプになったという。社会に対する疎遠さが、外界に対する疎遠さにつながっている、というのが本書の重要な論点 である。

これに対して日本では、統治者が被治者をきめこまかく収奪・保護する傾向が強く、「クローズド・システム」に基づく勤勉革命が幕末以前に達成されたことを、確認している。

第二部「「近代」の幕開け」では、中国において政府が提供しない秩序を提供した郷団や秘密結社を主軸に、近代初頭の社会秩序を描いている。秘密結社が大規模化した白蓮教徒の反乱や太平天国の乱と、それらを鎮圧した団練は、対決しつつも、こうした団体としての存在性格を共有していた。後者で活躍した李鴻章らに よる督撫重権が清朝の政治の中核を担っていくが、それは既存の社会秩序が肥大化したものであり、社会秩序を変革するモメントには限界があった。洋務運動 が、中体西洋といった言葉から想像されるような便宜主義的なものではなく、抜本的な改革の必要性にかなり気付いたものであっただけに、この構造的制約はい たいたしい。李鴻章は不吉かつ鋭い予感を抱きながら、海軍による示威と外交技術の練磨に望みを託していく。

第三部「近代日本の相剋」では、この外交面に即して、日清関係の展開をあとづけている。

日本は西洋の衝撃に敏感に反応し、クローズド・システムの効率性を活かして大きくかわっていく。日本の台頭に対して清朝はあいかわらず、協力するか敵対するかを問わず、日本を軍事的脅威の次元でとらえる傾向が強かった。こうして、日中のすれ違いが続く。

日清修好条規(1873年批准)の第二条の友好・相互援助の規定もその一例だが、より重要なのは第一条(互いの「所属封土」の不可侵)である。清朝への、というより朝鮮への侵攻を防ぐ意図が、清朝側にはあった。日本側はこれを理解できない。理解できないまま、台湾出兵や江華島事件、琉球処分といった行動によって踏みにじっていく。第一条が機能しない結果、清朝は朝鮮に西洋諸国と条約を結ばせ、日本を牽制することにする。このように「自主」を名目上確立しつつ、内面では「属国」化をすすめて保護・統制しようとしたのである。壬午変乱(1882年)をきっかけにこの路線が開花し、特に李鴻章の部下・馬建忠が活躍する。このやり方は朝鮮内と日本側の反発を招き、甲申政変(1884年)を招く。翌年に締結された天津条約により、かろうじて衝突の歯止めがかけられた。

こうした日清間の認識のギャップの帰結として、日清戦争(1894年)をめぐる有名なエピソード―開戦の一因として、李鴻章が日本国内の政府と議会の対立を過大評価したことがあった―が非常によく理解できるようになる。北洋軍閥が敗北し、督撫重権が打撃を受け、中国「瓜分」の危機がすぐに訪れる。義和団事変(1900年)はその反動だが、やはり旧来の反乱と同じ社会秩序を基盤とし、そして中国がこうむった対外的ダメージははかりしれなかった。こうして、従来の社会秩序や既 成観念そのものが批判の対象となり、変法と近代国際関係を前提にしたナショナリズムの時代に入っていく。後者と日本がまた正面衝突することを展望して、本書は終わっている。

要するに本書は、「反日」に対する現代的な関心をひきつけつつ、国内構造の深部から対外態度を説明する歴史叙述の面白さへと、読者を引き込む装置である。そのもくろみ通り、著者の歴史研究に誘われてみよう。

著者の源流
岡本隆司の主著の一つは『近代中国と海関』(名古屋大学出版会、1999年)である。人をよせつけぬ重厚さがある。手加減して数えても700ページある。だが文章は、なぜ長くなるのかを理解すれば、意外に平明である。

西洋と遭遇する中国を理解する上で、長く通説の位置を占めたのが朝貢体制論であった。朝貢体制が西洋近代とは異質であったという前提から、それが条約体制にとって代わられるという枠組みである。その西洋的なバイアスを批判して朝貢貿易システム論が登場し、アジア交易圏の自律性を強調する。しかしこれがまだ空中戦にとどまっており、今のままではもう一つのバイアスの登場に終わってしまう、というのが著者の抱く危機感である。

そこで著者は、海関論を通じて内在的な中国研究を促進する。きわめて論争的だが、(空中戦に終わりかねない)論争に対しても論争するため、重層的な問題設定になる。実証がさらに一筋縄ではいかない。あらゆるバイアスに留保をつけた厳密なものとなるだけではない。孤立した史料や史実は空中戦の格好の目印となったり、適当に無視されたりすることを著者は熟知している。著者は複数の史実を解釈して連関させ、通り一遍の爆撃では手におえないような山容にまで練り上げるのである。

