タイプ
その他
プロジェクト
日付
2012/9/5

【書評】『アメリカ VS ロシア ―冷戦時代とその遺産―』ウォルター・ラフィーバー著、平田雅己・伊藤裕子監訳(芦書房、2012年)

〔Walter LaFeber, America, Russia, and the Cold War, 1945-2006, 10th Edition (McGraw-Hill, 2006)〕


評者:手賀裕輔(慶應義塾大学大学院法学研究科助教)


1.はじめに:いま、ラフィーバーを読む意味

本書は、冷戦期を中心に9・11後も含めた時期(1945-2006年)についての米ソ(ロ)関係・アメリカ外交史の代表的通史の邦訳である。著者のラフィーバーは、修正主義学派を代表する外交史研究者であり、The New Empire(1963)やThe Clash(1997)など数多くの著作がある。

本書はこれまでに10版を重ねた定評のある教科書である。しかし、本書の邦訳がいま出版され、日本において広く読まれる意味をどのように考えるべきなのであろうか。1967年の初版出版から既に45年が経過し、ベトナム戦争を機に隆盛した修正主義もすでに往時の影響力が失われて久しい。また、近年の冷戦史研究では、本書のような米ソ中心史観は強く批判され、国際関係史、さらにはグローバル・ヒストリーの必要性が強調されるに至っている。

しかし、本書は米国外交を批判的かつ現実的に考察しようとするものに対して、依然として有益な視座と材料を提供してくれる。ラフィーバーは、硬直的なイデオロギー的解釈からは距離を置きつつも、米国外交を鋭く批判する穏健な左派としての立場を貫いてきた。対テロ戦争による混迷や中国の急激な台頭などに直面し、再検討を余儀なくされている現在の米国外交を考察するうえで、本書で示される独自の歴史観は我々に重要な示唆を与えてくれる。

2.本書の概要

本書は15章657頁からなる浩瀚な通史であり、紙幅の制約もあることから、ここでは本書を大きく四つに区分し、それぞれの区分におけるラフィーバーの議論の特徴的な部分のみを紹介したい。

第一の区分は、冷戦の開始について論じた部分(第1章から第6章)である。ここでの著者の主張の核心は、冷戦が生起した責任は米国にあるという議論である。第二次世界大戦後、米国は、開放的経済システムと民主主義を世界に拡大することで、平和と繁栄を達成できると考えた。そのため、米国は圧倒的な国力を背景として、東欧に門戸開放を強制しようと試みた。ソ連の脅威が存在しないにもかかわらず、米国がこのような強引な政策をとったために、ソ連の不安が高まり、冷戦が生起したというのが著者の解釈である。その後、トルーマン・ドクトリンの発表と朝鮮戦争の勃発によって冷戦は本格化し、世界規模へと拡大するが、米国内においても大統領の権限が大幅に強化され、軍事予算が急激に増加することになった。

第二の区分は、冷戦の変質について論じた部分(第7章から第11章)である。ここでの著者の議論の中心は、米国による第三世界への介入とその失敗による冷戦の変質についての考察にあてられる。キューバ・ミサイル危機後、核をめぐる米ソ対立がある程度緩和し、冷戦の焦点は欧州から第三世界へと移行する。この第三世界をめぐるソ連との争いに冷戦そのものの帰趨がかかっていると認識した米国は、世界各地への介入を繰り返す。その典型例であるベトナム介入が泥沼化したことによって、米国は国力を大きく消耗し、従来の封じ込め政策の根本的な再検討を迫られる。その結果、米国は対外的にはソ連とのデタントを余儀なくされ、国内的には政府の冷戦政策に対する超党派的支持を失い、「帝王的大統領制」が崩壊することとなる。

第三の区分は、冷戦の終結について論じた部分(第12章と第13章)である。ここで著者が強調するのは、冷戦の終結にはレーガンによる軍拡ではなく、ゴルバチョフの決断が重要であったという点である。ソ連のアフガン侵攻によりデタントが崩壊し「新冷戦」が勃発すると、レーガン政権は軍事予算を大幅に増額し、強硬な反共主義政策を推進した。しかし成果はあがらず、むしろ財政赤字と貿易赤字によって米国経済は停滞する。著者の解釈によれば、冷戦終結に大きな役割を果たしたのは、「新思考」を掲げて登場したソ連のゴルバチョフであった。彼がソ連の体制改革のために米国との緊張緩和を進めたことで、冷戦は急速に変化し、東欧革命、ドイツ統一、ソ連崩壊によって冷戦は終結する。

