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迷走する農政と人・農地プラン ―農村現場のしたたかな対応のために―(1)

April 20, 2012

日本の農政改革プロジェクトリーダー
東京財団上席研究員(名古屋大学大学院生命農学研究科教授)
生源寺 眞一

本文の3節2)農地集積協力金で紹介した経営転換協力金の給付に関して、本年4月に入って、農業機械の廃棄は要件としないかたちに変更された。本稿は2012年3月末日までの情報に基づいて執筆されたことをお断りしておく。

1. はじめに

2012年度に入って、市町村の農政担当者は「地域農業マスタープラン」への本格的な対応に追われている。「地域農業マスタープラン」(以下、略称である「人・農地プラン」と言う)の作成は、農地集積による規模拡大や若者の新規就農の促進に向け、2012年度予算政府案の決定に合わせて、昨年末に農林水産省が打ち出した新たな政策手法である。のちに議論するが、プランは集落単位を基本とし、より広い範囲で作成することもできるとされている。プランを決定するのは市町村であり、現場でプラン作りの趣旨説明や実務面のサポートにあたるのは市町村の農政担当職員である。

地域の農業関係者も強い関心を寄せている。なかでも農地の規模拡大を考えている農家や農業法人にとって、人・農地プランの中身は決定的に重要である。農地の集積の対象となる農業経営はプランにリストアップされていなければならないからである。また、地域の農協もプランの作成に深く関わることになる。とくに農地集積の方向付けという点をめぐって、かなりの農協が意思決定に具体的に関与することが見込まれている。この点も本稿が取り上げる論点のひとつである。

強い関心が寄せられるとともに、現場にはさまざまな戸惑いも生じている。もちろん、新たな政策手法の導入に際して、中身の周知にある程度の時間と労力を要することは避けられない。とくに農業政策は非常に多くの人や組織が関係するのが普通であり、制度の導入と運用を支えるための有形無形のコストも無視できない。多くの市町村で進行している農政担当者の削減のもとではなおさらである。けれども今回の人・農地プランに対する現場の戸惑いには、こうした制度の浸透過程の一時的なそれとは異なる要素が含まれているように思われる。

戸惑いの背景のひとつは、人・農地プランと既存の制度のあいだに噛み合わない点が目立つことである。そして、噛み合わない点の多くは近年の農政の迷走ぶりを反映している。この意味で制度のちぐはぐの根は深いと言うべきであろう。もうひとつ、時代の大きな流れの中で頭をもたげてきた農業・農村政策の根幹に関わる問題が、人・農地プランの提起によって顕在化している面がある。こうした点を踏まえるならば、人・農地プランのねらいと手法を検討すること、そして人・農地プランと深く関係しているにもかかわらず、政府の方針には明示されていない農政推進上の留意事項を吟味することは、これからのわが国農政全体のあり方を考えるうえでも意味のある作業と言えよう。

2. 迷走する農政

人・農地プランの作成は、農林水産省の「「我が国の食と農林漁業の再生のための基本方針・行動計画」に関する取組方針」(2011年12月24日)に基づいて進められる。この長いタイトル中の「基本方針・行動計画」とは、2011年10月に「食と農林漁業の再生実現会議」の取りまとめを経て「食と農林漁業の再生推進本部」による政府決定となった文書を指す(以下、「基本方針」と言う)。とくに重要なのは「平地で20~30ha、中山間地域で10~20haの規模の経営体が大宗を占める構造を目指す。これを実現するため、担い手、農地、生産対策、関連組織等に関する仕組みを見直し、一体的に改革する」と謳われた部分である。この部分を受けて、人・農地プランの作成とそのもとでの施策が推進されるわけである。

民主党の総選挙のマニフェストや政権交代後まもない時期の政策文書と比べると、基本方針のトーンは180度と言ってよいほど変わった。マニフェストは「小規模経営の農家を含めて農業の継続を可能とし、農村環境を維持する」とし、2010年3月に閣議決定された食料・農業・農村基本計画は「兼業農家や小規模経営を含む意欲あるすべての農業者が将来にわたって農業を継続し、経営発展に取り組むことができる環境を整備する」としていた。強調点は兼業農家や小規模経営の農業の継続にあった。それが基本方針では20~30haへの規模拡大が掲げられた。現在の水田作農家の平均規模は2ha弱であるから、10倍以上の規模を目指そうというわけである。

