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その他
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日付
2015/12/21

【書評】原彬久『戦後政治の証言者たち オーラル・ヒストリーを往く』(岩波書店、2015年)

評者:小宮一夫(駒澤大学文学部非常勤講師)
   

1 はじめに

   「政治家はメモや日記などの記録を残すべきだね。私も残しておけばよかった」。これは、1980年12月18日、岸信介元首相が、安保改定の政策決定過程・政治過程を解明するため、自身にインタビューを申し込んだ国際政治学者原彬久氏に述べたものである。原氏の要請を快諾した岸は、20数回に及ぶインタビューを受け、その記録は原彬久編『岸信介証言録』(毎日新聞社、2003年、のちに中公文庫、2014年)として公刊された。
   『岸信介証言録』は、昭和史研究の第一人者伊藤隆氏が1980年代に岸に行ったライフヒストリー形式のインタビュー記録をまとめた『岸信介の回想』(文藝春秋、1981年、のちに文春学藝ライブラリー、2014年)とともに、情報量に富む一次資料がほとんど残されていない岸信介を調査・研究するうえで不可欠な存在となっている。しかも『岸信介証言録』と『岸信介の回想』は、2014年に相次いで文庫化され、読者は第一線の研究者を相手に岸が公述した歴史の証言を容易に目にすることができるようになった。
  1990年代後半以降、後藤田正晴『情と理』上・下巻(講談社、1998年)、竹下登『政治とは何か』(講談社、2001年)、渡邉恒雄『渡邉恒雄回顧録』(中央公論社、2001年)をはじめとする要人のオーラル・ヒストリーが相次いで刊行され、オーラル・ヒストリーはマスコミ関係者や官僚たちの間でも広く知られるようになった。オーラル・ヒストリー研究の第一人者である御厨貴氏によれば、オーラル・ヒストリーとは「公人の、専門家による、万人のための口述記録」とされる(『オーラル・ヒストリー 現代史のための口述記録』中公新書、2002年)。
   さて、本書は、資料に基づく実証的な安保改定研究の先がけである原彬久氏がこれまで行ってきたオーラル・ヒストリーの軌跡をふりかえりながら、併せてインタビュアー対象者の証言を分析したものである。要するに、本書は原氏のオーラル・ヒストリー遍歴の回顧録と、オーラル・ヒストリーを主資料とした60年安保を中核に据えた戦後日本政治史の著作という二つの性格を併せ持ち、この点が本書をユニークたらしめている。
 

2 本書の構成と概要

本書の構成は、以下のとおりである。
第一章  オーラル・ヒストリーの旅
一 私とオーラル・ヒストリー/二 政治学とオーラル・ヒストリー
第二章  岸信介とその証言
一 岸信介オーラル・ヒストリーあれこれ/二 岸信介と米ソ冷戦
第三章  保守政治家たちとその証言
一 宰相の舞台裏―中村長芳、そして矢次一夫/ 二 「絹のハンカチから雑巾へ」―藤山愛一郎/ 三 形影相伴うがごとく―「安保担当大臣」福田赳夫/ 四 「自衛隊治安出動」の瀬戸際に立つ―赤城宗徳とその周辺/ 五 「バルカン政治家」といわれて―三木武夫の異議申し立て/ 六 外務官僚と政治―下田武三と東郷文彦の流儀
第四章  社会主義者たちとその証言
一 日本社会党の最左翼から―岡田春夫と飛鳥田一雄の急進思想/ 二 野党外交を動かしたもの―「平党員」田崎末松と中国/ 三 五五年体制崩壊から自社連立政権へ―「非自民」山花貞夫と「自社連立」村山富市・野坂浩賢
  