最後の第四の区分は、ポスト冷戦と9・11後の時代について論じた部分(第14章と第15章)である。ここでの筆者の主張は、同時多発テロとアフガン・イラク戦争が米国の冷戦政策の負の遺産であるという点にある。冷戦終結後の米国に大きな衝撃を与えたのが、同時多発テロ事件であり、その後のアフガン・イラク戦争であった。しかし、冷戦期にアフガンでビン・ラディンを、イラクでフセインを支援したのは、他ならぬ米国であった。ブッシュ政権は「テロとの戦い」のために国内では大統領権限を強化し、対外的には二元論的発想に基づき、強引な方法でアフガン・イラク戦争を断行した。しかし米国は戦後処理に失敗し、混迷がいまなお続いている。

3.本書の特徴

本書の特徴としては、第一にバランスのとれた歴史叙述があげられる。筆者は基本的に修正主義の立場に基づいて米国外交を説明するが、急進的な修正主義とは異なり、新マルクス主義的解釈や硬直的な経済決定論の立場には立たず、様々な要因を考慮した説得力のある歴史叙述を行うことに成功している。より具体的に言えば、本書は二つの意味でバランスがとれている。

第一に叙述の領域〔安全保障・経済・価値〕である。修正主義は、基本的に経済要因が米国外交を規定すると考える。経済的利益の追求こそが米国外交の目的であり、米国は一貫して「門戸開放」政策を推進してきたと説明される。しかし、筆者は経済要因を重視しながらも、それに加えて、核兵器や通常兵力をめぐる問題などの安全保障要因や、大衆文化や思想の影響、世論の変化など価値や文化的要因についても軽視せず、取り入れている。

第二に叙述のレベル〔国際環境・国家・個人〕である。一般的に、修正主義学派は米国外交を規定する経済要因の源泉を、国内の資本主義体制に求める。発展のために海外市場を必要とする資本主義には、対外膨張する性質が根本的に内包されているからである。筆者も基本的に、国内の資本主義体制が米国の外交政策を規定していると考えており、その意味で国内要因を重視しているといえる。しかし同時に、本書ではソ連や中国などの大国や同盟国との関係など国際環境要因や、様々な政治指導者の認識や決断などの個人要因が、冷戦の帰趨に大きな影響を及ぼした要因として重視されており、本書の歴史叙述を重層的なものとすることに役立っている。

本書の第二の特徴は、ラフィーバーの歴史観の独自性である。既述のとおり、筆者は、基本的に米国外交は国内の資本主義体制による経済的利益の追求に強く規定されると考えている。そのため、米国は第二次大戦後、ソ連の脅威がないにもかかわらず、門戸開放政策を東欧に強制しようと試み、その結果ソ連の反発を招き、冷戦が生起したのであった。他方で国内に目を向ければ、米政府は共産主義の脅威を誇張し、国民の恐怖を煽ることで大統領への権限集中を実現した結果、自由や人権が侵害される事態を招いてしまった。こうした対外的膨張や国内の過剰な権力集中に対して厳しい批判を加える点こそが、筆者が修正主義学派と分類される所以であろう。

しかしながら、筆者の議論はこうした典型的な修正主義の範疇に留まるものではなく、現実主義的な要素を色濃く有している点を指摘すべきであろう。他の修正主義学派の学説とは異なり、筆者は米国外交には門戸開放と並んで、民主主義を世界に拡大するという伝統が存在すると主張する。このウィルソン主義的な民主主義の拡大という理想と圧倒的なパワーが結びついた時に、軍事力を偏重した十字軍的な対外介入を実施する傾向が米国にあることに筆者は強い警鐘を鳴らす。現実と遊離した冒険主義的な対外政策は、往々にしてベトナムやイラクのような壊滅的失敗をもたらすからである。こうした事態を避けるために、筆者が強調するのが「自制心」の重要性であり、この点において、本書で度々言及されるケナンやニーバーなどの現実主義者の議論との強い親和性が窺えるのである。以上のように、修正主義と現実主義がバランスよく融合した視点から米国外交の批判的解釈を提示することに成功している点こそが本書の最大の魅力と言えるだろう。

