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伝統の美と匠の技:Vol.2「日本の伝統建築や文化を支える土壁の技と匠」

May 26, 2011

地域伝統産業の今を訪ねて

Vol.2 「日本の伝統建築や文化を支える土壁の技と匠」

○日時:2010年10月15日
○場所:正的院茶室
○インタビュー概要:
インタビューイー:京壁師 奥田信雄 氏
インタビュアー:井上健二(東京財団)、松下薫(東京財団)
協  力 :土居好江 氏( NPO遊悠舎京すずめ 理事長)

 

今回のインタビューイーは、京都の伝統技術の保存と伝承に画期的な貢献を果たしている京壁師の奥田信雄氏です。

桂離宮解体修復工事の当時、老舗左官工事店で、土壁の修行を終え、若手有望株として注目され始めていた奥田氏は、離宮の修復を担当しておられた伝説の親方、小川氏からその技法について度重なる教えを受けた。その後、京壁の技術の後継者として小川親方から直接指導を受けるとともに、親方が引退後、使用しておられた鏝の全てを引き継ぐという幸運にも恵まれている。

国宝、重要文化財など多くの修復工事等に関わり、見事な京壁を蘇らせるなど土壁文化の継承・発展に尽力されている京壁師であり、京都府の現代の名工にも選ばれた奥田信雄氏に、京壁を取り巻く状況、職人としての仕事への想い・こだわりや次世代への技の継承のあり方などについて、お話を伺った。

【インタビュー要旨】

いい壁をつくるために、素材にも徹底的にこだわり抜く

― 京壁の魅力とはどういうところにありますか?

奥田親方
本物の京壁は、梅雨の時に水分を吸ってくれたりするように呼吸をしてるんですね。50年経たんと出てこない味わい、百年経って出てくる味わい。年を経るごとに味わいが違うんですね。それをその都度、その都度楽しんでもらいたいと思います。

― 今、私たちがお話をさせていただいているここ、南禅寺正的院の茶室の壁は、奥田親方が塗られたと聞きましたが、この壁の特徴を教えてください。

奥田親方
この壁は、「引き摺り壁」と言いまして、草庵茶室の四畳半以下の小間に多く塗られてる壁なんです。最近では、普通、簡単に、早く、安く塗るために糊を使って塗ることが多いようですが、この茶室の壁は一切、糊を使わないで仕上げています。

糊というのは、糊の耐用年数を越えると、壁がバラバラと落ちてきてしまうんです。ですから、糊は使ってません。その代わり、天然の聚楽土(じゅらくつち)だけを使って、塗っています。この聚楽土は、左官が使用する土壁の中では最も有名な土ですが、ある程度の年数が経つまでは土が締まって、丈夫になる特性をもっています。この聚楽土と水と藁とを混ぜたものだけで塗ったものです。

いい壁をつくろうと使う素材を厳選していくと、結局、ほとんど天然素材にいきつきますね。

― 素晴らしい仕上がりですね。天然の聚楽土だけを使用されたということですが、壁を塗るための土の確保は難しいのでしょうか?

奥田親方
聚楽土にも2つ種類があります。家土と山土です。この茶室で使用している土は家土の方です。伏見の大亀谷では山土の一種である色土が出ますが、最も有名なのが、京都の聚楽第の跡から出た土というので聚楽土と呼ばれています。ビル工事のために、京都市内で土を掘り起こすことがありますが、そうした時に、すごくいい土が出るようです。

私の店では、孫の代までの「土」を確保しています。土を専門に製造・販売されている店が京都市内にあるのですが、取引している店で色土を扱われている店の方は、後継者がおられない。山土を扱われている店の方は若い息子さんが跡を継いでいらっしゃるようです。

土以外にも、たとえば、土と混ぜる藁も手に入りにくくなってきていて、藁をとるために、隣市の亀岡まで1000坪の田んぼを自分で藁を刈りに行ったりしています。車3台分にもなりましたね。本物を追求していこうとすると、材料を集めるのも結構、手間がかかりますね。

求められる歴史的考証に基づく土壁の修復

― 壁を塗られる時に、どのような想いで取り組まれているのでしょうか?

