タイプ
論考
プロジェクト
日付
2015/6/11

細谷雄一上席研究員による「歴史認識問題を考える書籍紹介」

細谷 雄一(東京財団上席研究員・政治外交検証研究会サブリーダー/慶應義塾大学法学部教授)


はじめに

 2015年は、第二次世界大戦の終戦から70周年となる。この節目の年に、はたして政府が、そして安倍晋三首相がどのような歴史認識を示すかが注目されている。
 2015年1月1日、安倍首相は年頭所感では次のように述べている。
 

「今年は、戦後70年の節目であります。日本は、先の大戦の深い反省のもとに、戦後、自由で民主的な国家として、ひたすら平和国家としての道を歩み、世界の平和と繁栄に貢献してまいりました。その来し方を振り返りながら、次なる80年、90年、さらには100年に向けて、日本がどういう国を目指し、世界にどのような貢献をしていくのか。私たちが目指す国の姿を、この機会に、世界に向けて発信し、新たな国づくりへの力強いスタートを切る。そんな一年にしたいと考えています。」


 さらに、1月5日に、年頭記者会見で、歴史認識に関する質問に対して安倍首相は次のように答えている。
 

「従来から申し上げておりますように、安倍内閣としては、村山談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいます。そしてまた、引き継いでまいります。戦後70年の間に、日本は自由で、そして民主的で、人権を守り、法の支配を尊重する国を創り、平和国家としての歩みを進め、そしてアジア太平洋地域や世界の平和・発展・民主化などに大きな貢献をしてまいりました。戦後70年の節目を迎えるに当たりまして、安倍政権として、先の大戦への反省、そして戦後の平和国家としての歩み、そして今後、日本としてアジア太平洋地域や世界のためにさらにどのような貢献を果たしていくのか。世界に発信できるようなものを、英知を結集して考え、新たな談話に書き込んでいく考えであります。」


 この、年頭記者会見での安倍首相の言葉に、今年進めていく政府としての歴史認識への取り組みの基本姿勢を見て取れる。すなわち、「先の大戦への反省」「戦後の平和国家としての歩み」さらに「積極的平和主義」に基づく今後の「貢献」という、三層構造になっている。実際に、2月25日に首相官邸で開かれた「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会」すなわち20世紀構想懇において、安倍首相は同様に、このような三層構造の問題提起を行った。
 歴史認識をめぐる問題は、単なる過去の問題ではない。これは、現在の北東アジアの外交関係や、日本の国際社会との結びつきを考える上での、現在の問題でもある。ここではそのような問題意識から、近年刊行された歴史認識をめぐる書籍を中心に、紹介をしていきたい。

