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iPS細胞を使う再生医療についてどう備えるべきか(2)<page1>

January 16, 2013

~生物学者・勝木元也氏と語る


東京財団研究員
ぬで島 次郎


※2月6日、「提起・まとめ」の内容を一部加筆・修正しました。

前回(1) では、山中教授のノーベル賞の功績の科学的意味とiPS細胞に関する現在までに報告されている基本的性質について、おさえておくべき論点を話し合った。

それに続いて今回は、iPS細胞を使う再生医療では何が、倫理的、社会的な問題となるかについて研究現場の実態をふまえた観点から論じ、私たちは今後どう対応していくべきか、提起してみたい。

3 iPS細胞を用いた再生医療の、倫理的な問題は何か


ぬで島 iPS細胞を使った世界初の治療計画について話を戻しますが、この臨床研究は、神戸の理化学研究所(理研)という、研究開発に重きを置いた機関から出てきました。理研の倫理委員会は、iPS細胞から分化させた網膜を患者に移植することを、早々と承認しました。それに対し、理研には医療施設はないので、この臨床研究で実際に患者を引き受けて治療にあたる神戸の先端医療センターの倫理審査委員会は、二度にわたって、「まだ審議が不十分」だとして、承認を見送っています(2012年12月現在)。

勝木 どういう議論が行われたのでしょうか。

ぬで島 審議の詳しい内容は、公表されていないようです。

ここで考えたいことは、基礎を含む研究開発と臨床応用の関係についてです。 (1) で論じたように、本来、安全性の基盤になるべき生物学的なメカニズムの解明を任とする研究所のほうが早々と臨床試験にゴーサインを出した一方で、患者さんに責任を持つ医療機関のほうが慎重で、さらに検討を尽くそうとしています。 (1) では臨床家は普通そこまで基礎の解明を突き詰めずに応用を進めると議論しましたが、このケースでは、基礎および研究開発を担うはずの理研のほうが、臨床応用を急いでいるようにみえます。

勝木 詳細な論点が、理研の場合も、医療センターの場合にも、知りえない状況ですので論評はすべきでないと思います。このような結論については、具体的に真剣に議論されていると思いますので、申請内容に沿って、安全性など客観的な審査の点で評価が定まっていないのかもしれません。いずれにせよ、定量的な科学的データが提出されているはずですので、それをどう評価し、あるいは、追加データを要求するなどの段階にあるのかもしれませんので、慎重な審議が行われていることは、いずれの機関にとっても倫理的な態度であると思います。

ぬで島 理研は、医療センターの承認を待って、国に審査を申請し、厚生労働省の専門委員会で審議する運びになります。そこで承認されれば実際に臨床試験が始まります。

厚労省の委員会では医科学面に加えて倫理面でも検討が行われるはずですが、問題は、iPS細胞を使う再生医療について、何を倫理と捉えるかです。

再生医療全体の、これからの方向を考えるときに、科学の成果がどのように応用されるか、その際何が応用の是非を判断する基準とされるかが、倫理の問題として重要だと私は思います。

iPS細胞研究について言えば、再生医療に用いる材料として、これまで最も有望だとされてきたES細胞(胚性幹細胞)と同等なものを、胚(受精卵)を壊さずに、大人の身体から簡単に採れる皮膚などの細胞からつくれる。人の生命の始まりを犠牲にするという倫理問題を回避できるのが、iPS細胞の長所だと捉えられています。

勝木 日本で以上に、欧米で、米国の保守派の大統領やカトリックの法王庁などがとくにその点を歓迎しましたね。

ぬで島 そうです。しかし、それでiPS細胞には倫理的問題はほとんどないと片付けてしまうのはよくないと私は思います。幹細胞の元を取ってくる源に倫理的問題がなかったら、それでいいのでしょうか。つくられた細胞の、生物学的性質と安全性の確証こそ重要な問題ではないかと、(1)での議論を踏まえ、私は考えます。