奥田親方
この茶室は、数奇屋建築で有名な平井工務店の平井棟梁が仕切られていて、その下で壁塗りの仕事を私の方でさせていただいたわけですが、建築工事を仕切っている大工の棟梁の想いを理解し、その仕事を引き立たせることが大事だと思っています。

この茶室の床の間のように、貼り付け壁ではなく、土壁を床の間として初めてしつらえはったのは千利休さんなんです。ですから、私どもの祖は千利休さんやと思うてます。

ここの茶室の床の間を見ていただくと、床木の丸いところと土壁の間に影が出来ていて、サーッと波が出てくる。これは陰陽の世界ですわ。今では、これをパターン化し、デザイン的にあしらうといったこともされるようになってきています。

― 土壁の世界は奥が深いですね。土壁自体が高い歴史・文化的価値を持っていると言えますね。歴史的建造物と同じように、土壁も文化財としてしっかりと守られているのでしょうか?

奥田親方
残念ながら、歴史考証に基づいた壁が塗られていないというのが現実です。

たとえば、草庵茶室には、待庵(たいあん:京都府乙訓郡大山崎の寺妙喜庵にある日本最古の国宝の茶室建造物、千利休作唯一の現存茶室)というお茶室と、如庵(愛知県犬山市にある有楽苑)と、密庵(みったん:京都市大徳寺龍光院)とがあるんですが、土壁が主に塗ってあるお茶室というのは待庵と如庵の2つです。その如庵を見ても、国宝ですから、きちんと修復するべきもんやと思うんですけど、少なくとも、似ても似つかんような壁が塗ってありますね。歴史考証に基づいていない。如庵の移築・修復に当たっては、おそらく文化庁も参加して、きちっとした方法で移築、修復されたんやと思いますけど、その時のスタッフの中に、左官のことが理解できる方がいなかったか、もしくは、「この時代の、こうした壁はこうあるべき」といった提案をできる左官関係者が参画していなかったんだと思います。

京都迎賓館を建設する時でも、当初は、セキュリティの問題で、土壁は一切なくて、全部セメントで固めてしまって、吹付けするという案だったんです。地元紙で「迎賓館に意見書受付」とあったので意見書を出させていただきました。意見書が通ったからかどうかは分かりませんが、一応、土壁が取り入れられたようです。でも、その京都迎賓館の壁が工法的に、一番間違いのないやり方でやってあるのかというとそうではない。あの壁土には全部、糊が使ってあります。早ければ30年ぐらいすると表面がめくれてくることになると思いますね。

私の店で修行を終えた職人さんが、主だった所の責任者として施工しましたが、ここで大事なのは、壁を塗るというよりも、塗るプロセスや工法が大切です。なぜなら、今後、文化財の修復工事の見本となる現場であってほしかったと思っていました。原因は施工にあたられたお店の責任ではなく、我々業界のPR不足と行政の伝統技法の理解がなかったためであると思います。

一方では、一般の仕事でも、さすがは京都であるという事例があります。仕事先である南禅寺、瓢亭です。日本料理第一人者、ミシュラン三ツ星、400年の歴史と伝統のある料亭で、日本文化の集大成の場である料亭の器を守る。壁にも、その姿が伺えます。それは歴代のご主人の見識の深さ、伝統的な土壁の文化に対する深い理解の賜物です。これは出入りの平井工務店棟梁のご配慮と直接、土壁の施工にあたられた表千家出入りの妻川親方さんの技術力の確かさです。

文化財保全の本旨とその特性に適った契約の工夫を

― どうしてそのような事態が文化財や日本を代表する建築物の修復や建設に当たって起こるのでしょうか?

奥田親方
建築物の修復や建設を行政が発注する時に、その受託先はゼネコンや建築屋です。左官は、その傘下に入って仕事をすることになります。予算や工期の面での制約もあります。また、左官屋の技術力も店によってマチマチで、管理しにくいんだと思います。

たとえば、姫路城の修復工事をやっていますが、その工事はゼネコンさんが受託されて、工事を進めています。もともと姫路城には何代にもわたって姫路城を守ってきた伝統のあるお抱えの専門の左官屋さんが、支度屋まで城内にもっていらっしゃったんですが、出ていくことになったらしいです。ゼネコンさんが塗ったそのお城の壁が、今後、何らかの形で傷んだりした場合には、これを修理したりしていく必要があるわけですが、その時に、一体誰がその壁の守りをしていくのか、という問題がこれから出てくるのではと思っています。

修復の事業を行政が発注する際に、たとえば、建物の建築は建築家に、壁は左官というように、分離発注するというのが本来一番いい姿だと思いますね。

桂離宮の修復をしている時は、土壁で博士号を取っている関西大学の山田幸一先生がいらっしゃって、その方が指導されていたんですが、行政に対して、左官のことをしっかりと伝えてくれる人が必要だと思います。