1.第一次世界大戦開戦100周年

  2014年は、第一次世界大戦開戦から100周年であった。それゆえ、日本語や英語で数多くの関連文献が刊行された。
英語では、イエール大学教授のジェイ・ウィンターが責任編集をした、The Cambridge History of the First World Warが全三巻で刊行されている。[1] これは近年の歴史学の潮流に符合して、軍事史や外交史よりもむしろ社会史や文化史の側面に力を入れた論文集となっている。また、第一巻ではBruno Cabanes, “1919: Aftermath”が、そして第三巻では、John Horne, “The Great War at its centenary”が、第一次世界大戦のその後の影響について、触れられている。さらには、第三巻で、Joy Damousi, “Mourning practices”において、戦後の死者の追悼が個人的及び集合的にどのように行われたのかが書かれている。なお、アジアについては、第二巻で、Guoqi Xu, “Asia”において論じられているが、全三巻を通じて日本人の執筆者が加わっていないのは、やや残念である。
 なお、この編者のジェイ・ウィンターは、第一次世界大戦の記憶や追悼が専門分野であり、この領域でもいくつもの研究成果を残している。それは、Jay Winter, Sites of Memory, Sites of Mourning: The Great War in European Cultural History (Cambridge: Cambridge University Press, 1995)や、Jay Winter and Emmanuel Sivan (eds.), War and Remembrance in the Twentieth Century (Cambridge: Cambridge University Press, 2000)Jay Winter and Antoine Prost (eds.), The Great War in History: Debates and Controversies, 1914 to the Present (Cambridge: Cambridge University Press, 2005)などが刊行されている。
 また、Hew Strachan (ed.), The Oxford Illustrated History of the First World War, New Editionでは、より軍事史と外交史に焦点を当てたかたちで、優れた論文が収められている。[2] この中で、Modris Eksteins, “Memory and the Great War”において、戦後に戦争がどのように記憶されたのかが記されている。世界に巨大な衝撃を与えた第一次世界大戦はその後の文学や映画にも刻まれることになるが、同時に世界各地に追悼施設が創られて、死者が記憶されることになる。
 著名な外交史家でケンブリッジ大学教授のデイヴィッド・レイノルズ教授によるThe Long Shadow: The Great War and the Twentieth Centuryでは、近年の第一次世界大戦研究が「文化的転回」が起きていることを前提として、より外交や軍事にも関心を寄せるかたちでの総合的な視点の提示を目指している。[3] 本書では、とりわけイギリスにおいて、第一次世界大戦がその後の外交や社会にどのように影響を及ぼしたのかを論じている。イギリスやフランスやドイツやアメリカで、第一次世界大戦がもたらした意味と影響が異なることを念頭に置いて、それがイギリスでどのような影響を与えてきたのかを長い時間的な視野に位置づけている。
 日本語文献としては、昨年には、京都大学人文科学研究所の長年の共同研究の成果でもある第一次世界大戦に関する論文集が刊行された。[4] 上記のケンブリッジ大学出版会のものに比べると、文学や哲学などの分野に関連した論文が多いことや、日本やアジアの関与に焦点が当てられた論文が多く含まれていることなどの特徴が見られる。タイトルに「現代の起点」と書かれており、第四巻では、遠藤乾「ヨーロッパ統合へ向けて ―起点としての第一次世界大戦」、伊藤順二「帝国ソ連の成立 ―南コーカサスにおけるロシア帝国の崩壊と再統合」、中野耕太郎「『アメリカの世紀』の始動」など、興味深い論点も見られるが、上記のジェイ・ウィンターの研究に見られるような、戦後の追悼や歴史認識、記憶のされ方などについても、とりわけ日本やアジアを焦点として論じて頂ければより奥行きがでたことであろう。なお、第一次世界大戦について、軍事史に焦点を当てた研究としては、軍事史学会編『第一次世界大戦とその影響』(錦正社、2015年)が刊行されたことを歓迎したい。
 このようにして、1世紀前の第一次世界大戦に関しても、いまだに論争は続き、新しい研究成果が毎年のように生み出されている。また、第一次世界大戦に関する歴史認識もまあ、国によって異なり、それらをバランスよく客観的に理解することはけっして容易ではない。だとすれば、より時間的に近い距離がある第二次世界大戦については、依然として戦争を経験した者が多く生きていることからも、歴史認識の共有は容易ではないかというべきであろう。

