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討論型世論調査 ~ “世界初”の実験に伴ったリスク (続き)

August 14, 2012

3.「国民的議論」を根付かせるために

今回のDPに係る費用は5775万円とされている(税込・業者への委託費用総額)。その内訳には電話調査の実施に加え、DP参加者の移動宿泊費・会場/運営費・DP参加者への謝金(1人当たり5000円)等、調査対象者を1か所に集めるための費用がある。DPを実施するには通常の世論調査よりも費用がかかるのである *17

これほどの費用をかけてでも行う価値があるのかどうかという判断は、今回の実験の結果次第であるかもしれない。しかし、政治が合意形成に至る能力と実行力を失い、国民の政治そのものに対する不信や不満が高まる中、このような手法を活用して議論を喚起し、政治に対して民意のシグナルを送り続けることはやはり必要であろう。地域や立場を超えて国民が互いに討論する本当の“国民的議論”の場としても、DPはやはり有用なのである。

一般的な世論調査の限界が明らかな以上、DPは従来の手法を補完することができる。更に、裁判員制度と同様に、DPは参加者の社会に対する関心と問題意識を顕在化させることが期待される。市民の政策に対する「合理的無知」の壁を少しでも下げるひとつの規範的事業となるはずだ。原発に限らず、財政問題や国と地方の関係等、これまで国民単位で横断的な議論がされてきていないテーマは数多くある。外交・安全保障においても、いわゆる9条改憲や集団的自衛権の問題を問うこともできるであろう。地方自治体においても義務教育や過疎問題など幅広く活用が可能である。

無作為で選出された住民が集い、あるテーマについて真摯に意見を交わし、熟慮の結果を無記名で表明するということを通じて、扱いの難しい政治・社会テーマにおいての社会的・国民的議論と民意の表明が可能となるのである。

現在のところ討論型世論調査の手法そのものが制度的に導入されている国は無い。その理由としては恐らく、費用がかかることに加えて制度化すること自体によるデメリット(政府による操作の可能性 *18 、そのように思われることによる制度不信の増長、実施すること自体が目的化してしまうことへの忌避)があるからであろう。

日本においては、今回の例を見ても熟議の仕組みを制度的に位置づけるのは困難かもしれない。政府の主催する国民対話の場は「やらせ」との先入観に加え、国民の政治に対する根強い不信がある。しかし、各省庁の行う一般的な世論調査を補完する取組みとして行うのであれば、今後も実施は可能なはずだ。

政治的な中立性や発信力を考慮すると、新聞社やNHK等の公的報道機関が定期的にテーマを決めて実施することが最も望ましいように思える。海外の過去の事例では、テレビ放映を通じて視聴者がDPの疑似的な経験を得ることができるようにしたものもある。近年では、日本のメディアもインターネットやツイッター等を活用した双方向性機能を高めており、視聴者による討議への疑似的参加も可能かもしれない。一案ではあるが、3年に一度の参議院選挙に先立って、争点となるであろうテーマについてDPを実施することは国民・政治家の双方にとって有効なのではないだろうか *19

4.DPはあくまでも社会的実験

予定では、今週中(8月中旬)にも今回のDPの結果が公表される。それを踏まえて、政府は「革新的エネルギー・環境戦略」を決定し、エネルギーミックスの大枠と2020年・2030年の温室効果ガスの排出量を示す。また、同戦略に基づいて政府は速やかに「エネルギー基本計画」を定め、年内には「原子力政策大綱」「地球温暖化対策」「グリーン政策大綱」を纏めるとしている。

冒頭に示したように、“国民的議論”の目的は「総合的に国民の意向を把握する」ことである。当然、それは意見聴取会やパブリックコメントの結果も合わせたものであり、最終的な結論を出す責任は政府に委ねられている。”国民的議論”の結果(多数意見)が最終的な意思決定に反映されないこともあり得るのである。例えば、仮に原発0%シナリオが多数を占めたとしても、その前提条件となるコスト・地球温暖化に対する優先順位が高ければ、これらにおいて優れている原子力を残存させるという選択を考慮せざるを得ないかもしれない。

DPを含む”国民的議論”の結果がそのまま政策(基本計画・大綱)に反映されると期待してはいけない *20 。DP実行委員長を務める曽根泰教・慶應大学教授は、「国の重要政策の決定の参考にされるのは世界初」であると慎重にかつ正確に今回のDPの位置付けを述べている *21 。あくまで参考情報であることを、政府は明確に国民に伝えるべきである。

議会制民主主義を旨とする日本において、意思決定の正当性は選挙を通じて国民を代表する国会議員にある。その意味で、DPの結果は政治家にとって無視することのできない材料となることは間違いない。しかし、DPは大規模な社会的実験である。日本社会の縮図からの民意であろうとも、その実験の結果そのものが効力を持つべきであると思ってはならない。民主主義とは数の論理だけではない。最終的な判断は、私たちが信任するとした政治に委ねられているのである。

▼図2 “国民的議論”と“責任ある選択”の関係(イメージ) 《拡大はこちら》



*17 費用がかさむことはDPの課題のひとつとして認識されている。海外の事例でも日本円で1億円を超す規模のものも実施されている。なお、日本において、費用がかかるとされる個別訪問面接方式では1単位あたり費用は1373万円程度(対象者数3千~1万人:内閣府の平成23年行政事業レビューシート「世論調査費」より)。 http://www.cao.go.jp/yosan/kanshi_korituka/pdf/23_0014.pdf
*18 フィシュキン教授の近著『人々の声が響きあうとき:熟議空間と民主主義』では、デンマーク議会が設立した「デンマーク技術委員会」の行うコンセンサス会議が〈制度化のある理想的なモデル〉として紹介されている。同会議ではテーマは科学技術の倫理的問題に特定されている。DPと異なり希望者制・コンセンサス重視型の市民討論であるが、政治からの独立性を高めて機能することができれば、民意把握の公的機関として意義が認められるというものだ。 http://www.tekno.dk/subpage.php3?article=468&toppic=kategori12&language=uk
*19 米国では、過去に大統領予備選挙に併せた実験も行われている。
*20 DPの実施前からこの点は指摘されている。「やっつけ仕事の『国民的議論』は残念だ(社説)」日本経済新聞(2012年7月15日朝刊)
*21 「討論型の世論調査、エネ政策に民意反映なるか-準備2ヶ月足らずで滑り込み実施」日本経済新聞電子版ニュース(2012年8月2日付)

    • 元東京財団研究員
    • 西田 一平太
    • 西田 一平太

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