【書評】『象徴天皇制の成立』茶谷誠一著(NHKブックス、2017年)

評者:松田好史(霞会館華族文化調査委員会研究員)

著者とその業績について

本書の著者である茶谷誠一氏は、立教大学文学研究科博士後期課程を修了して博士(文学)を取得し、現職は志学館大学准教授である。著書としては、博士論文を書籍化した『昭和戦前期の宮中勢力と政治』(吉川弘文館、2009年)を皮切りに、『昭和天皇 側近たちの戦争』(吉川弘文館、2010年)、『宮中からみる日本近代史』(筑摩書房、2012年)、『牧野伸顕』(吉川弘文館、2013年)など、編著には、『関屋貞三郎日記』第1巻(国書刊行会、2018年)などがある。

著者は、戦前戦中の宮中について、天皇及び側近を一つの政治勢力「宮中勢力」として捉える視角で研究を進めてきたが、その視角をもって、終戦前後から占領期にかけての時期を俎上に上げたのが本書である。

本書の構成

まず、本書の構成を概観しておきたい。

序 章 象徴天皇制とはどんな君主制形態なのか
第1章 敗戦前後の国体危機と昭和天皇
第2章 象徴天皇制への道
第3章 戦後における昭和天皇の行動原理
第4章 象徴天皇制の成立過程にみる政治葛藤―一九四八年の側近首脳更迭問題
第5章 吉田茂の復権と象徴天皇制への対応
終 章 象徴天皇制のゆくえ―昭和から平成へ

序章 象徴天皇制とはどんな君主制形態なのか

ここでは、明治憲法と現行憲法で「国体は変ったのか」という問いについて、ドイツ国法学流の分類では現代のほとんどの君主制が「議会主義的君主制」になってしまうのであまり有効ではないこと、新憲法における「天皇制」の形態は曖昧なものとなり、解釈によってはイギリス流立憲君主制のような運用も可能であることを紹介している。

第1章 敗戦前後の国体危機と昭和天皇

本章は、概ね昭和20年を対象としている。終戦を前に、昭和天皇が木戸幸一内大臣への依存度を低下させ、広範囲に意思疎通し、積極的に意思決定に関与する姿勢に転換したこと、その背景には政治的経験の蓄積があったことを述べた上で、木戸・近衛文麿・重光葵ら「聖断断行派」が結集して抗戦派の暴発を抑止し、東久邇宮内閣による降伏後の時局収拾に成功したとする。その後の天皇・マッカーサー会見については、天皇自身の発案であったこと、マッカーサーに占領統治への協力を約束したことが指摘される。また、内大臣府が廃止され、木戸と近衛が戦犯として逮捕される一方で、対GHQ交渉などの関係から宮内省大臣官房の役割が増大したこと、従来の側近の追放で宮内省幹部の若返りが進み、大金益次郎侍従長・加藤進宮内次官が主導する体制となったが、彼らは天皇と同世代か年下が多く、結果的に昭和天皇が宮中の主導権を握る余地が大きくなったことなどが述べられる。

第2章 象徴天皇制への道

本章は、憲法改正前後の宮中を巡る状況を扱う。牧野伸顕・関屋貞三郎・河井弥八らが結成した「松影会」は天皇側近の「顧問機関」的な役割を果しており、天皇は特に牧野を頼りにしたが、その牧野は英国的な君主観で、改革に対しては保守的態度をとっていたとする。また、内大臣府の廃止後も、天皇は政治顧問の機能が何らかの役職に引き継がれることを求めたが果されなかったことが指摘される。次いで、憲法・皇室典範の改正において、GHQは皇室、殊に皇室財産を国会の管理下に置くことを重視する一方、宮内省側が主導した皇位継承などの面では皇室典範に戦前色が残ったとする。また、宮内省は新憲法の施行に伴い宮内府に改組されるが、これは天皇・宮内官僚とGHQとの暫定的な妥協点であり、幹部は留任したがそれも当面のことであったという。

第3章 戦後における昭和天皇の行動原理

ここでは、新憲法下における昭和天皇の動向を論じている。昭和天皇がバジョット、セシルを援用して、新憲法下の天皇を英国的な立憲君主と理解していたこと、また「君臣の情義」を特に重視するようになるが、これは地方巡幸の影響であることが述べられる。さらに、天皇は内外の共産主義の脅威を意識し、国際情勢への関心を持続させていたこと、いわゆる「沖縄メッセージ」の背景には天皇―寺崎英成―シーボルトという連絡ルートがあり、寺崎は、旧憲法下では内大臣が担っていた役割である「連絡官」「顧問」を自任していたことが指摘されている。

第4章 象徴天皇制の成立過程にみる政治葛藤―一九四八年の側近首脳更迭問題

第4章は中道内閣期を扱っている。この時期には巡幸が大規模化していき、それに対してソ連・豪州などから、また日本の保守派からも批判があったことが確認される。また、中道政権下では、「新憲法の精神に基づ」き「象徴天皇制」化を推進するGS及び中道政権の宮内府改革路線に対し、天皇側近・保守的親米派・GⅡが組んで抵抗するという対立構図が形成されたが、社会党にも天皇の権威に依存する政治家が多く、片山内閣下では事態が動かなかったとする。その後首相となった芦田均が、「旧体制の「象徴」である昭和天皇」の退位をも視野に入れて宮内府長官を更迭しようとしたこと、芦田が対立していたのは天皇側近ではなく実は昭和天皇自身であり、その背後には「象徴天皇制」への認識の違いがあったこと、結局、芦田が「悪者になり」、松平慶民長官を更迭して田島道治を後任としたことが述べられる。