2.歴史認識をめぐる問題

 近年は、歴史学の領域のみならず、政治学や国際関係論においてもまた、歴史認識や歴史的記憶が持つ重要性が指摘されるようになっている。ドイツ史が専門で、オクスフォード大学オール・ソウルズ・コレッジのフェローであるヤン=ヴェルナー・ミューラーは、「記憶に関して歴史学、社会学、カルチュラル・スタディーズにおいて重点が置かれて研究が進んでいるにも拘わらず、記憶とパワーとのつながりについては、興味深いことに依然として十分な検討がなされていない」という。[5] われわれは、依然として、歴史認識問題や歴史記憶問題を純粋な、誠実さの問題として位置づけることが多いが、ここで指摘されているように、よりいっそう政治学的な問題として、「記憶」がどのように用いられているかを、十分に認識しなければならない。
 そのような視点から、歴史認識や記憶の問題を検討した研究がいくつか見られる。まず、ジェニファー・リンドは、国際政治学的な視点から歴史的記憶や歴史的和解の問題を検討している。Jennifer Lind, Sorry States: Apologies in International Politics (Ithaca: Cornell University Press, 2008)は、日本や東アジアでの和解の問題を扱っているが、この分野での先駆的な著書となっている。また、国際政治学者でボストン大学教授のトマス・バーガーは、コンストラクティヴィズムの理論的関心からこの問題を扱ってきたが、ドイツや日本などの戦後の経験を比較した研究を刊行している。[6]
 近現代日本史や東アジア史を専門とするアメリカの研究者を中心にまとめた、歴史認識問題をめぐる共著としては、Sheila Miyoshi and Rana Mitter (eds.), Ruptured Histories: War, Memory, and the Post-Cold War in Asia (Cambridge MA: Harvard University Press, 2007)がある。本書では、慰安婦問題、靖国参拝問題、ベトナム戦争問題など、現在まで尾を引いているアジアにおける歴史認識の問題について、それぞれの専門家が論文を寄せている。
 他方で、興味深い問題として、帝国が脱植民地化の後に、記憶やアイデンティティの問題をどのようにもたらしているかを論じた共同研究が、Kakypso Nicolaidis, Berny Sebe and Garielle Maas (eds.), Echoes of Empire: Memory, Identity and Colonial Legacies (London: I.B. Tauris, 2015)である。ここでは、オスマン帝国やスペイン帝国、大日本帝国から、ソ連帝国の崩壊まで、多様な地域の多様な「帝国」の崩壊後の遺産と影響を論じている。歴史家と政治学者の共同研究であり、「帝国」の問題を多面的に論じる上で有益な視座を提供してくれる。
 また、政治学的な問題関心から、現在の東アジアの歴史認識問題について検討した共同研究として、Tsuyoshi Hasegawa and Kazuhiko Togo (eds.), East Asia’s Haunted Present: Historical Memories and Resurgence of Nationalism (Westport: Praeger, 2008)がある。ここでは、アメリカ人研究者、日本人研究者、中国人研究者、韓国人研究者などが集まって、現代の東アジアでナショナリズムの問題と歴史認識問題がどのように絡み合っているかを論じている。

3.日英間の歴史和解

 戦後に日本が経験した歴史和解として、しばしば成功例としてあげられるのが日英間の歴史和解である。日本の真珠湾攻撃以降、比較的短期間で日本軍はシンガポールやマレー半島を軍事占領したことから、大量のイギリス人捕虜が発生した。それらのイギリス人捕虜の虐待や、泰緬鉄道建設時の大量のイギリス人捕虜の死によって、戦後の日英関係はイギリスの退役軍人の強硬な態度で冷却化していた。それが、1980年代以降の両国政府の真摯な取り組みや、民間団体の努力によって、現在では歴史和解が大幅に進んでいる。
 これらの過程を詳しく論じているのが、小菅信子の『戦後和解 ―日本は〈過去〉から解き放たれるのか』(中公新書、2005年)『ポピーと桜 ―日英和解を紡ぎなおす』(岩波書店、2008年)の二冊である。あまり論じられる機会のない日英和解であるが、戦後長い期間にわたって日英両国間は歴史認識問題をめぐって摩擦が続いていた。それがどのように和解に向かっていたのかを理解することは、今日本が直面する問題の本質を理解する上でも参考になるであろう。同時に、歴史和解が進むためには両者が努力をいとわないことが不可欠であることが理解できるだろう。
 日英和解については、ほかにもいくつかの優れた共同研究がある。小菅信子/ヒューゴ・ドブソン編『戦争と和解の日英関係史』(法政大学出版局、2011年)木畑洋一/小菅信子/フィリップ・トウル編『戦争の記憶と捕虜問題』(東京大学出版会、2003年)は、これらの問題の解決が決して容易ではなかった様子が理解できる。日中間や日韓間とは異なり、日英間の和解の問題には、人種の問題や宗教の問題、国際法理解の問題なども複雑に絡んでいる。この二冊の共同研究は、それらの問題を多様な角度から検討している。