勝木 細胞の由来を論じる倫理的問題点と安全性に関する問題点とでは,大きく意味が異なります。ここでいう倫理問題については,私も参加したヒトクローン胚から作るES細胞の研究に関する生命倫理専門調査会では、盛んにそのことが論じられました。。そのとき私は、ヒトクローン胚からつくったES細胞がすぐにも臨床に使えるものであるという前提での医学・医療関係の委員(5年以内に脊髄損傷などで成功するとの見通しを述べられた委員もありましたし、米国との競争を重視した意見も強くありました)からの強い意見に違和感を感じていました。それに対し私は、まず動物実験で、安全性などを検討すべきとの慎重派といわれる立場でした。核移植胚から生まれて来たクローンウシや、クローンマウスに正常ではない遺伝子発現が報告されていたからです。一方、議論の方向は、胚を破壊することが倫理的でないという、少し判断が分かれる幹細胞の起源についての米国での議論を下敷きにした活発な議論がなされたように思います。その後、iPS細胞が出て、起源の問題が解決したので、米国は山中論文を大きく評価したのだと思いますし、日本でも安全性を含めて研究が活発になったものと思います。さらに、その後も、韓国でヒトクローン胚がねつ造されたりして、まったく別の科学者の研究倫理の問題なども出て、体細胞を再初期化したiPS細胞の起源に関する議論は低調になり,倫理上のハードルが低くなったものと思います。先の質問は,倫理面でもそこをもっと問題にすべきだということでしょうか。

ぬで島 はい。現状では倫理の議論は細胞の由来源の方に偏っています。しかし取ってくるところに問題がないからといって、できた細胞の質のチェックが、 (1) で私たちが危惧したように、十分な学術的想定を踏まえずにおろそかにされてはいけないと思うのです。

勝木 これまで議論されてきた枠組みでいうなら、確かに偏っているといえます。一方、いわゆるヒト万能細胞(iPS細胞およびES細胞)を医療に使ってよいかどうかという由来を含む疑義に関する論点は、具体的なものではありません。なぜそんなことを言うかというと、一般論としての生命倫理の議論は、個人の死生観や宗教観に左右され、時代によって大きな変遷があることに議論に参加して気づいたからです。遺伝子組換え指針の議論に参加して以来、ゲノム研究指針、ヒトクローン胚の実験指針などに参加して来ましたが、最近は次のように考えるようになりました。

生命倫理の議論は、1)Issue by issue(具体的な問題ごとに)、2)Case by case(実施される機関の施設の状況、担当者の資格など個別の具体的な場合ごとに)、3)Step by step(場合によっては慎重に、かつ段階的に)という原則で行うべきだと思います。いずれの場合にも、研究からわかった事実を完全に公開し,「不都合な真実」を隠さないという倫理的態度が研究者には求められます。さらに疑問や知るべきことについて調査や新たな研究が要求された場合には、それが合理的であれば、原則として応えなければならないと思います。

1)、2)、3)について何が問題になるかを,思いつくままに挙げれば、a)安全性の問題、b)自然環境への重大な撹乱、c)人権を毀損したり、子孫に残る重大な心身に関わる介入、などです。したがって、ぬで島さんがおっしゃる倫理問題と,私のいうそれには少しずれがあるかもしれません。

倫理的評価と科学的評価のずれ

ぬで島 そこで、日本での議論の参考にしたいのが、フランスで行われている幹細胞研究についての議論です。

フランスではこれまで、ES細胞研究に厳しい法規制を課してきました。先に述べた、人の生命の始まりである受精卵を犠牲にしなければいけないという倫理的理由からです。それが厳しすぎてフランスの幹細胞研究の妨げになっているとの声に押されて、規制を緩和する改正法案が、ちょうどノーベル賞発表のあと、12月初めに議会上院で審議され、賛成多数で採択されて下院に回されました。

この改正案審議の過程では、議会の内外で激論になりました。規制緩和は科学界と産業界が支持したのに対し、反対したのが宗教界と保守派です。カトリック教会は、受精の瞬間から人の生命が始まるとしています。だから受精卵を壊す研究は、どんな理由でも認められないのです。そこで規制緩和反対派は、iPS細胞の登場を大歓迎します。ES細胞とほぼ同等なものがつくれる、ノーベル賞までもらったすばらしい成果だ、だからもうES細胞研究は必要がなくなった、やめるべきだ、というのです。こうしてフランスでもiPS細胞研究がもてはやされているのですが、それは、自分たちが人の生命の始まりだと信じる受精卵に手を下す研究をやめさせたいという、宗教的な動機に基づくところが大きい。科学的な評価とは違う理由でiPS細胞を持ちあげる議論になっていて、ちょっと違和感があります。

