タイプ
レポート
日付
2009/8/18

《人の尊厳探求プラン》番外編・フランス調査報告

《人の尊厳探求プラン》番外編・フランス調査報告


今年度の研究の一環として、2009年6月、フランスで行われた「生命倫理全国民会議」の実地調査を行った。そこで《人の尊厳探求プラン》番外編として、調査結果の概要と、遺伝子関連技術に関する議論について報告し、討議を行った。

日時:2009年8月3日(月)午後3時~5時半
報告発表:小門、ぬで島
参加者:小林、島田、田川、橋爪、洪、光石、大沼

1 報 告

まず実地調査を担当した小門とぬで島から、以下のような報告が行われた。

1)フランス生命倫理全国民会議の概要

フランスには、移植・生殖補助・遺伝子検査や遺伝子治療などの先端医療を包括して管理する生命倫理関連法体系がある。1994年の最初の立法と、2004年の1回目の見直しと改正の際は、議会や政府が専門家、識者からのヒアリングを行ったが、広く国民全体の議論にはならなかったという反省があった。

そこで来年に予定されている2回目の見直しと改正に先立ち、2009年2月から6月にかけ、政府の主催で、官民挙げての「生命倫理全国民会議」が行われた。その概要は以下のようである。

開催趣旨
「私たちの共通の未来に関わる問題について、より多くの人々の熟考を促進することが目的」「市民の参加を呼びかけ、広い議論を行う機会となる。市民フォーラムは、十分な知識を得た上で行われる、自由で賛否両論ある議論となる。政策決定者が、全国的な利益として考えられる点を理解することが、このフォーラムの任務である」(主催者である厚生大臣と運営委員長による開始声明より)

実施体制
大統領令により厚生大臣傘下に運営委員会を設置。委員長(国民議会与党議員、男性)および委員5名(国民議会野党議員1、元老院議員1、医学教授1、法学教授1、哲学者1:女性3、男性2)が任命された。

実務のサポートは、厚生省の外局である先端医療庁が担当した。総経費は100万ユーロとのこと(厚生省が負担)。

実施内容(1)市民への情報提供、知識の促進
専用のウェブサイトが開設され、生命倫理関連法令、先端医療の情報、寄せられた意見やフォーラムのビデオなどが掲載された。2009年2月から6月までの4ヶ月で7万件余のアクセスがあったという。

実施内容(2)市民による意見発信の促進
ウェブサイトに5つの主要テーマを掲げ、意見の投稿を募集、掲載した。2009年6月までに1643件の投稿があった。テーマ別に見ると、生殖補助679、移植116、遺伝子検査107、胚・ES細胞研究433、出生前・着床前診断308であった。

実施内容(3)公論への市民参加の促進・自主集会の開催
全国民会議の呼びかけにより、全国各地で226の自主集会が催された。主催者別に見ると、宗教団体31%、大学病院などが運営する地域倫理フォーラム27%、各種市民団体16%、科学界10%、医療関係4%、議員・政党7%、メディア4%であった。

実施内容(4)市民参加の促進・地域フォーラムの開催
6月9日から23日にかけて、会議運営委員会主催で、全国主要3都市(マルセイユ、レンヌ、ストラスブール)およびパリで、公開の市民フォーラムが開かれた。小門はそのすべてに参加、ぬで島はパリの全国フォーラムに参加した。各都市では200人から250人、パリでは500人程度の参加者があった。

主要都市のフォーラムでは、全国民会議が設定した5つのテーマが次のように割り振られた。
 ○マルセイユ:人胚研究、着床前・出生前診断
 ○レンヌ:生殖補助医療(配偶子提供、代理懐胎)
 ○ストラスブール:臓器移植、遺伝子検査
 各フォーラムでは割り振られたテーマごとに、16人前後の地域一般住民からなる市民パネルが組織され、事前に研修を受け、フォーラムで専門家との間で質疑、討論を行った。フォーラム翌日、市民パネルは評議を行い、意見をまとめた。

市民パネルは民間世論調査機関により、地域の住民構成を反映するようサンプリングされ、利害関係がなく、際立った意見を持たない中立の人が選ばれた。
 パリでは市民パネルは設けられず、全国民会議の総括報告と政治的な意味などについての討議が行われた。

識者による全国民会議の評価
この分野の識者および市民パネル研修担当者にインタビューし、全国民会議の評価を聞いたところ、次のような肯定的、否定的両方の意見が得られた。
○生命倫理に関する議論を民主化できた。他方で、医療技術の発展をよしとする専門家に よる説明は、一般人にそれらを受容する意識を植え付けるデマゴギー的な面を持つこと が危惧される。
○市民はゼロからスタートし、問題が何かを理解するに至った。興味深い政治的大冒険だ ったと思う。
○研修は、知識の習得というよりも、市民の意見形成の手助けとして行われた。民主的議 論というよりは、世論調査の代替として行われたのではないか。多彩な集会の開催は評 価できるが、これらの議論が今後も続くかどうかは不明だ。
○もっと多くの都市で行い、テレビでの放映などもできたはずだ。主要な報告書はすでに 出されたあとの実施であるため、市民フォーラムが法改正に及ぼす影響は大きくないだ ろう。