4.ヨーロッパの経験とアジアの経験

 ヨーロッパとアジアでは、歴史認識問題の性質も、置かれた国際環境も、歴史和解に求められる条件も大きく異なる。したがって、それらを安易に結びつけることは、かえって問題を複雑にして、解決を困難にしてしまう可能性がある。しかしながら、安易なアナロジーとしてではなく、学問的な比較の視座から両者を検討することは無意味ではない。
 そのような試みを真摯な学問的態度で行っているのが、黒沢文貴/イアン・ニッシュ編『歴史と和解』(東京大学出版会、2011年)である。そこでは、信頼できる歴史家が、仏独間や英・アイルランド間、フランス・アルジェリア間などの歴史和解問題と比較して、日中や日韓の問題を検討している。取り上げている事例からしても、もっとも包括的で多面的な歴史和解研究の一つといえるだろう。そこからわれわれは、多くの示唆を得られるはずだ。
 また、読売新聞記者の三好範英『蘇る「国家」と「歴史」 ―ポスト冷戦20年の欧州』(芙蓉書房出版、2009年)では、日本であまり取り上げられることのないロシア・エストニア関係、ドイツ・ポーランド関係などの歴史和解の問題を取り上げている。ヨーロッパをしばしば、歴史和解の模範としてアジアでは取り上げられることが多いが、実際には冷戦後のヨーロッパでは、第二次世界大戦期の歴史問題と、冷戦期の歴史問題が複合的に絡み合い、よりいっそう解決が困難となっている場合もあるのだ。

5.東アジアの歴史認識問題

 さて、最も困難で、われわれにとっても最も重要な東アジアにおける歴史認識問題についても、すでに多くの有用な著書が刊行されている。比較的早い段階でこの問題の重要性を検討したのが、船橋洋一編『いま、歴史問題にどう取り組むか』(岩波書店、2001年)船橋洋一『歴史和解の旅 ―対立の過去から共生の未来へ』(朝日新聞社、2004年)である。1993年の慰安婦問題をめぐる河野談話の際や、1995年の戦争責任をめぐる村山談話の際にも、歴史認識問題はすでに深刻な問題となっており、日韓関係や日中関係を冷却化させていた。しかしながら、それが学問的な研究対象として、より包括的で総合的な視座から検討されるようになったのは、これらの著書の役割も大きい。早い段階で、新聞記者としてこの問題に関心を寄せていたのが、若宮啓文であった。若宮は、『戦後保守のアジア観』(朝日選書、1995年)で自民党の保守系議員における歴史認識を概観している。その著書は、新しく改訂されて『戦後70年 保守のアジア観』(朝日選書、2014年)として現在でも読まれている。近年の研究としては、菅英輝編『東アジアの歴史摩擦と和解可能性 ―冷戦後の国際秩序と歴史認識をめぐる諸問題』(凱風社、2011年)が日本、アメリカ、イギリス、中国、韓国の国際政治学者や歴史家による共同研究の成果である。研究のフォーカスは、ジャーナリストによる検討から、歴史家による学問的研究へとシフトしてきた。その一つの成果である。

6.戦後日本が辿ってきた道

 戦後の外交史料が公開され、またオーラル・ヒストリーなどの研究手法が活用される中で、より本格的な学問的な研究成果として、優れた文献が刊行されるようになってきた。
 数多くの政府内での作業に携わり、また外務省外交史料館で『外交文書』編纂委員を長く務めてきた波多野澄雄筑波大学名誉教授による『国家と歴史 ―戦後日本の歴史問題』(中公新書、2011年)は、これらの問題を論じる上での必読書である。戦争賠償問題からはじまり、歴史教科書問題、靖国参拝問題、慰安婦問題から、歴史共同研究についてなど、著者が当事者として拘わった問題を含めて、バランスよく議論の前提を提供してくれる。また、服部龍二『外交ドキュメント歴史認識』(岩波新書、2015年)では、著者による広範囲のオーラル・ヒストリーや外務省への情報公開請求の成果を生かして、従来明らかとなっていなかった領域も含めて、最新の研究成果が繁栄されている。この二冊の優れた歴史家による成果は、イデオロギーや感情、政局などとは距離を置いて、歴史家としての冷めた目でこれらの問題の本質に迫っている。
 日中間の歴史認識問題については、アメリカのシートンホール大学で教鞭を執る二人の中国人政治学者、ワン・ジョンとヘ・イナンによる優れた研究が大変役に立つ。ワン・ジョン『中国の歴史認識はどう作られたのか』(東洋経済新報社、2014年)は、すでに国際的に高い評価をされていたNever Forget National Humiliationの邦訳である。[7] ワンは、「勿忘国恥」という中国が頻繁に用いる用語に注目して、中国の政治や外交が「歴史的記憶」により大きく規定されてきたことを論じている。また、Yinan He, The Search for Reconciliation: Sino-Japanese and German-Polish Relations since World War II (Cambridge: Cambridge University Press, 2009)は、バランスよく日中とドイツ=ポーランドの歴史和解の道のりを比較検討している。いずれの著書も、中国人著者でありながらも、中国政府が意図的に愛国主義やナショナリズムを動員して国内の結束を高めて共産党が統治の正当性を獲得している様子を論じている。
 日韓間の歴史認識問題については、木村幹『日韓歴史認識問題とは何か ―歴史教科書・「慰安婦」・ポピュリズム』(ミネルヴァ書房、2014年)が優れている。韓国政治が専門の木村幹神戸大学教授は、さまざまな統計データや、新聞資料などを用いて、韓国において歴史認識問題が浮上する論理を明快に描き出している。中国の場合も同様だが、歴史認識問題が浮上する背景として、国内政治上の要因が大きく作用する点を強調している。国内問題が深く作用している以上、外交のみでこれらの問題を解決することがいかに難しいかが理解できる。

