【書評】『「マツリゴト」の儀礼学 象徴天皇制と首相儀礼をめぐって』坂本孝治郎著(北樹出版、2019年)

評者:国分航士(九州大学大学院人文科学研究院講師) 

象徴天皇制へのパフォーマンス

本書は、政治とドラマ(イヴェント)、政治と言語(象徴)、政治と儀礼、政治と時間といった視座に注目してきた政治学者の手による論文集である。

既に昭和から平成の代替わりに際して、著者は『象徴天皇制へのパフォーマンス』(山川出版社、1989年)、『象徴天皇がやって来る』(平凡社、1988年)の二書を刊行している。敗戦後、天皇は、国政の権能を有しない日本国・国民統合の象徴として装い新たに登場し、旧来の臣民や新規の国民を魅了する。特に、1946年初めから1947年末の2年間は、日本人総出演で変身のドラマが展開された時期であり、その変身の過程や立ち居振る舞いを、著者は「象徴天皇(制)へのパフォーマンス」と捉える。天皇による戦後巡幸は、各地を回って「象徴天皇制」の社会的批准式を行い、その社会的正統性を客観化していくものであった。

本書は、こうした占領期を中心とした研究で示された視角や知見を前提に、「象徴天皇制と首相儀礼」を分析の俎上に載せるものである。

本書の構成

本書の章立ては、下記の通りとなっている。

1章 「マツリゴト」へのアプローチ

2章 日本政治の「時間構成」

3章 政権交代と首相儀礼首相の就任儀礼を中心として

4章 平成期・象徴天皇制の始動と戦後50年の儀礼

5章 象徴天皇制の儀礼構造関係儀礼に見るソフトパワーの動態

ここでは、評者の関心から特に著者の「象徴天皇制」研究に比重を置き、第4章を中心に紹介を行いたい。

1章 「マツリゴト」へのアプローチ

1章は、著者の問題関心や政治という現象へのアプローチの仕方が示されている。

1節では、ケ・ケカレ(ケガレ)・ハレ論に関する研究を踏まえた上で、ケ・ケカレ(ケガレ)・ハレ論を日本の政治過程の観察に応用することを試みる。

2節では、象徴天皇制に留まらない著者の「天皇制」の捉え方が示されている。著者によれば、象徴天皇制とは、日本の民主化と非軍事化を達成しようとするアメリカの対日占領政策と日本側の「天皇制延命策との複合的所産」であり、憲法第9条とセットになって敗戦後に導入された制度である。君主主権から国民主権へ、「神聖天皇」から「人間天皇」へという変身のドラマが、とりわけ1946年から1947年に精力的に上演された。象徴天皇制の画期的特徴の一つは、天皇が隔絶した存在として臣民の前に立ち現れた「元首天皇制」とは異なり、天皇・皇后が揃って国民の前に姿を現し、身体・言語表現を介して国民と相互作用することにある。春の全国植樹祭や秋の国民体育大会が、「天皇・皇后がお揃いでやって来る」イヴェント、国民統合の表現舞台として制度化される。

さらに、第3節では、「政治と時間」という問題関心から、政治学的(人類学的)なアプローチと社会(心理)学的アプローチという整理で、時間研究の紹介を行っている。

2章 日本政治の「時間構成」

2章は、第1章第3節を前提に、日本政治を対象とした「概括的な時間論的スケッチ」を披露する。「それなりに安定化している民主主義体制」では、「制度化した議会日程」を中心に、内政と外交の日程が組み立てられる。予算関連日程と儀礼日程を繰り込んだ「日本政治の日程構成」(本書35頁、表2-1)を前提に、日本政治における五月連休の意義や「四つの記憶すべき日」(広島・長崎の原爆忌、終戦記念日、沖縄戦終結の日)に行われる追悼儀礼への歴代首相の出席パターンなどが例証として論じられている。一国の「時間展開」には、「多層の歴史的な時間(プレート)」が滑り込んでおり、国際的・地域的な「時間展開」が波及的に影響していることが確認できるだろう。

3章 政権交代と首相儀礼首相の就任儀礼を中心として

3章は、日本国憲法下における首相の就任関連儀礼を取り上げる。2009年の政権交代での鳩山由紀夫の首相就任に伴う関連儀礼に加えて、歴代の保守政党首相の就任儀礼としての伊勢神宮参拝について観察的な記述が展開されている。ここでも、首相就任に至る事前儀礼と首相就任後の就任儀礼が丹念に整理されており、とりわけ、新首相と天皇とが飲食を共にする、コミュニオン儀礼の記述が目を引く。