2)フランスにおける遺伝子技術の法規制と議論の現状

遺伝子検査や遺伝子治療などの遺伝子関連技術は、生命倫理における政策課題の重要な対象でありながら、これまで本研究プロジェクトにおいて検討する機会をもてなかった。そこでフランス全国民会議の議論の具体例として、遺伝子医療を取り上げ、考察の第一歩としたい。

フランス生命倫理関連法体系における人の遺伝子の位置付け
法規制の根拠となる理念として、人の遺伝子は人体の構成要素であるとともに、種としての人の構成要素でもあるとされる。人体の不可侵(個々人の遺伝形質の保護)と並んで、ゲノムの不可侵(種としての人の保護)が規定される:
 
○民法典第16条の4(人の種の保護)
 人の種の完全性(intégrité)を侵害することはできない。
 人の選別を組織化する優生学的実践は禁止する。
 他者と遺伝的に同一の子を生まれさせる目的の行為は禁止する。
 遺伝病研究をのぞき、子孫を改変する人の遺伝的性質の変形はできない。

遺伝子検査に対する規制
 個々人の遺伝子の保護として、以下の規制が定められている:
○目的制限: 医療または研究目的でのみ
○説明と同意: 明示の書面による同意/本人同意の例外
○結果の管理:「重大な遺伝的異常」が見つかった場合の、本人以外の家族への告知の制 限
○実施者の規制: 医療目的での遺伝子検査の実施者は、先端医療庁による認可が必要
○遺伝差別の禁止
  
民法に「何人も遺伝的性質を理由にした差別の対象にできない」と規定+刑法の差別罪に「遺伝的性質による」行為を追加
 保険の加入時の遺伝子検査結果利用を禁止(保健医療法)
 雇用と待遇差別の禁止事由に「遺伝的性質」を追加(労働法)

遺伝子検査の現状と問題点
現在フランスでは、国内の法規制のらち外で、外国の業者によりインターネット上で遺伝子検査が販売されており、その信頼性や守秘性が問題となっている。

30以上のサイトが、アルツハイマー、乳がん、結腸がん、前立腺がん、緑内障、筋退行症、糖尿病などの疾患について、一疾患200〜500ドルで遺伝子検査を販売しているという(議会科学技術評価局・コンセイユデタ報告書より)。

全国民会議での議論
全国民会議で掲げられた5つのテーマのなかで、遺伝子検査(「予見医療」)は、大きな争点になっていない。ウェブサイトへの意見投稿も一番少なかった。

遺伝子検査を対象にしたストラスブール市民パネルでの議論では、以下のような事柄が質疑、検討された:
○遺伝子検査の種類とその内容の解説(確定診断・出生前診断・発症前診断)
○診断することと治療することの違い ・知らないでいる権利
○遺伝子検査は平等と連帯というフランス共和国の理念を損なうか
○遺伝決定論の相対化、環境要因の重視
○家族への告知問題は、当人の責任とする(医療情報の守秘の解除を求めない)
○遺伝子検査を受けるかどうかは、個々人の自由と責任とする。そのための環境整備を国が行う。具体的には、インターネット上での遺伝子検査の横行に対し、国が客観的情報提供を行うサイトを設け、検索エンジンのトップに常に来るようにする、との提案があった。

2 質疑とディスカッション

以上の報告を受け、参加者の間で以下のような質疑と討議が行われた。

メディアの反応
まず全国民会議について、マスメディアの反応はどうだったかという質問があった。それに対しては、ウェブサイトの開設や地域フォーラムの開始などの節目で、よく報道されていた、とくにフォーラムの開催前は各紙特集記事を組むなど盛り上がっていたが、終わった後は意外に報道されなかった、との応えがなされた。

市民パネルの性格(中立性など)について
次に、全国民会議で重要な位置付けをされた市民パネルの性格について質疑がなされた。日本では生命倫理のシンポジウムに来る市民は、すでに特定の考えを持った人が多いので、中立な人を選ぶというのは難しいように思うが、フランスではどうなのかという疑問が出された。それに対しては、フランスではこれまで生命倫理について市民の意見はあまり聞いてこなかったので、まっさらな人を選ぶのは難しくなかっただろうとの応えがなされた。特定の意見を持つ当事者団体は、傍聴者として会場に来ており、司会から発言を求められる場合があったことも報告された。

また、特定の意見を持たない人を選ぶと、医療者や研究者の言う通りに誘導されないか、との質問があった。それに対しては、まさに研修担当者のいったことがそのままフォーラムで市民パネルから意見として出されるということがあった、識者もその点を懸念していたとの応えがなされた。