第5章 吉田茂の復権と象徴天皇制への対応

この章では、第二次吉田内閣以降の展開が描かれる。「尊皇」家、「臣茂」といったイメージが強い吉田茂であるが、著者は宮中と政府の関係に関する考え方は芦田と大差がないとしている。「国政に関与する機能」を認めないのは芦田と同様で、天皇が「報告を受ける権利」を認める点が芦田との差異であるが、英国的立憲君主制理解の昭和天皇との懸隔の方がよほど大きいというのである。昭和24年の寺崎の更迭が、天皇による独自の外交ルートを認めない吉田の意向によるものであると指摘するとともに、いわゆる「天皇外交」を検討し、外交の意思決定権は吉田に集約されており、この時期に「天皇外交」が決定的な影響を及ぼした事例はないと判定している。また、退位論者であることを重視して選任された田島が、就任後は非退位論に転じて天皇の意向に沿う行動を取るようになり、天皇、宮内府、政府(吉田内閣)、マッカーサーの一致によって退位論に幕引きがなされたとする。田島は多くの懸案事項を処理して退任したが、天皇は後任人事に関与出来ず、側近の頻繁な更迭も不本意であったという。

終章 象徴天皇制のゆくえ―昭和から平成へ

終章においては、昭和天皇のその後について展望し、在位のまま「ケジメ」をつける道を選んだこと、国体観に変化がなかったこと、また安全保障と治安への関心が持続し、内大臣または国王秘書官的な存在を欲し続けたことが指摘されている。これに対し、明仁天皇はより儀礼的・社交的な君主であろうとし、国民との関係を重視し、国民に対しより対等な視線を有したこと、それが小泉信三やヴァイニング夫人の影響によるものであることを指摘し、「真の意味での象徴天皇制」は平成になり確立した、と結論づけている。

本書の特徴

本書は、終戦前後から占領期にかけての皇室・宮中に関する、本格的な政治過程史である。この領域は河西秀哉、瀬畑源、高橋紘、富永望といった諸氏によって、近年活発な研究がなされているが、著者は「象徴天皇制」が、GHQ、政府(戦前風にいえば「府中」)などと「宮中勢力」の、さらには宮中内部での「葛藤」の中で形成、定着していく過程を描いている。これは宮中の首脳を重視する点で著者の戦前政治史研究と一貫したものとなっている。

また、著者自身が発掘に携わったものを含め、非常に多くの史料を活用して政治過程を再現しており、NHK出版のホームページに掲載されている、「『昭和天皇実録』や天皇側近の日誌など近年公開・発見された新史料を精緻に読み解き」云々との紹介は本書に相応しいものである。狭義の政治史から見た「象徴天皇制」の定着過程としては、一つのスタンダードとなり得る業績であるといって差支えあるまい。

さらに、戦前戦後を通じた長いスパンで宮中を研究している著者ならではの見解がそこここに見られることも、本書の特徴である。例えば、松平康昌の情報活動を評価するに当って、彼の内大臣秘書官長時代の活動との同質性を指摘するくだり(227頁)や、牧野や湯浅倉平が従来からの宮内官と対立したことを例示して、「オモテとオクの対立」は宿命的であると述べている箇所(253頁)などである。戦前の宮中に通暁した著者によって、占領期に激変した宮中における、変化した部分と変わらない部分とを窺い知ることが出来る。

また、天皇の権威に依存する社会党の政治家や、「悪者にな」る覚悟で宮内府長官の更迭を断行する芦田、また天皇の政治への関与を忌避する吉田など、従来のイメージとは異なる政治家たちの相貌が描かれている点も興味深い。特に、「臣茂」としての顔が強調されてきた吉田に関する指摘は、その像を修正するものであり重要である。同じ親英米派、オールドリベラリストとみなされる吉田と岳父牧野との間で、戦後になって天皇の位置付けに関する見解が分かれたのも面白いが、天皇側近として長年奉仕した牧野と、宮内官の経験がない吉田の差であろうか。

若干の指摘

最後に、少々気になった点について二、三指摘しておきたい。

まず「序章」であるが、国法学を援用した整理は第1章以降の歴史叙述とやや趣を異にする印象を受けた。序章であるからそういった要素があっても良いが、むしろこの時期の天皇、皇室に関する先行研究を整理した上で、「宮中勢力」に着目してきた著者の視角の有効性を説くことに力点を置いた方が、本書の狙いが理解しやすくなったのではないかと思われる。

次に、「宮内府機構改正に関する件」に関し、昭和天皇が「二つの権力の所在」云々と語った(173頁)ことについて、著者はGHQと日本政府、またはGSとGⅡの関係を指していると見ているが、これは天皇と首相のことであって、昭和天皇は政府(戦前風にいえば府中)が宮中に口を出せるようになると差し障りがある、と危惧していると解釈した方が自然ではなかろうか。本書では天皇が側近の頻繁な更迭、特に内閣更迭との連動を警戒していたことが指摘されているが、そうであるとすれば、戦前の政党内閣による「党弊」人事が宮中において再現されることを恐れていたのではないかと思われるが如何であろうか。

また、宮内省から宮内府へ、さらには宮内庁へという制度の変更に伴う宮中首脳の人的構成の変遷について、その人事を一覧出来る表があれば親切であろうと感じた。

ところで、著者自身は「真の意味での象徴天皇制」推進派を評価しており、「保守派」に対する評価はやや辛めである。現在の政治に直結するテーマだけに、この辺りは意見が分かれそうなところではあるが(評者も、我が国を「共和国における君主制」とする点などには違和感がある)、それはいわば味付けの部分であって、本丸の歴史叙述自体から得られるものは、立場に拘わらず少なくないのではないかと思われる。本書が広く読まれることを期待したい。

なお、本稿は評者の個人的見解であることをお断りしておく。

松田 好史

  • 霞会館華族文化調査委員会研究員