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「生命倫理の土台づくり」プロジェクト 2008年度研究報告

April 7, 2009

1 プロジェクトの概要

研究目的

日本において、先端生命科学・医学を制御するルール策定の根拠理念となりうる概念=《生命倫理の土台》を構築する。現実の政策過程で求められる理念の形成を試み、日本における生命倫理政策の論議をリードする。

研究メンバー

ぬで島次郎(プロジェクト・リーダー、科学政策論)
洪賢秀(医療科学研究所、文化人類学)
小門穂(東京医科歯科大学生命倫理研究センター、フランス生命倫理思想)
島田裕巳(顧問、宗教学者)
ゲストオブザーバー:橋爪大三郎氏(東京工業大学、東京財団評議員、社会学)

2 研究成果

1)研究会の概要

第4回研究会(2008年5月9日)

科学の倫理論の土台を考える作業の第一歩として、生命科学・医学研究と「学問の自由」の関係について、日本の憲法学はこれまでどう論じてきたかについて報告を聞き、議論を行った。その成果は、7)に挙げた科学論報告書の第二章1にまとめて発表した。

第5回研究会(2008年7月4日)

韓国の「生命倫理安全法」の制定と5月に行われた同法の改正について、洪プロジェクトメンバーから報告を聞き、議論を行った。
議論では、広範な生命科学・医学研究を国が管理する包括的な「生命倫理法」がどうして韓国では成立したのかについて、討論が交わされ、主な要因が明らかにされた。そのポイントは、6)に挙げたニュースレターにまとめて発表した。

第6回研究会(2008年7月25日)

「日本人の身体観」について、島田顧問から第2回研究会での問題提起を敷衍させた発表があり、討議を行った。
発表では、日本の思想は固定した原理を立てず現実に合わせて価値や規範を変えていくという特徴があるため、日本人の身体観を特定するのは困難であることが指摘された。その前提のうえで強いていえば、日本ではこころがからだに対し優位に立つ心身一元論をとっているとの分析がなされた。
討議では、日本社会は一つの原理に固執せず、身体観も現実に合わせて変わるものなのであれば、生命倫理上の政策課題への対応として、フランスの「人体の人権」概念を立法理念として受け入れることも可能ではないかとの提起がなされた。
これに対し、原理を立てない日本は「法なき社会」を理想とするところがあるので、法律をつくるやり方は適合的でないとの意見が出された。それに対して、法なき社会は「権利なき社会」になりかねず、弱者の保護が行き届かない恐れがあるので、やはり立法政策は必要だとの指摘がなされた。日本で立法を実現させるためには、どのような現実の変化が必要なのかを見極めることが、重要な課題になると認識された。

第7回研究会(2008年8月29日)

「フランス『生命倫理法』の生殖関連医療・研究規制は何を守るのか」について、小門プロジェクトメンバーが発表を行い、討議を行った。
発表では、フランスの生命倫理関連法のうち、生殖補助技術と受精卵研究に対する規制内容の変遷が分析され、同法が守ろうとする倫理的理念の重み付けに変化がみられることが明らかにされた。立法当初の中心課題だった「人の生命の始まりの保護」が後退する一方で、「安定した男女の結びつきにこそ生殖と出生があるという家族観の保護」は堅持されている。
討議では、契約や養子など民事・家族政策に連なる代理懐胎の問題と、生命操作=科学技術政策に連なる受精卵の扱いの問題を分ける必要が指摘された。
この成果は、来年度上半期に刊行予定の、生殖補助医療に関する報告書の第二章にまとめて発表する。

第8回研究会(2008年10月10日)

「科学研究の自由の根拠と条件」について、ぬで島が、4)に挙げた科学者インタビューの中間報告をし、討議を行った。
討議では、自由の検討の対象となる「科学」の範囲、科学研究の自由を担う人の資格、国家権力との対峙という要因の重要性、自然科学・人文社会科学と国家社会の関係をめぐる日本と西洋の歴史の違いなどの論点をめぐって議論が交わされた。
その成果は、7)に挙げた科学論報告書の第二章2にまとめて発表した。