市民パネルの選ばれ方と役割をみると、コンセンサス会議というより裁判員制度に近いとの指摘があった。北欧で盛んで日本でも試みられたコンセンサス会議では、利害関係者をはじくなどの配慮が行われているのかとの質問があり、調べてみる必要があるとの応えがなされた。

全国民会議の内容は政権・与党により左右されたか
保守派の現政権・与党が主催したことで、全国民会議の内容は保守色が強いものになったか、政府の思惑が会議の内容を左右したのではないか、との質問があった。それに対しては、政策決定のための世論調査に代わる手段として、国民の声を聞きましたという形式、アリバイづくりに使われたという指摘はあるが、内容まで政府がコントロールしたという声は聞かれない、むしろ初めての試みで、やってみないと分からなかったというのが実情ではないかとの応えがなされた。

確かに、世論の多数が求めていた変化(たとえば代理懐胎の合法化)を否定する意見が市民フォーラムから出たのは、予想外だった。根本的変化を望まない結果になったわけだが、それは政府の意向でそうなったというより、問題を理解したうえでの議論の帰結、一般人の自然な反応だったとみるほうがいいのではないかとの指摘がなされた。

今後の政策決定・法改正に全国民会議は影響を与えるか
全国民会議の結果は、今後の政策決定、とくに生命倫理関連法の改正に対し、どれくらいの影響力を持つのか、との質問が出された。それに対しては、まだ報告書が出たばかりでわからないが、参考にされる程度であまり大きい影響力はないのではないかとの応えがなされた。

主催側は、パリの全国フォーラムに大統領を臨席させ、結果を聞かせて閉会の辞でそれを政府が取り入れることを表明させたかったようだが、同日内閣改造が行われたため、大統領の出席は急遽キャンセルされた。同じ右派でも、シラク前政権は生命倫理問題に熱心だったが、サルコジ現政権はこの政策課題を重視していない。出席キャンセルはそれをよく表わしている。

現政権で生命倫理政策の優先順位が低いのは、国として取り組むべき緊急性がないからではないかとの感想も出されたが、報告者からは、サルコジ大統領はフランスの伝統的な右派と異なり、親米的な方向でフランス社会を改革していこうとしており、米国流の自由主義に対するアンチテーゼの性格が強い生命倫理政策には冷淡なのではないかとの意見が出された。

フランス法が掲げる「種としての人の保護」は宗教的理念か
続いて、フランスの遺伝子関連技術の法規制を支える理念について議論が行われた。
報告では、個々の肉体を超えた種としての人全体を保護するという理念が示された。だが保護の対象とされた「人体のインテグリティ(統合性、完全性)」と「種としてのインテグリティ」は次元の異なる概念で、非常に違和感がある、これは、個々の生物種は神によって一度に創造された固定的実体だと捉える、非常に宗教的な概念だとの指摘がなされた。フランスの伝統文化の文脈で出されると違和感がないのかもしれないが、日本ではこのような理念に基づく立法ができるとは思えない、との意見が出された。

これに対して、「種」というのは科学的な概念で、宗教的な概念ではないのではないかとの意見が出された。神を信じない人も受け入れることのできる理念として提起されている、少なくともフランスではそう受け取られている、との指摘もなされた。

いずれにせよ、人のゲノムを改変してはならないというのは、現状維持の保守的な考え方、あるいは変化に対する恐れの現れであるとの指摘がなされた。

また、もしそのような宗教的概念だと捉えるなら、人以外の動物種もそのインテグリティを保護し改変してはならないということになるのではないか、との指摘がなされた。サルの遺伝子を人に組み込むことは禁止されるのだろうが、逆に人の遺伝子をチンパンジーに組み込む研究も、してはいけないということになるのだろうか。どこまで人の遺伝子を組み込んだら、サルでなく人になるだろうか、との問題提起が研究者側からなされた。こうした観点からも、種としての人の保護とは何か、遺伝子はそこにどのように位置付けられるのかについて、今後さらに議論を深めたい。

遺伝子は生物学的実体か情報か

これに続けて、遺伝子はモノなのか情報なのか、それを明らかに絞らないと立法できないのではないかとの意見が出された。それに対しては、モノではなく人体の要素というべきだとの指摘がなされた。報告者からは、フランス法では遺伝子の二つの性格に合わせて、人体要素としての遺伝子の保護と利用規制、情報としての遺伝子の保護と利用規制がそれぞれ定められている、どちらか一方に決める必要はないのではないかとの応えがなされた。

遺伝子検査の規制の必要度

全国民会議では遺伝子検査とそれに基づく予見医療はあまり大きな問題とされなかったということだったが、韓国では遺伝子検査の横行が目に余るようになり、法規制が行われている。フランスではどうなのかとの質問があった。それに対して報告者からは、インターネット上での遺伝子検査の販売が問題にされているが、社会全体としては目に余るというほどではないのではないか、との応えがなされた。


以 上

取りまとめ:研究リーダー ぬで島次郎