成果は大きい。中国の経済的な統治のあり方は、何人かの商人をノミネートして、徴税と取引の責任を負わせることで市場を間接的に掌握するというものであった(これ自体は朝貢貿易システム論が着目する点である)。こうした内地関を対外的な貿易にも活用したのが海関の起源である、ということを岡本は綿密に実証する。これにより、西洋からの通商要求にもある程度応えられた。

しかしこの仕組みは、特権商人の独占であるという批判を西洋側から浴びる(ここを真に受けると朝貢体制論になる)。より本質的な問題は、貿易が(それに伴う 納税額が)これら商人の資力を超えてしまうと倒産を招き、機能しなくなることであった。資本を外国商社に仰ぎ、取引に特化した買辦が一つの解決策となるが、脱税の温床となる。徴税機構が腐敗したというよりは、徴税に特化した機構がなかったからである。

海関の歴史はけわしいが、論証の道のりもおとらずけわしい。秩序の根幹が徴税=取引を担う商人にあった以上、統治する側の政策の変遷をたどるだけでは不十分 である。断片的にしか残っていない史料から、著者は商人世界の実態を再現しようとする。実態を再現するには史料がやはり足りないとみると、経営の規模によるヒエラルヒーは再現し、制度の趣旨と意義を正統な方角から明らかにする。努めたというべきである。

1859年、上海当局(欽差大臣何桂清)が総税務司のポストを創設し、イギリス人を任命することで、徴税機能は整備された。折から、賠償金や外債の元利支払いのための財政需要が拡大し、関税はそのための貴重な安定的収入源となる。

重要な財源となった海関は、国際対立の舞台になるだけでなく、元来が地方的な起源を持つ海関なだけに、中央と地方の対立を生む。これが辛亥革命(1911年)の背景である。岡本の分析はその後の時代にも及ぶが、海関という切り口から中国の内と外を有機的に結合させ、しかもただ結合させるのではなく、内と外の分化にさかのぼって明らかにしたこの作品が、日本における中国研究の一つの最高峰であることは既に明らかであろう。

岡本の問題意識は、もう一つの主著である『属国と自主のあいだ:近代清韓関係と東アジアの命運』(名古屋大学出版会、2004年)にも通底している。清韓の関係を西洋近代の国際関係と対比する研究に対して、東アジア在来秩序の持続性と「包摂」力を訴える潮流が挑戦しているが、「史実の洞察・発掘・検討がなおざりに」なっているという危機感に立って、清韓関係の具体的な変遷を分析している。そこでは、清韓関係は苦悩するが、だからこそ馬建忠がそうしたように、したたかに対応していく。

奔流の予感
重厚な実証は、斬新な立論の前提であるが、斬新さをおおいかくしてしまうこともある。それを知る著者には、実証の成果を改めて位置づけ、概説する本を世に出す親切がある。例えば『世界のなかの日清韓関係史:交隣と属国、自主と独立』(講談社メチエ、2008年)がそうである。

『中国「反日」の源流』も、「反日」批判に終わるものではなく、そして単なる歴史への誘いでもなく、岡本史学に対する著者自身の現時点での、ある角度からのガイダンスである。第一部と第二部の背後には、『近代中国と海関』の知見がある。ただし、これをただ要約するのではなく、海関の変容を規定する重要な時代背 景を正面に出して、マクロな議論に仕立てたというべきであろう。第三部には、『属国と自主のあいだ』のエセンスが盛り込まれている。贅沢な本である。そして実に読みやすく、手に取れば半日で終わる。

ただし、適切な角度からの要約なのであろうか。近代日本の中国観の典型であった、国家と社会の隔絶、そしてそれ故に中国の政治は上手く機能していない、という議論、そして李鴻章らは糊塗策こそ重ねるものの究極的には日本の自己変革に敵し得ない、という語りに、余りにも親和的なのではないか。それが誤りとはいえない。しかし先に挙げた二つの主著が、構造的・制度的な制約から結論を導くのではなく、当事者の苦悩や工夫が新たな制度や政策の形成につながる(それとてオールマイティではなく新たな苦悩を持ち込むのだが)ありさまを執念深く分析してきただけに、惜しい気もするのである。『「反日」の源流』の動機がきわめて歴史家らしいものであったが故に、タイトルが与える政治的な解釈への誘惑に対して、やや無防備だったのではないか。

またはこの無防備さは、次の展開を視野におさめているからなのかもしれない。それは、当事者の苦悩や工夫から、構造や制度の分析がもたらす切れ味のよさに軸足を移したものなのかもしれない。そして、それはよいことなのかもしれない。論争と論争する真率な自己規定は、優れた東洋史研究の活力の源泉であると同時に、短所とはいわないが ― 一定数の読者を遠ざける ― 難所ではあった。

そのために、本書においては今までの自らの研究に対して、乾いた位置づけを与えているのかもしれない。ならば、その本書をあえて乾いた目で評することで、著者の次の研究を待望することも許されるのではないか。