4章 平成期・象徴天皇制の始動と戦後50年の儀礼

4章と第5章は、象徴天皇制に関する分析が中心となる。

4章は、平成初期の天皇・皇室の動きについて、昭和戦後期の文脈を踏まえつつ、論じる。

占領終結・独立以降の10年間、表層的には皇太子夫妻のパフォーマンスが国民の関心を集める一方、天皇も外国元首と相次いで会見するなど、表舞台への復権を進めていった。

さらに、東京オリンピック(1964年)前後には、政府・自民党による「天皇にまつわるナショナルな社会的儀礼の体系」や「天皇を中心とする秩序体系」の再興や整備がなされた。その後、1975年の米国訪問と翌年の在位50年記念式典が「裕仁象徴天皇制のクライマックス」を構成した。良子皇后の腰椎圧迫骨折(1977年)後、「天皇・皇后おそろいで」という象徴天皇制にとって重要な現前様式を採用し辛くなったものの、1977年秋から、明仁皇太子夫妻を迎えて挙行される全国育樹祭が開始され、「巡回型イヴェント」の際に地方を視察、国民と接触する機会がさらに制度化される。そして1980年代には、明仁皇太子による次期象徴天皇を意識したパフォーマンスが次第に明瞭となっていく。こうして、19891月に天皇位を継承し、「即位後朝見の儀」のお言葉によって実質的には初代の象徴天皇としてのパフォーマンスを開始する。

しかしながら、新憲法下初の即位の礼への国民の関心は、さほど盛り上がるものではなかった。なぜなら、「歴史的伝統や法的規定によって男系世襲制」を採用する象徴天皇制では、皇太子が天皇位を継承することは自明であり、「固有天皇の即位儀礼」に国民の興奮をかきたてるポテンシャルは少ないのである。

「大衆天皇制でもある現在の天皇制」にとっては、新しいプリンセスの登場こそが「天皇と国民の契約に際し最も重要な局面」だとされる。国民の側は、新たに選ばれた女性が国民統合の象徴のパートナーにふさわしいのかを判断し、拍手喝采をもって承認ないしは非批判的な視線で認知することで、あらかじめ天皇と再契約するかどうかを決めている。そのため、「男系世襲天皇制が大衆化」する時、「プリンセス上位皇太子制」とならざるをえない。象徴天皇制は、30年の世代交代周期ごとに「魅力的なプリンセス」を獲得・登場させなければ、その活力を失う運命にあるという。

さらに、戦後50年に際しての皇室の対応が検討されている。村山富市内閣では、戦後50年に臨む国会決議が、強行採決という形で正当性に疑義を残す格調の低いものとなり、その不首尾を補償すべく、首相談話が発表された。他方、天皇・皇后は、戦争犠牲者の追悼と平和を祈念するために、短期間に各地を慰霊訪問する試みを行った。

ここで著者は、議院内閣制と象徴天皇制の組み合わせを踏まえ、象徴天皇制への「象徴大統領制」の言説の安易な引照に注意を促す。ドイツのヴァイツゼッカー大統領は、「象徴大統領」として、国民を倫理的に代表しうる責任ある立場で戦争責任に関するメッセージを発信した。しかし、象徴天皇は、法的制約もあり、「象徴大統領」のように責任ある主体として「崇高なメッセージ」を発信し辛い。非政治的な「清廉なる」存在による戦後50年の「慰霊の旅」という特別儀礼は、「国際的な印象に薄く、倫理的評価も対外的に波及」せずに、日本国民の間に留まらざるを得なかったという。

5章 象徴天皇制の儀礼構造関係儀礼に見るソフトパワーの動態

5章は、ソフトパワーとしての皇室、とりわけ天皇の動静に注目し、各儀礼を整理しながら、その儀礼的特徴や関係儀礼の構造を読み取ろうとする。平成期の天皇の動静・儀礼の内、特に「皇居から出かける代表的事例」と「皇居において展開されている諸儀礼」を取り上げている。