2)公開研究会(第9回研究会)

2008年11月30日、定例の研究会を公開で行った。不妊の当事者、産科医、マスコミ、法律・社会問題などの専門家、一般、学生など幅広い層から50名余の方々にご参加いただき、最後まで熱心に討議に加わっていただけた。研究会の模様はウェブサイトで動画を配信した。
まずぬで島が、プロジェクトの紹介と日本の生殖補助医療の現状と課題について概観するプレゼンを行った。次いで洪メンバーが、韓国の生殖補助医療について報告した。代理懐胎には法規制がないこと、社会の見方は否定的で水面下でしか行われていないこと、契約内容や問題事例の紹介、背景としての伝統的家族制度などについて説明があった。
討議では、代理懐胎をめぐる経済格差、日韓における家族制度とその変化の比較、生まれてくる子への責任、保護すべきなのは遺伝的つながりか親になる意思か、などについて議論が交わされた。その成果は、生殖補助医療に関する報告書の第二章にまとめて発表する。

3)有識者意見交換会「生殖補助医療の規制に関する政策提言検討のための会議」

2009年1月下旬から、従来のメンバーに加え、弁護士、生物学者、不妊当事者、産科医など多岐の分野の有識者にご参加いただき、電子会議場を設定して、代理懐胎を中心にした生殖補助医療の規制に関する政策提言を準備するための会議を開始した。
3月13日には第1回の顔合わせ会議を開き、親子関係の理念、生まれてくる子の母の決め方、代理懐胎を禁止または容認する場合の立法根拠などについて討論を行った。

4)科学者インタビューの実施と対談集の作成

学問の自由と生命科学の問題について、憲法学のレビューから得られた論点を科学者に問いかけ議論を行い、政策課題を絞り込むことを目的として、2008年7月から12月にかけ、延べ7回にわたり科学者インタビューを実施した。
インタビューに応じていただいたのは6名で、専門分野は進化生物学・行動生態学、宇宙物理学・科学論、分子生物学、発生工学、社会学、科学ジャーナリズム、年齢は40代1名、50代2名、60代3名、職位は大学教授2、準教授1、研究機関理事2、全国紙論説委員1、女性2名・男性4名という内訳となった。インタビューに際しては、論点を敷衍した質問事項を用意し、フリートーキングの形で意見を伺った。一回のインタビューに要した時間は平均して2時間を超えた。
その成果は、7)に挙げた科学論報告書の第二章2にまとめて発表した。また、インタビュー内容は科学と社会の関係を科学者とともに考える貴重な資料となったので、コアになる4名の自然科学者の方々とのインタビュー速記録を、対談集として出版できる形にまとめた。

5)「時 評」

今年度は、韓国の生命倫理関連法改正動向、フランスの生命倫理法関連動向、米国の政権交代と生命倫理政策、国内の再生医学研究の話題などについて、以下の計8本の時評を財団ウェブサイトに載せ、発信した。
・韓国の生命倫理議論を覗く(洪)
(3)実用主義の科学政策と生命倫理の行方
・フランス「生命倫理法」の追跡(小門)
(2)議会上院・代理懐胎解禁提案の波紋
(番外編)「米国政権交代と生命倫理政策のゆくえ」
・生命科学・医学最新動向および政策論(ぬで島)
臓器移植法改正~論議を閉ざす与党案一本化に反対する~
人体の不思議展と先端手術研修~人の尊厳と遺体の扱いについて~
脳を再生?~「万能細胞」の利用はどこまで許されるか~
Should Brain Generation with Stem Cells Be Allowed?
受精卵取り違え~事故対応だけでなく親子法の整備を

6)ニュースレター刊行

2008年11月、「命はどこまで科学にゆだねていいのか--アジア初の生命倫理法を制定した韓国から学ぶ」と題したニュースレターを刊行し、国会議員、関連政府審議会委員、マスコミ、関連学界などに配布した。隣国の生命倫理政策の最新動向を紹介するとともに、その政策を動かした市民団体や政界のキーパーソンに焦点を当て、日本の今後の政策形成のあり方を考えるうえで重要な課題を提示した。このニュースレターを通じて、本プロジェクトへの関心が高まり、メンバーとして参加したいとの申し出もいただくことができた。