   第一章は、本書の序論にあたる。国際政治学の理論研究から出発した著書は、プリンストン大学に客員研究員として滞在していた1977年、「ダレス・コレクション」に所収されている「ダレス・オーラル・ヒストリー」に遭遇し、衝撃を受けた。その結果、文献中心の理論研究に疑問を抱き始めていたこともあり、日本政治研究にオーラル・ヒストリーを活用したいという思いにかられ、戦後日本の骨格となった日米安保体制をめぐる日米関係と日本の国内政治のダイナミズムの解明を新たな研究テーマに設定したのである(その成果は、『戦後日本と国際政治 ―安保改定の政治力学』〈中央公論社、1988年〉に結実した)。
また、本章では、著者が膨大な数のオーラル・ヒストリー・インタビューを行った経験から得られたオーラル・ヒストリーに対する見解がまとめられている。この点に関しては、のちほど論点でとりあげることにしたい。
   第二章では、著書が20数回にわたってインタビューを行った安保改定の立役者である岸信介のオーラル・ヒストリーの回顧と検証がなされている。『岸信介証言録』の理解を深めるうえで、本章は欠かせない。
   第三章では、中村長芳や矢次一夫といった岸の黒子を務めた人物や、岸の下で重きをなした藤山愛一郎、福田赳夫、赤城宗徳、岸と折り合いの悪かった三木武夫という政治家、安保改定に携わった下田武三、東郷文彦といった外交官のオーラル・ヒストリーの回顧と検証がなされている。本章からは、岸の周辺にいた人物たちによる安保改定及び安保騒動の心象風景が浮き彫りにされる。とりわけ中村長芳のように、首相秘書官を務めた人物のオーラル・ヒストリーはほとんど知られていないだけに注目に値する。岸をとりあげた第二章の姉妹編ともいうべき本章には、安保改定をめぐる戦後日本政治の有益な情報がちりばめられている。
   ところで、著者は、安保改定に反対した日本社会党関係者にも1980年代にインタビューを行っている。さらに冷戦終結後、自民党と連立政権を組み。長年否定してきた日米安保条約と自衛隊を是認した社会党を検証するため、1990年代後半にも社会党関係者にインタビューを行った。これらの成果は『戦後史のなかの日本社会党』(中公新書、2000年)に反映されている。第四章は、安全保障に強い関心を持つ国際政治学者が社会党関係者に行ったオーラル・ヒストリーの回顧とその分析である。
  とりわけ本章で読み応えがあるのは、資料的価値はさておき、「平党員」田崎末松をとりあげた二節である。田崎は陸軍中野学校出身で、戦時中は中国大陸で対共産党工作に従事し、戦後は日本再建のための変革主体を社会党に求めて入党した。そして、日中交渉の裏方として「政治工作」を試みるものの、最後は中国から冷徹に「用済み」にされ、夢はついえたのである。
  以下では論点になりうる本書の興味深い内容を個別に紹介したのち、それに対する若干のコ
メントを付していきたい。
 

3 オーラル・ヒストリーの効用とその資料的価値

   著者は、オーラル・ヒストリーの効用として、以下の三点を挙げる。(1) 話し手の「心の事実」も含めた「新しい事実」が発掘できる、(2)歴史を立体的に再構築できる。(3)話し手が伝える「歴史の鼓動」が「歴史の臨場感」を生み出し、それが聞き手にとって執筆のエネルギーとなる。こうした効用は、オーラル・ヒストリーを実践した研究者やこれを資料として活用する研究者の誰もが賛同するであろう。
   一方、オーラル・ヒストリーでは、当時者の「記憶違い」や「自己正当化」は避けられない運命にある。それゆえ、著者はオーラル・ヒストリーの効用を説きながらも、情報集積の根幹はあくまで文書資料であり、オーラル・ヒストリーは文書資料の補助的手段であるという評価を下すのである。
   このようなオーラル・ヒストリーに対する禁欲的な姿勢は、「聞き取り」という形で1960年代以降、オーラル・ヒストリー・インタビューはじめ、90年代以降、オーラル・ヒストリーに精力的に取り組んでいる伊藤隆氏のオーラル・ヒストリーの資料的価値に対する評価と相通ずるものがある。
 