おわりに

 日本が現在抱える最も困難な歴史認識問題は、日中間と日韓間で見られる。とりわけ、慰安婦問題は、日韓間で首脳会談さえも開くことができないほど、両国の関係を緊張させている。韓国国内では、この問題を学問的研究対象として、冷静に論じることは困難であろう。同時に、日本国内でも、慰安婦問題や南京虐殺問題などは、冷静な研究が困難となっている。朴裕河『帝国の慰安婦 ―植民地支配と記憶の闘い』(朝日新聞社、2014年)刊行をめぐり、韓国国内でも日本国内でも大きな問題となってしまっているのは、その証左といえる。
 E・H・カーは、「現在の眼を通してでなければ、私たちは過去を眺めることも出来ず、過去の理解に成功することも出来ない」と論じている。[8] 言い換えれば、日韓間や日中間の歴史認識問題を理解するためには、韓国政治や中国政治、そして日本政治を理解することもまた、不可欠なのだ。なぜそのような歴史認識問題が浮上したのか。なぜそれが解決できないのか。それは、歴史的事実を理解するだけでも、歴史史料を探すだけでも、不十分なのであろう。相手を批判するだけではなく、過去を理解すると同時に、現在を理解することで、複雑に絡み合った歴史認識問題に適切に対応できる前提条件が得られるのではないか。
  
 


  • [1] Jay Winter (ed.), The Cambridge History of the First World War: Volume I Global War (Cambridge: Cambridge University Press, 2014); Jay Winter (ed.), The Cambridge History of the First World War: Volume II The State (Cambridge: Cambridge University Press, 2014); Jay Winter (ed.), The Cambridge History of the First World War (Cambridge: Cambridge University Press, 2014).
  • [2] Hew Strachan (ed.), The Oxford Illustrated History of the World War, New Edition (Oxford: Oxford University Press, 2014).
  • [3] David Reynolds, The Long Shadow: The Great War and the Twentieth Century (London: Simon & Schuster, 2013).
  • [4] 山室伸一・岡田暁生・小関隆・藤原辰史編『第一次世界大戦 1世界戦争』(岩波書店、2014年)、『第一次世界大戦 2総力戦』(岩波書店、2014年)、『第一次世界大戦 3精神の変容』(岩波書店、2014年)、『第一次世界大戦 4遺産』(岩波書店、2014年)。
  • [5] Jan-Werner Muller, “Introduction: the power of memory, the memory of power and the power over memory”, in Jan-Werner Muller (ed.), Memory & Power in Post-war Europe: Studies in the Presence of the Past (Cambridge: Cambridge University Press, 2002) p.2.
  • [6] Thomas U. Berger, War, Guilt, and World Politics after World War II (Cambridge: Cambridge University Press, 2012).
  • [7] Zhen Wang, Never Forget National Humiliation: Historical Memory in Chinese Politics and Foreign Relations (New York: Columbia University Press, 2012).
  • [8] E・H・カー『歴史とは何か』清水幾太郎訳(岩波新書、1962年)31頁。