7)科学論政策提言報告書刊行(予定)

今年度展開した科学論の研究成果を、『生命科学の自由と倫理--政策理念とアクションプランの提示』と題した報告書にまとめた。とりまとめにあたっては、メンバー会議で原稿を批判的に討議し、スタッフ間での検討により改稿を重ね、成案を得た。
報告書では、日本のこれまでの生命倫理政策の問題点の背景に、憲法の学問の自由の規定があることを提起し、現代の生命科学・医学に学問研究の自由の保証はどこまで適用されるかについて、憲法学のレビューおよび科学者インタビューによる論点整理と課題の絞り込みを行ったうえで、以下の2点の政策理念と3つのアクションプランを提言した:

政策理念1 生命科学の社会における位置付け(研究の価値の有用性からの独立)

有用性を強く求められる生命科学研究においても、応用を前提としない科学本来の価値を独立に認めることが、科学の発展のためだけでなく、性急な人への応用に対する歯止めとなる点で、倫理の確立において重要である。
アクションプラン1 国の振興政策において、生命科学研究を技術開発から分ける
アクションプラン2 科学研究に対する国民の権利を明らかにする

政策理念2 生命科学の規範のつくり方(規制範囲の区切りと策定主体の明確化

生命にフィジカルな作用を及ぼす実験研究は、憲法でいう学問の自由一般と分け、専門家集団の規範と社会の価値観との調整をふまえて、立法などにより制約の条件を決める。その任は立法府が担う。
アクションプラン3 国会に「生命研究の規範に関する臨時調査会」を設置する

総 括
生命倫理の土台づくりのためには、人の生命・身体の要素をどこまで利用してよいかについての判断基準の根拠を考える生命・身体論と、生命科学・医学研究の自由と制約のあり方について考える科学論の二つの面での考察が必要である。今年度はそれぞれ以下のような成果を得た。

生命・身体論

日本で海外での代理懐胎や肉親からの卵子提供などの問題事例が相次ぎ、時事問題となった代理懐胎を中心とした生殖補助医療の規制について、主に取り組んだ。公開を含めた3回の定例研究会と有識者会議の実施を経て、報告書のアウトラインをつくることができた(1.日本の現状と問題点、2.フランスおよび韓国の実況と対応を参考にした取り組むべき課題の提起、3.立法に向けた論点提示)。
今年度の取り組みは親子関係のあり方を中心としたが、人の生命の始まり(精子、卵子、受精卵)の扱いにおける人の尊厳の保護が次の課題として位置付けられ、科学論における結論と合流する接点が得られた(後述)。

科学論

憲法学のレビューと科学者インタビューによる調査研究を進め、年度末に政策提言報告書をまとめるところまで到達できた。さらに、その報告書の提言した政策理念を実現するため、生命科学研究の自由を制約する立法根拠となる概念として「人の尊厳」を抽出し、その中味を明らかにすることを次の課題として提示することができた。

3 来年度以降の展望

継続課題=生殖補助医療政策に関する提言

生殖補助医療に関する政策提言について、昨年度下半期から始めた検討会議を5月前半程度まで継続し、5月末を目処に報告書をまとめ発表する。
具体的には、今後立法が予想される代理懐胎の規制の是非を決める論拠を示すに留まらず、想定しうるすべての組み合わせで行なわれる生殖補助について、何をどこまで認めてよいのか、その根拠は何かについて、論点を提起する。人の生命の始まりの扱いと親子関係のあり方について、どのような合意を形成しなければならないのかを、分かりやすく包括的に示す。