勝木 ES細胞研究推進を支持するのはどういう議論ですか。

ぬで島 医学界や産業界は、厳しい規制の中で苦労してやってきたこれまでのES細胞研究の積み重ねを生かし、さらに発展させたいのです。そこで興味深いのは、私たちが(1)で問題にした、iPS細胞の基本的事実を、フランスではES細胞研究推進派が、ことさらに言いたてているのです。がん化する恐れがあるということはもちろん、「iPS細胞は遺伝子組換え体(GMO)だ、どうなるかわからない」と、iPS細胞の生物学的な問題点を強調して、ES細胞の優位性、必要性を訴えるのです。

勝木 はあ、そうですか。

ぬで島 ですからES細胞研究推進派の議論も、「業界利益」に基づくという点では反対派と同じなのです。そこで戦わされているのは、人の生命の始まりを医学のために壊していいかどうかについての、世界観というか、イデオロギーの対立に基づく議論です。欧米ではそれが倫理の議論として成り立っている。それは科学の議論とはずれている面がある。

勝木 そうですね、イデオロギーの問題だとすると、科学的検証が不可能なことを議論するのですから、やはり科学とは重ならないように思います。

ぬで島 では日本ではどうか。iPS細胞をもてはやす議論が主流ですが、そこでは、人の生命の萌芽を壊すES細胞研究を否定し凌駕できるものという倫理的位置づけはあまりない気がします。欧米に比べれば、受精卵に手を下してはいけないという感覚が相対的に低いからです。

勝木 そうですね。

ぬで島 iPS細胞が大きく評価されるのは、日本人が発見したものだという、国粋的感情の要素が大きい気がします。そのうえに医学的長所が乗っかっている。反面、生物学的基礎は正確に伝えられていない。

たとえばiPS細胞は患者の細胞からつくることができるから、そこから分化させた細胞を移植しても拒絶反応を起こさないという利点が当初は強調されました。でも実際始めてみると、つくるのに半年かかるから治療に間に合わない、お金もかかる。だから、移植拒絶反応が比較的少ない組み合わせの基本タイプごと(骨髄移植のときのタイプを選ぶように)に、よその人からもらってストックをつくって、iPS細胞バンクをつくろうという話に今はなっています。ともかくiPS細胞を使う再生医療を推進しようという熱い支持は変わらない。

そのなかで、ES細胞研究は、倫理的理由などはなしに、ただ忘れ去られようとしている、置き去りにされようとしているように思えます。そうなっても、フランスでのように、医科学面でES細胞研究は依然重要であり続けるのだという対抗論はあまり出てきませんね。そうした科学的評価の不在は望ましくないと思うのですが、いかがでしょうか。

iPS細胞研究の基礎にあるES細胞研究の重要性

勝木 私は、ES細胞研究が今後も、この分野の基盤であり続けるだろうと思います。

そもそも山中先生がiPS細胞をつくる「山中因子」にたどり着けたのも、ES細胞で発現している200ぐらいの遺伝子から出発して、細胞の再初期化に必要な最小限の4つに絞っていったという、基礎研究の王道を進まれた結果です。

細胞の性質としても、ES細胞には、iPS細胞で問題になる履歴が、ほとんどありません。受精卵からつくるから、つまり生物の発生の時計がゼロに近いところから取ってきているから、基準になりうる。その意味で、研究の基盤として重要なのです。

ぬで島 それは基礎科学の面だけでなく、臨床での安全性という面でもそうでしょうか。

勝木 それはまだわかりません。予断を持って今判断するのは危険なことだと思います。

ぬで島 ES細胞から分化した細胞が、生体内でまた元のES細胞の状態に戻ってしまう可能性は、あるでしょうか。

勝木 それも、わかりません。ただES細胞からつくったキメラマウスの研究では、ES細胞に戻ってがん化が起こった例は、二年ぐらい飼育しても、ほとんどありません。

また、iPS細胞の場合にも、キメラ個体をつくって育てた経過をみる研究は行われているでしょうが、そのマウスからがんが発生したと聞いたことはありませんので,おそらくES細胞と同じだと思います。事実はこれからさらに詳細に調べればわかることだと思います。

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