4.論点とコメント

最後に、以下では本書について二点ほど論点を提示し、評者の考えを簡潔に述べたい。

第一に、米国が直面した諸問題の原因を米国が持つ特殊性や例外性に還元しすぎる傾向が、本書にはあるのではないだろうか。冷戦の発生と激化、ベトナム戦争の泥沼化、対テロ戦争による混迷など米国が直面した問題は、筆者が主張するように、ウィルソン主義や門戸開放など米国の伝統的、歴史的特殊性によってすべて説明することができるのであろうか。評者は、これらの要因に加えて、構造的要因も考慮すべきであると考える。つまり、上記の問題は「米国が米国である」という理由で生じた問題ばかりではなく、超大国という地位や米ソ二極構造など米国が置かれた環境に起因する面もあったのではないだろうか。筆者は米国外交に潜む米国例外主義を強く批判するが、米国の特殊性に全ての問題の原因を還元するという点において、自身も米国例外主義に捕われていると言えるかもしれない。米国の抱える問題の特殊性と一般性を慎重に区別して分析することで、他の時代の覇権国や二極(単極)構造下で生じた問題との比較分析や、国際関係理論との対話が可能となり、適切な歴史の教訓を導きだすこともできるだろう。

第二の論点として、本書では、米国が抱える「不安」や「恐怖」が対外政策に及ぼした影響についての議論が捨象されている点を指摘したい。既述のように、本書では、米国が資本主義と民主主義を世界へ拡大するために対外的に膨張することで、様々な問題が引き起こされたという議論が展開される。つまり、圧倒的な国力を有する米国にとって対外的脅威は存在せず、不安や恐怖は重要な要因ではなかったというのが暗黙の前提となっているのである。

しかしながら、ソ連の軍事力やイデオロギーに対する強い「恐怖」や「不安」を無視して戦後米国外交を説明することは果たして妥当であろうか。たしかに筆者が主張するように、米国は戦後一貫して最も強大な国家であったことは事実である。しかし、例えば、冷戦初期やベトナム戦争時の米国の政策決定者の認識をみれば明らかなように、恐怖や不安は米国外交の重要な規定要因であったと考えられる。恐怖や不安はパワーの増大や優越によって低減するものではなく、むしろ強くなる性質を持っており、またパワーや地位を一度獲得したとしても、その後はそれを失う恐怖に苛まれることになる。いくら強大な国力を持つ国家といえども恐怖や不安から逃れることは難しい。資本主義や民主主義の拡大に伴う対外膨張の側面のみに注目すると、米国の対外行動を適切に説明することができず、米国の好戦性や侵略性が過剰に強調される恐れがあるだろう。

以上二点ほど筆者なりの論点を提示したが、本書で展開されるラフィーバー独自の歴史解釈が、米国外交を批判的に考察するものに、今後も有益な視座と材料を提供してくれることには変わりない。この点にこそ、初版から45年を経てもなお、本書が多くの読者に読み継がれている最大の理由がある。そして最後に、本書が今後の冷戦史や米国外交史研究の進展にとっても価値を有することを付言したい。近年の冷戦史研究では、米ソ中心史観に対してあまりにも強い批判が加えられたために、皮肉なことに米ソ関係の実証研究(とくに1970年代以降を対象とした歴史研究)が大きく停滞する結果となっている。もちろん、米ソ関係のみに着目して冷戦を説明することは不可能であることは論を俟たない。しかし、米ソ関係をまったく無視して冷戦を説明することもまた同様に不可能であろう。本書の邦訳や再評価を契機として、今後米ソ関係史研究が前進し、冷戦や米国外交の理解が深まることを期待したい。


【附記】
本稿の執筆に際しては、東京財団の研究会に加えて、国際関係史学会(CHIR)の研究会において報告を行い、有益なご指摘を賜るとともに多くの示唆を得た。代表の渡邊啓貴先生、訳者の伊藤裕子先生、平田雅己先生、倉科一希先生をはじめ関係者の方々に記して感謝申し上げる。