4 安保改定と安保騒動

4.1 アイゼンハワー大統領の訪日中止と「安保担当大臣」福田赳夫

   岸の秘蔵っ子であった福田赳夫は1959年1月、幹事長に抜擢され、1959年6月、岸が内閣改造を行う際には、閣僚人事の原案づくりを命じられた。「大蔵大臣の欄だけはブランクにしておけ」。岸が福田にこう述べた真意は、福田を蔵相に据えることにあった。しかし、佐藤栄作が蔵相留任に固執したため、福田は農林相で入閣した。だが、福田の内閣における役割は、農林相よりも「安保担当大臣」の比重が大きかった。1960年の「五・一九採決」後、日ソ漁業交渉のためソ連に赴き、帰国した福田は、岸の退陣表明まではもっぱら首相官邸に詰めることになった。
  そして、岸首相の分身として非公式にマッカーサー駐日大使とアイゼンハワー大統領の訪日
「延期」の線で交渉を行い、結局は「延期」となった。内閣の首相秘書官を務めた中村長芳によると、岸がアイゼンハワーの訪日中止を決断したのは、羽田で出迎える昭和天皇に万が一のことがあってはならないからだという。なお、アイゼンハワーの訪日中止については、宮内庁から政府筋に働きかけがあったようである。著者は、否定も肯定もしなかったものの、福田の態度からこれは事実のようだという評価を下している。
  帝国議会が開設された当初、農商相に就任した陸奥宗光や後藤象二郎は政府の議会対策の一翼を担った。その後も、「軽量」級と目されたポストに就任した大臣が首相の意を受けて職掌以外で重要な役割を果たすことがしばしばあった。福田の事例もまさにこれにあたる。
  福田が佐藤栄作とともに岸の側に寄り添い、安保騒動の結末を見届けたことは、その後の福田の宰相観や権力観にどのような影響を及ぼしたのであろうか。また、アイゼンハワーの訪日中止について宮内庁から政府筋に働きかけがあったという点は、今後の研究の進展が待たれるところである。
 

4.2 自衛隊出動問題と警察

   安保騒動の際、自衛隊の治安出動が要請されたものの、防衛庁長官赤城宗徳が慎重な姿勢を崩さなかったこともあり、結局出動は見送られた。制服組・非制服組を問わず、自衛隊・防衛庁内の大勢が自衛隊の出動に消極的であったことが、赤城の慎重論を支えたのである。
  ところで、自衛隊出動問題は、安保反対運動の取り締まり強化をもくろんだ警察官職務執行法(警職法)の改正が頓挫したことと大きく関わっている。警職法改正の頓挫は、警察側と岸政権に軋轢を生じさせた。警察側は岸政権に強い不信感を持ち、岸政権は警察力で安保騒動を収めることができないと懸念したのである。
  1950年代は、戦後の自治体警察が廃止され、現行の警察制度が形成されていった時期である。警察が安保反対運動とどう向き合ったかという問題は、政治史で検討が十分になされていない。戦後日本における治安体制のありかたを考えるうえでも、安保騒動における自衛隊出動問題は、警察の動向や治安能力を視野に入れて検討すべき問題なのである。
 

4.3 「極東」の範囲と大衆動員戦略

   1960年1月に調印された新安保条約の批准をめぐる国会審議で第6条の「極東」の範囲が争点となった。これを争点化したのが社会党である。岸にとって、「極東」の範囲などということは「愚論の範囲」であった。一方、社会党左派の飛鳥田一雄は、「極東」の範囲は「バカバカしい」議論であったが、大衆性があり、安保改定に無関心な大衆を啓発するには格好のテーマであったため、これをあえて争点化したのである。
  これに対し、国際政治学者である原氏は極東条項が持つ政治的、軍事的意味を国益の観点から議論せず、その地理的範囲に関する政府の発言・失言をめぐって一歩も進まずに紛糾したのは、日本の議会制民主主義の低調を示すものだという厳しい評価を下している。
  飛鳥田のオーラル・ヒストリーから浮かび上がる間接民主主義に懐疑的で、直接民主主義を間接民主主義の補完物として重視する姿勢は、社会党左派に広く共有されるものであったといってよいだろう。それゆえ、左派が優勢であった社会党は、国会での建設的な論戦を行うよりも、大衆受けする「分かりやい」争点を政府攻撃の材料として選び、それをうまく争点化して、大衆動員をはかるという方向を長くとり続けることになったのであろう。
  なお、飛鳥田のトピック主義と大衆扇動の手法は、明治以来の対外硬派の手法と共通するものがある。安保反対運動に見られる戦前以来の反政府運動の手法との類似性は、日本の政治運動に対する明治以来の長い時間軸のなかでの検討を要請することになるだろう。
 