新たな課題=《人の尊厳探求プラン》

今年度、科学論研究において、科学の側からみた生命科学の自由の根拠と条件を明らかにした。それは、次の二点である(2 研究成果 7)報告書第二章2参照):1)研究の自由の根拠ないし基盤は、専門家が自律的職業規範を確立し、相互批判によって絶えず自己検証することである。2)生命にフィジカルな作用を及ぼす生命科学・医学の実験研究は、学問一般と分けて自由の条件を検討する必要がある。
そこで次に来年度は、上記に沿った科学の側の規範観に対置される、社会の側の、生命科学の自由を制限する規範原理ないし価値観を明らかにすることが新たな課題となる。
この課題に取り組む足がかりとして、今年度の科学論研究では、憲法学の論議において、「人の尊厳」という概念が、科学研究の自由を規制する根拠となる法益として対置されてきたことを見いだした。これは生命倫理の論議や立法などでも引き合いに出されてきた概念であるが、その内実は、まだ十分に明らかにされているとはいえない。
そこで来年度は、この「人の尊厳」という概念をキーワードに、その内包・外延を明らかにし、具体的な課題に対応できる政策理念として検討することを、生命倫理の土台づくりに向けた次の課題としたい。
そしてそれに基づき、人の体や生命の構成要素とそれを扱う研究・医療行為のなかで、法的規制の対象となるべき範囲を特定し、各個に必要な立法事項を提示することを最終的な目標と位置付ける。これを、《人の尊厳探求プラン》と名付ける。
具体的な進め方としては、立法対象の候補として想定される生命科学・医学の個別分野を取り上げ、連続勉強会を実施することから始めたいと考えている。また、これまでフォローしてきた韓国とフランスの生命倫理法において人の尊厳がどう捉えられているかを、比較考察のため掘り下げて分析していきたい。
そのなかには、今年度、生命・身体論のテーマとして取り上げた生殖補助医療における親子関係のあり方の研究では検討しきれなかった、人の生命の始まりの扱いにおいて人の尊厳をどのように保護するか、という課題が含まれる。
人の尊厳をどこまで認めるかということは、いいかえれば、物として扱ってはいけないのはどの範囲かという問題である。生命科学・医学の展開によって、「人」と「物」に扱いを二分するこれまでの法的な枠組みに対して、そのどちらとも割り切れない中間的な領域があらわになってきた。具体的には、臓器・組織.細胞など人体の一部、DNAないし遺伝子、精子・卵子、受精卵・胚などである。これらは、特別の立法をしないと、いずれも人ではないので物として扱われることになる。来年度は、遺伝子や臓器・組織・細胞の扱いに視野を広げ、生命倫理政策の全体像を描けるような議論を行いたい。
このように《人の尊厳探求プラン》は、生命・身体論と科学論を合流させる、統一テーマとして位置付けられる。

もう一つの課題=どうすれば生命倫理を広範な社会的論議にできるか

生命倫理政策は、生物学、医学、法律、倫理など多岐にわたる専門事項が多く、どうしても一部の専門家の間だけの議論にとどまりがちである。
生命倫理の問題を広範な社会的論議にしていくために、今年度本プロジェクトでは時評の発信、公開研究会や有識者会議の実施と結果の発信を試みてきた。また韓国での生命倫理法立法を巡って、市民団体や国会議員の活動が社会全体に議論を喚起する役割を果たしてきたことを見いだした(2 研究成果 6)ニュースレター参照)。
来年度は、以上の取り組みを続けるとともに、さらに具体的な政策手段を提言する参考にするために、フランスで官民挙げて取り組まれている「生命倫理全国民大会」について、現地調査を中心に研究していきたい。

研究体制

来年度は、今年度までのメンバーに加え、新たに生命科学者、医学者、法律家をメンバーに迎え、外部講師も積極的に招き、一層充実した研究会発表と議論を行える体制をとりたい。

最終成果のイメージ

《人の尊厳探求プラン》の実施を通じた、生命倫理の土台となる政策=立法パッケージとして、「人体尊重法要綱案」を提示する。
同要綱案をたたき台とし政策論議を喚起するために、外部の有識者(国会議員、法学者、科学者など)を招いた公開シンポジウムを行う。
時評による発信を、広範な議論を喚起するためのメディアと位置付け、最新動向の紹介だけでなく、上記目標の達成に向けたステップとして積み重ねていく。

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