修復工事の工期について、改善が必要ですね。たとえば、以前あったのは、年内までは一生懸命キチッと作業をやって、年を越して暖くなってきたら、こういう形で仕上げようかなと思っていたら、文化財の担当者の方から電話がかかってきて、「申し訳ないけど、一月中に全部仕上げてください」とおっしゃる訳です。せっかく何ヵ月も苦労して、ここまで持ってきたのを、工期を守るためにクシャクシャに仕上げなければいけないと言われてしまうと、何のための文化財行政なんやろうかと思いますね。費用の面で理解してもらへんのやったら多少は我慢もできますけど、工期はどうにもなりませんわね。文化財を守るためにやってはるのに、工期を守るためだけに、仕事の中味は目をつぶるから、形を整えて早く仕上げてくださいっていうのはおかしいと思いますね。そのあたりは、扱っているのが文化財という事柄からして、もう少し緩やかであってもいいのと違うかと思いますね。

左官という仕事の本来の良さというものを、文化財行政をやっている方にももっと分かってもらいたいですね。

古の匠と技を競い合う想いで修復に取り組む

― 伝統的な建造物の壁などを修復される時に、当時、その壁を塗った職人さんの技や力量なども分かるものなのでしょうか?

奥田親方
京壁を美しく塗る技術は明治の末期にはもう完成していたと思います。明治の末期以降に左官屋が取り組んできたのは、「安く、簡単に、早く塗れること」を追求してきただけです。昔と比べて、今は、洗練された道具を使って壁を塗りますね。昔はそんないい道具ありませんね。それで、一生懸命がんばって真心を込めて塗るので味とか趣が出てくるんですわ。現代の洗練された道具を使って、サラッと簡単に塗ってしまったら、かえって、味わいの濃いものにはなりませんね。

すごい技を駆使した昔の壁に出会うと、「昔の左官屋と平成の左官屋の勝負や」と思いますねえ。もうそう思った時点で、経済観念がなくなってしまいますわ。儲け度外視でやってしまいますね。特に、「粗壁」となると、千利休さんがものすごく力を入れてはった壁ということで、儲けのことも考えずに、頑張ってやってしまいますね。

使う土にもこだわります。ここ正的院の外の土壁は、2年の間、店で寝かしていた土を使っていますが、やっぱり、全然違いますね。いくらお金を出してもね、時間はお金では買えませんので、絶対まねできないですね。

これから大変になってくるのは、こうしたモノの価値をしっかり理解してくれる施主さんを見つけることができるかどうかですわ。「私のできることは奥田さんにお金を払うしかできひんのやから、お金のことは言うてくれたら何とかしますさかいに」っておっしゃって下さった施主さんの方々に、支えられ、育ててもらってきたと思っています。

伝統の技を次世代に引き継ぐ

― 京壁師の職人として、一人前になるのにはどれくらいの修行が必要ですか?

奥田親方
10年かかりますね。壁を一生懸命塗らなかったら腕はあがりません。最初どうなるかと心配していた弟子がいたんですが、南禅寺にある料理屋さんの下塗りを一人で全部やるようにしたら、一番上手になりましたわ。経験を積むことがやっぱり大事ですね。

― 京壁の伝統の技を、次世代を担う若い職人の方に引き継いでいくことが重要ですね。

奥田親方
次の若い世代の人にバトンタッチしていくようにしなかったら、土壁の文化は滅びてしまうと思いますね。左官業界で働く若い人は幸い、結構多いです。私も左官の技術を教えるために、専門の学校に教えに行ったり、組合が主催する講習会に講師としてお話をしたりしていますが、「弟子にしてほしい」と頼まれることもありますね。

土壁は日本文化を代表する茶道の世界とも密接に関わるものですから、何とかして次の世代に、土壁の文化やそれを支える技を残してもらいたいと思いますねえ。ホンマもんは残ってもらいたいなと思います。

私も、これまで、お寺さんなどで古い建築物の修復工事があると聞くと、その現場に行って、昔の壁がどんな風に造られているのかを見せて頂いたり、文献も調べたりと、自分なりに勉強もしてきましたが、伝統的建造物の修復などにあたって、工事に従事していない職人にも、その修復の現場を見ることが出来るようにしたり、修復のプロセスを共に学ぶことができる機会を提供し、その伝統の技、職人さんが今日まで守り続いてきたその技術を次世代に伝え残していくことが大事だと思いますね。

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