地域で利用可能な農地の面積は限られているから、小規模農家の継続と20~30haの経営が大宗を占める構造が両立するとは考えにくい。菅内閣・野田内閣のもとでの民主党農政は鳩山内閣の農政とは大きく方向転換した。なお、食料・農業・農村基本計画は1999年の食料・農業・農村基本法に基づいて、おおむね5年ごとに策定される。2000年と2005年の基本計画が自公政権下で策定されたのに対して、2010年の基本計画は上記の引用のように民主党色の強く滲み出た基本計画となった。

民主党農政は方向転換したと述べた。ところが基本方針には、「20~30haの規模の経営体が大宗を占める」という文章の直後に、活字のサイズを落とした注が添えられている。いわく「上記の考え方は、意欲あるすべての農業者が農業を発展できる環境を整備するとの食料・農業・農村基本計画の方針を変更するものではなく、むしろ進める性格のものである」とある。ここで言う食料・農業・農村基本計画は2010年に策定され、小規模農業の継続を強調していた基本計画である。つまり、鳩山内閣時代の農政路線とその支持層への配慮も盛り込んでいるわけである。いったいどっちを向いているのと皮肉も言いたくなるが、民主党内のコンセンサスのレベルの低さを象徴する注記ではある。ただし、「意欲あるすべての農業者」の前にあった「兼業農家や小規模経営を含む」というフレーズがカットされているため、近年の農政の状況を十分に把握していない方がそのまま読んでも、違和感は生じないかもしれない。

農業政策には安定性が欠かせない。善し悪しは別として、農業経営の所得のかなりの割合を占めているのが政策的に給付される助成金である。こうした収益構造のもとで、安定性を欠いた農政は深刻なリスクファクターとして農業経営にネガティブな影響を与えることになる。先行きの不透明なビジネスであれば、当面は投資を控えて様子見という判断が賢明ということにもなる。このようなリスク回避の姿勢が多くの農業経営に共有されるとき、それは日本農業の発展にブレーキとして作用する。むろん、農政に転換が必要な場合はある。けれども、その転換は従前の政策の総括を含む十分な説明を伴ったものでなければならない。十分な説明抜きの政策転換は、結果的にさらなる政策転換への懸念を増幅しかねない。

さきほど引用した基本方針の注は、「基本計画の方針を変更するものではなく」と述べている。基本計画はその時点の農政の羅針盤の役割を果たすわけであるから、当然の指摘と言えないこともない。しかしながら、基本計画はあくまでも食料・農業・農村基本法の理念を現実の政策に具体化するための道具である。しかるに、民主党政権下で策定された2010年の基本計画には、基本法の理念とは異なる政策方針が掲げられていた。ほかでもない、「兼業農家や小規模経営を含む意欲あるすべての農業者」を経営政策の対象とするとした部分である。以下の条文からも分かるように、食料・農業・農村基本法自身は農業経営政策の対象として専業・準専業の農家や法人経営、さらには集落営農などの組織的な営農を想定している。

第21条 国は、効率的かつ安定的な農業経営を育成し、これらの農業経営が農業生産の相当部分を担う農業構造を確立するため(中略)必要な施策を講ずるものとする。
第28条 国は、地域の農業における効率的な農業生産の確保に資するため、集落を基礎とした農業者の組織その他の農業生産活動を共同して行う農業者の組織、委託を受けて農作業を行う組織等の活動の促進に必要な施策を講ずるものとする。
第30条2 国は、農産物の価格の著しい変動が育成すべき農業経営に及ぼす影響を緩和するために必要な施策を講ずるものとする。


21条の「効率的かつ安定的な農業経営」とは、主な従事者の労働時間が他産業従事者と同等で、地域の他産業従事者と同程度の生涯所得を確保できる農業経営を意味する。1993年の農業経営基盤強化促進法に掲げられた農政上の概念である。食料・農業・農村基本法は国として育成すべき農業経営像について、農業経営基盤強化促進法の考え方を引き継いでいるわけである。

立ち帰るべきは基本計画ではなく、基本法である。先ほども述べたように、一般論として農業政策の転換を否定するものではない。けれども基本政策の転換を図るとすれば、それは基本法の見直しを通じて行われるべきである。ところが目下の農政は、食料・農業・農村基本法とは異なる方向の基本計画が策定される一方で、規模拡大の強力な推進を謳う点で基本法に近い考え方の基本方針も決定されている。いわばトリプルスタンダードの状態であり、法制度に整合性・体系性が必要だとの意識は希薄だと言わざるを得ない。基本方針の奇妙な注記の背後には迷走する農政がある。

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