4.4 安保改定と外務官僚

   本書では、安保改定に携わった外務官僚を代表して、安保改定をめぐる国内の権力闘争の渦中にあえて身を乗り出す下田武三と、外交は国内政治から離れて自らの論理を追求すべきだと考え、あえてそこから身を置く東郷文彦の行動が対比されている。
  1952年から57年にかけて条約局長を務めた下田武三は、安保条約・行政協定の「欠陥」を嫌というほど痛感し、安保条約の全面改定をめざした。ダレスとの会談で重光が持参した安保改定構想は、実は「下田構想」というべきものであった。1957年3月にできた岸内閣の「日米安全保障条約改訂案」にもつながるものであった。
  1960年1月、日米安保条約が調印され、国会審議が始まると、下田は駐米公使であったにもかかわらず帰国命令を出され、大臣の答弁資料の作成や「事前協議」や「極東」の問題で岸政権を批判する三木武夫の説得を行う羽目となった。しかし、下田の説得工作は成功せず、三木は5月19日の強行採決を欠席するに至った。
  一方、東郷文彦はアメリカ局安全保障課長として、安保改定をめぐる日米交渉の最前線に立った。「波風を立てずに漸進的に事を進める」ことを流儀とする東郷の立場は、「部分改定」論、「微調整」論であった。本書で興味深いのは、日米行政協定と安保条約との「同時全面改定」を要求する河野一郎、三木武夫ら自民党内「反岸」勢力を逆手にとって、岸政権が「同時全面協定」に方針転換するのに先立ち、東郷ら外務省側が行政協定の大胆な改定に着手していたということである。
  「外交問題を政争に持ち込むべきではない」とよく言われるが、政治家は、しばしばその政治的影響力の大きさを鑑み、あえて外交問題を権力闘争に持ち込む。そこでは、「非合理性」が「合理性」を上回ることが多々ある。冷徹に国益を考え、合理的行動を前提とする外交官にとって、内政は国際政治とは比べ物にならない魑魅魍魎の世界なのかもしれない。政治性に富む外交官の下田をもってしても、海千山千の三木には簡単にひねられる。
  これに対し、政治とは距離を置き、漸進的に事を進めとする東郷にとって、国内の政治力学から岸政権が日米行政協定と安保条約の同時全面改定に方針転換したことは、日米交渉を進めるうえで追い風となった。政治の女神は、政治に距離を置く外交官に「幸運」をもたらしたのである。何とも言えない歴史の皮肉を感じさせる。
 

5 おわりに

   先にも述べたが、本書はオーラル・ヒストリーで読み解く60年安保を中心とする戦後日本政治史である。本書は、御厨貴氏の『後藤田正晴と矢口洪一の統率力』(朝日新聞社、2010年)、『知と情 宮澤喜一と竹下登の政治観』(朝日新聞社、2011年)に連なる自身が携わったオーラル・ヒストリーを読み解いた歴史研究・政治学研究の書と位置づけられる。
  政治家や官僚のオーラル・ヒストリーが蓄積されていくことは、政治家や官僚のみならず、マスメディアにとっても資するところが大きいと思われる。リアル・タイムで追った対象が関係者のオーラル・ヒストリーによって検証できる環境が整備されていけば、取材の事後検証に役立つであろう。
  また、活字化されたオーラル・ヒストリーは、文字資料による「歴史の襞」、「時代の息吹」を後世に伝えるものとして、ますます速度が加速化する現代において重要なものとなるであろう。