「皇居から出かける代表的事例」とは、春の全国植樹祭・秋季国民体育大会・全国豊かな海づくり大会の開会式への出席などが該当する。これらは、天皇が地方事情を視察する各都道府県持ち回りの「巡回型イヴェント」であり、とりわけ、秋季国民体育大会は「天皇・皇族の時間的・空間的な参集度が最も高い地域イヴェント」とされる。長期に渡って県内全域ないし広域的に開催され、直接・間接的な関与者や参加者の数が多く、天皇・皇后に加えて他の皇族も姿を見せる稀有な行事だと位置づけられている。また、慰霊儀礼については、「どうしても忘れてはならない四つの記憶すべき日」を指摘した天皇の積極的な関与と共に、各行事への出席に見られる天皇と各皇族の儀礼的な役割分担を指摘する。慰問儀礼である天皇の「被災地お見舞い」も、詳細に整理されている。

「皇居において展開されている諸儀礼」については、「公式非公式」尺度をもとに天皇が応対する形式が分類される。具体的には、皇居・宮殿での国賓・公賓との会見、外国の首相・議長・離任大使の引見、三権関係高官・各種功労者・赴任大使の拝謁、御所での接見・懇談、皇居清掃奉仕者への会釈などである。宮殿での関係儀礼は、御所のものよりも公式性が強いとされている。

天皇との会食(共食)やお茶なども同様に分類できる。その際、宮殿・御所という場所だけではなく、会食の時間帯、皇后の臨席の有無という点も重要だとされる。これらの儀礼を介して、天皇・皇后は、国際事情や文化事情などの知的情報を拡充・更新し、ソフトパワーの充電に努めると共に、「象徴天皇制の受容・支援ネットワーク」が構築・維持されていくという。

本書の特徴と魅力

本書の特徴は、天皇と首相の儀礼の分析を中心に、著者自身がどのように政治という現象を捉えようとしているのか、その思考や作業の過程を追体験できる形になっていることだろう。そのことは、本書に数多く示されている詳細な表が物語っており、表や年表から見えてくるものを読み込んでいく愉しみが存在する。また、第5章の象徴天皇・皇室の分析が代表するように、宮内庁のホームページや各種新聞記事など比較的手に入りやすい情報であっても、丁寧に整理していくことで新たな興味深い知見につながることをあらためて認識できるだろう。こうした本書からは、いかなる学問領域なのかは関係なく、政治という現象への思索に有効と考えられれば貪欲に取り入れようとする著者の姿勢が浮かび上がる。「統治の時間的階層性」、「「象徴天皇」カリスマ」や「プリンセス上位」などの著者のタームの数々も、ある事象を著者自身がいかに理解しようとしているのかという営為の結実であろう。

さらに、本書で示された(象徴)天皇・皇室および首相の関係儀礼の分析方法の射程は、日本国憲法下だけに留まらない。日本国憲法下よりも天皇や皇室をめぐる儀礼がより実質的な意味を持ち得た、大日本帝国憲法下の儀礼と政治研究にも応用できるように思われる。たとえば、第一次憲政擁護運動の高まりによって第三次桂太郎内閣が倒れた大正政変は、予算問題の側面だけでなく、明治から大正への代替わり儀礼とその日程も踏まえて分析すると、これまでとは異なる容貌が見えてくるのではないか。天皇の沖縄へのまなざしや「四つの記憶すべき日」という指摘を意識して、慰霊・追悼儀礼をめぐって「新天皇をフォローアップ」した海部俊樹首相の事例(第4章)のように、それぞれの(象徴)天皇と首相の相互作用という視点についても、一層留意すべきものだろう。

こうした特徴を持つ本書は、儀礼およびそこから読み取れる政治を外部から眺め、意義付けするというものであり、観察的な記述というスタイルを用いている。そのため、「天皇制を演出する側」・「天皇制の演出者」、すなわち天皇・皇后をはじめとした皇室、宮内庁、首相その他の政治家・官僚、メディアなどといった当事者たちの意図に関しては、どうしても推測の域を出ないことが多い。加えて、本書の基となった諸論稿は、主に1990年代および2010年前後に書かれており、20168月以降の天皇・皇室に関する記述は、ところどころで言及があるに留まる。平成から令和への動きに対する著者の見立てについては、もう少し知りたい所である。

最後になるが、評者の菲才のため、本書の持つ魅力を十分に伝えることができない紹介になってしまった。ぜひ実際に本書を手にして、坂本政治学を堪能して頂ければ幸甚である。

国分 航士

  • 九州大学大学院人文科学研究院 講師